非日常。この一言がよく合う外観。身長の何倍もある両開きの門は、白くヴィンテージ調の模様になっている。その外観を裏切らない内装は、煌びやかで壁には、右を見ても左を見ても教科書に載っていそうな絵画が等間隔に飾られた廊下。いくつの部屋の前を通ったかも分からない。俺の家の廊下とは桁違いに長い廊下を抜ける。
凪紬は「多分こっちにいるはず」と言って、天使である母の場所まで向かう。
玄関と対角にもう一枚、今度は、大きな壁に対して小さく取り付けられた扉が見える。小さいと言っても、凪紬の身長は超えている人1人が腰を曲げずとも通れる高さだ。
内開きの扉を開けると、そこは広い庭に繋がっている。来る道中の歩道の横に続いていた真っ白な柵が全てこの庭に繋がっていたのだろう。
凪紬に続くように外へ一歩出る。空はこんなに青かっただろうか。新緑はこんなに鮮やかだっただろうか。どこを切り取っても息を呑むほど美しい。ここが庭だと紹介されても信じがたかった。
絵に描いたように、白いベールのようなワンピースを纏った女性。風も感じないほどの奇妙とも取れる空間でこちらに近づくたびに綺麗に切り揃えられた髪が微風に揺らされるようにふわりとする。と、思えばこちらに駆け寄ってきた。
「わぁぁ! お友達!?」
「……うるさ」
「最近は熱心に学校通ってたのはこの子がいるから!?」
「……そうだよ」
「はじめまして! 凪紬の母のラブです! 気軽にラブって呼んで!」
母と言うには若過ぎるほど、しわひとつない肌艶。天使だと言われれば誰もが納得できる透き通るほど白い肌と細い髪の毛。凪紬と瓜二つのエメラルドに輝く瞳に、細身な体格は親子というよりも兄妹にさえ思える。
美人すぎる彼女は記憶に新しかった。
《あ、レストランの……》
「あそこのご飯おいしのよー!」
俺が店員であることは知っているらしい。元気すぎる凪紬の母は、凪紬同様レストランでのお淑やかな印象と違いすぎる。凪紬のおかげでそのギャップに驚くこともなくなった。
そして、ラブさんはニヤリと口角を上げるとレストランについて続ける。
「凪紬ったら、そこに好きな子がいるっぽくてね」
「ちょ、母さん」
「『好きな子には優しくしなきゃダメだよ』ってアドバイスしたつもりが、もうすでに棘のある言葉言ってしまった後だったのか、ため息つかれちゃって、もー、息子がこんな恋に振り回されるなんて初めて見たわ!」
「……母さん、その好きな人がこの子だから!!」
「ん? そんなの来た時からわかってたわよ。母を舐めないで?」
「じゃあ、なんで……」
「わ、ざ、と、に決まってるでしょ!」
意地悪な笑みを浮かべるラブさんが、凪紬の意地の悪い顔そっくりで微笑する。
凪紬が俺のことをちゃんと紹介しなかったことを根に持っているらしい。その腹いせか凪紬がわざわざ俺に振り回されていることを言いたくなってしまったらしい。
「えーと、名前は何て言うの⁉︎」
《花園李斗です》
「花園……李斗?」
天使だからか凪紬に呪いのことを聞いていたのか、察したらしく「お茶でもしながら話しましょう」と、広い庭の中央に設置されたテーブルに招待される。
緑の芝がラブさんの髪の毛が映える。凪紬が白い髪の毛でここにいたら
すごく美しいんだろうと自分のことを聞きにきたのに、凪紬の思考をめぐらせてしまう。
真っ白な丸いテーブルの周りにはテーブルを囲むような形で、等間隔に同じ白い椅子が3つ並べられている。
凪紬を挟んで俺とラブさんが座る。
そして、凪紬が話し出した。
「母さんに会ってもらってるのは、他でもない呪いの話を聞きたいからだよ」
《天使がかけた呪いは解いたって聞きました。でも、天使の言い伝えはまだ呪いは残っているとなっているんですよね》
「そうよ? そのことなら話すことはないんじゃない?」
俺が「どうしてですか?」と、スマホのメモに打ち込み終わる前に、凪紬が口を開く。
「なんでだよ」
「大昔にかけられた呪いはもちろんもうないわ。別の呪いだし、言い伝えは所詮ただの言い伝えよ」
「それはわかってんの。この呪いが何なのか知りたくて……幼い頃に俺も呪いにかかったことがあるんだよ。それは母さんも知ってるだろ? 俺が考えるに、その花園家に呪いをかけた大天使が天使と人間の子供である俺に対しても呪いをかけたって考えるのが妥当だろ?」
「無理よ。あなたが呪いにかかったのなんてほんの十数年前の話でしょ? その頃には大昔に呪いをかけた子が呪いをかけられるほどの力なんて残っていなかったもの」
「じゃあ、なんで……」
「李斗くん。目の前にいるじゃない」
ゆっくりと俺に向けられた視線。その先を耳にするのが怖いくらいに静かに話す凪紬の母に固唾を飲む。
「呪いをかけた本人が」
「え……?」
重い石でガンと、叩かれたような鈍い衝撃。それは俺だけではなかった。ただただ信じることができないままの凪紬を無視して話を続ける。
「無意識的な呪いほど厄介なものはないわね」
——凪紬が呪いをかけていた……??
