普通修行は前途多難

「なんで?」

 一緒にショッピングモールに出かけたとき、ガチャガチャをした。
 パンのストラップを集めていて、一点狙いは危険だと諦めていたのが、チョココロネだ。

「日曜日にバスケ部のみんなで遊んだときに見かけて。回したら出たから」

 全種類揃った。
 手の中のチョココロネをぼんやり見つめる。

「もしかして、もう持ってた?」

 不安そうな声に、勢いよく首を振る。

「ううん、持ってないよ」
「嬉しくない?」
「すごく嬉しいよ」

 でもコンプした喜びよりも、僕が話したことを覚えていてくれたことで、胸がいっぱいになった。
 どうしてこんなことをするのだろう。

「でも、もらえないよ」
「俺からは嫌ってこと?」

 悲しげに下がる眉に、全力で否定する。

「そうじゃないよ。もらう理由がないっていうか……」
「俺だってなにもない日に、タオルをもらった。それとノートのコピーも」
「なんで僕だと思ったの? 見てた?」
「いや、母親がクラスメイトで自転車通学って言ってたし、俺の家を知ってるクラスメイトなんて限られてるから。でも、なにも聞かなくてもわかったよ」
「どうして?」
「字で。一緒に勉強したじゃん」

 細かいところまで覚えていてくれる。

「あのさ、あんまり時間を取らせないから、少し話せないかな?」
「あっ、うん。わかった」

 チョココロネをリュックのポケットにしまう。
 靴を履き替え、自転車を押しながら歩き、一緒にアイスを食べた公園に向かった。
 神崎くんがベンチに腰掛け、空いているスペースをポンと叩く。
 少し距離を取って座った。
 神崎くんは脚の間で指を組み、俯きながら話し始めた。

「俺はさ、普通になりたかった」
「うん、それで僕に声をかけたんでしょ」

 頭が縦に揺れる。

「でも師匠やめたいって距離を取られて、一人で普通になろうとした」

 神崎くんは立ち上がって、僕の正面に立つ。首を反らして、顔を見上げた。
 神崎くんの真剣な瞳に射抜かれ、時が止まったように動けなくなる。

「一人で普通になろうとしても、つまんなかった。いつのまにか、普通になりたいより、師匠といたいと思うようになってたんだと思う」
「……無理だよ」

 ボソリとこぼれ落ちた言葉に、神崎くんが傷ついたように眉を寄せる。僕の胸はチクチクと痛む。

「師匠をやめてもいい。俺は伊藤と一緒にいたい」

 神崎くんが僕といると、安心してくれるのはわかっている。でももう僕は、神崎くんが安心できる存在ではない。
 友達とは思えなくなってしまった。

「僕は神崎くんと一緒にいられない」
「理由は?」

 硬い声が降ってくる。
 視線を下げて首を振った。

「言ったら、神崎くんに嫌われる」
「俺が嫌いになるわけない」

 下唇を噛む。
 全てぶちまけても、同じことを言えるのだろうか。
 いっそ嫌われてしまったほうが、僕に構うことはなくなるのではないだろうか。
 今まで嫌われないようにとしがみついていたけれど、僕から神崎くんを離すには、言うしかないみたいだ。
 勢いよく立ち上がる。
 目に力を込めて、神崎くんを見上げた。
 神崎くんの困惑の色が滲む瞳に、緊張した僕の顔が映っている。
 奥歯を噛み締めて気合を入れると、大きく息を吸った。

「僕は神崎くんのことを、好きになっちゃったんだ。だから一緒になんていられない」

 神崎くんの瞳が見開かれる。震える唇がなにかを言う前に、自転車に向かって駆けようと脚を踏み出した。
 でもすぐに腕を掴まれる。神崎くんは自分の方に引き寄せて、僕を腕の中に閉じ込めた。
 驚きすぎて神崎くんの胸に手置いて突っぱねようとするけれど、びくともしない。
 堅牢な檻のように、背中に回った腕から抜け出せない。

「離して」
「嫌だ。なんで好きなのに、一緒にいられないのかわからない。今離したら、もっと距離を取るだろ?」
「わかってよ。僕の好きは、友達の好きじゃないんだ。だからダメだって」
「それがわからない。俺だって、同じ気持ちなのに」

