「なんで?」
一緒にショッピングモールに出かけたとき、ガチャガチャをした。
パンのストラップを集めていて、一点狙いは危険だと諦めていたのが、チョココロネだ。
「日曜日にバスケ部のみんなで遊んだときに見かけて。回したら出たから」
全種類揃った。
手の中のチョココロネをぼんやり見つめる。
「もしかして、もう持ってた?」
不安そうな声に、勢いよく首を振る。
「ううん、持ってないよ」
「嬉しくない?」
「すごく嬉しいよ」
でもコンプした喜びよりも、僕が話したことを覚えていてくれたことで、胸がいっぱいになった。
どうしてこんなことをするのだろう。
「でも、もらえないよ」
「俺からは嫌ってこと?」
悲しげに下がる眉に、全力で否定する。
「そうじゃないよ。もらう理由がないっていうか……」
「俺だってなにもない日に、タオルをもらった。それとノートのコピーも」
「なんで僕だと思ったの? 見てた?」
「いや、母親がクラスメイトで自転車通学って言ってたし、俺の家を知ってるクラスメイトなんて限られてるから。でも、なにも聞かなくてもわかったよ」
「どうして?」
「字で。一緒に勉強したじゃん」
細かいところまで覚えていてくれる。
「あのさ、あんまり時間を取らせないから、少し話せないかな?」
「あっ、うん。わかった」
チョココロネをリュックのポケットにしまう。
靴を履き替え、自転車を押しながら歩き、一緒にアイスを食べた公園に向かった。
神崎くんがベンチに腰掛け、空いているスペースをポンと叩く。
少し距離を取って座った。
神崎くんは脚の間で指を組み、俯きながら話し始めた。
「俺はさ、普通になりたかった」
「うん、それで僕に声をかけたんでしょ」
頭が縦に揺れる。
「でも師匠やめたいって距離を取られて、一人で普通になろうとした」
神崎くんは立ち上がって、僕の正面に立つ。首を反らして、顔を見上げた。
神崎くんの真剣な瞳に射抜かれ、時が止まったように動けなくなる。
「一人で普通になろうとしても、つまんなかった。いつのまにか、普通になりたいより、師匠といたいと思うようになってたんだと思う」
「……無理だよ」
ボソリとこぼれ落ちた言葉に、神崎くんが傷ついたように眉を寄せる。僕の胸はチクチクと痛む。
「師匠をやめてもいい。俺は伊藤と一緒にいたい」
神崎くんが僕といると、安心してくれるのはわかっている。でももう僕は、神崎くんが安心できる存在ではない。
友達とは思えなくなってしまった。
「僕は神崎くんと一緒にいられない」
「理由は?」
硬い声が降ってくる。
視線を下げて首を振った。
「言ったら、神崎くんに嫌われる」
「俺が嫌いになるわけない」
下唇を噛む。
全てぶちまけても、同じことを言えるのだろうか。
いっそ嫌われてしまったほうが、僕に構うことはなくなるのではないだろうか。
今まで嫌われないようにとしがみついていたけれど、僕から神崎くんを離すには、言うしかないみたいだ。
勢いよく立ち上がる。
目に力を込めて、神崎くんを見上げた。
神崎くんの困惑の色が滲む瞳に、緊張した僕の顔が映っている。
奥歯を噛み締めて気合を入れると、大きく息を吸った。
「僕は神崎くんのことを、好きになっちゃったんだ。だから一緒になんていられない」
神崎くんの瞳が見開かれる。震える唇がなにかを言う前に、自転車に向かって駆けようと脚を踏み出した。
でもすぐに腕を掴まれる。神崎くんは自分の方に引き寄せて、僕を腕の中に閉じ込めた。
驚きすぎて神崎くんの胸に手置いて突っぱねようとするけれど、びくともしない。
堅牢な檻のように、背中に回った腕から抜け出せない。
「離して」
「嫌だ。なんで好きなのに、一緒にいられないのかわからない。今離したら、もっと距離を取るだろ?」
「わかってよ。僕の好きは、友達の好きじゃないんだ。だからダメだって」
「それがわからない。俺だって、同じ気持ちなのに」
神崎くんに痛いほどキツく抱きしめられた。
僕は頭の中で、神崎くんの言葉を反芻する。
僕と神崎くんが同じ気持ち?