「こんな息子でごめんなさい。確かに、人間に恋をした天使たちにも呪いをかけていたし、そのご子息も呪われていた。けど、花園家はもちろん、すべての呪いは解かれているわ。花園家の呪いは続いているというのは、ただの迷信よ。これ以上悲しむ人間を生まないようにするための天使の教訓みたいなもの」
凪紬が聞いていた話と俺が父と母から聞かされていた花園家の話の行く先が違う時点でなんとなく、違和感は感じていた。
「人間と天使の間に生まれた俺に、天使の力がそこまであると思えない」
自分がかけたのではないと否定したくて、抗えないものに抗おうとしているのがひしひしと伝わってくる。
ラブさんが無意識の呪いと言っていた通り、凪紬は意識して呪いをかけていなかったはずだ。
「そもそも人間と天使の間に生まれた子があまり前例はないけれど、この場合天使の方が強く継承されるらしいわね」
「らしいって……」
確証のないラブさんに言い方に、苛立っているのを感じる。しかし、そんなことはもろともせずに確信に変化する。
「そりゃあ、あなただって人間の寿命をとうの昔に超えてるのが何よりの証拠じゃない」
——人間の寿命を超えている? じゃあ、あの時の言葉は……
『飽きた』。いつしか、凪紬が俺に放った言葉だ。俺は凪紬が大人ぶりたいだけなのだとか考えたこともあった。でも、凪紬にとって本当に飽きていた本心だったのだろう。
目の前で繰り広げられる会話について、得た情報を整理していくのでやっとだった。
呪いをかけた本人は凪紬であること。凪紬は、人間よりも遥かに生きることが出来ること。怒りも悲しみも小さく、ただ、好きになることが苦しいと感じていたのは俺だけではなかった。
俺が凪紬の立場だったら、迷わず呪っていただろう。
——人間を好きになっても、同じ時間を過ごせないから。
とは言え、俺は凪紬の呪いは解かなければいけない。いや、解いて俺が凪紬に好きと伝えたい。
《呪いはどうすれば解けますか? 凪紬に忘れられたけど、思い出してくれた》
「李斗……」
「そうね。凪紬、何が怖いの?」
「怖いとか……!!」
「自分が人間じゃないこと?」
「ち、違う!!」
人間と同じ時間を過ごせないことが怖いはずだ。それでも、肯定しないのは、母を否定したくないのだろう。凪紬は天使の力を持って生まれたラブさんのことを大切に思っているから。そして、父である人間と同じ時間を過ごした凪紬自身もそれを否定などしたくないんだろう。
「……いいわ。頭を冷やしてきなさい」
凪紬は俯いたまま庭を後にし、庭から室内へ繋がる扉の奥へ消えていった。俺が凪紬にかけられる言葉が見つからず、ただ、扉を見つめることしかできなかった。
ラブさんと2人きりになった俺は喉の詰まりがとれた感覚になり、声が出せると本能的に感じ取る。
「改めて、凪紬がごめんなさい。母として止められなかったこと、呪いについてしっかりと教えてなかったこと本当に情けなく思うわ」
「い、え……」
否定する俺に、ラブは疑問に思う。
「怒らないの?」
「怒ってますよ。凪紬が呪った天使だと思わなかったですし。でも怒るのは、呪いが解けて自分の声が凪紬に届くようになってからがいいです。喧嘩も好きも全部自分の口で伝えたいですから」
「本当にいい子を見つけたのね」
良い子なんかじゃない。ただ、こんなことをされても凪紬が好きだから。凪紬以外はどうなったってどう思われたっていいんだ。
この呪いを解きたい理由も、俺の言葉で全て伝えたいということが原動力になっているくらいなのだから。
「じゃあ、私からの謝罪は受け取ってくれる?」
「ラブさんからですか?」
「そう。凪紬が呪いをかけてしまったのはわたしの所為だと思うから」
「ラブさんの所為……」
ラブさんは少し悲しそうな表情を浮かべ、左手の薬指にはめられた華奢な指輪に触れる。
「わたしが夫と出会って、結婚して、凪紬が生まれてすごく幸せだった。でも、寿命って残酷よね。もう何十年も前なんだけど亡くなってしまったから。多分、そのことがあったから」
凪紬が人間の寿命を超えているというところで、父がもう亡くなっていることは察しがついていたし、だからこそ、忘れたいという気持ちも理解できた。忘れてしまえば、苦しさも感じることがないから。それに、凪紬の立場だったら同じことをしたと思うのは嘘ではない。
——でも……
「そうだったら、凪紬は俺のこと信用してなさすぎですね。もし俺が先に死んだとしても、俺はあいつを好きになって良かったとしか思わないし、俺のこと好きで良かったって思わせる自信しかないです」
「なんで?」
「だって、俺と話してるときの凪紬の表情が豊かで幸せそうなのは人付き合いのなかった俺でもわかるくらいでしたから。だからこそ、俺が先に死んだら苦しいのもわかる。それよりも……今動かずに、俺と恋ができなかったことを後悔させてあげますよ!」
