下見に来たときよりも、蝉の鳴き声がうるさい気がする。頭の上でわんわんと反響しているそれを、できる限り気にしないようにしながら、日和は獣道に足を踏み入れた。
「ぴよちゃーん、そっちどう? 虫とかいない?」
肝試しの下準備に、キャンプ場に着いて早々イベント班の面々で山にやってきたのだが、雪人の声は頼りなく揺れている。はっきり言って、いないわけがない。
「うーん」
草木の生い茂った周囲をざっと日和は見渡した。いないわけがないのだが、恵麻の背に隠れる雪人の腰はかわいそうなくらい引けている。その姿に、もう一度木々のほうを見やる。
「小さい虫がいるのは、ちょっとしかたないかも。大きい虫はいないよ」
今のところは、との真実には蓋をして、日和は背後を振り返った。視界の端を過った蜘蛛には気がつかなかったことにする。
「あたりまえだろうが、雪! おまえ、今年は隠れてるあいだに虫見ても悲鳴上げんなよ」
ほら見ろと言わんばかりの学人の台詞に、雪人が唇を尖らせる。昨年も雪人、恵麻、学人、紺の四人はイベント班で肝試しをやったらしいのだが、去年の本番、隠れて人が通るのを待っている最中。腕に落ちてきた蝉の死骸に、雪人は半狂乱になったらしい。
――まぁ、でも、俺もなるかも。半狂乱に。
蝉って気持ち悪いよなぁ。苦笑を呑み込んで、天に視線を巡らす。青々とした木々の隙間から太陽光がこぼれる様は、まさに夏という感じだ。至るところに蝉も生息していることだろう。
「もしさ、雪ちゃんが、どうしても怖いなら、ぴよちゃんと一緒に隠れることにする?」
「え……、うーん、でも」
リーダーの恵麻の提案に、雪人がちらりと日和を窺う。同い年の恵麻もひとりで待機するのに、自分だけ甘えていいのだろうか。悩んでいるようだが、隠し切れていない期待が全身からにじんでいる。
このキャンプ場は、本日はつぼみの貸し切り状態だ。肝試しのあいだに見ず知らずの人間が乱入してくる心配はないし、熊や猿といった危険な野生動物も生息していないとされている。とは言え、虫が苦手な人間からすれば十分な恐怖だと日和にはよくわかる。
「段取り的に問題がないなら、そうさせてもらう? 俺もあんまり好きじゃないんだよね」
「……本当?」
「本当、本当。だから一緒にがんばろうか。もし、俺が蝉に驚いて声を出しそうになったら、止めてね、雪ちゃん」
「うん! じゃあ、雪がそうなったら、ぴよちゃんが止めてね」
表情から不安が抜け落ちた雪人に、恵麻もほっとしたように笑う。
「その代わり、ふたりはメインの脅かしどころの担当だからね! がんばって怖がらせてよ」
「任せて!」
やりとりを静かに見守っていた紺が、不意に「そういえば」と口を開いた。
「去年はさ、俺と学人が最後のところで潜んでたんだけど。あきを号泣させちゃったんだよね」
「今年はさすがに大丈夫でしょー。去年はさ、ほら、うちに来たばっかりのころだったし。一年経ったんだから、ちょっとは成長してるって」
「あのチビ、やることなすこと去年から変わってねぇけどな」
「あれ以来、学人はあきに怖がられてるもんねぇ」
つまるところ、なかなかに大人げのない方法で学人少年が驚かせたらしい。
――そういや、キャンプ場に来てから、いつも以上に真木さんに纏わりついてたな、あきくん。
もしかして、既に怖がっていたのだろうか。浮かびそうになった笑みを手のひらで隠して、日和は時間を確認した。十一時四十五分。
「恵麻ちゃん、そろそろ戻らなくて大丈夫かな」
「本当だ。ありがとう! お昼に遅刻したら優海さんに拗ねられちゃう」
怒る、ではなく、拗ねる、であるところが、あのおっとりとした代表のイメージと見事にマッチしている。
「それじゃ、お昼ごはんのあとは三時まで自由行動。それで三時になったら最終の打ち合わせね。あたしたちのバンガローの前に集合すること!」
返事を確認して先頭を歩き始めた恵麻の横顔には、いつもと違う自信が漲っていた。
――キャンプを通して顔つきが変わるって聞いてたけど、そのとおりだったな。
七月の終わりに「うまくできないかもしれない」と真木に泣きついていたときとは、まったく様子が違っている。不安を乗り越え、生き生きとリーダーシップを発揮する恵麻の姿に、日和は素直に感嘆していた。この経験が自信になって、きっといつかに繋がっていくのだろう。
こんなにがんばっているのだから、成功してほしい。でも、大人が手を出し過ぎたら意味はないんだろうな。スタッフの在り方の難しさを痛感しながら、最後尾について日和も歩き出した。