 神崎くんに痛いほどキツく抱きしめられた。
 僕は頭の中で、神崎くんの言葉を反芻する。
 僕と神崎くんが同じ気持ち?
 神崎くんの言葉が理解できない。頭の中が真っ白に染まる。
 神崎くんの胸に押し付けた手のひらから、ドクドクと速い鼓動が伝わってきた。
 自分の心音がうるさいのだと思っていたけれど、神崎くんも僕と同じリズムだと気付いて息を飲む。

「……同じって、なに」

 やっと絞り出した声は、情けないほど震えていた。
 神崎くんは僕の肩に顔を埋めて、苦しそうに息を吐く。服越しに熱い息を感じた。

「俺だって師匠のこと、好きになってた」

 耳のすぐ下から、くぐもった声がした。
 耳を疑って、目を見張る。
 神崎くんの腕に、さらに力がこもった。

「最近ずっと変だった。師匠に避けられて、頭の中ぐちゃぐちゃで。授業中も部活中も食事中だって、師匠のことばかり頭に浮かんだ」

 心臓が怖いくらい跳ねる。
 僕もそうだ。離れていても、神崎くんのことばかり思い浮かべていた。

「風邪を引いたとき、師匠が来たってわかった瞬間、すげぇ嬉しかった」
「……神崎くんが風邪を引いたのって、僕のせいだよね。ごめん」

 神崎くんはグリグリと肩に顔を押し付けるようにして、首を振る。

「風邪は雨が降っているのに、動けなかった俺のせい。そんなことはどうでもよくって。メッセージを送った時、すごく迷った。返信がないだけならまだいいけど、また拒絶されたらって怖かった。でも『お大事に』って返ってきて、ほっとした瞬間、安心して眠れた」

 そんなこと、知らなかった。
 僕だけが振り回されて、苦しくて。勝手に好きになったんだと思っていた。

「でも俺、最初はよくわかんなかったんだ」

 神崎くんが掠れた声で続ける。

「なんでこんなに師匠のことばっかり、考えるんだろうって」
「わかったの?」

 神崎くんが友達との会話を教えてくれた。僕が廊下で聞いてしまった話だ。

「笑った顔が見たいのも、喜んで欲しいのも師匠だった。好きだから、離れて辛いんだって気付いた」

 体に挟まっている手を引き抜いて、神崎くんの背におずおずと回す。
 神崎くんの体がこわばるのを感じた。

「そんな思いをさせてごめん。僕は神崎くんが教えてくれた、好きってグイグイ来られるのが怖いって言葉を思い出して、離れなきゃって必死だった」
「うん、今でもちょっと怖いよ」
「それなのに、いいの?」
「だって俺のことを考えて、引こうとしたんでしょ? 俺の気持ちを考えないで、グイグイ押してくる子とは違うじゃん。それより、俺は師匠が離れていくことの方が怖い。ずっとそばにいて」

 目の前が滲む。涙がこぼれないように、空に目を向けた。

「……うん」

 絞り出した声は鼻声で、自分の声ではないみたいだった。
 それでも神崎くんは「よかった」と安堵の息を漏らして、鼻をすすった。
 顔を見合わせる。神崎くんは泣き笑いの表情を浮かべていた。きっと僕も同じような顔をしている。

「時間を取らせないって言ったのに、遅くなって悪い」

 辺りは薄暗くなって、公園の切れかけの街灯が明滅していた。

「ううん、話せてよかった。帰ろっか」

 名残惜しく思いながら、離れる。
 自転車を押して、のんびり歩いた。
 神崎くんの家の前で「またね」と言って、自転車に跨った。

「ああ、また明日」

 神崎くんに見送られながら、ペダルを漕ぐ。
 神崎くんが僕を好き。徐々に現実味が帯びてくる。
 顔が熱くて、引き締めたいのに頬は緩んだ。
 心が躍り、いつもよりペダルが軽く感じた。




 家に着くと一目散に自室を目指す。階段を駆け上っていると「うるさい!」と母親に苦言を言われたけれど、構っていられない。
 ベッドにダイブして枕に顔を埋める。叫び出してしまいそうなほど浮かれていた。
 絶対に諦めなきゃいけないと思っていたのに。
 神崎くんも僕が好き。
 ジッとしていられなくて、足をばたつかせる。
 ぼうっと斜め上を見上げて、神崎くんの顔を思い浮かべた。
 ふふっと笑い声が漏れ、ベッドから飛び降りる。
 リュックのポケットから、チョココロネのストラップを取り出した。
 学習デスクの引き出しを開け、パンのストラップをしまっている箱を取り出した。その中にチョココロネも加える。
 目を引くのは、神崎くんが引き当てたカレーパンとチョココロネ。
 しまうのが勿体無い気がして、学習デスクの端に飾った。

