好きになれない

「だから、怒ってなんてないって最初から言ってるだろ」
「だって」
 そんな不服そうな顔で言われても、との後半を、日和はどうにか呑み込んだ。おそらく当人は「普通の顔」をしていると思っている。
「おまけに、なんでそれを和に言うの。ガキか。怒られてると思って不安がるな、拗ねるな」
 ガキという言い方がなんとも卑怯だ。そう言えば、日和が大人ぶって引くと踏んでいる一点において。
「どうせ、俺はガキですから」
 たまには違う反応をしてやろう、と。拗ねた声で日和はそう言ってみせた。ガキならガキらしく、ガキの特権を使ってもいいだろう。
 そうでなくても、事後のベッドに流れない甘い空気に、多少の不満を抱いているのだ。
 もう少しくらい、そういう空気があってもいいのに。五回に一回は思うものの、真木にとっては居た堪れないらしいので強行することは諦めている。なぁなぁに丸め込まれて終わるので、強行しようがないというだけではあるのだが。
 ――まぁ、俺が珍しい部類な気もするし、べつにいいんだけど。
 事後まで優しくすんの、面倒くさくない? などという、惚気半分の愚痴を水原に聞かされて、そう悟ったのだ。それ以来、たまにこうして言い聞かせている。いや、まぁ、本当にいいんだけど、べつに。七回に一回は泣き落としで甘えているから、もう、それで。
「でも、ガキだから言葉がほしいんです。態度から読み取れ、なんて。真木さん、子どもに言わないでしょ」
「……本当に図太くなったな、おまえ」
「かわいくなくなった?」
「かわいいけど、かわいくない」
 溜息を吐かれてしまって、日和は唇を尖らせた。ひどい。それなのに返ってきたのは呆れた視線で、ますますむくれた気分になる。
 新たに響いた溜息に、抗議のひとつでもしようと顔を上げたタイミングで、唇が口の端に触れた。もう一度、キス。瞳を瞬かせて、日和は黙り込んだ。枕に顔を埋めて、呻くように呟く。
「なんか、ずるい」
 なんというか、それだけで俺が絆されると十二分に理解しているところが。
 ぽんと伸びてきた手が、わしゃわしゃと頭を撫でていく。子ども扱いか。俺がそれで喜ぶと思ってるのか。まぁ、喜ぶけど。
「だから。怒ってないって言っただろ」
 だったら、もっとわかりやすく照れてくれていたら、済んだ話ではなかったのだろうか。
 最後の八つ当たりのように思ってみたものの、みただけだ。次はすぐにわかるようにしようと心に決めて、髪を梳く感触に意識を傾ける。
 子ども扱いだと思う部分もあるけれど、それ以上に、触れてもらえることも、構ってもらえることも、やはりうれしいのだ。指先が離れていく気配に、顔を上げて行く末を追う。真木が手にしたのは、ベッド下に落ちていたスマートフォンだった。
 ……そういや、凛音ちゃんからやたら連絡が来るって言ってたな。
 全日制の高校に通い出して、半年強。気を張っていた糸が切れてもおかしくない時期である。だから、べつにいいんだけど。俺も心配だし。
 そう言い聞かせてみたけれど、もう少し構ってほしくて、背を向けた身体を後ろから抱きしめた。失笑された気はしたものの、離せと言われないことは知っている。
 安心する匂いと体温に触れながら、好きだなと思う。随分と前に「コアラか」とまで言われた記憶があるが、どう言われてもやめるつもりはない。
「襟ぐり詰まってる服、苦手なんだよ。なんか気になる」
 しばらくして届いた台詞に、背中に顔を埋めたまま日和は応えた。
「わかんない。俺、タートルネックとか一番好きなのに」
「あったかいからって理由だけだろ、おまえの場合」
「いや、……まぁ、そうですけど」
 そんなに一発で正解を引き当てなくてもと思いながら、背筋を指先でなぞる。背中フェチのつもりもなかったのだが、この二年ほどで自信がなくなってしまった。責任は取ってほしい。
「真木さん、身体のライン綺麗だから。そういう服似合うけど。でも、俺のいないところだとなんか嫌だな。損した気分」
「おまえね」
「なんですか? だって、俺、好きだもん。俺と違って真木さん姿勢良いし、背中のラインとかもすごく綺麗」
 つ、と撫で上げたところで、びくりとその肩が震えた。距離を取るように上半身を起こされて、あれ、と目を瞬かせる。見下ろしてくる表情が、なぜか妙に憮然としているような。
「……わかった」
「え? なにが?」
「上からパーカーでもなんでも羽織る。それでいいんだろ」
「え? え? いいですけど。なんで急に?」
「おまえのその天然が嫌だ、俺は」
「天然ですか、俺。どっちかというと真木さんのほうじゃ」
「その天然のたらしが、だよ。馬鹿」
 それこそ真木さんのほうじゃ、という疑念しか覚えなかったわけだが、せっかく思い直してくれたのだ。そっと反論に蓋をする。
