綺麗だから好きなわけでも、好きだから綺麗に見えるわけでもないと思うのだけれど、でも、やはり綺麗だと日和は思う。
首筋のラインや、細身だけれど、綺麗に筋肉のついた身体も、ぜんぶ。淡い暗闇の中で見つめるだけでも楽しくて、ずっと眺めたいくらいだったのに、真木の指が伸びてくる。
黙ったまま見下ろされていることが落ち着かなかったのだろう。わかっていたのに、日和はやめなかった。促すように頬を撫でた指を掴んで、シーツに押し戻す。
触れてくれることも、積極的に進めようとしてくれることも、本当ならうれしい。でも、性急にことを進めたいわけではないのだ。特に、今日は。
「ねぇ、真木さん」
いつもと違う展開のせいか、見上げてくる瞳は少し不思議そうだ。派手ではないだけで、それなり以上に整った顔をしていると思う。普通にモテてきたんだろうなぁ、とも。
「俺も触りたい」
「……なんで?」
「なんでって、好きだから。だから、触りたいに決まってるじゃないですか」
この半年、何度も似たようなことを訴えた自覚はあるのだが、本当に理解できないのだろうか。真木が言うならと今までは引いていたけれど、今日はそのつもりはない。
じっと見つめていると、困ったふうに真木が視線を逸らした。指先に逃げる気配はなかったが、その視線は完全に日和ではなく壁を向いている。
「おまえ、さぁ」
響いたのは、溜息まじりの声だった。
「さっきも思ったんだけど」
「はい」
「言ってて恥ずかしくないわけ、そういう台詞」
「え?」
「俺は普通に恥ずかしい。おまえのその顔で言われると。なんか」
予想外の返しに日和はしばし黙り込んだ。脳がじわじわと認識するにつれ、なんだかこちらも恥ずかしくなってくる。けれど、とりあえず。
「え、っと……。真木さんって、俺の顔、好きだったんですか」
「幻滅したかったらしていいけど、普通に好きだよ。はじめて見たときも、かっこいい子だなとは思ったし。だからって、手を出す気はなかったんだけど。――って、なんの説得力もねぇな、これ」
晒された耳がかすかに赤くて、覚えたたまらなさに掴んでいた指先に力が籠もる。
「真木さん」
「なんだよ、だから」
「俺、生まれてはじめてこの顔でよかったって思ったかもしれない」
「……おまえって、本当」
「え、なんですか」
「いや、単純だよなって思って。思い込みも激しいし。もう、本当になんで、こう」
諦めたように溜息を吐いたくせに、こちらに視線を戻した真木の表情は、どこまでも愛おしそうだった。
「かわいいんだろうな、おまえ」
この人の言う「かわいい」は、それこそ、どうして、こんなにも慈愛が籠もっているように響くのだろう。存在すべてを受け入れてもらえているみたいに、日和には思える。だから、見た目だけで選ばれているわけではないと信じることができるのだ。
「それで。え、と。……いいんですか」
「だから」
察しの悪さを咎めるように、真木が呟く。
「わざわざ聞くなよ、そんなこと」
しかたないから、ではなく、好きだから許されている。その確信を持って触れることができることが、こんなにも幸福だとは知らなかった。
触れるだけのキスのつもりが止まらなくて、角度を変えながら、何度も深く唇を合わせる。応えてもらえることがうれしくて、その舌先に吸いついた。キスなんていらない。必要のないことは、しなくていい。突きつけられていた緩やかな拒絶は、もう、ずっと向こうだ。
首筋に、鎖骨に、胸に。身体中すべてに口づけたい心地で、キスを落とす。くすぐったそうに身じろがれたものの、制止はかからなかった。
色の白い肌は、少し強く吸うと簡単に華が散る。それが気に入って、日和は鎖骨に唇を押し当てた。一度、二度。繰り返すと、真木が緩く頭を振った。
「っ……痕、つけるなよ」
顔を上げて瞳に不満を込めれば、宥めるように声が和らぐ。
「見えないとこならいいけど。あきの相手してると、はだけるときあるから」
大きくはだけるような服を着なければいいだろ、と思ったものの、言葉にはしなかった。
なんか、この人、隙がないように見えて、わりと隙だらけなんだよな。思い当たるできごとがいくつも浮かぶと、なんとも言えない気分になる。
おまけに、そうでなければ、新年会のあとに家に入れてもらえていなかったかもしれないわけで。
