「清原、おまえがやりなさい」
顧問である先生のその言葉は、音楽室の湿度をいっきに凍りつかせたような響きを持って、私の鼓膜を叩いた。
放課後の音楽室。西日が差し込み、楽器の真鍮が黄金色に輝いている。いつもなら、その光景は私にとってこの世で最も愛おしいものの一つだった。けれど、今は違う。その輝きさえも、私を責め立てるライトのように感じられた。
「……はい?」
自分の口から出た声が、あまりに頼りなく震えている。
私はサックスを抱え、ただ立ち尽くしていた。二年。私の立場はそれだけだ。立花先輩という、この学校のサックスパートを長年背負ってきた偉大な先輩が、不慮の事故で手を怪我し、七夕祭りのソロを吹けなくなった。
代役。
それは、吹奏楽部という組織において、最も残酷で、かつ最も名誉な言葉だ。
「立花は間に合わない。おまえなら、あのパートを一番聴いているだろう」
先生はそれだけ言って、楽譜を譜面台に叩きつけた。
周囲にいた部員たちが、一瞬の静寂ののち、ざわめき始める。驚き、困惑、そして少なからずの期待。その視線がすべて、私の背中に突き刺さる。部長になる前の、ただの二年生。そんな私に、地域の人々も楽しみにしているあの七夕祭りの、しかも一番の見せ場を任せるというのか。
「……頑張ってね」
ふと隣を見ると、立花先輩が痛々しい包帯を巻いた手で、私の肩をぽんと叩いた。その目は優しかった。私を信頼してくれているからこその、重い重い期待。
「うん」
答えるのが精一杯だった。無理です、と叫びたかったけれど、喉の奥が引きつる。
その日の夜、私は何度も何度も同じフレーズを繰り返した。部屋の窓を開ければ、夏の虫の音が聞こえる。でも、今の私には自分のサックスの音しか聞こえない。正しい音程、正しいリズム。それだけを求めて練習するけれど、どうしても立花先輩が去年の本番で吹いていた、あの透き通るような旋律にならない。
隣で聞いていた、あの音。後ろから聞こえてくる、ユーフォニアムとの対話。あれは、魔法だったのだろうか。
手先が冷たくなっていく。何度も失敗し、何度もやり直す。深夜二時を回った頃、私はようやく楽器を置いた。
震える手。窓の外には月が浮かんでいる。
自分にできるのだろうか。
逃げ出したいという思いが胸を支配する。でも、先輩の期待を裏切ることはできない。自分でも気づかないうちに、私は一人で泥沼の中に足を踏み入れていた。音楽という、私の大好きなはずの場所に、初めて黒い霧が立ち込めていくのを感じる。
明日になれば、また学校に行かなければならない。たくさんの目が私を待っている。「代役の清原絃葉」として。
私は布団に潜り込み、毛布を頭までかぶった。心臓の音が、どこまでも大きく、激しく、耳の中でシンフォニーのように鳴り響いていた。
顧問である先生のその言葉は、音楽室の湿度をいっきに凍りつかせたような響きを持って、私の鼓膜を叩いた。
放課後の音楽室。西日が差し込み、楽器の真鍮が黄金色に輝いている。いつもなら、その光景は私にとってこの世で最も愛おしいものの一つだった。けれど、今は違う。その輝きさえも、私を責め立てるライトのように感じられた。
「……はい?」
自分の口から出た声が、あまりに頼りなく震えている。
私はサックスを抱え、ただ立ち尽くしていた。二年。私の立場はそれだけだ。立花先輩という、この学校のサックスパートを長年背負ってきた偉大な先輩が、不慮の事故で手を怪我し、七夕祭りのソロを吹けなくなった。
代役。
それは、吹奏楽部という組織において、最も残酷で、かつ最も名誉な言葉だ。
「立花は間に合わない。おまえなら、あのパートを一番聴いているだろう」
先生はそれだけ言って、楽譜を譜面台に叩きつけた。
周囲にいた部員たちが、一瞬の静寂ののち、ざわめき始める。驚き、困惑、そして少なからずの期待。その視線がすべて、私の背中に突き刺さる。部長になる前の、ただの二年生。そんな私に、地域の人々も楽しみにしているあの七夕祭りの、しかも一番の見せ場を任せるというのか。
「……頑張ってね」
ふと隣を見ると、立花先輩が痛々しい包帯を巻いた手で、私の肩をぽんと叩いた。その目は優しかった。私を信頼してくれているからこその、重い重い期待。
「うん」
答えるのが精一杯だった。無理です、と叫びたかったけれど、喉の奥が引きつる。
その日の夜、私は何度も何度も同じフレーズを繰り返した。部屋の窓を開ければ、夏の虫の音が聞こえる。でも、今の私には自分のサックスの音しか聞こえない。正しい音程、正しいリズム。それだけを求めて練習するけれど、どうしても立花先輩が去年の本番で吹いていた、あの透き通るような旋律にならない。
隣で聞いていた、あの音。後ろから聞こえてくる、ユーフォニアムとの対話。あれは、魔法だったのだろうか。
手先が冷たくなっていく。何度も失敗し、何度もやり直す。深夜二時を回った頃、私はようやく楽器を置いた。
震える手。窓の外には月が浮かんでいる。
自分にできるのだろうか。
逃げ出したいという思いが胸を支配する。でも、先輩の期待を裏切ることはできない。自分でも気づかないうちに、私は一人で泥沼の中に足を踏み入れていた。音楽という、私の大好きなはずの場所に、初めて黒い霧が立ち込めていくのを感じる。
明日になれば、また学校に行かなければならない。たくさんの目が私を待っている。「代役の清原絃葉」として。
私は布団に潜り込み、毛布を頭までかぶった。心臓の音が、どこまでも大きく、激しく、耳の中でシンフォニーのように鳴り響いていた。



