自宅に戻るなり、日和はいそいそと貰ったばかりの鍵をキーケースに取りつけた。ひとり暮らしをしているアパートの鍵と実家の鍵。そして、真木の家の鍵。眺めているだけで締まりのない顔になった自覚はあったが、知ったことではない。
――これ、付き合ってるってことで、いいんだよな。
自身に言い聞かせるように、日和は考える。受け入れてもらったってことでいいんだよな。
ベッドに転がったまま、顔の前で揺らしていたそれを机上に置いて、代わりにスマートフォンを手に取る。検索画面を開いて、しばし逡巡。断ち切って、フリック入力。男同士。やり方。検索すると、数多の情報が一瞬で飛び出してくる。
正しいのか、正しくないのか。その判断をつけることもできないまま順繰りに目を通していると、なぜか陰鬱な気分になってきてしまった。溜息を呑み込んで、画面を閉じる。頭に浮かんだのは、昨夜聞いた真木の声だった。
――口でしてやろうか?
無理をしたふうでもなんでもない、気遣いから自然発生したような提案だった。
好きな人に触れて、キスをして、とくれば、それより先を求めたくなるのは本能だと思う。
とは言っても、日和は今の今まで自分を淡白だと信じ込んでいた。欲望のまま貪りたくなるようなことは一度もなかったし、足りないと思ったこともなかった。むしろ、恋人とのセックスは義務に近かったくらいだ。
返事に迷っているうちに、硬くなり始めた先端に真木の手が触れる。着衣越しではあったけれど、なんの躊躇もない触れ方だった。そのままベルトを緩められて、焦って呼びかける。
「したことない?」
そう尋ねてくる真木の表情は、いかにも不思議そうだった。いや、さすがにないことはない。ないけれど。
「したくない?」
いや、したいから、たぶん、手を出したんだけど。あれ、これ。俺が手を出したっていう認識でよかったんだよね。というか、いまさらだけど、そんなすぐにやっていいものなのかな。ぐるぐると頭の中で疑問が駆け巡っていく。
「いい、の?」
けれど、結局。理性と本能の問答の末に出たのは、好意に甘えるものでしかなくて。その答えに、真木が笑う。
「よくなかったら、とっくに叩き出してる」
飾り気のない言葉に、それはそうだと日和は得心した。だとすれば、これは、自分のひとりよがりではないということだ。
「そんなつもりはなかったから、最後まではさせてあげられないけど」
――最後?
疑念が顔に出ていたのか、また真木がかすかな笑みを浮かべた。
「女の子と違って、男の身体は、いつでもどこでも繋がれるようにはできてないの」
「あ、……や、はい」
追いついた理解に、頬が熱くなる。
「あの、真木さ……」
「ん? だから、口でしてやろうかって」
その言葉のとおりに真木が前をくつろげて、兆していた性器に触れる。
「っ――あの」
気持ち良くない、わけがない。ただ、忍びなさが勝った。この人に、こんなことをさせているという罪悪感。あるいは、はじめてのことに対する恐れもあったのかもしれない。
「あの、え、と。嫌なわけじゃ、ないんですけど」
言葉を見つけられないまま、日和は押し止めた。嫌じゃない。嫌なわけがない。
戸惑う態度に、真木の眉がわずかに下がる。困らせていることはわかっていたけれど、なし崩しに進めていいのかわからなかったのだ。
「でも、そのままじゃ困るだろ? 手ならいい?」
やったことない、と真木が首を傾げる。
「高校生くらいのころとか、友達とかと」
ねぇよ。即座に思ったが、なんとなく口にできなかった。曖昧な笑顔でどうとも取れる首の振り方をする。いかにも体育会系らしい真木と、引きこもり気味の帰宅部だった自分では、交友関係も通ってきた遊びも、なにもかも異なっている気がしたからだ。
――いや、でも、十歩譲って、手で抜くはあるかもしれないけど、口はないだろ。口は。
べつにひとりで抜くし、処理するし。そりゃ、ちょっと虚しいかもしれないけど。でも。
悶々としつつも、そっと真木の様子を窺う。日和を持て余しているふうでもなく、ただ答えを待っている表情は、日中と変わらないようにも見えた。
――そもそもとして、俺ばっかりしてもらいたいわけでもないっていうか。
手慣れているふうであることが嫌だとは言わないけれど。なにかが引っかかってしまう。
この年になって処女信仰なわけでもないし、経験がないと思っていたわけでもない。
もっとそもそもで言うならば、処女なんて面倒だとしか思っていなかったし、手慣れた人のほうがよほどいい、と。かつて自分は考えていたはずだ。
そういう意味では、真木は理想に近い。手慣れていて、日和を包み込んでくれる甲斐性があって、寂しいだとか、リードしてほしいだとか、そういった甘えたことは絶対に言わない。
それなのに、どこかで、でも、と思ってしまう。我儘だと承知しているが、なにか寂しい気がしたのだ。ようやく「好き」を受け止めてもらったはずなのに、この人の手のひらでひとり踊り続けているみたい、とでもいうか。
「日和?」
どうするというような呼びかけに、少しの間のあとでぎこちなく頷く。我に返ると、中途半端な状態がどうにも居た堪れなかったのだ。
その反応に、ほっとしたように真木の目元が緩む。居た堪れなさも、抱いていたはずの罪悪感も、与えられる刺激で、気持ち良さに成り代わっていく。
めちゃくちゃうまいというわけでは、たぶんないのだと思う。ただ、この人が、この人の意思で自分に触れているという事実が、日和にはたまらなかった。
――これ、付き合ってるってことで、いいんだよな。
自身に言い聞かせるように、日和は考える。受け入れてもらったってことでいいんだよな。
ベッドに転がったまま、顔の前で揺らしていたそれを机上に置いて、代わりにスマートフォンを手に取る。検索画面を開いて、しばし逡巡。断ち切って、フリック入力。男同士。やり方。検索すると、数多の情報が一瞬で飛び出してくる。
正しいのか、正しくないのか。その判断をつけることもできないまま順繰りに目を通していると、なぜか陰鬱な気分になってきてしまった。溜息を呑み込んで、画面を閉じる。頭に浮かんだのは、昨夜聞いた真木の声だった。
――口でしてやろうか?