神崎くんの言葉が理解できない。頭の中が真っ白に染まる。
神崎くんの胸に押し付けた手のひらから、ドクドクと速い鼓動が伝わってきた。
自分の心音がうるさいのだと思っていたけれど、神崎くんも僕と同じリズムだと気付いて息を飲む。
「……同じって、なに」
やっと絞り出した声は、情けないほど震えていた。
神崎くんは僕の肩に顔を埋めて、苦しそうに息を吐く。服越しに熱い息を感じた。
「俺だって師匠のこと、好きになってた」
耳のすぐ下から、くぐもった声がした。
耳を疑って、目を見張る。
神崎くんの腕に、さらに力がこもった。
「最近ずっと変だった。師匠に避けられて、頭の中ぐちゃぐちゃで。授業中も部活中も食事中だって、師匠のことばかり頭に浮かんだ」
心臓が怖いくらい跳ねる。
僕もそうだ。離れていても、神崎くんのことばかり思い浮かべていた。
「風邪を引いたとき、師匠が来たってわかった瞬間、すげぇ嬉しかった」
「……神崎くんが風邪を引いたのって、僕のせいだよね。ごめん」
神崎くんはグリグリと肩に顔を押し付けるようにして、首を振る。
「風邪は雨が降っているのに、動けなかった俺のせい。そんなことはどうでもよくって。メッセージを送った時、すごく迷った。返信がないだけならまだいいけど、また拒絶されたらって怖かった。でも『お大事に』って返ってきて、ほっとした瞬間、安心して眠れた」
そんなこと、知らなかった。
僕だけが振り回されて、苦しくて。勝手に好きになったんだと思っていた。
「でも俺、最初はよくわかんなかったんだ」
神崎くんが掠れた声で続ける。
「なんでこんなに師匠のことばっかり、考えるんだろうって」
「わかったの?」
神崎くんが友達との会話を教えてくれた。僕が廊下で聞いてしまった話だ。
「笑った顔が見たいのも、喜んで欲しいのも師匠だった。好きだから、離れて辛いんだって気付いた」
体に挟まっている手を引き抜いて、神崎くんの背におずおずと回す。
神崎くんの体がこわばるのを感じた。
「そんな思いをさせてごめん。僕は神崎くんが教えてくれた、好きってグイグイ来られるのが怖いって言葉を思い出して、離れなきゃって必死だった」
「うん、今でもちょっと怖いよ」
「それなのに、いいの?」
「だって俺のことを考えて、引こうとしたんでしょ? 俺の気持ちを考えないで、グイグイ押してくる子とは違うじゃん。それより、俺は師匠が離れていくことの方が怖い。ずっとそばにいて」
目の前が滲む。涙がこぼれないように、空に目を向けた。
「……うん」
絞り出した声は鼻声で、自分の声ではないみたいだった。
それでも神崎くんは「よかった」と安堵の息を漏らして、鼻をすすった。
顔を見合わせる。神崎くんは泣き笑いの表情を浮かべていた。きっと僕も同じような顔をしている。
「時間を取らせないって言ったのに、遅くなって悪い」
辺りは薄暗くなって、公園の切れかけの街灯が明滅していた。
「ううん、話せてよかった。帰ろっか」
名残惜しく思いながら、離れる。
自転車を押して、のんびり歩いた。
神崎くんの家の前で「またね」と言って、自転車に跨った。
「ああ、また明日」
神崎くんに見送られながら、ペダルを漕ぐ。
神崎くんが僕を好き。徐々に現実味が帯びてくる。
顔が熱くて、引き締めたいのに頬は緩んだ。
心が躍り、いつもよりペダルが軽く感じた。
家に着くと一目散に自室を目指す。階段を駆け上っていると「うるさい!」と母親に苦言を言われたけれど、構っていられない。
ベッドにダイブして枕に顔を埋める。叫び出してしまいそうなほど浮かれていた。
絶対に諦めなきゃいけないと思っていたのに。
神崎くんも僕が好き。
ジッとしていられなくて、足をばたつかせる。
ぼうっと斜め上を見上げて、神崎くんの顔を思い浮かべた。
ふふっと笑い声が漏れ、ベッドから飛び降りる。
リュックのポケットから、チョココロネのストラップを取り出した。
