夏より重い。

 天啓、といってよかった。
 ——足掴まれたみたいな。
 怪談の定番のようなひと言を花村さんではない人間の口から聞いた瞬間、暗く霧がかっていた頭のなかが一気にすっきりと冴え渡った。いつまで経ってもできないジグソーパズルをひっくり返したら奇跡的に完成してしまったような、馬鹿馬鹿しく信じがたい感覚だった。
「おい、優木? 大丈夫か?」
「だいじょうぶ……だけど、ごめん。今日は帰る」
「は? え?」
 友人はきっと、ちょっとしたいたずらのつもりだったのだろう。動揺も露わに引き留めてくるのを振り切って、真っ直ぐ帰宅した。申し訳ないが、いても立ってもいられなかった。メッセージが何件も来ているようだったが、後日誠心誠意詫びることにして今は無視する。いつも使っているノートを自室の机に広げ、呪い騒動を解決するために作った容疑者名簿を睨みつけた。ずらっと並んだ名前、いくつも残る検討の跡。
 ひとつを残して、すべて消した。
 残した名前を中心に相関図を書く。消す。時系列を書く。消す。何度もこんがらがり、閃いては逃げられて気が急いた。夕飯や風呂に呼びにくる家族の声を生返事でいなして、必死に机に齧りつく。できごと、経過、人。整理しては白紙に戻し、また組み立て直す。
 そうして真相に辿り着いた朝方、穂波先輩に連絡を取った。
「……つまり?」
 昼休み、穂波先輩は暗室の床で重々しくため息をついた。膝の前に広げられた弁当箱は手つかずのままだ。俺があまりにひどい顔をしていたせいだろう。ひと晩かけて出した答えは、俺にとって非常に救いがなかった。午前の授業をサボって仮眠を取った程度で気が軽くなるわけもない。
 無理やり息を大きく吸って、ひと息に答えた。
「つまり、呪われているのは、俺です」
 花村さんと離れるという判断に間違いはなかったが、他は全部見当はずれだった。そもそもの前提すらもだ。友人が足を引っ張られたとき、それに気づいた。短期間に二人も同じように呪われるなんて馬鹿な話があるわけもない。
 花村さんが足を引っ張られたのは『他人が』近づいたからじゃなく、『俺と』近づいたからだ。
「この騒動、俺が始まりだったんです」
 話せば話すほど情けなさやら申し訳なさやらで背中が丸くなる。「犯人」の名前以外全部吐き出しきったというのに胸は重いままだった。相談している立場のくせにため息が漏れそうになる。意地で飲み込み、背筋を伸ばした。
「だから犯人——……先方と、一度サシで話してみようと思ってるんですが、その上で助言をいただければと思いまして」
「………なるほどな」
 対する穂波先輩の顔も渋い。手に取ったまま一度も使われなかった箸をとうとう置いて、腕を組む。鋭い眼差しが俺を射抜いた。
「お前の言いたいことはわかった。その上でいくつか確認させろ」
 睡眠不足で妙に昂った頭を縦に振って見せる。助言の前に俺の推理のほうを検証されるのは予想していた。
「まず、その友だちは本当に足を引っ張られたのか、だ」
「それは……」
「黒い手を見たわけでも、足に手形が残っていたわけでもないんだろ」
 穂波先輩は俺の言葉を遮った。どうだ、と視線で返事を促してくる。初手から痛いところを突かれた。
「……ええ、と………」
 図書館で友人が足を掴まれたと言ったとき、俺は思わずズボンの裾を剥いて友人の足首を確認していた。きれいなものだった。残念ながら反論の余地はない。沈黙した俺に穂波先輩は呆れたようなため息をついた。組んだ腕を解いて頬杖をつく。
「結論ありきで見るから、怪談の定型文みたいな台詞を呪いに繋げただけじゃないのか」
「そうじゃなくて……」
