普通修行は前途多難

「なぁ、頼むよ」

 背後は壁。正面には眉を下げ、切なげに表情を歪ませる圧倒的な美形。彼の前髪がさらりと垂れて、僕の額をくすぐる。
 僕の耳の横に腕をついて見下ろしてくるのは、同じクラスの神崎十和(かんざきとわ)くん。
 瞬きの音が聞こえてきそうなほど近くで見つめられ、乾いた喉にゴクリと唾を送り込む。

「いいだろ?」

 切羽詰まったような声は低く掠れて、無自覚に撒き散らされる色気に呼吸を忘れそうになる。
 元々近かったのに、神崎くんはさらにこちらへ顔を近付けた。剥き出しの耳に、熱い吐息が触れる。
 神崎くんの首元から、柑橘系の爽やかな香りに汗が混じった匂いがする。スンと鼻を鳴らして吸い込んでしまい、顔に熱が集まった。

「頼れるのは、お前だけなんだ」

 人を惹きつける彼の引力に陥落し、「うん、わかった」と自分の意思とは別に頷かされていた。
 神崎くんは腕を下ろして、僕と少し距離を取る。
 先ほどまでの、情緒的な色気はどこへやら。彼はフッと目元を和ませた。
 逆光でもないのに、神崎くんの背後にだけ後光が射しているように見える。あまりの眩しさに、僕はたまらず目を逸らした。

「じゃあ、よろしくな! 師匠」

 僕の肩にポンと手が乗る。
 師匠? 聞き慣れない呼称が降ってきた。
 今までほとんどが僕を『伊藤(いとう)』と呼び、仲のいい友達には『凌太(りょうた)』と呼ばれていた。『ねぇ』とか『そこの人』と呼ばれることはあっても、『師匠』と呼ばれるのは初めてだ。そしてそんな日が来るなんて、思いもしなかった。
 クラスで一番遠い存在だと思っていた神崎くんと、こんな形で関わることになるなんて。
 なんだか面倒なことになってしまった。
 立っているだけで目立つ神崎くんの隣で、こっそりと息を吐き出して肩を落とす。
 どうしてこんなことになったのだろう。
 うつろな目で立ち尽くし、数分前のことを振り返る。




 月曜日の放課後は図書委員の当番で、本の貸し出しの対応をしていた。
 暇な時間には返却された本を元の場所に戻したり、本を読んだりして過ごす。
 閉館の時間になり、窓の施錠をして、残っている人がいないかの確認も怠らない。問題ないな、と頷いたところで、扉が勢いよく開いた。
 息を切らせた神崎くんだった。
 部活後なのか、彼はTシャツにハーフパンツ姿だった。
 返却期限が今日で、慌てて来たのかな? と呑気に考えていたら、神崎くんが大股でこちらに近付いてきて、僕の目の前で止まる。

「えっと、返却はあっちだよ」

 返却は専用のボックスに入れてもらえればいい。図書委員の確認は必要ない。
 ボックスの方を指すが、神崎くんは僕をじっと見下ろす。
 バスケ部で一八〇センチを越える彼は、僕の背後にある壁に肘から先を付いた。
 あまりの近さに思わずのけ反り、壁に後頭部を打ち付けて涙が滲む。

「なぁ、俺に普通を教えてくれないか?」

 僕は目を瞬かせて神崎くんを見上げる。
 真摯な瞳から目が逸らさない。
 普通を教えるってなんだろう。
 意味がわからないけれど、「なぁ、頼むよ」と神崎くんに距離を詰められた。
 そこで回想を止める。
 喜んでいる神崎くんには悪いけれど、最初から思い返しても、全く理解ができない。

「えっと、とりあえずここを出ようか。職員室に鍵を返さなきゃいけないから」
「わかったよ、師匠」
「……その師匠ってのも、人前ではやめてね」
「二人の時にそう呼ぶのは、問題ないよな」
「そうだね」

 他の人に聞かれなければ、なんでもいい。
 リュックを背負って図書室を出ると、鍵を閉めた。
 隣を歩く神崎くんを盗み見る。
 キラキラ輝いているし、いきなり壁ドンしてへんな頼み事をしてくるし。よくわからない人だ。
 ……壁ドンされたんだよな。よかった、図書室に誰もいなくて。ホッとして、大きく息を吐き出した。
 もしあの場面を見られていたら、問答無用満場一致で有罪判決を言い渡され、八つ裂きにされていたことだろう。恐ろしくて身震いする。