学習デスクの引き出しを開け、パンのストラップをしまっている箱を取り出した。その中にチョココロネも加える。
目を引くのは、神崎くんが引き当てたカレーパンとチョココロネ。
しまうのが勿体無い気がして、学習デスクの端に飾った。
「神崎くんが僕の彼氏か」
口にすると照れくさくて、でも嬉しくて。顔の筋肉がゆるゆるになってしまったみたいだ。
でもふと違和感を覚える。
「あれ? 彼氏でいいの?」
好きだとは伝え合った。友達の好きではない、同じ意味だってことも確認している。
それなのに、その後どうするかは聞いていなかった。
恋愛初心者すぎて、気持ちを確かめ合うことで満足してしまった。
「なんで、付き合おうって言わなかったんだろ」
肩を落として息を吐く。
明日ちゃんと確認しよう。もう、すれ違いたくない。
翌火曜日、アラームの前に目が覚めた。
スマホを手に取ると、神崎くんからメッセージが届いていた。
『おはよう』
その四文字で、昨日のことが夢ではないと実感できた。
僕も神崎くんも、用事がある時にしかメッセージを送らない。神崎くんから『おはよう』なんて届くのは、初めてだった。
なんでもないことで送ってくれるのが嬉しくて、朝から心が弾む。
僕も『おはよう』と返した。
自転車に乗って学校に近付くと、悲鳴のようなものが聞こえた。
周りの人たちも、辺りに視線を走らせている。
「神崎くんがヤバい!」
「顔が良すぎて、視神経が焼ける」
「存在しているだけで、世界平和の象徴になる」
「尊すぎて天に召されるかと思った。今、来世に片足突っ込んだもん!」
神崎くんを称賛する声が、普段よりパワーアップしているような気がする。
バスケ部がいつも通り走っていて、すぐに神崎くんを見つけられた。
僕と視線がかち合うと、照れくさそうにはにかむ。普段の満面の笑みではなく、胸がキュッと疼く。
周りが流れ弾に当たって、ふらついていた。
僕はぼうっと、走り去る背中が見えなくまで目で追う。
バスケ部が角を曲がると、顔を前に戻した。
すぐ隣にピッタリと立つ女子生徒に驚いて、背を反らす。
「あっ……」
神崎くんをつけていた人。今はルールを守っているみたいで、あの日以来見かけなかった。
ジッと見上げられる。
僕の手のひらに、ジワリと汗が滲んだ。
今は同担として仲間意識を持たれているが、昨日のことがバレたら、今度こそ排除されるんじゃないだろうか。
「推しの幸せが、私の幸せ」
僕の心の中を覗き込んだかのような言葉だった。
彼女はスタスタと歩いていく。
え? もしかして、勘付いてる?
教室ではそれぞれ友達と過ごすけれど、休み時間のたびに目が合う。神崎くんがふにゃっとした柔らかい笑顔を向けてくるから、可愛くて仕方がない。
僕は神崎くんのことを目で追ってしまう。何度も目が合うってことは、神崎くんも僕のことを気にしてくれているのだろう。
そんなんだから昼休みには、神崎くんが幸せいっぱいな顔をしているのは、僕に関係があるのではないか、とクラスメイトに詰め寄られた。
名探偵すぎる。 ……いや、神崎くんがわかりやすすぎるのか。
その間もそわそわとこちらを見てくるから、僕も周りもノックアウト。
みんなに拝まれて、乾いた笑みを浮かべた。
帰りのHRが終わり、荷物を素早くリュックに詰め込んだ。
いつも誘ってもらってばかりだから、今日は僕から一緒に帰ろうと声をかけよう。
立ち上がると、神崎くんの席に向かう。
「一緒に帰ろう」
「うん、帰る」
神崎くんは顔を輝かせ、スクールバッグを掴む。
並んで教室を出るけれど、ニヤけてしまわないように奥歯に力を込めた。
神崎くんの家に上がる。
「飲み物を持ってくるから、先に部屋に行ってて」
神崎くんはキッチンに向かい、僕は階段を登って神崎くんの部屋に向かう。
もうこの部屋に来ることはないと思っていた。緊張で喉が渇く。
ゆっくりと扉を開いた。かわらず、神崎くんの匂いで満たされていて、ちょっと落ち着かない。
