普通修行は前途多難

 待ちに待った日曜日。
 半袖のストライプシャツに、黒のアンクルパンツを合わせた。
 姿見の前で体を捻る。

「変じゃないよね?」

 髪を撫でつけて、寝癖がないことも確認する。
 時計に目を向けると、家を出る時間になっていた。
 軽やかな足取りで、待ち合わせをしている駅前に向かう。




 駅前に着いて、額を押さえた。
 神崎くんはすでに待っていて、僕が選んだTシャツを着ていた。
 そこに関しては、心臓が歓喜でステップでも踏んでいるかのように高鳴り、喜び舞い上がっている。
 でも周りには人が大勢いて、神崎くんが待ち合わせスポット化していた。

「もしもし、もう着いたんだけど。目印は、背の高いべらぼうなイケメン」

 などと近くのギャルが、電話相手にはしゃいでいた。
 そのイケメンは今から回収します、と苦笑いを浮かべる。
 それよりも、居心地が悪そうな神崎くんを助けなきゃ。
 今度から待ち合わせじゃなくて、迎えに行こうと誓う。
 神崎くんに向かって足を進めると、僕に気付いた。
 ホッとしたようにこちらに駆けてくる。

「待たせてごめんね」
「いや、俺が早く着いただけだから」

 神崎くんはふふっと笑う。

「どうしたの?」
「今の、普通のカップルっぽいなって」

 確かに、漫画やドラマでよく見るよな。

「この後はどうする?」
「決めてなかったな。普通のカップルってデートでなにをするんだろう」
「それは僕にもわからないよ」

 二人で頭を捻り、うーん、と悩む。
 神崎くんが手をパチンと鳴らした。

「わからないなら、観察しよう!」
「よそのカップルの観察をするってこと?」
「任せて! 俺は師匠をひたすら観察してたから、慣れてる」

 神崎くんは口角を上げて、自分の胸をドンと叩いた。
 それは胸を張れるようなことではない。

「あっ、あそこに入ろう」

 神崎くんが指したのは、ファストフード店だった。
 ハンバーガーとポテトと野菜ジュースを注文する。
 受け取ると、神崎くんは店内を歩き回り、空いている席に座る。後ろを歩いていた僕は、彼の正面に腰掛けた。
 神崎くんが口元に手を当てて、身を乗り出す。
 僕も前屈みになって、耳を傾けた。

「隣のカップルを参考にしよう」

 空いている席ではなく、参考になりそうなカップルを探してここの席にしたのか。
 ハンバーガーにかぶりつきながら、横目で見た。

「しーちゃん、あーんして」
「ありがとう、美味しいね。がっくんもどうぞ」
「うん、美味い」

 隣のカップルは、ポテトを食べさせ合っていた。
 これは、敷居が高くないか? 本当に普通のカップルは、こういうことやってるの?
 神崎くんにチラリと視線を送る。
 キラキラと目を輝かせていた。やる気満々みたいだ。
 人前で神崎くんと『あーん』で食べさせ合う。想像だけで顔から火が出そうだ。
 隣のカップルは一度だけではなく、またお互いの口にポテトを運ぶ。
 食べ終わると、ペーパーナプキンで相手の手を拭いだした。宝物のように丁寧に。
 自分の手を拭いたほうが早いのに。
 そう思うけれど、幸せいっぱいなのが伝わってくる。
 ……僕も挑戦してみよう。頑張ろうって決めたんだから。
 隣のカップルが席を立つと、呼びかけた。