「……」
一概に非難しづらいところはある。あるのだが、やはり自分以外にしてほしくない。悶々を呑み込んで、どうにかそれらしいことを口にする。
「こういうときまで、仕事の話持ち出さなくてもよくないですか」
「事実だろ」
「そういう真木さんも、まぁ、好きですけど」
それも事実ではあるけれど。最低限の気は払って、同じ場所にもう一度口づける。再び咎めてくる視線は無視して、日和は囁いた。
「真木さんはいつも余裕で、俺ばっかり必死みたいだ」
眉間に刻まれた皺に、子どもじみすぎたかと不安になった直後。掴んでいた指先がするりと逃げる。
「真木さ……、うわ」
乱雑に頭を掻き回されて、日和は小さく声を上げた。間近で合った瞳はどこかもの言いたげで、反射でどきりとする。
――俺、怒られるようなこと、言ったかな。
それとも、あれかな。調子に乗りすぎたかな。いや、でも、このくらい、許されてもよくないか。そんなことをぐるぐると考えていると、真木が溜息を吐いた。
「あのな」
憮然とした声が、言い聞かせる調子で続く。
「勘違いさせるようなことした自覚はあるから、一応、言うけど」
「はい?」
「今まで誰ともしてないとは言わないけど、こっち側の経験はそこまでないの」
「え? はい」
「だから、おまえにマウント取られると、ちょっと困ったんだよ。どうしていいかわからないというか。自分が主導権握ってるほうが、ずっと楽」
でも、おまえがしたいって言うから、という言い訳のような台詞に、日和は小さく唸った。
困っていたという表現を真木は選んでいたけれど、もしかすると、照れていた、だとか、緊張していた、だとか、そういうほうが正しいのではないだろうか。
「言ってくださいよ、そういうことは。もっと最初に」
「言えるわけないだろ」
間髪入れず飛んできた否定に、溜息を呑み込む。それは、俺が年下だからか。それとも、俺が男との経験はないと明言したからか。
……両方なんだろうな、たぶん。
なんとなくではあるのだが、想像がついてしまった。たぶん、羽山が言っていたとおりで、本当に面倒なタイプの人間なのだ。
ぜんぶ自分で抱え込んで、解決してしまえばいいと思っている。
「あんたって、本当……」
不貞腐れたようにも見える顔に向かって、日和はそう声を落とした。この人に呆れた声を出す日が来るなんて、一年前は思ってもいなかった。
「面倒な人ですね」
「言っただろうが、だから」
「なんかすごく損した気分で、でも、得した気分です」
へにゃりとほほえんで、決まり悪げな唇をキスで塞ぐ。軽く歯を立てられても、八つ当たりみたいでかわいいとしか思えなかった。知らなかった面は、これから知っていけばいい。その時間が許されていることは、幸せなことだ。
絶え間なくキスと愛撫を繰り返して、全身を知っていく。焦れた瞳に何度か咎められたものの、「半年我慢したんだと思えば、よくないですか」とほほえめば、それ以上を責められはしなかった。本当にどうしようもなく甘くて、すごくかわいい。たまらなくて、汗ばんだ額に日和はもう一度口づけた。
言語中枢が崩壊したみたいに「かわいい」という言葉しか出てこない。自分と同じ男なのに。そう思うことも事実だ。でも、そういう問題ではないともう十分に思い知っている。
この人だからだ。好きな人だからだ。
「っ、ん……」
なかを探る指をさらに一本増やしたあたりで、殺し切れない息遣いが耳を打ち始めた。
もう準備しているからいい、とか、そこまでやらなくていい、とか。そんな台詞で逃げられてばかりだったから、自分の指で時間をかけてほぐすこともはじめてで、なんだかそれがすごくうれしかった。面倒だなんて、微塵も思わない。
「ふ……、っ……ぁ、っ」
こぼれそうになった声を隠すように、真木が口元に手の甲をあてがう。快感を堪える少し苦しそうな表情も色っぽいけれど、堪えずに委ねる姿も見てみたかった。
「ねぇ、真木さん」
そっと呼びかけると、伏せられていた視線が上がる。熱に潤んだ瞳に自分だけが映っているという事実に、快感に似た征服欲がひた走っていく。大事にしたい。とびきり優しくしたい。誰にも見せたことがない顔を見せてほしい。すべてを自分のものにしてしまいたい。