 ――でも、そう思ってる人は、いっぱいいると思うけどなぁ。
 自分のような意味合いでなくても、この人を好きになって、この人に救われる人は、いっぱいいる。そう知っているからこそ、選んでもらえたことを奇跡みたいだと思うことがある。
「好き」
「なんの流れでそうなったわけ」
「いいじゃないですか、事実なんだから」
「おまえの好きっていつも大安売りみたいだよな」
「悪いですか」
「悪くないよ。いつでも聞けて、すげぇお得感」
 絶対、褒めてないだろ、それ。文句を言うより前に、また真木のスマートフォンが振動した。あっというまに日和から視線を逸らした真木が、画面をタップする。
 その行動で、相手の見当は簡単についた。真木は決して返信の早いタイプではない。その人が、これだけ小まめに反応を返しているのだから、そういうことなのだ。
 見たら駄目だとわかっていても、気になる気持ちを抑えることができない。悩んだ末に、トーンを変えて日和は問いかけた。
「凛音ちゃん?」
「うん、そう」
「大丈夫?」
 ぼやかした問い方に、真木がそっと笑った。目が合う。
「大丈夫だよ。おまえみたいに、気にかけてくれる人間がいるから」
 いつでも戻ることができる場所があるから大丈夫。そう請け負っていたのは真木だ。「戻ることができる場所」があると思えば、強くなることも少しはできるのかもしれない。
 ありきたりな言葉だが、心のよりどころというやつだ。凛音にとってのそれは、つぼみであり、真木自身であるのだろうと思う。
「おまえみたいな先生がいるなら、学校も悪くないかもって殊勝なこと言ってたから。おまえみたいな教師もいる代わりに、クソみたいな教師もいるから無理すんなって言っておいた」
「ちょっと、真木さん」
「しかたないだろ、結局、ぜんぶ人の縁なんだよ。クラスの担任、クラスメート。部活の顧問に、部活仲間。先輩、後輩。当たり外れ、合う合わないがあって当然。そのなかで必要以上に無理する必要はないし。……でも、まぁ、信頼できる誰かがいれば、なんとかなることもあるかもしれないし」
「……そうですよね」
 それでもなんともならないことも、この世界にはたくさんあるのだろうけれど。
 わかっているからこそ、せめて自分の手が届く範囲は目配りを利かせておきたい。教師になった日和は、そう願っている。そういう仕事だと思うからだ。
 ――でも、まぁ、本当に縁なんだろうな。
 今、そんなふうに自分が思うことができていることも、つぼみでの出逢いがあったからこそだ。そうでなければ、きっと今の自分はいなかった。
「俺は、おまえがいてよかったよ」
 かけられた声も視線もやたらと優しくて、日和は照れ隠しに前髪を引っ張った。枕にもう一度顔を埋める。でも、どうせなら、好きと言ってくれてもいいのに。
「真木さんの『好き』は高いな」
 いつでも大安売りらしい俺の「好き」とは大違いだ。
「おまえだけの特別なんだと思えばいいだろ」
「そうかもしれませんけど」
 言葉にされ続けないと不安だとは、もう思わない。けれど、それとは別問題で、言われてうれしくないわけがないのだ。
「日和」
 笑いを含んだ声に呼ばれて、顔を上げる。思っていた以上に近かった距離に瞳を瞬かせると、顎に指がかかった。そうして、信じられないような甘い声。
「好きだよ、愛してる」
 ぽかんと口を開けたまま固まった日和を見下ろしていた真木が、堪え切れなかったように小さく噴き出した。するりと手が離れていく。
「雪がドラマごっこしたいってしつこいから」
「あんた、外でそんなことしてんのかよ!」
 なにがおまえだけの特別だ。ひどい、ずるい。勢い、がばりと起き上がって叫ぶ。というか、羨ましい。それが流行ったのが、俺がつぼみにいたころならよかったのに。
「するわけないだろ」
 高校生にはさすがにできないと続いた科白に、そういう問題じゃないと日和は言いたくなった。その代わりに、強請る。自分だけの特別らしい特権を最大限に活用して。
「……もう一回」
 指先に手を絡めて、じっと見つめる。呆れた瞳に負けじと熱視線を送り続けること数秒。絡めていた指先に、きゅっと力が加わった。
「だから、好きだって。そう言ってるだろ」
 返ってきたのは、根負けしましたと言わんばかりの台詞で。それなのに。
「やっぱり、ずるい」
 俺はこの人に一生敵わないのかもしれない。なんてことを思いながら、日和はシーツに突っ伏した。格好つけた台詞よりも、照れ隠しのぶっきらぼうな告白のほうが、ずっと心に染みて、たまらない愛おしさがあふれてくるのだから。
「俺からしたら、おまえも十分ずるいよ」
 という台詞の真意は、よくわからなかったけれど。その声もひどく優しかったので、悪い意味ではないのだろう。もう一度、抱きしめたくて、繋いだままの手を強く握った。