「あの、神崎くん」
「めちゃくちゃ参考になった。俺もあれやりたい」

 やっぱり神崎くんは影響を受けていたようだ。
 僕はポテトに手を伸ばした。神崎くんに差し出すぞ、と意気込む。

「ねぇ、師匠も俺のことを、あだ名で呼んでよ」
「へ? あだ名?」

 予想と違った言葉に、出鼻を挫かれる。

「うん、呼ばれたい」

 神崎くんはポテトを食べさせ合うことではなくて、呼び方に興味を持ったのか。
 よかった。早とちりして、ポテトを差し出す前で。

「それなら神崎くんも、僕をあだ名で呼んでくれるの?」

 期待を込めて聞けば、神崎くんはキョトンと目を瞬かせる。

「俺はもう呼んでるじゃん。『師匠』って」

 がっくりと力が抜けた。

「それ、あだ名って言うの? もっと、こう、なんていうか……」

 名前からとった呼び方がいい。
 口籠もると、神崎くんは名案が浮かんだとばかりに、手を叩いて顔を明るくする。
 僕の気持ちが伝わったのかな? なんて呼ばれるんだろう。

「じゃあ、しーちゃんにする?」

 さっきのカップルの呼び方だ。

「待って! 神崎くんは僕の名前を知ってる?」
「うん、伊藤凌太」
「じゃあなんで、しーちゃんなの?」
「師匠のしーちゃん」

 予想の斜め上の返答に、頭を抱えた。
 神崎くんは機嫌良さそうに、ハンバーガーにかぶりつく。

「ほら、師匠も俺のことを呼んでよ」
「えっと、……十和くん」

 なんだか気恥ずかしくて、すごく小さな声になってしまった。

「僕も名前で呼ばれたいな」

 ぽつりと呟くと、神崎くんは一瞬動きが止まった。

「いや、その……」

 視線をさまよわせ、頭を掻く。

「凌太」

 騒がしい店内だけれど、神崎くんの微かな声が届いた。呼ばれただけで、ドキドキが加速する。
 神崎くんは片手で口を覆い、顔半分を隠した。でも耳の先が真っ赤だった。

「なんか、照れる」
「え? 初めからずっと距離が近かったのに?」
「それは師匠のこと、まだ好きではなかったから。告白の時は、必死すぎただけだし。意識すると、照れる」

 顔を見合わせて苦笑い。
 神崎くんが相手だと、名前を呼ぶってことも特別になるんだ。

「慣れるまで待って」
「うん、僕も待って欲しい」

 しばらくは『師匠』と『神崎くん』が続きそうだ。
 ポテトを摘んで、口に運ぶ。
 無言でパクパク食べ、残り少なくなったところで手を止めた。
 このまま全部、食べてもいいのだろうか。後でやっておけばよかった、と後悔しないだろうか。
 自問自答して、よし、と意気込む。
 頑張るって決めたんだ。
 震える手でポテトを摘み、神崎くんに差し出した。

「……あーんして」

 手と同じくらい、声も震えた。
 神崎くんは狼狽えたように、視線を走らせる。
 やっぱりダメかな、と不安になって手を引いた。

「ごめん、待って! もう一回して」

 神崎くんはこちらに手を伸ばし、僕の手首を掴む。
 自分に引き寄せて、ポテトを咥えた。
 照れくさいけれど、心も踊る。
 神崎くんも僕にポテトを向けた。それを遠慮がちに食べる。
 これだけでも神崎くんと一緒だと、心の中が幸せで満ちる。
 食べ終わると「手を出して」と言われた。疑問に思いながらも、手のひらを上に向けて両手を差し出した。
 右手首を掬うように下からそっと掴まれる。ペーパーナプキンで丁寧に指先を拭かれた。
 僕の手に視線を落としている神崎くんは、ぎこちなくて口元に力が入っている。
 隣のカップルは慣れていたのか、自然だった。
 比べてしまうとスマートではないけれど、神崎くんも頑張ってくれているんだとわかって、愛おしさで胸が疼く。

「拭けた」
「うん、ありがとう」

 指先が異常に熱い。

「僕も拭いていい?」

 神崎くんが、右手をこちらに向けた。
 手のひらが大きくて、指は長くて少しゴツゴツしている。いっぱいバスケの練習をしているからなんだろうな。
 優しく拭った。
 綺麗になると「ありがとう」とふわりと笑ってくれる。
 一番のご褒美をもらったみたいに、骨の髄まで多幸感で満たされた。




