帝都一偽恋劇 推しを守るため、組長の息子と契約結婚しました!


「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。」

 結婚に愛は必要。ただし、夫でなくとも限らない。
 夫婦の間に共通の”最愛”がいるのなら、問題は——。

 
 ✴︎


「いらっしゃいませ」
「小春ちゃん。今日も暑いねえ」

 常連さんは洋装の紳士。年齢は知らないが、小春が、ここ「花見屋」で働き始めた5年前からおじいさんだった。その頃は和装だったが、小春の勧めた”天瑠千景”の主演映画『銀の月』を観てくれて、そこから洋装に目覚めたのだと言っていた。
 『銀の月』いい映画だった。千景の出世作で、小春の人生史でも一二を争う名作だと思っている。物語もいいが、映像も良かった。千景は言わずもがな、その相手役も千景とまではいかずとも美しくて。
 映画の中でそのヒロインは洋装をしていた。どうせなら小春もヒロインごっこをしてみたいところだが、普段着となれば木綿の着物がちょうどいい。
 映画とは違い、現実はどうせ家と店との往復だ。
 藍色の着物のうえに、白い前掛け。これが小春の仕事着であり、ほとんど普段着なのだった。

「ええ、暑いですねえ」
「今日はある?」
「ありますよ。名物のみたらし団子!」
「あぁ、よかった。まったく、春も過ぎれば団子なんかいつだって売れ残っているものだが、昨日は食べ損ねたからねえ」
「ふふ。うちのみたらしは美味しいから毎日売り切れちゃうんですよ。……ほら、近くに劇場があるでしょう。役者さんたちの手土産にも使っていただいているようで」

 屈むとガラスのショーケースに自分の顔が映った。まとめ髪から後毛があるし、働き過ぎか、目の下にうっすら影ができている。十八にしてはずいぶん疲れて見えた。
 が、もうすぐ千景の新作映画が公開されるのだ。最低でも五回、劇場に通いたい。そのためなら過労上等。心配してくれる家族がいないのをいいことに、小春はもう二十連勤している。休んでいる場合ではない。

「五本包んでね」
「はい」

 半紙に包んで渡すと、常連さんは帽子のつばに指をかけ、のれんをくぐって帰って行った。
 ぐう、きゅるる……。
 お腹の音に、同僚のおばさんの頬にエクボが寄る。しかし、意地悪な笑い方だ。

「あっら〜、もうお腹すいたの?」
「ええ」
「お昼まであと2時間はあるわよ。朝ごはん食べてないの?」
「ええ」
「ふうん。ろくな育ちじゃないと、まともな生活も身につかないのね」
「……ええ」

 言い返すのも面倒で、小春は作り笑いで答える。すると、おばさんはおもしろくなさそうな顔をする。
 小春が一度でも言い返せばことを荒立てて、この店を辞めさせるつもりでいるのだ。
 おばさんは店主の縁戚と聞いている。店主は腕のいい職人で、悪い人ではないが面倒ごとを嫌う性だ。もし揉め事が起きれば、小春がどうなるかは想像するまでもない。
 
「いらっしゃいま——あんた! あ、ああ。あたし、倉庫の整理があるから」
 あとよろしくね、そう言い終わらないうちにおばさんは奥へと引っ込んでしまう。
(……倉庫? うちの店にそんなものはないけれど——〕
「ひっ」
 喉が鳴った。

 黒髪、革の手袋、若い男——。
(で、出た……!!!! 今週は……三度目!?)