足を進めて、学習デスクの上で目が止まった。
パンのストラップが三つ置いてある。
「突っ立って、どうした?」
扉を開けながら声をかけられる。
神崎くんは僕の視線を辿ると、「あー、片付けるの忘れてた」とバツが悪そうな声を出した。
「チョココロネを出すために、何度も回したの?」
神崎くんはお茶の入ったグラスを置くと、床に腰を下ろす。僕も隣に座った。
「遊んでるときにこのガチャガチャを見つけてさ、どうしてもチョココロネが欲しかったんだ。渡せば師匠が笑って喜んでくれると思ったから。必死すぎるよな」
神崎くんは僕が気兼ねなく受け取れるように、たまたま出たみたいに渡してくれたんだ。
なんで一回で出たと勘違いしたんだろう。一点狙いはキツイって知っていたのに。
「それなのに笑ってくれないし、離れようとするし」
神崎くんは拗ねたように口を尖らせる。
「ごめんね。すっごく嬉しかったよ。ありがとう」
笑って伝えれば、「その顔が見たかった」と神崎くんも笑ってくれた。
「あのね、神崎くんに言いたいことがあって」
居住まいを正すと、神崎くんの口の端が引きつる。
「え? なに? また離れるとか言う?」
緊張で声が固くなってしまった。神崎くんに余計な不安を抱かせてしまい、慌てて口を開く。
「僕と付き合ってください」
緊張で声が上ずった。
神崎くんはポカンと口を半開きにして固まる。
「神崎くん?」
返事がなくて心細くなり、名前を呼んだ。
「俺はもう付き合ってるつもりだったんだけど、違ったの?」
「好きって言ったけど、付き合うとは言ってなかったし、ちゃんと伝えたくて」
神崎くんの朝からの態度でそうなのかな? とは思っていたけれど、確証が欲しかった。
「付き合いたい。よろしく」
顔を見合わせて、照れ笑いを浮かべる。空気がほんわかしてむず痒い。
「じゃあ付き合った記念日は、今日ってこと?」
「そうなるのかな?」
「俺、恥ずかしいじゃん。昨日、師匠と付き合うことになったって浮かれて、スマホのスケジュールに『付き合った記念日』とか書いてさ」
神崎くんは両手で顔を覆う。髪の間から覗く耳が赤い。
それは相当浮かれてるね。
昨日の自分のことを棚に上げて笑った。
神崎くんも肩を震わせて笑う。
ベッドに頭を乗せて、上気して染まった顔で僕を見上げた。
久しぶりのお色気神崎くんは心臓に悪い。さっきまで、可愛い神崎くんだったのに。
ゴクリと喉を鳴らす。
「ねぇ、師匠」
僕を呼ぶ声も、熱を帯びているような気がした。
夜の帝王と言っても差し支えのないほど、艷やかな神崎くんが目の前にいる。今日、大人の階段を一気に駆け登ってしまうのだろうか。
「……な、なに?」
声が裏返る。神崎くんに緊張していることを、気付かれただろうか?
「俺さ、師匠とデートがしたい」
「……デート?」
素っ頓狂な声が出てしまった。
神崎くんからのお誘いではあったけれど、想像していたより可愛らしいお誘いで。別に期待してたわけじゃないけど、と言い訳じみたことを心の中でぼやく。
勘違いするから、色気を振りまくのは禁止続行にしよう。
熱くなった顔を手であおいで冷やす。
「僕も神崎くんとデートがしたい」
「じゃあ今週の日曜日は空いてる?」
「大丈夫だよ。日曜日が楽しみだな」
「俺も」
今度は太陽みたいな笑顔を向けられて、付き合ってからも神崎くんに翻弄されっぱなし。
神崎くんといると、僕は普通ではいられなくなってしまう。僕も普通修行をしたほうが、いいのかもしれない。
その後は一緒に宿題をして、帰る時にお母さんにカレーのお礼を言えた。
自転車を漕いで、鼻歌でも歌いだしそうなほど舞い上がる。
信号待ちをしていると、手を繋いで寄り添い合いながら歩くカップルを見かけた。
その仲睦まじい二人を見て、ふと頭に浮かぶ。
僕と神崎くんは、友達の時となにも変わっていないのではないか、と。
……初デートは、ちょっと頑張ってみよう!