 結論がはじめにあったわけではない。友人の一件を呪いだと思ったからひと足とびに結論に辿り着いたのだが、根拠に欠ける思いつきだと言われてしまえばそのとおりだ。
 しかし、覚悟を決めている俺は引き下がれない。
「……呪いの始まった時期にも説明がつきます」
 花村さんが足を引っ張られるようになったのは、俺が花村さんを好きになった秋でも、花村さんが俺と友人になろうと決めた去年の春でもなく、半年前——呪いにかかわる人間が全員同じ組になった、この春だ。今までの「犯人の許容範囲を超えたのが半年前だった」という仮説より説得力がある。
 自信のある一手だったのだが、穂波先輩は気のない仕草で肩をすくめた。
「それも結論ありきの話だろうが。進級で人間関係が入れ替われば方々それなりに心乱れるもんだ」
「それは、そうでしょうが……」
 穂波先輩の理屈はわかる。だからこそもどかしい。
「っでもそれだけじゃなくて、全部きれいに説明がつくんです。呪いが始まった理由も、悪化した理由も怒った理由も、呪いをかけたそもそもの動機も、全部です」
「どれもこれも全部、お前の結論が先に来てるんだよ」
 そうだけどそうじゃない。穂波先輩なら俺が本当に言いたいことくらいわかってくれているはずなのに、なぜか今日に限っては汲んでくれない。もちろん、言うことを全肯定してほしいわけではないが、それ以前のもっと根本的なところが噛み合っていない気がした。とうとう俺に愛想が尽きたのかといえば、ちがう。
「一回冷静になれ」
 俺を案じている瞳を見ればわかる。だからこそ、こうも否定で返してくる理由がわからなかった。何だかいつもの穂波先輩ではない気がする。
「……俺は冷静です。ひと晩考えて、他の可能性だって検討して、さっき話した結論が正解だと判断したんです」
「わからんやつだな。その判断が冷静じゃないって言ってるんだよ」
 必死で言い募るが穂波先輩の眉根は寄るばかりだ。丸っこい手が乱暴な仕草で短い髪をかき混ぜる。苛立っているのがわかって唇がこわばった。腰が引けた俺に穂波先輩は畳み掛けてくる。
「お前のその、何もかも自分に原因を求めようとするところ、自虐を通り越して傲慢だぞ」
 いつもは俺に求められた分だけ返してくれる穂波先輩が珍しく饒舌になっていた。
「『全部自分が悪い』っていうのは『全部自分の思い通りにできる』って気持ちの裏返しだ。自分さえちゃんとやってれば悪いことは起きなかった、うまくいってた、問題なかった、だから自分が悪い」
 痛いところをついてくるのは普段と変わりないが、語り口も論調もどこか感情的で、違和感が拭えない。じろりと俺を睨みつける眼にいつもの冷徹さはなく、人間くさい歪みを帯びている。
「落ち着いて考えればそんなわけがないってわかるだろうが」
 苦言の最後にため息が混じるのを感じて、気づいた。
「わざわざ自分に都合の悪い結論に収めようとするな」
 俺を庇おうとしてくれているのか。
 ふっと、最初に相談したときの言葉が甦ってきた。
 ——呪いにしろ嫌がらせにしろ、そんなこと実行するやつは多少どうかしてるし、とんでもなく感情的なやつだ。お前にはかなりきついぞ。
「………」
「答えから逆算しないで頭からもう一回考え直してみろ。助言はそのあとだ」
 肩から力が抜けた。なんのことはない、穂波先輩はいつもどおりだ。最初から今まで、ずっと俺の心配だけしてくれている。この騒動に限った話ではない。穂波先輩はいつも、俺に寄り添ってくれる。俺も、穂波先輩には散々に寄りかかっている。それはずっと、一年生のころから変わらない。
「………穂波先輩は、足を掴まれたこと、ありませんか」
「なんでそういう話になる。ないよ」
