好きになれない

「メリークリスマス、ぴよちゃん!」
 朝、つぼみの戸を引いた日和を、玄関先で出迎えてくれたのは凛音だった。めいっぱいの笑顔に、自然と自分の顔にも笑みが浮かぶ。
「おはよ、凛音ちゃん。メリークリスマス」
 二日ほど過ぎてはいるけれど。凛音が着ているのは、いつものカジュアルな服装とは違う真っ白なワンピースだった。ふわりと裾が広がる可憐なデザインは、いかにもなお洒落着で。これを見せたくて待ち構えていてくれたのかもしれないと日和はほほえんだ。
「かわいいね、それ。もしかして、クリスマスプレゼント?」
「そう! さすが、ぴよちゃん、大正解。あきなんて、なにも言ってくれないんだもん」
「照れてるんだよ、きっと」
 思春期の男子に褒め言葉を求めるのは少し酷な気がする。やんわりと擁護した日和に拗ねるでもなく、凛音がラッピングされた小袋を差し出した。手作りらしい不揃いなクッキー。
「日曜日につくったの。これはぴよちゃんの分」
「ありがとう」
 予想外のプレゼントに、自分もなにか用意しておけばよかったと焦ったものの、凛音はお返しを求めているふうでもない。受け取った日和を、にこにこと満足そうに見つめている。
「がんばって、みんなの分つくったんだ。おいしくないかもしれないけど、ぴよちゃんも食べてね」
「ううん、きっとおいしいよ。ありがとう」
 和室からは既に恵麻と雪人の声が響いていた。凛音もだが、今日はみんな来るのが早い。
「土曜日がイブだったでしょ。だから、土曜日のカフェで、みんなでクリスマスパーティーやったの」
 第四土曜日に、近くの公民館で手作りのお菓子を販売する「カフェ」をやっているのだ。顔を出したことはないが、女子生徒を中心にがんばっていることは聞き知っている。
 うれしそうな凛音の様子から察するに、楽しいパーティーだったらしい。話したくてたまらないという雰囲気がほほえましくて、鞄を持ったまま日和も和室に足を踏み入れた。
「あ、ぴよちゃん、おはよう」
「おはよう、恵麻ちゃん、雪ちゃんも」
 暁斗と紺にも挨拶をして、あれと気配を探る。
「まきちゃんはお昼の買い物に行ったよ。すぐに日和も来るから大人しくしとけってさ」
「あ、そうなんだ」
 あいかわらずのひよこぶりと思われたのか、聞くまでもなく恵麻が答えを教えてくれた。
 ――いや、たしかに探したけど、それはスタッフとしてあたりまえというか。
 聞かれてもいない言い訳を脳内で重ねているうちに、「ぴよちゃん」と急かすように凛音に呼ばれてしまった。慌ててコートと鞄を部屋の隅に置く。
 炬燵に入ると、冷えていた身体が足先からじんわりと温まって、日和はほっと息を吐いた。
 冬と言えば、一に炬燵、二に炬燵。隙間風が少々寒いつぼみにおいては、大変ありがたいアイテムである。その炬燵の中で、クリスマスパーティーの話に、うん、うん、と相槌を打っていたのだが、不意に凛音が神妙な顔になった。
「あのさ、ぴよちゃん」
「ん?」
 心なしか、呼びかける声も小さくなっている。顔を傾げると、内緒話をする要領で、凛音が耳元で囁いた。
「ぴよちゃんって、塩見さんの恋人なの?」
 予想外の質問に、まじまじと凛音を見つめ返す。純粋な興味にきらめく瞳に、どう答えようかと迷ったものの、ほんの少しだけ困ったふうに問うことを日和は選んだ。
「違うけど。なんでいきなりそんなことを思ったの?」
 実際に、それが事実だ。あの数日後、日和はたしかに断っている。
 緊張していたこちらが肩透かしを食らうくらい、塩見の了承はあっさりとしていたし、ゼミで会ったときも変わらない調子だったのだが。
 それとはまったく関係なく、女の子同士で「もしも」の恋愛話で盛り上がっていたのかもしれない。同じ大学の先輩後輩だと知っているから、興味本位でくっつけてみた、とか。
「なんだ? 違うの?」
 裏返って大きくなった凛音の声に、漫画を読んでいた恵麻と雪人が顔を上げる。
「違うって、カフェの塩見さんの話?」
 雪人にまであたりまえの顔で口にされて、土曜日になにがあったのかと頭を抱えたくなった。この反応は、「もしも」の話で盛り上がったどころではない気がする。
 ――後腐れなく処理したと思ったのに。なんで、そんな噂になってんだ?
