律がリハビリで激痛に耐えていた日の汗の匂い。
二人で、霧島の雨の中を走ったあの日の冷たい雨の感触。
怪我をして、絶望して、それでも律の復活を信じて二人で泥を舐め合ってきた、あの不器用で愛おしい時間。
「……神崎先輩」
私は重ねられた手を、優しくそっと解いた。
そして、先輩の目をまっすぐに見つめて、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……。私、先輩のアドバイスがあったから、私は自分の音を見つけることができました。心から尊敬しています」
「……うん」
「でも……私の心の一番深い場所には、最初から最後まで、律しかいません。……どんなに泥臭くても、ダサくても、律と一緒に遠回りして笑ったあの時間が、私の世界のすべてなんです。……ごめんなさい。先輩とは付き合えません」
静寂が、二人の間に降り積もる。
神崎先輩は目を閉じ、深く息を吐き出した。
そして目を開けた時、その瞳にはいつもの優しく美しい、だけどどこか吹っ切れたような笑みが戻っていた。
先輩は私の頭にそっと手を置くと、優しくポンポンと叩いた。
「……やっぱり、東郷には敵わないな。最初から勝負にさえなってなかったよ」