「ぴよちゃーん、そっちどう? 虫とかいない?」
肝試しの下準備に、キャンプ場に着いて早々イベント班の面々で山にやってきたのだが、雪人の声は頼りなく揺れている。はっきり言って、いないわけがない。
「うーん」
草木の生い茂った周囲をざっと日和は見渡した。いないわけがないのだが、恵麻の背に隠れる雪人の腰はかわいそうなくらい引けている。その姿に、もう一度木々のほうを見やる。
「小さい虫がいるのは、ちょっとしかたないかも。大きい虫はいないよ」
今のところは、との真実には蓋をして、日和は背後を振り返った。視界の端を過った蜘蛛には気がつかなかったことにする。
「あたりまえだろうが、雪! おまえ、今年は隠れてるあいだに虫見ても悲鳴上げんなよ」
ほら見ろと言わんばかりの学人の台詞に、雪人が唇を尖らせる。昨年も雪人、恵麻、学人、紺の四人はイベント班で肝試しをやったらしいのだが、去年の本番、隠れて人が通るのを待っている最中。腕に落ちてきた蝉の死骸に、雪人は半狂乱になったらしい。
――まぁ、でも、俺もなるかも。半狂乱に。
蝉って気持ち悪いよなぁ。苦笑を呑み込んで、天に視線を巡らす。青々とした木々の隙間から太陽光がこぼれる様は、まさに夏という感じだ。至るところに蝉も生息していることだろう。
「もしさ、雪ちゃんが、どうしても怖いなら、ぴよちゃんと一緒に隠れることにする?」
「え……、うーん、でも」
リーダーの恵麻の提案に、雪人がちらりと日和を窺う。同い年の恵麻もひとりで待機するのに、自分だけ甘えていいのだろうか。悩んでいるようだが、隠し切れていない期待が全身からにじんでいる。
このキャンプ場は、本日はつぼみの貸し切り状態だ。肝試しのあいだに見ず知らずの人間が乱入してくる心配はないし、熊や猿といった危険な野生動物も生息していないとされている。とは言え、虫が苦手な人間からすれば十分な恐怖だと日和にはよくわかる。
「段取り的に問題がないなら、そうさせてもらう? 俺もあんまり好きじゃないんだよね」
「……本当?」
「本当、本当。だから一緒にがんばろうか。もし、俺が蝉に驚いて声を出しそうになったら、止めてね、雪ちゃん」
「うん! じゃあ、雪がそうなったら、ぴよちゃんが止めてね」
表情から不安が抜け落ちた雪人に、恵麻もほっとしたように笑う。
「その代わり、ふたりはメインの脅かしどころの担当だからね! がんばって怖がらせてよ」
「任せて!」
やりとりを静かに見守っていた紺が、不意に「そういえば」と口を開いた。
「去年はさ、俺と学人が最後のところで潜んでたんだけど。あきを号泣させちゃったんだよね」
「今年はさすがに大丈夫でしょー。去年はさ、ほら、うちに来たばっかりのころだったし。一年経ったんだから、ちょっとは成長してるって」
「あのチビ、やることなすこと去年から変わってねぇけどな」
「あれ以来、学人はあきに怖がられてるもんねぇ」
つまるところ、なかなかに大人げのない方法で学人少年が驚かせたらしい。
――そういや、キャンプ場に来てから、いつも以上に真木さんに纏わりついてたな、あきくん。
もしかして、既に怖がっていたのだろうか。浮かびそうになった笑みを手のひらで隠して、日和は時間を確認した。十一時四十五分。
「恵麻ちゃん、そろそろ戻らなくて大丈夫かな」
「本当だ。ありがとう! お昼に遅刻したら優海さんに拗ねられちゃう」
怒る、ではなく、拗ねる、であるところが、あのおっとりとした代表のイメージと見事にマッチしている。
「それじゃ、お昼ごはんのあとは三時まで自由行動。それで三時になったら最終の打ち合わせね。あたしたちのバンガローの前に集合すること!」
返事を確認して先頭を歩き始めた恵麻の横顔には、いつもと違う自信が漲っていた。
――キャンプを通して顔つきが変わるって聞いてたけど、そのとおりだったな。
七月の終わりに「うまくできないかもしれない」と真木に泣きついていたときとは、まったく様子が違っている。不安を乗り越え、生き生きとリーダーシップを発揮する恵麻の姿に、日和は素直に感嘆していた。この経験が自信になって、きっといつかに繋がっていくのだろう。
こんなにがんばっているのだから、成功してほしい。でも、大人が手を出し過ぎたら意味はないんだろうな。スタッフの在り方の難しさを痛感しながら、最後尾について日和も歩き出した。