 とは言え、相手は水原でなく生徒である。拗ねることも不貞腐れることもできない。日和は再度、「違うけど、なんで?」と繰り返した。
 恵麻と雪人が迷うように顔を見合わせているのを他所に、凛音がさらりと真相を告げる。
「土曜日にね、塩見さんがちょっとだけカフェに顔を出してくれたの。それで、そのときにすごくお洒落してたから、名波さんが『もしかして、このあとデート?』って聞いて。めぐちゃんが『もしかしてぴよちゃんさんですかぁ』って言ったら、塩見さんが『まぁ、そんなとこ』って笑って帰っていったから」
「めぐちゃんは、めちゃくちゃ焦ってたけどね。冗談のつもりだったのに、どうしようって。せっかく香穂子ちゃんがひさしぶりに顔を出してくれてたのに、ちょっと落ち込んじゃってたし」
 責める響きを帯びた恵麻の補足に、日和は「ごめんね」と眉を下げた。保健室登校を始めた香穂子だが、つぼみをやめたわけでなく、週に一度ほど顔を出してくれている。
 冬休みになったら毎日行こうかなぁと笑っていたのは、先々週に会ったときのことだ。昼からやってくるのかもしれないが、今のところその姿はない。溜息を呑み込んで、申し訳なさそうな笑顔をつくった。
「たぶん、塩見さんの、その、冗談だったんだと思うんだけど。ごめんね」
「ぴよちゃんが謝るようなことじゃないけどさ。違うなら、なおさら」
「うん、でも」
 どう言うべきだろうかと慎重に言葉を選ぶ。苛々がこぼれ落ちてしまいそうだった。それだけはすべきではない。教育者だというつもりはないけれど、ここにいるあいだの自分は、自堕落な大学生ではない。生徒たちが安心して過ごすことができるように努めるべきスタッフだ。
 ――それを、なんだよ。
 思わせぶりな塩見の笑顔が脳裏を一閃する。冗談にしても、やって良いものと悪いものがあるだろう。
「名前が出たなら、俺も関係あることだし。嫌な思いさせてごめんね。せっかくのクリスマスパーティーだったのに」
「でも、あたし、本当だったら、美男美女でお似合いだねって言ってたんだよ。ついつい忘れちゃうけど、ぴよちゃん、お顔はかっこいいもんね。うちのお母さんもね、キャンプの写真見て、あら、この子、モデルさんみたいねって言ってたよ」
 無邪気な凛音の言葉に曖昧に笑って、勉強を始めようかと日和は声をかけた。勉強部屋に各々の準備物を持って移動する生徒たちのあとを追いながら、そっと苦虫を噛み潰す。カフェは、優海を中心とした女性スタッフで運営されているものだが、正職員である真木の耳に入っていないはずがない。呆れられていないだろうかと思ってしまって、そんな自分に日和は呆れた。
 ――いや、せめて、これ以上マイナスに思われたくないって考えるのはしかたないだろ。
 好きな人に嫌われたくないと思うのは、人間の性だ。
 だって、結局、と諦め半分で日和は思う。そう、結局。俺は、あの人のことが好きで。あの人がなんとも思っていないとわかっても、この気持ちを変えられなかったのだから。