相反する欲望を混ぜて溶かしたような声で、強請るように囁く。
「声、聞かせて」
「ひよ……っ、り……」
内側をなぞる指がいいところを掠めたのか、日和の下でびくりと身体が跳ねる。
押し当てた手で声を殺そうとするしぐさは健気だったが、弱いところを責めることはやめなかった。浅い呼吸に、熱っぽい吐息が混ざる。もう一度、日和は囁いた。
「ねぇ、声」
ぎゅっと眉を寄せて、否定か肯定かわからない曖昧さで真木が頭を振る。輪郭を辿った指先を髪に差し入れて、その目じりに口づけた。
「俺の好きにして、いいんでしょ」
こぼれた吐息に潜む甘やかさに、本当にぜんぶ自分の好きにしてしまいたい衝動が疼いて、日和は自分を笑った。自分にそんな欲望があるなんて、まったくなにも知らなかった。
それでもどうにか堪えて、口元を覆っていた手を掴む。甲に触れるだけのキスを落として、そのまま背中に回すように誘導する。縋るならこちらにしてほしかったのだ。
ぱしぱしと瞬く瞳にほほえめば、躊躇いがちにもう片方の手が回される。逡巡するような力加減で爪を立てるところが、やはりたまらなくかわいい。
――やばいな、これ。
なんだかもう、どうしようもなく癖になりそうだ。
「ふ……っ……」
熱い呼吸に、否応なしに自分の熱も煽られていく。その熱をやりすごして、目の前の身体に意識を向けた。大事にしたいし、丁寧にしたい。もうずっと、日和はそう思っている。
時間をかけてほぐした場所は、あっさりと三本目も呑み込んだ。それでも圧迫感はあるのか、小さく肩が震えて、日和の身体に回された腕に力が籠もる。押し殺した喘ぎが骨に響いて、それにまたひどく興奮した。
「っ……も、いい」
「駄目ですって」
肩に額を擦りつけたまま、絶え絶えに真木がそう訴える。首筋にかかる吐息に、ぐっと下腹部が重くなる感じがした。それでもどうにか理性を保って、あやすように背を撫でる。ん、と漏れる声がやたらとエロくて、日和は内心で深々と息を吐いた。
真木もいいかげんに焦れているかもしれないが、こちらだってきついはきつい。でも、無理はしたくないのだ。
――だって、なんか、いっつも、きつそうだったし。
そういうものかと思っていたが、慣れているわけではなかったと聞けば、話はべつだろう。
もっと丁寧にするべきだった。流されるがままだった自分にも問題は多々あっただろうが、頼むからそういうことは早く言ってほしい。本当にそう思う。
まぁ、今日からは、なにをどう言われても、絶対にしつこくやるけど。その決意で内側を押し広げていく。そのたびにこぼれる吐息がくすぐったい。
密着度が高い体勢はうれしいけれど、表情が見えないから、それが少し残念だ。そう思ったところで、まぁ、でも、と思い直す。次なんて、いくらでも、あるんだし。
身体を繋げても満たされることのなかった半年分の飢餓が、一気に押し寄せたみたいだ。その思考にまた苦笑しそうになったところで、ふと日和は気がついた。
必死に声を殺すように、真木は今も自分の背中に指を食い込ませている。それはうれしい。でも――。
「声、噛んでたのって。聞いたら、俺が萎えるとか思ってた?」
もしかして、と思った問いかけに、大袈裟なほど肩が跳ねた。
「そんなわけないのに」
「ノンケの男相手に……っ、最初から、んなハードル上げられる、か」
「それって、俺に嫌われたくなかった?」
顔を上げもしないまま、消え入りそうな声で真木が言う。告げられた台詞に、思わず口角が緩んだ。あぁ、もう、なんで、こうかわいいんだろう。馬鹿みたいに面倒くさいけど、かわいくてしかたがない。俺より年上の、ずっとしっかりとした男の人なのに。
「もうちょっと、俺のこと信じたほうがいいですよ。俺、どれだけあんたにつれなくされても、嫌いになんてなれなかったんだから」
何度いらないと言われたかしれない。何度すげなくされたか、しらない。それでも、ずっと好きなままだった。自分の中にこんな苛烈さがあることも、一途さが潜んでいたことも、日和はなにも知らなかった。
面倒くさがりでやる気がなくて、諦めが早い。本気になるという感覚がよくわからない。そんな調子のまま二十二年生きてきた。これからもそうだろうと思っていたのに、そうでなくなってしまった。