「神崎くんが僕の彼氏か」

 口にすると照れくさくて、でも嬉しくて。顔の筋肉がゆるゆるになってしまったみたいだ。
 でもふと違和感を覚える。

「あれ? 彼氏でいいの?」

 好きだとは伝え合った。友達の好きではない、同じ意味だってことも確認している。
 それなのに、その後どうするかは聞いていなかった。
 恋愛初心者すぎて、気持ちを確かめ合うことで満足してしまった。

「なんで、付き合おうって言わなかったんだろ」

 肩を落として息を吐く。
 明日ちゃんと確認しよう。もう、すれ違いたくない。




 翌火曜日、アラームの前に目が覚めた。
 スマホを手に取ると、神崎くんからメッセージが届いていた。

『おはよう』

 その四文字で、昨日のことが夢ではないと実感できた。
 僕も神崎くんも、用事がある時にしかメッセージを送らない。神崎くんから『おはよう』なんて届くのは、初めてだった。
 なんでもないことで送ってくれるのが嬉しくて、朝から心が弾む。
 僕も『おはよう』と返した。




 自転車に乗って学校に近付くと、悲鳴のようなものが聞こえた。
 周りの人たちも、辺りに視線を走らせている。

「神崎くんがヤバい!」
「顔が良すぎて、視神経が焼ける」
「存在しているだけで、世界平和の象徴になる」
「尊すぎて天に召されるかと思った。今、来世に片足突っ込んだもん!」

 神崎くんを称賛する声が、普段よりパワーアップしているような気がする。
 バスケ部がいつも通り走っていて、すぐに神崎くんを見つけられた。
 僕と視線がかち合うと、照れくさそうにはにかむ。普段の満面の笑みではなく、胸がキュッと疼く。
 周りが流れ弾に当たって、ふらついていた。
 僕はぼうっと、走り去る背中が見えなくまで目で追う。
 バスケ部が角を曲がると、顔を前に戻した。
 すぐ隣にピッタリと立つ女子生徒に驚いて、背を反らす。

「あっ……」

 神崎くんをつけていた人。今はルールを守っているみたいで、あの日以来見かけなかった。
 ジッと見上げられる。
 僕の手のひらに、ジワリと汗が滲んだ。
 今は同担として仲間意識を持たれているが、昨日のことがバレたら、今度こそ排除されるんじゃないだろうか。

「推しの幸せが、私の幸せ」

 僕の心の中を覗き込んだかのような言葉だった。
 彼女はスタスタと歩いていく。
 え? もしかして、勘付いてる?




 教室ではそれぞれ友達と過ごすけれど、休み時間のたびに目が合う。神崎くんがふにゃっとした柔らかい笑顔を向けてくるから、可愛くて仕方がない。
 僕は神崎くんのことを目で追ってしまう。何度も目が合うってことは、神崎くんも僕のことを気にしてくれているのだろう。
 そんなんだから昼休みには、神崎くんが幸せいっぱいな顔をしているのは、僕に関係があるのではないか、とクラスメイトに詰め寄られた。
 名探偵すぎる。 ……いや、神崎くんがわかりやすすぎるのか。
 その間もそわそわとこちらを見てくるから、僕も周りもノックアウト。
 みんなに拝まれて、乾いた笑みを浮かべた。




 帰りのHRが終わり、荷物を素早くリュックに詰め込んだ。
 いつも誘ってもらってばかりだから、今日は僕から一緒に帰ろうと声をかけよう。
 立ち上がると、神崎くんの席に向かう。

「一緒に帰ろう」
「うん、帰る」

 神崎くんは顔を輝かせ、スクールバッグを掴む。
 並んで教室を出るけれど、ニヤけてしまわないように奥歯に力を込めた。




 神崎くんの家に上がる。

「飲み物を持ってくるから、先に部屋に行ってて」

 神崎くんはキッチンに向かい、僕は階段を登って神崎くんの部屋に向かう。
 もうこの部屋に来ることはないと思っていた。緊張で喉が渇く。
 ゆっくりと扉を開いた。かわらず、神崎くんの匂いで満たされていて、ちょっと落ち着かない。
 足を進めて、学習デスクの上で目が止まった。
 パンのストラップが三つ置いてある。