一緒にショッピングモールに出かけたとき、ガチャガチャをした。
パンのストラップを集めていて、一点狙いは危険だと諦めていたのが、チョココロネだ。
「日曜日にバスケ部のみんなで遊んだときに見かけて。回したら出たから」
全種類揃った。
手の中のチョココロネをぼんやり見つめる。
「もしかして、もう持ってた?」
不安そうな声に、勢いよく首を振る。
「ううん、持ってないよ」
「嬉しくない?」
「すごく嬉しいよ」
でもコンプした喜びよりも、僕が話したことを覚えていてくれたことで、胸がいっぱいになった。
どうしてこんなことをするのだろう。
「でも、もらえないよ」
「俺からは嫌ってこと?」
悲しげに下がる眉に、全力で否定する。
「そうじゃないよ。もらう理由がないっていうか……」
「俺だってなにもない日に、タオルをもらった。それとノートのコピーも」
「なんで僕だと思ったの? 見てた?」
「いや、母親がクラスメイトで自転車通学って言ってたし、俺の家を知ってるクラスメイトなんて限られてるから。でも、なにも聞かなくてもわかったよ」
「どうして?」
「字で。一緒に勉強したじゃん」
細かいところまで覚えていてくれる。
「あのさ、あんまり時間を取らせないから、少し話せないかな?」
「あっ、うん。わかった」
チョココロネをリュックのポケットにしまう。
靴を履き替え、自転車を押しながら歩き、一緒にアイスを食べた公園に向かった。
神崎くんがベンチに腰掛け、空いているスペースをポンと叩く。
少し距離を取って座った。
神崎くんは脚の間で指を組み、俯きながら話し始めた。
「俺はさ、普通になりたかった」
「うん、それで僕に声をかけたんでしょ」
頭が縦に揺れる。
「でも師匠やめたいって距離を取られて、一人で普通になろうとした」
神崎くんは立ち上がって、僕の正面に立つ。首を反らして、顔を見上げた。
神崎くんの真剣な瞳に射抜かれ、時が止まったように動けなくなる。
「一人で普通になろうとしても、つまんなかった。いつのまにか、普通になりたいより、師匠といたいと思うようになってたんだと思う」
「……無理だよ」
ボソリとこぼれ落ちた言葉に、神崎くんが傷ついたように眉を寄せる。僕の胸はチクチクと痛む。
「師匠をやめてもいい。俺は伊藤と一緒にいたい」
神崎くんが僕といると、安心してくれるのはわかっている。でももう僕は、神崎くんが安心できる存在ではない。
友達とは思えなくなってしまった。
「僕は神崎くんと一緒にいられない」
「理由は?」
硬い声が降ってくる。
視線を下げて首を振った。
「言ったら、神崎くんに嫌われる」
「俺が嫌いになるわけない」
下唇を噛む。
全てぶちまけても、同じことを言えるのだろうか。
いっそ嫌われてしまったほうが、僕に構うことはなくなるのではないだろうか。
今まで嫌われないようにとしがみついていたけれど、僕から神崎くんを離すには、言うしかないみたいだ。
勢いよく立ち上がる。
目に力を込めて、神崎くんを見上げた。
神崎くんの困惑の色が滲む瞳に、緊張した僕の顔が映っている。
奥歯を噛み締めて気合を入れると、大きく息を吸った。
「僕は神崎くんのことを、好きになっちゃったんだ。だから一緒になんていられない」
神崎くんの瞳が見開かれる。震える唇がなにかを言う前に、自転車に向かって駆けようと脚を踏み出した。
でもすぐに腕を掴まれる。神崎くんは自分の方に引き寄せて、僕を腕の中に閉じ込めた。
驚きすぎて神崎くんの胸に手置いて突っぱねようとするけれど、びくともしない。
堅牢な檻のように、背中に回った腕から抜け出せない。
「離して」
「嫌だ。なんで好きなのに、一緒にいられないのかわからない。今離したら、もっと距離を取るだろ?」
「わかってよ。僕の好きは、友達の好きじゃないんだ。だからダメだって」
「それがわからない。俺だって、同じ気持ちなのに」
神崎くんに痛いほどキツく抱きしめられた。
僕は頭の中で、神崎くんの言葉を反芻する。
僕と神崎くんが同じ気持ち?