今ここにいる自分が、この人に出逢って、変わったすべてだ。それで、だから、同じくらい真木も自分に影響されてくれたらいいのに、と思う。
望みすぎかもしれないけれど、でも、望んでいたかった。
「っ、おま、え、ほんと、に……しつこい……っ」
恨みがましくすらある台詞と同時に、ぎゅっと背中に爪が突き立てられる。睨んでくる赤く染まった目じりが愛しくて、ごく自然と日和はそこに口づけた。そうしてから、そんなのと、耳元で囁く。
「真木さんが一番知ってるでしょ」
そうでなかったら、きっとこんなふうに抱き合えていなかった。とろけるようにほほえめば、背中にあった腕が首に回る。そのまま引き寄せられて、汗ばんだ頬と頬が触れた。お返しのように耳朶を噛まれて、吐息まじりの熱い声が注がれる。
「も、いい、から」
欲を隠さない声で「ほしい」と強請られた瞬間。どうしようもなく身体が熱くなった。
今までずっとなにもいらないと言わんばかりだった人が、手放せなくなると言いながら、俺を選んだ。選んでくれた。
「真木さん」
たまらなさで声が震える。好きで、好きで。それだけで走り続けてきた感情の置きどころを、ようやく見つけた気分だった。
密着していた身体を、肩を掴んでシーツに押し返す。見下ろした自分がどんな顔をしていたのかは、知らない。ただ、真木が珍しく焦ったような、驚いたような表情をしていたから、もしかすると、かなり切羽詰まった顔をしていたのかもしれない。でも、しかたがないだろう。
「ちょ、おま……な、に……っ」
「っ、真木さん」
あんたが煽ったんだろ、と言い返す余裕もなかった。乱雑にゴムのパッケージを破って装着する。脚を掴んで広げようとしたところで、許可を得るように日和は目線を上げた。
真木さん、と呼びかける声にはひとかけらの余裕もなくて、笑ってしまいそうになるほどだ。それでもじっと見つめていると、ふっと真木が目を細めた。
「わかったから」
伸びてきた指がこめかみに差し込まれて、汗に濡れた髪を掻き上げていく。そのしぐさも、自分を見つめる瞳も、どちらもあまりに愛おしそうで、胸が熱くて苦しかった。本当に、好きだ。この人が、好きだ。
あふれそうな感情のままキスを降らせて、ゆっくりと先端をあてがう。丁寧に慣らしたつもりだったけれど、それでも合間合間にこぼれる声は苦しそうだ。
前に触れてわかりやすい快感を与えると、声の質が変わる。そうやって腰を進めながら、啄むようなキスを繰り返した。
「ぁ……っ……」
苦しそうな息遣いに、動きを止める。宥めるようにこめかみに落としたキスは、かすかな塩の味がした。荒い呼吸を整えた真木が、大丈夫だと告げるように額を擦りつけてくる。正直、たまらなかった。深く抉りたい衝動を触れるだけのキスに変えて、慎重に律動を開始する。
「っ、好きに……してっ、いい……」
熱っぽい吐息の狭間にそんなことを言われて、熱が溜まる。あぁ、もう、なんで、この人は。
「だったら」
煽られすぎて、こちらだって限界なのだ。それでもという理性で、どうにか舵取りをしているというだけで。隠し切れない情欲に染まった声で返す。
「大事にさせてください」
ずっと、そう思っていた。同時に、この人には伝わらないのかもしれないと何度も思って、だから。せめて伝わらなくても、俺ひとりの勝手でも、大事にしようと決めていた。
「好きだから、俺がそうしたいんです」
いつか、それがあたりまえだと知ってもらえたらいい。指を伸ばして頬に触れる。じっとこちらを見つめていた瞳に幸福そうな感情が浮かんだ気がして、日和は繰り返した。
「好きなんです、真木さんのことが。もう、ずっと」
どれだけなにを言われても、絶対に。変わることのなかった、たったひとつ。背中に回された指先が応える強さで食い込むと、なんだか少し泣きそうだった。頭の片隅に残る理性にしがみついて、ゆっくりと腰を揺らす。内股が震えて、快感を伝えていた。
「ん……っ、あ、ぁ……」
その声に、肌に、熱に。この人を抱いているという事実に、頭がいっぱいになる。いきそうと告げた瞬間、ぎゅっと頭ごと抱きしめられて、その匂いで胸が詰まった。
名前を呼ぼうとした刹那、好きだったのだと吐息のような告白が落ちてきて、泣き笑いのような声で、はい、と頷く。