 ファストフード店を出て、十分ほど歩いたところにある大きな公園に向かった。

「ここなら、普通のカップルがいっぱいいそう!」

 まだ観察は続くらしい。
 遊歩道をのんびり歩いていると、カップルだけじゃなく、家族連れや老夫婦など、いろんな人たちで賑わっていた。

「みんな手を繋いでるな」

 神崎くんがボソリと呟く。
 散歩をしているカップルも、ベンチに座っているカップルも、芝生にシートを敷いて語らうカップルも、もれなく手を繋いでいた。
 神崎くんと視線が絡む。
 目元を染めて、熱っぽく見つめられた。

「ねぇ、しよっか」

 掠れた艶のある声が、降ってきた。
 甘い痺れになって、全身を駆け巡る。
 落ち着け。手を繋ごうって誘われただけだ。
 胸を押さえて深呼吸をする。
 こんなにも無駄な色気ってある? 無邪気な神崎くんとの落差が激しくて、心を乱されっぱなし。
 僕が頷くと、控えめに指を絡められる。緊張からか、手のひらは少し湿っていた。
 百戦錬磨みたいな誘い方をするのに、初心なんだよな、とキュンキュンしっぱなし。

「手が熱い」
「僕も」

 そう告げると、指に力が入る。僕も同じ力で握り返した。
 のんびり歩いていると、散歩中の犬とすれ違うたび、神崎くんは犬に絡まれていた。足元に擦り寄られたり、撫でて欲しくてお腹を見せてきたり。
 飼い主をも魅了して、撫でるのを頼まれたりするし、犬は神崎くんに撫でられるとご満悦といった恍惚の表情を見せる。
 僕にはいっさい寄ってこないから、神崎くんが少し羨ましかった。それと同時に、神崎くんに撫でられる犬がものすごく羨ましかった。
 お泊まりの時にお腹を撫でられたけれど、その時は付き合う前だし、僕は気持ちを隠していたから喜べるような余裕がなかった。
 しばらく話しながら歩いていると、大きな池が見えてくる。
 陽光が反射して、水面がキラキラと白く光っていた。

「師匠! あれ、やろう。絶対に普通のカップルは乗ってるよ」

 神崎くんが興奮したように指を差すのはボート。
 池の上でボートに乗って、穏やかな時間を過ごすのもいいかもしれない。

「いいよ、乗ろう!」

 さっそくボート乗り場でチケットを買う。
 神崎くんが選んだのは、手漕ぎボートじゃなくて、つぶらな瞳のスワンボート。
 チケットを渡すと嬉々として先に乗り込んだ。長い足が窮屈そうだ。

「気を付けて」

 差し出された手を取り、ボートに足を踏み入れる。小さく揺れて、隣りに座った。

「よし、進もうか。せーの」

 神崎くんの掛け声で、ペダルを回す。ギィギィと金属音を響かせながら、ゆっくりと乗り場を離れる。最初は少し重い。

「結構力いるね」
「俺に任せて」

 そう言うけれど、神崎くんは漕ぎにくそう。長い脚がハンデになることもあるんだ……。
 僕が頑張ろう。自転車通学だから、慣れているし。
 踏ん張って漕ぎ、額に汗が滲む。想像していたよりハードだ。全く穏やかな水上デートではない。アクティブデートだ。
 必死に脚を回転させ、徐々に息が上がる。
 池の真ん中まで漕ぐと、脚を止めた。やっとのんびりできそうだ。

「ねぇ、カモがいるよ」

 僕が水面に指を差すと、神崎くんに「師匠」と呼ばれる。
 振り返ると『カシャッ』とシャッター音が鳴って、目を瞬かせた。

「師匠とカモ」

 見せられた画面には、アップの僕と後ろの方に小さくカモが写っていた。

「急に撮らないでよ」

 大きな口を開けて笑っていて、恥ずかしい。

「自然でいいじゃん。カップルってやたら写真を撮ってるよな」
「僕も神崎くんの写真を撮りたい」
「好きなだけ撮っていいよ」

 神崎くんはこちらを向いて、優しく目を細めた。顔が強すぎる。
 スマホに神崎くんを収めて満足。
 何度も遊びに行っているのに、写真を撮るのは初めてだ。形に残るのもいいな。