「突っ立って、どうした?」

 扉を開けながら声をかけられる。
 神崎くんは僕の視線を辿ると、「あー、片付けるの忘れてた」とバツが悪そうな声を出した。

「チョココロネを出すために、何度も回したの?」

 神崎くんはお茶の入ったグラスを置くと、床に腰を下ろす。僕も隣に座った。

「遊んでるときにこのガチャガチャを見つけてさ、どうしてもチョココロネが欲しかったんだ。渡せば師匠が笑って喜んでくれると思ったから。必死すぎるよな」

 神崎くんは僕が気兼ねなく受け取れるように、たまたま出たみたいに渡してくれたんだ。
 なんで一回で出たと勘違いしたんだろう。一点狙いはキツイって知っていたのに。

「それなのに笑ってくれないし、離れようとするし」

 神崎くんは拗ねたように口を尖らせる。

「ごめんね。すっごく嬉しかったよ。ありがとう」

 笑って伝えれば、「その顔が見たかった」と神崎くんも笑ってくれた。

「あのね、神崎くんに言いたいことがあって」

 居住まいを正すと、神崎くんの口の端が引きつる。

「え? なに? また離れるとか言う?」

 緊張で声が固くなってしまった。神崎くんに余計な不安を抱かせてしまい、慌てて口を開く。

「僕と付き合ってください」

 緊張で声が上ずった。
 神崎くんはポカンと口を半開きにして固まる。

「神崎くん?」

 返事がなくて心細くなり、名前を呼んだ。

「俺はもう付き合ってるつもりだったんだけど、違ったの?」
「好きって言ったけど、付き合うとは言ってなかったし、ちゃんと伝えたくて」

 神崎くんの朝からの態度でそうなのかな? とは思っていたけれど、確証が欲しかった。

「付き合いたい。よろしく」

 顔を見合わせて、照れ笑いを浮かべる。空気がほんわかしてむず痒い。

「じゃあ付き合った記念日は、今日ってこと?」
「そうなるのかな?」
「俺、恥ずかしいじゃん。昨日、師匠と付き合うことになったって浮かれて、スマホのスケジュールに『付き合った記念日』とか書いてさ」

 神崎くんは両手で顔を覆う。髪の間から覗く耳が赤い。
 それは相当浮かれてるね。
 昨日の自分のことを棚に上げて笑った。
 神崎くんも肩を震わせて笑う。
 ベッドに頭を乗せて、上気して染まった顔で僕を見上げた。
 久しぶりのお色気神崎くんは心臓に悪い。さっきまで、可愛い神崎くんだったのに。
 ゴクリと喉を鳴らす。

「ねぇ、師匠」

 僕を呼ぶ声も、熱を帯びているような気がした。
 夜の帝王と言っても差し支えのないほど、艷やかな神崎くんが目の前にいる。今日、大人の階段を一気に駆け登ってしまうのだろうか。

「……な、なに?」

 声が裏返る。神崎くんに緊張していることを、気付かれただろうか?

「俺さ、師匠とデートがしたい」
「……デート?」

 素っ頓狂な声が出てしまった。
 神崎くんからのお誘いではあったけれど、想像していたより可愛らしいお誘いで。別に期待してたわけじゃないけど、と言い訳じみたことを心の中でぼやく。
 勘違いするから、色気を振りまくのは禁止続行にしよう。
 熱くなった顔を手であおいで冷やす。

「僕も神崎くんとデートがしたい」
「じゃあ今週の日曜日は空いてる?」
「大丈夫だよ。日曜日が楽しみだな」
「俺も」

 今度は太陽みたいな笑顔を向けられて、付き合ってからも神崎くんに翻弄されっぱなし。
 神崎くんといると、僕は普通ではいられなくなってしまう。僕も普通修行をしたほうが、いいのかもしれない。
 その後は一緒に宿題をして、帰る時にお母さんにカレーのお礼を言えた。
 自転車を漕いで、鼻歌でも歌いだしそうなほど舞い上がる。
 信号待ちをしていると、手を繋いで寄り添い合いながら歩くカップルを見かけた。
 その仲睦まじい二人を見て、ふと頭に浮かぶ。
 僕と神崎くんは、友達の時となにも変わっていないのではないか、と。
 ……初デートは、ちょっと頑張ってみよう!