何度も抱き合ったことはある。けれど、そのいずれの比でなく、繋がっていると思った。
首筋のラインや、細身だけれど、綺麗に筋肉のついた身体も、ぜんぶ。淡い暗闇の中で見つめるだけでも楽しくて、ずっと眺めたいくらいだったのに、真木の指が伸びてくる。
黙ったまま見下ろされていることが落ち着かなかったのだろう。わかっていたのに、日和はやめなかった。促すように頬を撫でた指を掴んで、シーツに押し戻す。
触れてくれることも、積極的に進めようとしてくれることも、本当ならうれしい。でも、性急にことを進めたいわけではないのだ。特に、今日は。
「ねぇ、真木さん」
いつもと違う展開のせいか、見上げてくる瞳は少し不思議そうだ。派手ではないだけで、それなり以上に整った顔をしていると思う。普通にモテてきたんだろうなぁ、とも。
「俺も触りたい」
「……なんで?」
「なんでって、好きだから。だから、触りたいに決まってるじゃないですか」
この半年、何度も似たようなことを訴えた自覚はあるのだが、本当に理解できないのだろうか。真木が言うならと今までは引いていたけれど、今日はそのつもりはない。
じっと見つめていると、困ったふうに真木が視線を逸らした。指先に逃げる気配はなかったが、その視線は完全に日和ではなく壁を向いている。
「おまえ、さぁ」
響いたのは、溜息まじりの声だった。
「さっきも思ったんだけど」
「はい」
「言ってて恥ずかしくないわけ、そういう台詞」
「え?」
「俺は普通に恥ずかしい。おまえのその顔で言われると。なんか」
予想外の返しに日和はしばし黙り込んだ。脳がじわじわと認識するにつれ、なんだかこちらも恥ずかしくなってくる。けれど、とりあえず。
「え、っと……。真木さんって、俺の顔、好きだったんですか」
「幻滅したかったらしていいけど、普通に好きだよ。はじめて見たときも、かっこいい子だなとは思ったし。だからって、手を出す気はなかったんだけど。――って、なんの説得力もねぇな、これ」
晒された耳がかすかに赤くて、覚えたたまらなさに掴んでいた指先に力が籠もる。
「真木さん」
「なんだよ、だから」
「俺、生まれてはじめてこの顔でよかったって思ったかもしれない」
「……おまえって、本当」
「え、なんですか」
「いや、単純だよなって思って。思い込みも激しいし。もう、本当になんで、こう」
諦めたように溜息を吐いたくせに、こちらに視線を戻した真木の表情は、どこまでも愛おしそうだった。
「かわいいんだろうな、おまえ」
この人の言う「かわいい」は、それこそ、どうして、こんなにも慈愛が籠もっているように響くのだろう。存在すべてを受け入れてもらえているみたいに、日和には思える。だから、見た目だけで選ばれているわけではないと信じることができるのだ。
「それで。え、と。……いいんですか」
「だから」
察しの悪さを咎めるように、真木が呟く。
「わざわざ聞くなよ、そんなこと」
しかたないから、ではなく、好きだから許されている。その確信を持って触れることができることが、こんなにも幸福だとは知らなかった。
触れるだけのキスのつもりが止まらなくて、角度を変えながら、何度も深く唇を合わせる。応えてもらえることがうれしくて、その舌先に吸いついた。キスなんていらない。必要のないことは、しなくていい。突きつけられていた緩やかな拒絶は、もう、ずっと向こうだ。
首筋に、鎖骨に、胸に。身体中すべてに口づけたい心地で、キスを落とす。くすぐったそうに身じろがれたものの、制止はかからなかった。
色の白い肌は、少し強く吸うと簡単に華が散る。それが気に入って、日和は鎖骨に唇を押し当てた。一度、二度。繰り返すと、真木が緩く頭を振った。
「っ……痕、つけるなよ」
顔を上げて瞳に不満を込めれば、宥めるように声が和らぐ。
「見えないとこならいいけど。あきの相手してると、はだけるときあるから」
大きくはだけるような服を着なければいいだろ、と思ったものの、言葉にはしなかった。
なんか、この人、隙がないように見えて、わりと隙だらけなんだよな。思い当たるできごとがいくつも浮かぶと、なんとも言えない気分になる。
おまけに、そうでなければ、新年会のあとに家に入れてもらえていなかったかもしれないわけで。
「……」
