暦の上では春でも、体感としては冬そのものの気温である。半月後には桜が咲いて新年度になるなんて、ちょっと信じられないくらいだ。
そんなとりとめもないことを考えながら、日和は市の体育館の前で空を仰いだ。澄んだ青空が目に眩しい。子どもたちからの要望により、二年連続で開催されることとなったバスケットボール大会は、土曜日の一時開催だ。いつもの曜日ではないので、現地に直接やってきたのだが、少しばかり早く着きすぎてしまった。
――あと、十五分か。
時間の確認を終えたスマートフォンを、そそくさとコートのポケットにしまい込む。指先が寒い。はぁ、と吐き出された息も白かった。
大学の体育で使用したきりのジャージと室内履きも持参しているけれど、使い物になる自信ははっきり言ってまったくない。自分の運動神経が人並み以下の自覚はあるのだ。
悲しいかな、長身に生まれてしまったがために、必要以上に高度な運動神経を期待され、そうして落胆されるところまでが様式美の人生を歩んでいる。
――まぁ、真木さんは、俺にそんな活動的な役割は求めてないんだろうけど。
「おはよう、ぴよちゃん」
「あ、おはよう」
届いた元気な声に日和は頬を緩めた。つぼみから自転車でここに向かった第一陣だろう。恵麻に雪人。学人に紺。それから愛実。駐輪場から一番に戻ってきた雪人と恵麻の明るい表情に、そうだったと日和は声をかけた。火曜日に会ったときの陰りはもう見当たらない。
「雪ちゃんも恵麻ちゃんも、合格おめでとう」
「ありがと、ぴよちゃん。でも、なんで知ってるの?」
きょとんと見上げられるに至って、日和はおのれの失言を悟った。どうにかほほえんで、らしい理由を取り繕う。
「あ……、と。いや、さっき。真木さんに聞いて」
「さっき?」
「ここの体育館の場所が不安になっちゃって。道順を確認したときに、その、気になって」
半分は嘘ではない。このバスケットボール大会は、中学三年生の受験結果が出揃ってからの日程で組まれていた。彼女たちの結果が出たのは金曜日のこと。火曜日に落ち着かない顔をしていたから気になって、昨夜、家に行ったときに真木に聞いてしまったのだ。
――やばい。こうやって、知らないうちにボロが出るんだろうな。
わざわざ「信用はしてるけど」と強調した真木の言が思い出されて肝が冷える。喋りながら近づいてきた三人をちらりと見て、「あーぁ」と恵麻が肩を竦めた。
「これで学人の後輩かぁ。なんか嫌だな」
「なんだと?」
あっというまに言葉尻に乗った学人が加わって、雪人と三人ではしゃぎ始める。その傍でやりとりを見守っていた紺に、日和はそっと声をかけた。
「真木さんに聞いたんだけど。紺くんもおめでとう」
「うん」
照れくさそうにうつむいていた瞳が、恵麻たちのほうに向く。
「受かるかどうか不安だったけど。よかった」
「うん、よかったね」
つぼみに残る恵麻たちと違い、四月から紺は全日制の高校に通うことになる。寂しさも不安もあるだろうが、ひとまず日和からは「よかった」でいいだろう。そう判断して、にこりと笑いかける。相談は、真木なり、優海なり、紺が必要だと思った誰かにするはずだ。
「あたし、優海さんから頼まれてるので、受付に行ってきますね。鍵も貰ってくるので、少々お待ちを」
体育館内部にある受付の窓に進んだ愛実の背中を見送って、四人で喋り出した生徒たちを確認する。この四人だったら、自分がいなくても問題はないはずだ。手伝えることもあるかもしれない。生徒たちに断って、日和も体育館のドアを開けた。
「時岡さん」
受付で書類を記入していた愛実が顔を上げる。
「なにか手伝うこと、あった?」
「あ、大丈夫です。大丈夫。お気遣いなく」
「だったらいいけど。力仕事とかあったら言ってね。それくらいの役には立つし」
「ありがとうございます。いやー、ぴよちゃんさんは優しくて紳士だなー。香穂子ちゃんが惚れるのもわかります」
明るく笑って受付に書類を渡した愛実が、身体ごとこちらに向き直る。いやに神妙な顔だ。あれ、と思っていると、ぺこりと頭を下げられてしまった。
「そういえば、すみませんでした」
「え、なにが?」
「えぇと。その、塩見さんの一件。あたしがちょっと余計なこと言っちゃったのがきっかけだったんです。新年会のときは、その、塩見さんもいらっしゃったので、謝りづらくて」
「あぁ、ぜんぜん。本当にいいのに」
過ぎた話で、生徒たちへの誤解も解けている。日和に思うところはなにもない。むしろ謝られたことに驚いたくらいだ。
「よかったー」
受付から更衣室と体育館の鍵を受け取った愛実が、ほっと胸を撫で下ろす。その態度に、思わず日和は苦笑した。
「そんなに俺が怒ってるって思ってたの?」