無理をしたふうでもなんでもない、気遣いから自然発生したような提案だった。
好きな人に触れて、キスをして、とくれば、それより先を求めたくなるのは本能だと思う。
とは言っても、日和は今の今まで自分を淡白だと信じ込んでいた。欲望のまま貪りたくなるようなことは一度もなかったし、足りないと思ったこともなかった。むしろ、恋人とのセックスは義務に近かったくらいだ。
返事に迷っているうちに、硬くなり始めた先端に真木の手が触れる。着衣越しではあったけれど、なんの躊躇もない触れ方だった。そのままベルトを緩められて、焦って呼びかける。
「したことない?」
そう尋ねてくる真木の表情は、いかにも不思議そうだった。いや、さすがにないことはない。ないけれど。
「したくない?」
いや、したいから、たぶん、手を出したんだけど。あれ、これ。俺が手を出したっていう認識でよかったんだよね。というか、いまさらだけど、そんなすぐにやっていいものなのかな。ぐるぐると頭の中で疑問が駆け巡っていく。
「いい、の?」
けれど、結局。理性と本能の問答の末に出たのは、好意に甘えるものでしかなくて。その答えに、真木が笑う。
「よくなかったら、とっくに叩き出してる」
飾り気のない言葉に、それはそうだと日和は得心した。だとすれば、これは、自分のひとりよがりではないということだ。
「そんなつもりはなかったから、最後まではさせてあげられないけど」
――最後?
疑念が顔に出ていたのか、また真木がかすかな笑みを浮かべた。
「女の子と違って、男の身体は、いつでもどこでも繋がれるようにはできてないの」
「あ、……や、はい」
追いついた理解に、頬が熱くなる。
「あの、真木さ……」
「ん? だから、口でしてやろうかって」
その言葉のとおりに真木が前をくつろげて、兆していた性器に触れる。
「っ――あの」
気持ち良くない、わけがない。ただ、忍びなさが勝った。この人に、こんなことをさせているという罪悪感。あるいは、はじめてのことに対する恐れもあったのかもしれない。
「あの、え、と。嫌なわけじゃ、ないんですけど」
言葉を見つけられないまま、日和は押し止めた。嫌じゃない。嫌なわけがない。
戸惑う態度に、真木の眉がわずかに下がる。困らせていることはわかっていたけれど、なし崩しに進めていいのかわからなかったのだ。
「でも、そのままじゃ困るだろ? 手ならいい?」
やったことない、と真木が首を傾げる。
「高校生くらいのころとか、友達とかと」
ねぇよ。即座に思ったが、なんとなく口にできなかった。曖昧な笑顔でどうとも取れる首の振り方をする。いかにも体育会系らしい真木と、引きこもり気味の帰宅部だった自分では、交友関係も通ってきた遊びも、なにもかも異なっている気がしたからだ。
――いや、でも、十歩譲って、手で抜くはあるかもしれないけど、口はないだろ。口は。
べつにひとりで抜くし、処理するし。そりゃ、ちょっと虚しいかもしれないけど。でも。
悶々としつつも、そっと真木の様子を窺う。日和を持て余しているふうでもなく、ただ答えを待っている表情は、日中と変わらないようにも見えた。
――そもそもとして、俺ばっかりしてもらいたいわけでもないっていうか。
手慣れているふうであることが嫌だとは言わないけれど。なにかが引っかかってしまう。
この年になって処女信仰なわけでもないし、経験がないと思っていたわけでもない。
もっとそもそもで言うならば、処女なんて面倒だとしか思っていなかったし、手慣れた人のほうがよほどいい、と。かつて自分は考えていたはずだ。
そういう意味では、真木は理想に近い。手慣れていて、日和を包み込んでくれる甲斐性があって、寂しいだとか、リードしてほしいだとか、そういった甘えたことは絶対に言わない。
それなのに、どこかで、でも、と思ってしまう。我儘だと承知しているが、なにか寂しい気がしたのだ。ようやく「好き」を受け止めてもらったはずなのに、この人の手のひらでひとり踊り続けているみたい、とでもいうか。
「日和?」
どうするというような呼びかけに、少しの間のあとでぎこちなく頷く。我に返ると、中途半端な状態がどうにも居た堪れなかったのだ。
その反応に、ほっとしたように真木の目元が緩む。居た堪れなさも、抱いていたはずの罪悪感も、与えられる刺激で、気持ち良さに成り代わっていく。
めちゃくちゃうまいというわけでは、たぶんないのだと思う。ただ、この人が、この人の意思で自分に触れているという事実が、日和にはたまらなかった。