一概に非難しづらいところはある。あるのだが、やはり自分以外にしてほしくない。悶々を呑み込んで、どうにかそれらしいことを口にする。
「こういうときまで、仕事の話持ち出さなくてもよくないですか」
「事実だろ」
「そういう真木さんも、まぁ、好きですけど」
それも事実ではあるけれど。最低限の気は払って、同じ場所にもう一度口づける。再び咎めてくる視線は無視して、日和は囁いた。
「真木さんはいつも余裕で、俺ばっかり必死みたいだ」
眉間に刻まれた皺に、子どもじみすぎたかと不安になった直後。掴んでいた指先がするりと逃げる。
「真木さ……、うわ」
乱雑に頭を掻き回されて、日和は小さく声を上げた。間近で合った瞳はどこかもの言いたげで、反射でどきりとする。
――俺、怒られるようなこと、言ったかな。
それとも、あれかな。調子に乗りすぎたかな。いや、でも、このくらい、許されてもよくないか。そんなことをぐるぐると考えていると、真木が溜息を吐いた。
「あのな」
憮然とした声が、言い聞かせる調子で続く。
「勘違いさせるようなことした自覚はあるから、一応、言うけど」
「はい?」
「今まで誰ともしてないとは言わないけど、こっち側の経験はそこまでないの」
「え? はい」
「だから、おまえにマウント取られると、ちょっと困ったんだよ。どうしていいかわからないというか。自分が主導権握ってるほうが、ずっと楽」
でも、おまえがしたいって言うから、という言い訳のような台詞に、日和は小さく唸った。
困っていたという表現を真木は選んでいたけれど、もしかすると、照れていた、だとか、緊張していた、だとか、そういうほうが正しいのではないだろうか。
「言ってくださいよ、そういうことは。もっと最初に」
「言えるわけないだろ」
間髪入れず飛んできた否定に、溜息を呑み込む。それは、俺が年下だからか。それとも、俺が男との経験はないと明言したからか。
……両方なんだろうな、たぶん。
なんとなくではあるのだが、想像がついてしまった。たぶん、羽山が言っていたとおりで、本当に面倒なタイプの人間なのだ。
ぜんぶ自分で抱え込んで、解決してしまえばいいと思っている。
「あんたって、本当……」
不貞腐れたようにも見える顔に向かって、日和はそう声を落とした。この人に呆れた声を出す日が来るなんて、一年前は思ってもいなかった。
「面倒な人ですね」
「言っただろうが、だから」
「なんかすごく損した気分で、でも、得した気分です」
へにゃりとほほえんで、決まり悪げな唇をキスで塞ぐ。軽く歯を立てられても、八つ当たりみたいでかわいいとしか思えなかった。知らなかった面は、これから知っていけばいい。その時間が許されていることは、幸せなことだ。
絶え間なくキスと愛撫を繰り返して、全身を知っていく。焦れた瞳に何度か咎められたものの、「半年我慢したんだと思えば、よくないですか」とほほえめば、それ以上を責められはしなかった。本当にどうしようもなく甘くて、すごくかわいい。たまらなくて、汗ばんだ額に日和はもう一度口づけた。
言語中枢が崩壊したみたいに「かわいい」という言葉しか出てこない。自分と同じ男なのに。そう思うことも事実だ。でも、そういう問題ではないともう十分に思い知っている。
この人だからだ。好きな人だからだ。
「っ、ん……」
なかを探る指をさらに一本増やしたあたりで、殺し切れない息遣いが耳を打ち始めた。
もう準備しているからいい、とか、そこまでやらなくていい、とか。そんな台詞で逃げられてばかりだったから、自分の指で時間をかけてほぐすこともはじめてで、なんだかそれがすごくうれしかった。面倒だなんて、微塵も思わない。
「ふ……、っ……ぁ、っ」
こぼれそうになった声を隠すように、真木が口元に手の甲をあてがう。快感を堪える少し苦しそうな表情も色っぽいけれど、堪えずに委ねる姿も見てみたかった。
「ねぇ、真木さん」
そっと呼びかけると、伏せられていた視線が上がる。熱に潤んだ瞳に自分だけが映っているという事実に、快感に似た征服欲がひた走っていく。大事にしたい。とびきり優しくしたい。誰にも見せたことがない顔を見せてほしい。すべてを自分のものにしてしまいたい。
相反する欲望を混ぜて溶かしたような声で、強請るように囁く。
「声、聞かせて」