 男は、濃紺の着流しに同じ色の羽織を着ている。小春に生地の違いはわからないが、それでも質の良いことだけはわかる。こうしてみれば金持ち風で、商人か何かに見えないこともない。あるいは役者と言われても信じたかもしれない。涼しげな目元も、すっとした鼻筋も、上品な口元も、その辺りをぶらぶら歩いている人間のものとは違った。そう、浮世離れしているのだ。

 それもそうだろう。だって、小春は知っている。
 この男、極道者なのだ——。

 少しまえに店主に聞いたのだが、この辺り一帯を仕切る大きな組の若頭だという。とはいえ、店にとってはただの客。それも乗客だし、面倒ごとを起こされたわけでもない。来るもの拒まず、というのがいかにも店主らしい返答だった。

「いらっしゃいませ……」
 小春の声に視線を上げるが、すぐにふいと逸らされた。鷹を思わせる鋭い目つき。あれが小春に向けられなくてよかった、と心底安堵している。
(鷹……というか、全体的にカラスみたいだけれど。このひと、どこかに刀とか銃とか持ってるのかしら。……い、いけない。何も考えるべきじゃない)
 が、こういうときほど余計なことを考えてしまうものだ。心を落ち着けようと息を吸ったそのとき、若頭はぼそりと言った。小春は思わず息を止める。

「全部」

 それだけだ。なにを、全部なのだろう。この店にあるものを? それとも団子だけを?
 咄嗟に判断がつかず、小春は口を開く。

「……ぜんぶ、とは」
「……」

 ケースに向けられていた視線が、ゆっくりと小春を向く。重たい前髪の隙間から、鋭い瞳が小春の両目を捕えた。
 それだけで全身の血液が凍りそうだ。

「……みたらし、ある分全て」
「はい!」

 わかっている。若頭は「みたらし団子ください」と言っただけなのだ。なにも「殺すぞ」と脅されたわけでもない。ちょっとばかし怒っているように聞こえただけだ。いやいや、それにしても全部て。30本だ。甘党か、極道なのに。
(これを一人で? ま、まさかそれとも、組のみなさまで?)
 いい、余計な想像を働かせる必要はない。

 ようやく折り箱に丁寧につめ、商品を渡す。
 すると男は大人しく代金を支払い、静かに店を去った。帰ってこないことを確信してから、
「……ふう」
 小春はため息を吐く。生きた心地がしなかった。

「……大丈夫だった?」
「ああ、おばさん……」
 おばさんって、とおばさんは小言を言いながらレジに立つ小春のもとへやってくる。まったく調子のいいひとだ。きっと、隠れて小春のことを見張っていたのだろう。それでも、店から逃げ出さなかっただけマシだろうか。
「ねえ……おつり渡した?」
「……へ?」
「お札。ここにあるけど、まさか、あんた、渡してないなんてことは……」

 いつになく心配そうなおばさんの表情に、小春は固まった。
 ——渡して、ない。
 瞬間、小春は店を飛び出した。

「ま、まって、待ってください!!!!!」
 店のまえに黒い車があった。
 ちょうど運転手が後部座席の扉を閉めたところだった。
 やっぱり自家用車を、それも運転手付きの、こんなに大きな車を持っているなんて「極道者」の噂は本物なのだろう。
 小春の声に運転手が驚いて振り向いた。

「お釣りが……」
「は?」
「お釣りが!!! 渡せなかったんです……」
 運転手は困惑したように視線を泳がせる。ドアを開けるかどうか、迷っているようだ。
「お返しします!!」
 そうだ、本人に渡す必要もない。運転手に押し付けようとした、そのとき窓が開いた。
 
「時間だ」
 そう不機嫌な声が聞こえて来ると、運転手は慌てて車へ乗り込んだ。すぐに発車する。
 小春は紙幣を握りしめたまま、走り去る車を見送った。

 

(……ようやく今日が終わった)
 あの後、生きた心地がしなかった。
 いつ若頭が戻って来るか、それとも仲間たちが来るかもしれない。いや、来ないのかもしれない。
 極道者のことはよく知らないがこのお金、小春にとっては大金だが、彼らにとっては端金に違いない。わざわざ取り返しに来るとも思えないが、でも、このお金のせいで因縁をつけられたらどうしよう。
 揉め事を嫌う店主のこと。何があったか知れば、小春はその場でクビになるだろう。だから、おばさんにも、店主にも本当のことが言えなかった。

 では、組を訪ねて返せば……それは怖い。
 そうだ、どうせ明日も出勤だ。若頭は常連の、それも大得意先なのだから、きっと明日か明後日には店を訪れるだろう。そのとき返せばいい。そうすればきっと、許してくれるはずだ。なにも命まで取られはしまい。