神崎くんの言葉が理解できない。頭の中が真っ白に染まる。
神崎くんの胸に押し付けた手のひらから、ドクドクと速い鼓動が伝わってきた。
自分の心音がうるさいのだと思っていたけれど、神崎くんも僕と同じリズムだと気付いて息を飲む。
「……同じって、なに」
やっと絞り出した声は、情けないほど震えていた。
神崎くんは僕の肩に顔を埋めて、苦しそうに息を吐く。服越しに熱い息を感じた。
「俺だって師匠のこと、好きになってた」
耳のすぐ下から、くぐもった声がした。
耳を疑って、目を見張る。
神崎くんの腕に、さらに力がこもった。
「最近ずっと変だった。師匠に避けられて、頭の中ぐちゃぐちゃで。授業中も部活中も食事中だって、師匠のことばかり頭に浮かんだ」
心臓が怖いくらい跳ねる。
僕もそうだ。離れていても、神崎くんのことばかり思い浮かべていた。
「風邪を引いたとき、師匠が来たってわかった瞬間、すげぇ嬉しかった」
「……神崎くんが風邪を引いたのって、僕のせいだよね。ごめん」
神崎くんはグリグリと肩に顔を押し付けるようにして、首を振る。
「風邪は雨が降っているのに、動けなかった俺のせい。そんなことはどうでもよくって。メッセージを送った時、すごく迷った。返信がないだけならまだいいけど、また拒絶されたらって怖かった。でも『お大事に』って返ってきて、ほっとした瞬間、安心して眠れた」
そんなこと、知らなかった。
僕だけが振り回されて、苦しくて。勝手に好きになったんだと思っていた。
「でも俺、最初はよくわかんなかったんだ」
神崎くんが掠れた声で続ける。
「なんでこんなに師匠のことばっかり、考えるんだろうって」
「わかったの?」
神崎くんが友達との会話を教えてくれた。僕が廊下で聞いてしまった話だ。
「笑った顔が見たいのも、喜んで欲しいのも師匠だった。好きだから、離れて辛いんだって気付いた」
体に挟まっている手を引き抜いて、神崎くんの背におずおずと回す。
神崎くんの体がこわばるのを感じた。
「そんな思いをさせてごめん。僕は神崎くんが教えてくれた、好きってグイグイ来られるのが怖いって言葉を思い出して、離れなきゃって必死だった」
「うん、今でもちょっと怖いよ」
「それなのに、いいの?」
「だって俺のことを考えて、引こうとしたんでしょ? 俺の気持ちを考えないで、グイグイ押してくる子とは違うじゃん。それより、俺は師匠が離れていくことの方が怖い。ずっとそばにいて」
目の前が滲む。涙がこぼれないように、空に目を向けた。
「……うん」
絞り出した声は鼻声で、自分の声ではないみたいだった。
それでも神崎くんは「よかった」と安堵の息を漏らして、鼻をすすった。
顔を見合わせる。神崎くんは泣き笑いの表情を浮かべていた。きっと僕も同じような顔をしている。
「時間を取らせないって言ったのに、遅くなって悪い」
辺りは薄暗くなって、公園の切れかけの街灯が明滅していた。
「ううん、話せてよかった。帰ろっか」
名残惜しく思いながら、離れる。
自転車を押して、のんびり歩いた。
神崎くんの家の前で「またね」と言って、自転車に跨った。
「ああ、また明日」
神崎くんに見送られながら、ペダルを漕ぐ。
神崎くんが僕を好き。徐々に現実味が帯びてくる。
顔が熱くて、引き締めたいのに頬は緩んだ。
心が躍り、いつもよりペダルが軽く感じた。
家に着くと一目散に自室を目指す。階段を駆け上っていると「うるさい!」と母親に苦言を言われたけれど、構っていられない。
ベッドにダイブして枕に顔を埋める。叫び出してしまいそうなほど浮かれていた。
絶対に諦めなきゃいけないと思っていたのに。
神崎くんも僕が好き。
ジッとしていられなくて、足をばたつかせる。
ぼうっと斜め上を見上げて、神崎くんの顔を思い浮かべた。
ふふっと笑い声が漏れ、ベッドから飛び降りる。
リュックのポケットから、チョココロネのストラップを取り出した。