「いや……なんというか、あんな真木さん見たのはじめてだったから。これはもしかすると、相当にぴよちゃんさんがお気を悪くされていたのではないかとですね。ビビりにビビってたんです。あまり会う機会もないので、余計に気になっちゃって」
あんな真木さんって、どんなのだったのだろう。想像がつかないまま曖昧に頷く。羽山は、そんなに厳しい言い方はしていないと笑っていたけれど。
「和さんは気にするなって言ってくれたんですけど。そういうわけにもいかないじゃないですか」
「大丈夫だから、本当に。気を使わせてごめんね。塩見さんとも、つぼみの新年会のあとに大学の新年会で顔を合わせてるけど、普通だったよ」
気まずそうな雰囲気ではあったが、絡まれなかったのでありがたかったくらいだ。その返答に愛実が相好を崩す。どことなく子どもみたいな笑顔だ。
「それならなによりです。いやー、よかった! これで気兼ねなくバスケに専念できる。あたし、実は中学はバスケ部だったんですよ。ぴよちゃんさんは得意ですか?」
「いや、本当に、体育の授業でやったくらいの経験値しかなくて」
「大丈夫です。それだけ身長があったら、ディフェンスで役に立ちますよ! 立ってるだけでぬりかべです」
それははたして褒められているのだろうか。謎だったが、塩見や名波より、ずっと接しやすく話しやすいことは事実だった。
「まぁ、真木さんも和さんも無駄に運動神経は良いですから。動くのはそちらに任せましょう。みんなで遊びたいから来ただけで、運動は好きじゃない子もいますからね。試合に強制参加ってわけでもないですし。――あ、噂をすれば」
どうやら全員集まったらしい。元気いっぱいに体育館のガラス戸を開けた暁斗に続いて、次々と人が入ってくる。夏のキャンプほどではないにしても、いつもの平日に比べると随分な大所帯だ。最後に入ってきた羽山に含みのある視線を送られた気がして、そ知らぬふりを決め込む。
――だって、なんだ、それ。恥ずかしい……。
そもそもとして、真木が羽山に伝えているのかどうかもわからないのだ。余計なことを言って墓穴を掘りたくはない。
――真木さんは、そんなこと報告するタイプには見えないけど。
だがしかし、尋ねられたときに、わざわざ嘘を吐いて否定するタイプにも見えない。事前に聞いておけばよかったと後悔したが、後の祭りである。
せめて、ふたりにはならないようにしよう。そう決めて、集団に遅れること数分。荷物を持って、日和はのろのろと受付をあとにした。
そんなとりとめもないことを考えながら、日和は市の体育館の前で空を仰いだ。澄んだ青空が目に眩しい。子どもたちからの要望により、二年連続で開催されることとなったバスケットボール大会は、土曜日の一時開催だ。いつもの曜日ではないので、現地に直接やってきたのだが、少しばかり早く着きすぎてしまった。
――あと、十五分か。
時間の確認を終えたスマートフォンを、そそくさとコートのポケットにしまい込む。指先が寒い。はぁ、と吐き出された息も白かった。
大学の体育で使用したきりのジャージと室内履きも持参しているけれど、使い物になる自信ははっきり言ってまったくない。自分の運動神経が人並み以下の自覚はあるのだ。
悲しいかな、長身に生まれてしまったがために、必要以上に高度な運動神経を期待され、そうして落胆されるところまでが様式美の人生を歩んでいる。
――まぁ、真木さんは、俺にそんな活動的な役割は求めてないんだろうけど。
「おはよう、ぴよちゃん」
「あ、おはよう」
届いた元気な声に日和は頬を緩めた。つぼみから自転車でここに向かった第一陣だろう。恵麻に雪人。学人に紺。それから愛実。駐輪場から一番に戻ってきた雪人と恵麻の明るい表情に、そうだったと日和は声をかけた。火曜日に会ったときの陰りはもう見当たらない。
「雪ちゃんも恵麻ちゃんも、合格おめでとう」
「ありがと、ぴよちゃん。でも、なんで知ってるの?」
きょとんと見上げられるに至って、日和はおのれの失言を悟った。どうにかほほえんで、らしい理由を取り繕う。
「あ……、と。いや、さっき。真木さんに聞いて」
「さっき?」
「ここの体育館の場所が不安になっちゃって。道順を確認したときに、その、気になって」
半分は嘘ではない。このバスケットボール大会は、中学三年生の受験結果が出揃ってからの日程で組まれていた。彼女たちの結果が出たのは金曜日のこと。火曜日に落ち着かない顔をしていたから気になって、昨夜、家に行ったときに真木に聞いてしまったのだ。
――やばい。こうやって、知らないうちにボロが出るんだろうな。
わざわざ「信用はしてるけど」と強調した真木の言が思い出されて肝が冷える。喋りながら近づいてきた三人をちらりと見て、「あーぁ」と恵麻が肩を竦めた。
「これで学人の後輩かぁ。なんか嫌だな」