「ひよ……っ、り……」
内側をなぞる指がいいところを掠めたのか、日和の下でびくりと身体が跳ねる。
押し当てた手で声を殺そうとするしぐさは健気だったが、弱いところを責めることはやめなかった。浅い呼吸に、熱っぽい吐息が混ざる。もう一度、日和は囁いた。
「ねぇ、声」
ぎゅっと眉を寄せて、否定か肯定かわからない曖昧さで真木が頭を振る。輪郭を辿った指先を髪に差し入れて、その目じりに口づけた。
「俺の好きにして、いいんでしょ」
こぼれた吐息に潜む甘やかさに、本当にぜんぶ自分の好きにしてしまいたい衝動が疼いて、日和は自分を笑った。自分にそんな欲望があるなんて、まったくなにも知らなかった。
それでもどうにか堪えて、口元を覆っていた手を掴む。甲に触れるだけのキスを落として、そのまま背中に回すように誘導する。縋るならこちらにしてほしかったのだ。
ぱしぱしと瞬く瞳にほほえめば、躊躇いがちにもう片方の手が回される。逡巡するような力加減で爪を立てるところが、やはりたまらなくかわいい。
――やばいな、これ。
なんだかもう、どうしようもなく癖になりそうだ。
「ふ……っ……」
熱い呼吸に、否応なしに自分の熱も煽られていく。その熱をやりすごして、目の前の身体に意識を向けた。大事にしたいし、丁寧にしたい。もうずっと、日和はそう思っている。
時間をかけてほぐした場所は、あっさりと三本目も呑み込んだ。それでも圧迫感はあるのか、小さく肩が震えて、日和の身体に回された腕に力が籠もる。押し殺した喘ぎが骨に響いて、それにまたひどく興奮した。
「っ……も、いい」
「駄目ですって」
肩に額を擦りつけたまま、絶え絶えに真木がそう訴える。首筋にかかる吐息に、ぐっと下腹部が重くなる感じがした。それでもどうにか理性を保って、あやすように背を撫でる。ん、と漏れる声がやたらとエロくて、日和は内心で深々と息を吐いた。
真木もいいかげんに焦れているかもしれないが、こちらだってきついはきつい。でも、無理はしたくないのだ。
――だって、なんか、いっつも、きつそうだったし。
そういうものかと思っていたが、慣れているわけではなかったと聞けば、話はべつだろう。
もっと丁寧にするべきだった。流されるがままだった自分にも問題は多々あっただろうが、頼むからそういうことは早く言ってほしい。本当にそう思う。
まぁ、今日からは、なにをどう言われても、絶対にしつこくやるけど。その決意で内側を押し広げていく。そのたびにこぼれる吐息がくすぐったい。
密着度が高い体勢はうれしいけれど、表情が見えないから、それが少し残念だ。そう思ったところで、まぁ、でも、と思い直す。次なんて、いくらでも、あるんだし。
身体を繋げても満たされることのなかった半年分の飢餓が、一気に押し寄せたみたいだ。その思考にまた苦笑しそうになったところで、ふと日和は気がついた。
必死に声を殺すように、真木は今も自分の背中に指を食い込ませている。それはうれしい。でも――。
「声、噛んでたのって。聞いたら、俺が萎えるとか思ってた?」
もしかして、と思った問いかけに、大袈裟なほど肩が跳ねた。
「そんなわけないのに」
「ノンケの男相手に……っ、最初から、んなハードル上げられる、か」
「それって、俺に嫌われたくなかった?」
顔を上げもしないまま、消え入りそうな声で真木が言う。告げられた台詞に、思わず口角が緩んだ。あぁ、もう、なんで、こうかわいいんだろう。馬鹿みたいに面倒くさいけど、かわいくてしかたがない。俺より年上の、ずっとしっかりとした男の人なのに。
「もうちょっと、俺のこと信じたほうがいいですよ。俺、どれだけあんたにつれなくされても、嫌いになんてなれなかったんだから」
何度いらないと言われたかしれない。何度すげなくされたか、しらない。それでも、ずっと好きなままだった。自分の中にこんな苛烈さがあることも、一途さが潜んでいたことも、日和はなにも知らなかった。
面倒くさがりでやる気がなくて、諦めが早い。本気になるという感覚がよくわからない。そんな調子のまま二十二年生きてきた。これからもそうだろうと思っていたのに、そうでなくなってしまった。
今ここにいる自分が、この人に出逢って、変わったすべてだ。それで、だから、同じくらい真木も自分に影響されてくれたらいいのに、と思う。