学習デスクの引き出しを開け、パンのストラップをしまっている箱を取り出した。その中にチョココロネも加える。
目を引くのは、神崎くんが引き当てたカレーパンとチョココロネ。
しまうのが勿体無い気がして、学習デスクの端に飾った。
「神崎くんが僕の彼氏か」
口にすると照れくさくて、でも嬉しくて。顔の筋肉がゆるゆるになってしまったみたいだ。
でもふと違和感を覚える。
「あれ? 彼氏でいいの?」
好きだとは伝え合った。友達の好きではない、同じ意味だってことも確認している。
それなのに、その後どうするかは聞いていなかった。
恋愛初心者すぎて、気持ちを確かめ合うことで満足してしまった。
「なんで、付き合おうって言わなかったんだろ」
肩を落として息を吐く。
明日ちゃんと確認しよう。もう、すれ違いたくない。
翌火曜日、アラームの前に目が覚めた。
スマホを手に取ると、神崎くんからメッセージが届いていた。
『おはよう』
その四文字で、昨日のことが夢ではないと実感できた。
僕も神崎くんも、用事がある時にしかメッセージを送らない。神崎くんから『おはよう』なんて届くのは、初めてだった。
なんでもないことで送ってくれるのが嬉しくて、朝から心が弾む。
僕も『おはよう』と返した。
自転車に乗って学校に近付くと、悲鳴のようなものが聞こえた。
周りの人たちも、辺りに視線を走らせている。
「神崎くんがヤバい!」
「顔が良すぎて、視神経が焼ける」
「存在しているだけで、世界平和の象徴になる」
「尊すぎて天に召されるかと思った。今、来世に片足突っ込んだもん!」
神崎くんを称賛する声が、普段よりパワーアップしているような気がする。
バスケ部がいつも通り走っていて、すぐに神崎くんを見つけられた。
僕と視線がかち合うと、照れくさそうにはにかむ。普段の満面の笑みではなく、胸がキュッと疼く。
周りが流れ弾に当たって、ふらついていた。
僕はぼうっと、走り去る背中が見えなくまで目で追う。
バスケ部が角を曲がると、顔を前に戻した。
すぐ隣にピッタリと立つ女子生徒に驚いて、背を反らす。
「あっ……」
神崎くんをつけていた人。今はルールを守っているみたいで、あの日以来見かけなかった。
ジッと見上げられる。
僕の手のひらに、ジワリと汗が滲んだ。
今は同担として仲間意識を持たれているが、昨日のことがバレたら、今度こそ排除されるんじゃないだろうか。
「推しの幸せが、私の幸せ」
僕の心の中を覗き込んだかのような言葉だった。
彼女はスタスタと歩いていく。
え? もしかして、勘付いてる?
教室ではそれぞれ友達と過ごすけれど、休み時間のたびに目が合う。神崎くんがふにゃっとした柔らかい笑顔を向けてくるから、可愛くて仕方がない。
僕は神崎くんのことを目で追ってしまう。何度も目が合うってことは、神崎くんも僕のことを気にしてくれているのだろう。
そんなんだから昼休みには、神崎くんが幸せいっぱいな顔をしているのは、僕に関係があるのではないか、とクラスメイトに詰め寄られた。
名探偵すぎる。 ……いや、神崎くんがわかりやすすぎるのか。
その間もそわそわとこちらを見てくるから、僕も周りもノックアウト。
みんなに拝まれて、乾いた笑みを浮かべた。
帰りのHRが終わり、荷物を素早くリュックに詰め込んだ。
いつも誘ってもらってばかりだから、今日は僕から一緒に帰ろうと声をかけよう。
立ち上がると、神崎くんの席に向かう。
「一緒に帰ろう」
「うん、帰る」
神崎くんは顔を輝かせ、スクールバッグを掴む。
並んで教室を出るけれど、ニヤけてしまわないように奥歯に力を込めた。
神崎くんの家に上がる。
「飲み物を持ってくるから、先に部屋に行ってて」
神崎くんはキッチンに向かい、僕は階段を登って神崎くんの部屋に向かう。
もうこの部屋に来ることはないと思っていた。緊張で喉が渇く。
ゆっくりと扉を開いた。かわらず、神崎くんの匂いで満たされていて、ちょっと落ち着かない。