「なんだと?」
あっというまに言葉尻に乗った学人が加わって、雪人と三人ではしゃぎ始める。その傍でやりとりを見守っていた紺に、日和はそっと声をかけた。
「真木さんに聞いたんだけど。紺くんもおめでとう」
「うん」
照れくさそうにうつむいていた瞳が、恵麻たちのほうに向く。
「受かるかどうか不安だったけど。よかった」
「うん、よかったね」
つぼみに残る恵麻たちと違い、四月から紺は全日制の高校に通うことになる。寂しさも不安もあるだろうが、ひとまず日和からは「よかった」でいいだろう。そう判断して、にこりと笑いかける。相談は、真木なり、優海なり、紺が必要だと思った誰かにするはずだ。
「あたし、優海さんから頼まれてるので、受付に行ってきますね。鍵も貰ってくるので、少々お待ちを」
体育館内部にある受付の窓に進んだ愛実の背中を見送って、四人で喋り出した生徒たちを確認する。この四人だったら、自分がいなくても問題はないはずだ。手伝えることもあるかもしれない。生徒たちに断って、日和も体育館のドアを開けた。
「時岡さん」
受付で書類を記入していた愛実が顔を上げる。
「なにか手伝うこと、あった?」
「あ、大丈夫です。大丈夫。お気遣いなく」
「だったらいいけど。力仕事とかあったら言ってね。それくらいの役には立つし」
「ありがとうございます。いやー、ぴよちゃんさんは優しくて紳士だなー。香穂子ちゃんが惚れるのもわかります」
明るく笑って受付に書類を渡した愛実が、身体ごとこちらに向き直る。いやに神妙な顔だ。あれ、と思っていると、ぺこりと頭を下げられてしまった。
「そういえば、すみませんでした」
「え、なにが?」
「えぇと。その、塩見さんの一件。あたしがちょっと余計なこと言っちゃったのがきっかけだったんです。新年会のときは、その、塩見さんもいらっしゃったので、謝りづらくて」
「あぁ、ぜんぜん。本当にいいのに」
過ぎた話で、生徒たちへの誤解も解けている。日和に思うところはなにもない。むしろ謝られたことに驚いたくらいだ。
「よかったー」
受付から更衣室と体育館の鍵を受け取った愛実が、ほっと胸を撫で下ろす。その態度に、思わず日和は苦笑した。
「そんなに俺が怒ってるって思ってたの?」
「いや……なんというか、あんな真木さん見たのはじめてだったから。これはもしかすると、相当にぴよちゃんさんがお気を悪くされていたのではないかとですね。ビビりにビビってたんです。あまり会う機会もないので、余計に気になっちゃって」
あんな真木さんって、どんなのだったのだろう。想像がつかないまま曖昧に頷く。羽山は、そんなに厳しい言い方はしていないと笑っていたけれど。
「和さんは気にするなって言ってくれたんですけど。そういうわけにもいかないじゃないですか」
「大丈夫だから、本当に。気を使わせてごめんね。塩見さんとも、つぼみの新年会のあとに大学の新年会で顔を合わせてるけど、普通だったよ」
気まずそうな雰囲気ではあったが、絡まれなかったのでありがたかったくらいだ。その返答に愛実が相好を崩す。どことなく子どもみたいな笑顔だ。
「それならなによりです。いやー、よかった! これで気兼ねなくバスケに専念できる。あたし、実は中学はバスケ部だったんですよ。ぴよちゃんさんは得意ですか?」
「いや、本当に、体育の授業でやったくらいの経験値しかなくて」
「大丈夫です。それだけ身長があったら、ディフェンスで役に立ちますよ! 立ってるだけでぬりかべです」
それははたして褒められているのだろうか。謎だったが、塩見や名波より、ずっと接しやすく話しやすいことは事実だった。
「まぁ、真木さんも和さんも無駄に運動神経は良いですから。動くのはそちらに任せましょう。みんなで遊びたいから来ただけで、運動は好きじゃない子もいますからね。試合に強制参加ってわけでもないですし。――あ、噂をすれば」
どうやら全員集まったらしい。元気いっぱいに体育館のガラス戸を開けた暁斗に続いて、次々と人が入ってくる。夏のキャンプほどではないにしても、いつもの平日に比べると随分な大所帯だ。最後に入ってきた羽山に含みのある視線を送られた気がして、そ知らぬふりを決め込む。
――だって、なんだ、それ。恥ずかしい……。
そもそもとして、真木が羽山に伝えているのかどうかもわからないのだ。余計なことを言って墓穴を掘りたくはない。
――真木さんは、そんなこと報告するタイプには見えないけど。
だがしかし、尋ねられたときに、わざわざ嘘を吐いて否定するタイプにも見えない。事前に聞いておけばよかったと後悔したが、後の祭りである。
せめて、ふたりにはならないようにしよう。そう決めて、集団に遅れること数分。荷物を持って、日和はのろのろと受付をあとにした。