「寒いのか?」

 そんな僕に検討外れな問いかけをする神崎くんは、優しいのだろうけれど、間違いなく天然だ。




 図書室のある二階から一階に降りると、「着替えて荷物を持ってくるから、昇降口で待ってて」と僕の返事を聞く前に神崎くんは駆け出した。
 先に着替えて荷物を持ってこればよかったのに。そう思うけれど、伝える相手はもう見えなくなっていた。
 職員室に寄って鍵を返却すると、昇降口で靴を履き替える。
 ほどなくして神崎くんが「お待たせ」と僕に微笑みかけた。バックに花が咲き乱れる幻覚を、見た気がする。
 昇降口を出ると、自転車置き場に向かった。徒歩通学の神崎くに合わせて、自転車を押して歩く。

「あのさ、どうして僕に普通を教えてって言ったの?」
「二年になって一ヶ月間、クラスを観察してたんだ」

 神崎くんはなにをしているんだろう。僕は「はぁ」と気の抜けた相槌を打つ。

「そこでクラスで注目をされることもなければ、浮いてもいない師匠に目がいった。俺の理想がここにいるって」
「つまり、目立ちたくないってこと?」
「そうそう。でもいない存在として扱われたくもない。平穏に平凡な日常がいい」

 なんにも面白みもないけどいいのかな? 女の子に黄色い声を上げられることもなくなるけれど。

「モテないよ」
「俺はモテたいなんて思ったことはない」

 神崎くんは不満そうに口を尖らせる。嫌なことでもあったのだろうか。

「師匠に目をつけてから、ひたすら師匠を見続けた」

 真剣な瞳で語る神崎くん。僕は宙を見上げる。
 本当になにをしているんだろう。
 ずっと見られていることに気付かなかった僕も、人のことは言えないけれど。
 神崎くんは僕の無機質な目を気にした様子もなく、続ける。

「部活中にギャラリーがうるさくて、今日は師匠を真似てみた」
「僕を真似たって、バスケで?」

 二年生になってから、まだ体育でバスケをしていない。

「バスケじゃなくて、走り方。そうしたら部長に『まじめにやれ!』って怒鳴られた」

 神崎くんは思い出したのか、肩を落とす。

「それで俺を怒鳴った部長は周りの女子に詰め寄られてた。すげー申し訳ない気持ちになったのに、部長が女子に怒られて喜んでいた。そんな部長は見たくなかった」

 虚無顔の神崎くんに、愛想笑いを返す。

「部活中は、真似をするのやめよ」
「ああ、そうする」
「でも、僕の走りで真面目にやれって怒られるって、僕はそんなに変な走り方なの?」
「今からやってみるから、見てて」

 神崎くんは肩にかけていたスクールバッグを「置かせて」と自転車のかごに入れて走り出した。
 ドタドタと聞こえてきそうなほど、がむしゃらに走っている。その走り方のまま、戻ってきた。

「僕って、そんな走り方なの?」
「うん、完コピしてるはず。一生懸命で、俺はすごくいいと思う」

 自分の走り方を見て、なんで僕がダメージを負わなきゃならないんだろう。
 フォローしてくれる優しさが沁みる。
 校門を出ると「うち、すぐそこだから」と誘われた。
 まだ普通になりたい理由を聞かされていない。腰を据えて聞こうと思い、ついていくことにする。
 少し歩いたところで、神崎くんが足を止めた。

「どうしたの?」

 僕も止まって、神崎くんを見上げた。
 神崎くんは口元で人差し指を立てる。僕は口を引き結んだ。
 顔が近付いてくる。耳元で「つけられている」とささめかれた。
 声を潜めているからか、湿ったような低い声だった。動悸が激しくなる。
 そして言葉を反芻すると、別の意味で更にうるさくなった。
 つけられているって、どういうこと?
 説明を求めるように視線を送るけれど、神崎くんは大きく頷いただけ。

「撒くから、自転車でついてきてほしい」

 自転車に跨ると、神崎くんはスッと走り出した。先程のドタドタではなく、軽やかに。こんなに走り方が違うなら、怒られてもしょうがないよな、と悲しい気持ちになった。
 そんなことを考えていると神崎くんを見失いそうになって、慌ててペダルを踏み込む。
 必死に神崎くんを追いかけ、十分程して着いた一軒家は、学校から驚くほど近かった。わざと遠回りをして、走り回っていたみたいだ。
 家の前に自転車を止めて「おじゃまします」と家に入る。
 神崎くんの部屋は二階の手前にあり、大きなベッドが目についた。足が伸ばせるように、ロングサイズのベッドらしい。
 背が高いと大変なこともあるんだな。一七〇センチにほんの少し足りない僕は、その経験はできないけれど。
 ベッドを背もたれにして、並んで床に腰を下ろす。