足を進めて、学習デスクの上で目が止まった。
パンのストラップが三つ置いてある。
「突っ立って、どうした?」
扉を開けながら声をかけられる。
神崎くんは僕の視線を辿ると、「あー、片付けるの忘れてた」とバツが悪そうな声を出した。
「チョココロネを出すために、何度も回したの?」
神崎くんはお茶の入ったグラスを置くと、床に腰を下ろす。僕も隣に座った。
「遊んでるときにこのガチャガチャを見つけてさ、どうしてもチョココロネが欲しかったんだ。渡せば師匠が笑って喜んでくれると思ったから。必死すぎるよな」
神崎くんは僕が気兼ねなく受け取れるように、たまたま出たみたいに渡してくれたんだ。
なんで一回で出たと勘違いしたんだろう。一点狙いはキツイって知っていたのに。
「それなのに笑ってくれないし、離れようとするし」
神崎くんは拗ねたように口を尖らせる。
「ごめんね。すっごく嬉しかったよ。ありがとう」
笑って伝えれば、「その顔が見たかった」と神崎くんも笑ってくれた。
「あのね、神崎くんに言いたいことがあって」
居住まいを正すと、神崎くんの口の端が引きつる。
「え? なに? また離れるとか言う?」
緊張で声が固くなってしまった。神崎くんに余計な不安を抱かせてしまい、慌てて口を開く。
「僕と付き合ってください」
緊張で声が上ずった。
神崎くんはポカンと口を半開きにして固まる。
「神崎くん?」
返事がなくて心細くなり、名前を呼んだ。
「俺はもう付き合ってるつもりだったんだけど、違ったの?」
「好きって言ったけど、付き合うとは言ってなかったし、ちゃんと伝えたくて」
神崎くんの朝からの態度でそうなのかな? とは思っていたけれど、確証が欲しかった。
「付き合いたい。よろしく」
顔を見合わせて、照れ笑いを浮かべる。空気がほんわかしてむず痒い。
「じゃあ付き合った記念日は、今日ってこと?」
「そうなるのかな?」
「俺、恥ずかしいじゃん。昨日、師匠と付き合うことになったって浮かれて、スマホのスケジュールに『付き合った記念日』とか書いてさ」
神崎くんは両手で顔を覆う。髪の間から覗く耳が赤い。
それは相当浮かれてるね。
昨日の自分のことを棚に上げて笑った。
神崎くんも肩を震わせて笑う。
ベッドに頭を乗せて、上気して染まった顔で僕を見上げた。
久しぶりのお色気神崎くんは心臓に悪い。さっきまで、可愛い神崎くんだったのに。
ゴクリと喉を鳴らす。
「ねぇ、師匠」
僕を呼ぶ声も、熱を帯びているような気がした。
夜の帝王と言っても差し支えのないほど、艷やかな神崎くんが目の前にいる。今日、大人の階段を一気に駆け登ってしまうのだろうか。
「……な、なに?」
声が裏返る。神崎くんに緊張していることを、気付かれただろうか?
「俺さ、師匠とデートがしたい」
「……デート?」
素っ頓狂な声が出てしまった。
神崎くんからのお誘いではあったけれど、想像していたより可愛らしいお誘いで。別に期待してたわけじゃないけど、と言い訳じみたことを心の中でぼやく。
勘違いするから、色気を振りまくのは禁止続行にしよう。
熱くなった顔を手であおいで冷やす。
「僕も神崎くんとデートがしたい」
「じゃあ今週の日曜日は空いてる?」
「大丈夫だよ。日曜日が楽しみだな」
「俺も」
今度は太陽みたいな笑顔を向けられて、付き合ってからも神崎くんに翻弄されっぱなし。
神崎くんといると、僕は普通ではいられなくなってしまう。僕も普通修行をしたほうが、いいのかもしれない。
その後は一緒に宿題をして、帰る時にお母さんにカレーのお礼を言えた。
自転車を漕いで、鼻歌でも歌いだしそうなほど舞い上がる。
信号待ちをしていると、手を繋いで寄り添い合いながら歩くカップルを見かけた。
その仲睦まじい二人を見て、ふと頭に浮かぶ。
僕と神崎くんは、友達の時となにも変わっていないのではないか、と。
……初デートは、ちょっと頑張ってみよう!



