いつかのまほろば


 するとふと、今朝のことがよみがえる。真秀(まほろ)に何も言わずに出ていった、あの朝。

「僕はなあ」

 向かいの男がしゃべりだす。その顔を、空か海なのか、青い光が照らしている。

「君はどう生きてきたなんて、今聞いたこれっぽちしか知らないが、置いて行った奴らも、置いて行ったなりに君ぐらい長生きして、一緒にいたかったと思っていたと思うよ」

 なんて、わかりきったこと言うなよって感じか。
 そう言って向かいの男は笑ったが、その言葉はこれまでにないほど、自分の身に染みていく。

 いつも置いていかれてばかりで、その度に自分が憎くなった。どうして自分ばかり、そう言って泣いた日はいくつあっただろう。

 置いていかれる辛さはわかっていたはずなのに、真秀(まほろ)を置いていってしまった。

 やっと自分は、置いていく者の気持ちに、向き合ったのだ。

「きっと、君は色んなことを見てきたんだろうな。羨ましいよ」

「色んなものを見てきたって言っても、今ようやくわかったものもあるんだ」

 いくらなんでも遅いがな、と肩を下げて笑う。

「それに、自分から見ると、そっちのほうが羨ましい。色んなものを見すぎないからね」

 そう言うと向かいの男は、はは、と笑って、

「つまりはどっちも同じってことか」

 と、胸ポケットから煙草(たばこ)の箱を取り出した。

「長生きしたいなら、煙草(たばこ)は控えた方がいいぞ」

「なあに、もう四十年も生きているのだから、もう十分生きてるよ」

 でも、そう言うなら、と向かいの男は煙草(たばこ)の箱を開けないまま、胸ポケットにしまった。

 そのとき、急に列車の速度が落ちるのを感じた。
 窓の外を見ると、色どり豊かな街の中に、広い灰色の建物群が見える。どうやら終点が近いらしい。

「自分語りばかりだったな。すまなかった」

「いや、いいもん聞かせてもらったよ」

 列車はどんどん速度を落としていき、ついにがたんと、揺れて止まった。

 これを降りても、また帰ることはできるだろうか。真秀(まほろ)に、何も言わずに出ていったことを謝ることはできるのだろうか。

 すぐそこで列車の開く音がする。

 帰れない訳ではない。ただ、人生は一方通行だ。

 何かの拍子に今朝に戻れるのではないか。そんなことを淡くとも期待していた自分に気が付いた。

「会うのが今日じゃなければ、君とはいい友人になれたのに。惜しいよ」

「この戦争では勝つんだから、また会えるさ」

 そうだな、と答えるも、そうとは言い切れない、中途半端な違和感を覚える。

「そう、きっと勝てるさ」

 夏のそよ風が吹いてくる出口へと歩みを進めていく。出口は、いくら見渡しても見きれない青空が切り取られている。

 列車の外へと一歩踏み出したその時だった。

 ふわっと風が起きる。風は髪をもてあそんで、列車の中へと消えていった。
 思わず列車の方を振り向く。

 ただ、目線の先にある列車の座席に焦点は合わない。なぜだかそこに、真秀(まほろ)の面影が見えた。

「いってくるよ、真秀(まほろ)」

 そう呟くのも終わる前に、その姿は消えてしまった

「なあ、君」

 後ろからの声に、振り返る。

「忘れ物でもしたのか?」

「いや、何も」

 そう言って駅の出口へと歩き出す。

 影が空の青さに染まるような空には、おぼろげな月が浮かんでいた。


FIN.