望みすぎかもしれないけれど、でも、望んでいたかった。
「っ、おま、え、ほんと、に……しつこい……っ」
恨みがましくすらある台詞と同時に、ぎゅっと背中に爪が突き立てられる。睨んでくる赤く染まった目じりが愛しくて、ごく自然と日和はそこに口づけた。そうしてから、そんなのと、耳元で囁く。
「真木さんが一番知ってるでしょ」
そうでなかったら、きっとこんなふうに抱き合えていなかった。とろけるようにほほえめば、背中にあった腕が首に回る。そのまま引き寄せられて、汗ばんだ頬と頬が触れた。お返しのように耳朶を噛まれて、吐息まじりの熱い声が注がれる。
「も、いい、から」
欲を隠さない声で「ほしい」と強請られた瞬間。どうしようもなく身体が熱くなった。
今までずっとなにもいらないと言わんばかりだった人が、手放せなくなると言いながら、俺を選んだ。選んでくれた。
「真木さん」
たまらなさで声が震える。好きで、好きで。それだけで走り続けてきた感情の置きどころを、ようやく見つけた気分だった。
密着していた身体を、肩を掴んでシーツに押し返す。見下ろした自分がどんな顔をしていたのかは、知らない。ただ、真木が珍しく焦ったような、驚いたような表情をしていたから、もしかすると、かなり切羽詰まった顔をしていたのかもしれない。でも、しかたがないだろう。
「ちょ、おま……な、に……っ」
「っ、真木さん」
あんたが煽ったんだろ、と言い返す余裕もなかった。乱雑にゴムのパッケージを破って装着する。脚を掴んで広げようとしたところで、許可を得るように日和は目線を上げた。
真木さん、と呼びかける声にはひとかけらの余裕もなくて、笑ってしまいそうになるほどだ。それでもじっと見つめていると、ふっと真木が目を細めた。
「わかったから」
伸びてきた指がこめかみに差し込まれて、汗に濡れた髪を掻き上げていく。そのしぐさも、自分を見つめる瞳も、どちらもあまりに愛おしそうで、胸が熱くて苦しかった。本当に、好きだ。この人が、好きだ。
あふれそうな感情のままキスを降らせて、ゆっくりと先端をあてがう。丁寧に慣らしたつもりだったけれど、それでも合間合間にこぼれる声は苦しそうだ。
前に触れてわかりやすい快感を与えると、声の質が変わる。そうやって腰を進めながら、啄むようなキスを繰り返した。
「ぁ……っ……」
苦しそうな息遣いに、動きを止める。宥めるようにこめかみに落としたキスは、かすかな塩の味がした。荒い呼吸を整えた真木が、大丈夫だと告げるように額を擦りつけてくる。正直、たまらなかった。深く抉りたい衝動を触れるだけのキスに変えて、慎重に律動を開始する。
「っ、好きに……してっ、いい……」
熱っぽい吐息の狭間にそんなことを言われて、熱が溜まる。あぁ、もう、なんで、この人は。
「だったら」
煽られすぎて、こちらだって限界なのだ。それでもという理性で、どうにか舵取りをしているというだけで。隠し切れない情欲に染まった声で返す。
「大事にさせてください」
ずっと、そう思っていた。同時に、この人には伝わらないのかもしれないと何度も思って、だから。せめて伝わらなくても、俺ひとりの勝手でも、大事にしようと決めていた。
「好きだから、俺がそうしたいんです」
いつか、それがあたりまえだと知ってもらえたらいい。指を伸ばして頬に触れる。じっとこちらを見つめていた瞳に幸福そうな感情が浮かんだ気がして、日和は繰り返した。
「好きなんです、真木さんのことが。もう、ずっと」
どれだけなにを言われても、絶対に。変わることのなかった、たったひとつ。背中に回された指先が応える強さで食い込むと、なんだか少し泣きそうだった。頭の片隅に残る理性にしがみついて、ゆっくりと腰を揺らす。内股が震えて、快感を伝えていた。
「ん……っ、あ、ぁ……」
その声に、肌に、熱に。この人を抱いているという事実に、頭がいっぱいになる。いきそうと告げた瞬間、ぎゅっと頭ごと抱きしめられて、その匂いで胸が詰まった。
名前を呼ぼうとした刹那、好きだったのだと吐息のような告白が落ちてきて、泣き笑いのような声で、はい、と頷く。
何度も抱き合ったことはある。けれど、そのいずれの比でなく、繋がっていると思った。