「まだ普通になりたい理由を聞いてないんだけど、教えてくれる?」
「ああ、さっきつけられてるって言ったろ? 毎日なんだよ」
「毎日つけられる?」
「それ以外にも、知らない人が俺のことを知ってたり、いきなり声かけられたり、こえーんだよ」

 神崎くんは背を丸めて、盛大なため息を漏らす。
 想像してみた。知らない人に話しかけられたり、追いかけられたり。
 うん、普通に怖い。
 かっこいいとかモテてすごいなとか思っていたけれど、目立つっていいことばかりではないのかもしれない。

「僕が力になれるかわからないけれど、協力するよ」

 具体的にどうするというプランは、全く思い浮かばないが。だって僕は、特別なことをしているわけではない。
 クラスの中心にいるわけではないけれど、誰とでもそこそこ話せる。ただ普通に過ごしているだけだ。

「ありがとな! 師匠に相談してよかった」

 ガバッと思いっきり抱きつかれて、心臓が口から飛び出るかと思った。

「神崎くん?!」

 目を白黒させて戸惑っていると、神崎くんは抱きついたまま背中をバシバシと叩いてくる。
 神崎くんはパーソナルスペースが狭いのかな? 僕は落ち着かない。

「神崎くん、ちょっと離れて」
「ん? どうした?」

 背中に回っていた手は離れ、神崎くんは首を傾けながら僕の顔を覗き込む。悩ましげに目が細まり、色気で胸焼けしそうだ。

「神崎くんは、だれにでも抱きついたりするの?」
「んー、仲が良ければ」

 僕は仲が良いと思われたようだ。今日まであまり絡むことはなかったのに。
 距離感がおかしい。これは神崎くんにも、問題があるんじゃないだろうか。

「あのさ、神崎くんは距離が近すぎると思うんだ。抱きついたりはやめたほうがいいかも。勘違いする人もいるだろうし」

 神崎くんは顎に手を添えて「んー」と唸る。

「そうか。でも嬉しいとついガッといっちゃうんだよな」

 神崎くんは体の前で、勢いよく腕をクロスさせる。

「だってさ、試合とかで勝ったら嬉しいじゃん」

 運動部は、勝利の後にはハイタッチやハグを交わして、喜びを分かち合っている。それに一人だけ混ざらないのも、部の中で摩擦を生みそうだ。

「これも部活中は、OKってことにしよう」
「わかった。部活以外では気をつける」

 神崎くんは素直に頷く。
 かっこよくて周りを引きつける太陽のような人だと思っていたけれど、素直で優しくて天然で、なんだか放っておけない。

「まずはどんな修行から始める?」

 目を輝かせて見つめられ、修行、と口の中で呟く。

「うーん、どうしたらいいんだろう。僕はこれをしているから普通で目立たないんだ、ってはっきりと言えないし」
「じゃあ荷物を見せてくれないか? なにかヒントになるかも」
「いいけど、面白いものなんて入ってないからね」
「そんなの求めてないって。スマホの代わりにリモコンが入ってるとか」

 これはフリだろうか。ベタなコントのように。そうあれば笑えたかもしれないけれど、もちろんリモコンなんて入っていない。
 リュックを開ける。教科書と筆記用具以外には、お弁当箱とスマホと鍵しか入っていない。
 神崎くんは興味深そうに、ペンケースを手に取った。

「開けてもいい?」
「どうぞ」

 手のひらを見せる。
 ペンケースの中もシャーペンと芯に消しゴム。それと三色ボールペンと蛍光マーカーが入っているだけだ。

「文房具って、どこで買ってるの?」
「ほとんど百円ショップだよ。神崎くんは?」
「俺は通販」
「通販?」

 思わず聞き返した。
 こだわりの筆記用具でもあるのだろうか。僕にはそんな選択肢はない。
 百円ショップ以外なら、本屋さんやホームセンターくらいしか、思い浮かばなかった。

「高校に入ったばかりのころに、どこで買ったか聞かれたんだ。そうしたら同じの買ったって色んな人が見せに来た。全く知らない人まで同じの持ってて怖かったから、近くで買えないように通販ですぐに買い替えた」

 頭を抱えて俯く。
 一人ひとりは神崎くんとおそろい、って個人で楽しんでいるのだろう。でも神崎くんからしたら、大勢の人が同じになったってことだもんな。

「明日の放課後って暇?」
「うん、なにもないよ」
「じゃあ放課後の過ごし方を見せてほしい」

 放課後の過ごし方?