「せっかくだし、一緒に撮ろうよ」
「いいけど、俺は自撮りとかしないから、上手く撮れないかも」
「僕も自撮りはしないな」

 僕のメモリーはマルばかり。
 迷いながらインカメラに変え、神崎くんが腕を伸ばす。

「もっとくっつかないと入らない」

 僕たちは相手の方に首を傾ける。頭がコツンとぶつかった。
 痛いほどではないけれど、慣れてなさすぎて笑ってしまった。

「写真を撮るのも難しいぞ」
「これも慣れよう」

 気を取り直して、写真を撮る。
 初めてのツーショット写真は、頬骨が上がって目が下がり、神崎くんが大好きだって隠せていない顔をしていた。
 神崎くんはまばゆい笑顔。僕と同じ気持ちならいいな。

「僕にも送って」
「いいよ」

 すぐにスマホが震える。
 画像を保存した。
 これからはマルだけじゃなくて、神崎くんの写真も増えそうだ。




 のんびりしすぎたせいで、降りる時間に間に合わせるために、全力でペダルを漕いだ。
 降りても水の上で揺られていた感覚が残っていて、ふわふわする。
 神崎くんは自然に指を絡めてくる。それが嬉しくてたまらない。
 少し歩くと「すみません」と声をかけられた。二人組の女子だ。
 神崎くんにスマホを向けて「写真を撮ってもらえますか?」と笑う。
 写真を撮って欲しいは口実なんだろうな、とやりきれない気持ちが湧く。

「いいですよ」

 神崎くんが快く引き受けて、目を見張った。
 グイグイ来られるの怖いって言っていたのに。
 気付いてない? いや、そんなまさか。わかりやすすぎるし。
 頭の中でぐるぐると考え込んでいると、女子たちがポーズを取る。
 神崎くんがスマホを向けた。
 画面を触るために手を離そうとするけれど、逆にキツく握りしめられた。絶対に離さない、とでもいうように。
 目を瞬かせながら神崎くんを見上げる。

「手が塞がってるから、師匠が撮って」

 戸惑いながらも、神崎くんが持っているスマホの画面をタップして、何枚か写真を撮った。
 神崎くんはそれを返す。
 女子たちは取りつく島もない神崎くんに、ガックリと肩を落として離れていった。

「びっくりした。神崎くんが怖がってないから」

 神崎くんは眉を下げて、苦笑いを浮かべる。

「俺さ、師匠に避けられた時、すげーへこんだ。で、俺も今まで同じ思いさせてたのかなって反省したんだ」

 神崎くんを好きな子たちは、それも込みで楽しんでいるようにも見えるけど。

「だからさ、できる範囲のことはしようかなって思ったんだ」

 神崎くんが変わろうとしているのはいいことなんだろうけど、僕からしたら複雑だ。
 繋がった手に目を向ける。
 神崎くんは僕の手を離さなかった。大切にされているということだろう。僕も神崎くんの意思は尊重したい。