 話の流れを無視して尋ねると、穂波先輩は大きな手で頭を掻いた。がりがりと音が聞こえてきそうな手つきだが、さっきまでの不機嫌さは消えていた。吐き出すだけ吐き出して冷静さが戻ってきたようだった。
「だからこそ、俺は俺の出した結論が正解だと思ったんです」
「——……」
 ぴたりと手が止まった。顔はうつむき加減のまま、瞳だけがゆるりとこちらを向く。真っ向から見つめ返す。
「俺が入学してからずっと穂波先輩を頼りにしてるのも、穂波先輩がいつも助けてくれるのも、先方は知っているはずです。俺とつき合いのあるやつなら誰でも知ってます。何かあると、俺がすぐ穂波先輩に泣きつくことくらい」
 言いながら、自分でも苦笑してしまった。本当に、恥ずかしいくらい頼りにしている。穂波先輩がモテないなんて、絶対嘘だと思う。
「ちょっとつるんだだけの友だちは引っ張られたのに、ある意味花村さんよりもずっと距離の近い先輩は引っ張られないんですよ。俺にはちょっと、無視できない事実です」
 穂波先輩はわずかに眼を見張った。ぎゅっと眉が寄り、ゆるみ、最後には頭を抱えてしまう。
「お……っ前、なあ……」
「もちろん、穂波先輩の言うとおり俺の考えが全然検討はずれなら、こんなの何の根拠にもならないんですけど、でも……」
「いい。わかった」
 俺の言い訳を手のひと振りで遮って、穂波先輩が呻く。丸い指先が膝をとんとんと打つ。黙って待つ。
「……お前の言うことも、わかるよ。ツッコミどころはあるが、筋は確かに通ってる。わかってはいる。いるんだけどなあ……」
 珍しく歯切れが悪い。少し意外でまじまじと見つめていると、のろのろと顔を上げて視線を返してくれる。厚い唇が一度ぎゅっと結ばれ、こらえきれずといった様子で深いため息を溢した。
「何も、『そこ』に着地しなくてもいいだろ……」
 こんなに困り果てた穂波先輩を見るのは初めてだった。「好きな人が呪われているかもしれない」なんて突拍子もない相談を持ち込んだときですら涼しい顔をしていたのに。俺が花村さんと絶交したと伝えたときだって、ここまで弱った様子は見せなかったのに。
「………俺は大丈夫です。先方はそんな、悪い人じゃないですし、どっちかというと優しい人ですし……」
 俺が騒動のど真ん中にいるとなった途端、こんなにも自分ごととして見てくれるなんて。 
「失敗したら、また穂波先輩に泣きつきますし」
 頼もしいことこの上ない。
 気重なのも苦しいのも変わらないのに、顔の筋肉が勝手にゆるんでしまった。
「なんか、助言は必要なかったみたいです。ありがとうございます」
「勝手に解決するな。俺は何もしてない」
 穂波先輩が額に手を当ててうつむく。もう一度吐き出されたため息はどこか吹っ切れたような、少し芝居がかった大袈裟さだった。
「それで? 犯人が誰か、俺には知らせる気がないんだな?」
「……すみません」
 確信を持っているとはいえ、事実を確認する前に話すのは気が引けた。たとえ相手が穂波先輩であっても、俺がやっていいことではないように思える。
 代わりに頭を下げた。くしゃりと身体を丸めるような、いつもの情けないお辞儀だった。
「決着がついたら、聞いてください」
 穂波先輩が苦笑した。仕方ないな、と言うように。
 近くにいてやる、という心づかいを断って、ひとりで暗室を出た。早速端末のメッセージアプリを開き、下へとスクロールしていく。履歴を潜るほどに連絡を取っていなかった期間を実感する。やっと見つけた「彼」とのメッセージは、本当に何気ないもので途切れていた。くだらない短文で、表示されている受信日時だけが遠い。
 かける言葉に一瞬だけ迷った。このまま考え込んだら何も送れなくなる気がして、思いつくままに送る。呼び出しの言葉は、冷たいくらい簡潔なものになった。