「いいけど、特別なことなんてしてないよ」
「むしろそれが見たい!」

 期待に満ちた瞳を向けてくるけれど、なんの面白みもないのに。

「そういえば、部活はないの?」
「体育館を使いたい部活は多いから、使える日が決まっているんだ」

 バスケ部が体育館を使えるのは、月水金と土曜の午前中だけらしい。

「荷物出したんだし、宿題でもやる?」

 神崎くんに提案されて、一緒にやることになった。
 別の部屋から折りたたみのテーブルを運んできて、向かい合ってペンを走らせる。

「字も上手くもなければ、下手でもないな」

 ノートを覗き込まれ、そう呟かれた。普通だと神崎くんが声を弾ませる。
 自分の字が上手いとは思っていなかったけれど、はっきり言われると恥ずかしい。
 神崎くんのノートに目を向ける。神崎くんも上手くもなければ、下手でもなかった。

「普通だね」

 僕の言葉に神崎くんが目を瞬かせる。

「俺の字って普通なのか?」
「そう思うよ」

 神崎くんは「よし!」と叫んで拳を掲げた。普通と言われて、こんなに喜ぶ人を初めてみた。

「俺の字は普通」

 神崎くんは歌うように、そう繰り返す。
 今日一日で神崎くんのイメージがだいぶ変わった。神崎くんはとっても愉快な人だ。




 翌火曜日、正門の前で自転車を降りると、外周を走っているバスケ部を見かける。神崎くんは綺麗なフォームで走っていた。
 登校中の生徒たちから、黄色い声が上がる。
 ふいに神崎くんと視線が交わった。彼は表情を緩めて、片手を上げる。
 悲鳴のような雄叫びのような声があちこちから上がり、フロアが湧いた。

「神崎くんのファンサ、SSRじゃん」
「良すぎてエグい」
「私に手を上げてくれた」
「違うから! 私にだから」

 周りに視線を走らせる。
 手を上げるだけで、こんなにも大騒ぎになるのか。
 僕の口元は引きつった。これは目立ちたくないってなるのもわかる。肩をすくめて体を小さくしながら自転車を押して、駐輪場に止めた。
 神崎くんの平穏のために、頑張らなきゃ。ぐっと拳を握って意気込む。




 教室に入って近くの席の子と話していると、朝練が終わった神崎くんが入ってきた。自分の席に向かわずに、僕の元までやってくる。

「ししょ……じゃなくて、伊藤おはよう」
「おはよう」

 それだけ言うと、自分の席でスクールバッグから取り出した教科書をしまう。

「神崎くんと仲良いの?」
「いつから?」
「なんで伊藤くんにだけ挨拶するの?」

 周りから詰め寄られ、乾いた笑みを浮かべる。
 神崎くんの求める、目立たない普通ではなくなってしまった。
 神崎くんは、これがずっとってことなんだよな。気が休まらないだろうな、とこっそり息を吐き出した。




 僕の周りに人が集まったのは朝だけで、ホッと胸を撫で下ろす。
 休み時間に神崎くんは友達と話していて、笑いながら肩を抱こうとして動きをピタリと止める。
 こちらに目を向けて、得意げに笑った。昨日言ったことを、実践しているらしい。

『ちゃんとやってるよ!』

 そう心の声が聞こえたような気がした。
 僕の近くにいた人たちは、自分に向けられた笑顔だと思って騒ぎ出す。

「なにあの無邪気な顔」
「可愛いかよ」
「国宝として、国が保護するべき!」

 神崎くんは友達には無意識に距離が近いらしく、今日一日何度も接触を寸止めしていた。
 その度に僕に向かってドヤ顔を向けてくるから、僕は周りの黄色い声で耳が痛くなった。




 放課後になり、荷物をしまっていると「ししょ……伊藤、帰ろう」と神崎くんがやってくる。
 また騒がれるのが嫌で、素早くリュックを背負って教室を出た。
 自転車置き場で「どこに行く?」と訊ねる。