「ほどほどにしてね」
「ん? どういうこと?」
「ヤキモチ妬くよ! ってこと」
「わかった! 師匠に嫌な思いはさせたくないからやめる」

 キッパリと言い切られ、そうじゃない、と慌てて口を開く。

「ごめん、やめて欲しいわけじゃないんだ」

 どうするのが一番納得できるかわからず、胸の辺りがモヤモヤして不快感が込み上げる。

「んー……、じゃあ、師匠がヤキモチとか不安にならないように、今みたいに手を繋ぎながらにする」

 神崎くんが僕のことも考えて、提案してくれたんだ。モヤモヤもどこかに飛んでいった。
 小さく頷いて、笑い合う。

「ちょっと休憩しようか」

 公園内にある自動販売機でお茶を買い、ベンチに腰掛けた。
 運動をしたから喉がカラカラ。半分くらい一気に飲み干した。

「はぁー、生き返る」
「師匠、汗だく」

 神崎くんがバッグからタオルを取り出して、額を拭ってくれる。僕が贈ったタオルだ。

「使ってくれて嬉しい」
「洗濯して乾くたびに使ってるから、このタオルばっかり使ってる」

 またタオルをプレゼントしようと決める。

「今日は普通のカップルの気持ちがわかった」
「そうかな?」

 待ち合わせから今までを振り返って、普通だったかな? と首を捻る。そもそも普通のカップルが、よくわからない。

「うん。一緒だと、楽しいってこと」

 神崎くんが顔いっぱいで、楽しいを伝えてくれる。

「そうだね。僕も神崎くんと一緒だと楽しい」

 誰かの真似なんかしなくてもいいんだ。僕たちは僕たちの普通を見つけていこう。
 笑い合っていると、ポツポツと小雨が降ってきた。

「今日の天気予報は晴れだったのに」
「すぐ止むんじゃないかな。屋根のあるところに行こう」

 手を引かれて、あずま屋に避難する。
 空を眺めながら、止むのを待った。
 繋がった手をギュッと握られ、神崎くんを見上げる。
 熱っぽい瞳を向けられて、胸がざわついた。
 落ち着け。神崎くんの無自覚な色気に負けるな。

「どうしたの?」

 平静を装って笑いかけるけれど、声が少し震えてしまう。
 神崎くんは切なげに眉を寄せた。

「俺、初デートで師匠としたいことまだある」
「じゃあ雨が止んだらしようよ」

 この後行きたいところがあるみたいだ。やっぱり可愛らしいお誘いだった。もう神崎くんに惑わされないぞ。

「今、ここでがいい」
「いいけど、なにがしたいの?」

 遊べるようなスペースはないし、神崎くんのしたいことが検討もつかなかった。
 神崎くんは言い淀み、僕は彼の言葉を待った。
 赤くなった顔を僕の耳に寄せる。

「キスしたい」

 直接鼓膜を震わす艶のある声に、息を飲んだ。顔が茹だってしまうほど熱い。
 神崎くんって、そういう欲もあるんだ。
 色気は垂れ流しなのに、言動が無邪気だから、雷に打たれたような衝撃を受ける。

「ダメ?」

 黙っている僕に不安になったのか、首を傾けて澄んだ瞳を揺らす。

「ううん、ダメじゃないよ」

 首を振って答えるけれど、語尾が弱々しくなってしまった。手のひらに汗が滲み、体が熱い。
 神崎くんの服の裾を摘む。
 うなじに手を添えられた。神崎くんの手のひらが、燃えるように熱い。
 上を向く。心音がうるさい。
 神崎くんの顔が近付いてきて、瞼を下ろした。触れる直前、わずかに呼吸が止まる。柔らかな感触があって、すぐに離れていった。
 名残り惜しく思いながら、目を開ける。
 神崎くんは両手で口元を覆って、しゃがみ込んだ。

「すげー、幸せ」

 耳が真っ赤だ。
 僕もその場にしゃがんで、神崎くんの頬に口付けた。
 神崎くんは目を大きく見張る。

「僕も幸せ」

 へへっ、と照れ笑いを浮かべた。どうしても顔が緩んでしまう。

「もう一回いい?」

 頷くと、また唇が触れた。嬉しさと恥ずかしさとが混ざり合い、幸福感に包まれる。
 一回で終わらなくて、何度も唇を重ねた。
 唇が離れても、ピッタリ引っ付いたまま、すぐには離れられない。
 見つめ合うだけで胸がいっぱいになる。神崎くんが照れたように笑い、僕もつられて笑ってしまった。
 雨の音が、周囲から隔離してくれている。ここは、二人だけの世界みたいだ。
 もう少し、このままでいたい。雨が降り止まなければいいのに。
 神崎くんの鼓動と温もりを独り占めするように、彼の背中に腕を回した。