 鬱々としながら街を歩く。花見屋の周辺は夜でも賑やかだ。
 この辺りはもともと閑静な住宅地だったのだ。数年前、政府の開発指定を受けて劇場ができ、それから百貨店が、つづいて飲み屋ができた。
 深夜でなければ、若い女が出歩いていてもそう不自然ではない。それでも面倒ごとに巻き込まれるのは嫌なので、小春は顔を下げて足早に歩く。電車を使えば早いのだが、歩けばその分お金が浮く。それは”最愛”のために貯金しておきたい。
 すると、ふいに強いライトが足元を丸く照らした。
 顔を上げる。

「……千景様」
 小春の最愛。生きる理由。それがこの、天瑠千景——いまをときめく若手役者だ。
 もうすぐ開演する舞台。その手書き看板を長め、小春は大きくため息をついた。

 まっすぐ伸びた長髪。その明るい髪の色が日本人離れしていて良い。
 すっと切れ長な瞳は涼しげで、それでいて表情に愛嬌があって、そのアンバランスさがの心を惹きつけるのだ。
 目の演技がいい。もちろん好青年をやらせてもいいが、千景の真骨頂は、『銀の月』で見せたような、どこか屈折を抱えた人間を演じられるところにある。

 映画のように手軽に観にはいけないが、いつかこの目で、生の千景を観てみたい。劇場で、生の声を聞いてみたい。
 きっと信じられない。スクリーンの向こうの憧れの役者が、同じ空間の中にいるなんて。もしかしたら、舞台上の千景をみただけで小春は気を失うかもしれない。

「……から……じが……」

 ふと、言い争うような声が聞こえた。路地裏からだ。
 街が賑やかになるにつれ、治安が悪くなった気がする。だから昼間の男のような極道者が幅を利かせているのかもしれないが、小春のような小市民にとっては関係のないことだ。小春は団子やの店子だ。政治家ではない。
 一度は通り過ぎたが、少し歩いてから引き返した。政治家ではないが、小市民して心配になってしまったのだ。

 小春は建物の影からそっと覗く。
 路地は薄暗い。街のネオンがまだらに光りを当てている。路地には男が二人、上背のある若い人の影に見えた。なにを揉めているのか、ふたりは至近距離で顔をくっつけるようにして口論しているように見えた。
 男たちは次第に声が大きくなっていく。
(……そ、そろそろ警察を呼んだほうがいいのかな)
 踵を返そうとしたそのとき、

「親父がそう言ったのか」

 ——え。そ、その声は。
 足を止める。そのまま小春は動けなくなった。
 心臓が痛いくらいに鳴っている。
 聞き間違えるはずがない。劇場で、もう何度も、何度も聞いたのだ。顔を見なくてもわかる。

 (あ、あなたは——)

「はい。……が、心配することはありません。このことは俺が必ず方をつけますので、どうか」
「方をつけるって、伊織。……それじゃあおまえが」

「千景様!」
 小春は思わず大声で叫んでいた。
 影がこちらを向く。

 ——やっぱり!
 千景だ。千景様だ。その目は千景様だ。
 男に因縁をつけられて、こんな場所に連れ込まれたのだ。
 千景様が危ない。最愛の危機だ。
 頭のなかで警笛が鳴りやまない。どんどん大きく、激しくなっていく。鼓動が連動して早まる。

「お逃げください。人を呼びました!!!」
 否、本当は呼んでいない。はったりでも十分効果はあったのだろう。千景の隣で男は目に見えてうろたえている。小春の方に身体を向けて、
「……伊織。顔を見られたな」
「クソガキが」
 瞬間、男が小春の方へやってきたかと思うと強く手を引かれた。


 腹を殴られて気を失ったのだとわかったのは、それから何時間あとのことだろう。ともかく小春は、布団のうえでそう思い出したのだ。
 その部屋に、時計はなかった。その代わりに掛け軸があった。
『任侠』
 達筆なのかなんなのか小春に教養がなくてわからなかった。が、やけに勢いのある字ではあった。