「百円ショップに、行きたい」

 裏門の方が近いな、とそちらから学校を出た。
 しばらく進むと、神崎くんが僕の耳に顔を寄せる。だから近いんだって、と背を反らす前に「またつけられてる」と呟いた。
 振り返ると電柱の後ろから、顔をぴょこっと覗かせる女子生徒。あからさますぎる。
 正面に向き直る。

「やめてって言う?」
「いや、関わりたくない。見てるだけでなにもしてこないし、すぐに撒けるし」

 神崎くんから話しかけて、エスカレートする可能性もある。

「じゃあ逃げよう」

 今僕にできるのは、神崎くんのスクールバッグを受け取って、カゴに入れることだけ。
 神崎くんは頷くと走り出し、僕も自転車でその背を追いかけた。




 百円ショップに着くと、文房具売り場に向かう。

「これ、師匠の持ってる三色ボールペンだ」

 神崎くんが手に取る。

「シャーペンはこれだった」

 シャーペンも取った。

「それ、買うの?」
「買う! 師匠は買うものないの?」
「僕は定規かな。この前欠けちゃったから捨てたんだ」

 十五センチの白い定規を取ると、神崎くんも同じものを取った。

「それも買うの?」
「師匠と同じものを使えば、普通になれる気がして」

 同じものを持たれるトラウマは、大丈夫なのだろうか。

「僕と一緒はいいの?」

 神崎くんはキョトンとして、首を傾ける。

「だって師匠は、俺のことを友達以上には見てないでしょ」
「そうだね」
「だからいい。俺のこと好きだってグイグイ来られるのが怖いだけだから」

 神崎くんは「普通の筆記用具だ」と感慨深そうに呟いて会計をした。

「これは家で使う」
「そうだね」

 百円ショップの文房具で、騒ぎになっても困る。




 帰る前にコンビニに寄って、アイスを買った。
 近くにある公園のベンチに座る。
 一袋に二本チューブ型の容器が入っていて、一本ずつ分け合った。チョコとコーヒーをブレンドした、絶妙な甘さがたまらない。

「これも普通?」

 神崎くんがアイスに吸い付きながら首を傾ける。

「そうかも。二本入ってるから、誰かと分け合うのが醍醐味なのかな?」

 家でだったら、一本は冷凍庫にしまって独り占め、なんて楽しみ方もできるけど。
 アイスを食べていると、周りに猫や鳥が集まってきた。
 びっくりして、少し足を浮かせる。

「昔から、動物に好かれるんだよね」

 神崎くんは苦笑いを浮かべるけれど、人間だけじゃなくて動物まで魅了しているのか。
 こんなに集まってくるのって、神崎くんか夢の国のプリンセスくらいだよ。
 神崎くんはさして気にした様子もなく、底に残ったアイスを指で押し上げて必死に吸っていた。
 食べ終わると容器を捨てるために立ち上がる。動物たちは散っていった。
 ゴミを捨てて「帰ろうか」と声をかける。

「師匠、次は休日の過ごし方を見せてほしい。今週の土曜日か日曜日って空いてる?」
「どっちも暇だよ」
「じゃあ日曜日!」
「いいよ」

 頷くと「やった!」と神崎くんに抱きつかれた。

「ちょっと! 離れて」

 神崎くんは一瞬動きを止めて、すぐに離れる。

「今日はずっと言われたことを守れてたのに」

 神崎くんは大きく息を吐き出し、シュンとして肩を落とす。
 知ってる。毎回ドヤ顔を、見せられていたから。

「明日からも、普通修行を頑張ろうよ」

 必要以上に落ち込んでいて、励ますために背をポンと叩く。
 目を切なげに細め、「師匠……」と濡れたような声で呼ばれた。
 ドッと鳴る胸を押さえる。無邪気かと思えば、急に艶っぽくなって。周りが翻弄される気持ちがわかる。

「今後は色気を振り撒くのも禁止!」
「色気?」

 首を捻られた。無自覚なのか、と額を押さえる。

「よくわかんないけど、日曜日は師匠の家に行きたい」

 顔を覗き込まれ、上目遣いで甘ったるい声でねだる。
 思わず限界まで背を反らした。

「だから、そういうのがダメなんだって」

 わざとやっているんじゃないかと疑いの目を向けるけれど、神崎くんは無垢な瞳で瞬きを繰り返した。