「恋ができなかったことを後悔……それすごく好き」
「ラブさんは、旦那さんを好きになって後悔しましたか?」
「いいえ。あの人を好きになれて恋ができてよかったと思っているわ」
恋ができてよかったというラブさんは、旦那さんのことを思い返しているのだろう。微笑みながら「あの時食べたたい焼きをもう一回食べたいとか、選んでくれた服とか付き合う前のことも全部覚えているもの」と、遠くを眺めた。
「俺も、凪紬とそんな関係になれたらいいっす」
「あなたたちらしい恋ができたらわたしも嬉しい」
「凪紬にあと何百年あるのか知らないですけど、幸せな時間が一秒でも長い方がいいに決まってる。一緒にいれる時間も。一緒に話せる時間も。くだらない話も。全部今しかできないですから」
——どんなことにも”後で”なんてない。今しかないんだ。
「俺は人に忘れられるのが怖くなって、ずっと人を避けてきました。その間に出会えた人も、話せてたらもっと学校行事も楽しかったかもしれない。息を殺して、自分を偽らなくてもよかったかもしれない。そうさせたのは間違いなく呪いだ」
「……」
「天使のせいだと、言って仕舞えば俺は楽になれるかもしれない」
俺は一呼吸置いて、全て吐き出すみたいに言う。
「今は一歩を踏み出せなかった自分の勇気のなさにも怒ってます。実際に、俺が凪紬に忘れられたときに頑張ったから思い出してくれました。それに、こんな俺らしか味わえない苦しいってもはや幸せです!」
ラブさんは泣きそうな顔を一瞬見せた。そして穏やかに「ありがとう」と口にされた。
「あと、一つ聞きたいことあるんですけど」
「なぁに? なんでも聞いてちょうだい」
「凪紬もですけど、ラブさんも……、あ、いや、なんでもないっす」
失礼なことを聞くことになると踏む止まる。
「えー! そこまで言っておいてなしはないわよ!!」
「怒らないでくださいね……」
「もちろん!」
「いや、あー、老けないのかなーって……」
目を丸くするラブさんは身体を前に傾け、口を開けて爆笑する。
「あっははは!!」
「失礼なこと聞いてる自覚はあるんですけど、人間の寿命超えててあれってすごすぎません?」
「確かに不思議に思うわよね。それはね、私たちは見た目だったら基本的に変えられるわ。人間に溶け込めるようにってとこかしら。私は変化させる理由がないから変化しないようにしてるけど……凪紬は人間の一生を知るとか言って10年か前に幼い子に変化させてたこともあったわ。あ、わたしも一回だけ幼い子になったことはあるけど慣れなくてすぐやめてしまったわ。これは呪いに似た方法ではあるけど、人間に直接危害を加えるわけじゃないから許されているのよ」
「人間に危害を加える呪いって、何か不都合があるんですか?」
「……簡単に言うと代償があるかないかね」
「え……?」
代償という言葉で背筋が凍る。俺に気を遣ったのか、慌てて口を開く。
「あれは完全に無意識だから、多少はなんとかなるし。仮に天使側から怒られてもわたしと言う恋の大天使ちゃんがなんとかするわ!」
「恋の大天使……?」
「えへへ! これでもすごい天使だったのよ!」
「天使にも色々あるんですね」
俺が住んでいるこの世界とはやはり、違う世界なのだと実感させられる。
多少はなんとかなると言ったくらいだ、よくない予感がする。
それに、心のどこかで引っかかりがある。
「昔好きな人に忘れられたことがあるってそれって、凪紬が自分にも呪いをかけていたって言うことですよね?」
「そうね」
「今回、凪紬は自身には呪いをかけていない」
「そうよ」
「その……忘れたくなるくらい一緒にいたいと思っている人だったんでしょうか……」
「あはは‼︎ ごめんなさい。そうね、そうよね。今回に関しては代償がないからかけられなかっただけじゃないかしら」
「自分自身でも代償は必要ということですか?」
「ええ。人の記憶を奪っているのだから、人間への大きな損害よ」
「凪紬が呪いをかけてまで怖がった人間を知りたい?」
「んーー、いやぁ……別に……」
知りたいと知りたくないが交錯し歯切れ悪く返事をする。
「んふふ。大きくなったわね。李斗くん」
「え?」
言葉の意味は理解できなかった。
それよりも、いつになっても戻ってこない凪紬に不思議に思い家の方へ向かう。ところが扉を開けようとどんなに押しても開かない。凪紬が、ドアの奥にいるのだと理解できる。すると、扉の奥からか細い声が聞こえる。
「俺が好きになったせいだ」
「やめなさい!!」
壁越しに話す凪紬に、俺の言葉を届けることができない。
——もう忘れられたくない……
自責する凪紬が、また呪いをかけるのではないかと、ラブさんも必死に声をかける。
無意識に呪いをかけたり、解いたりを繰り返している凪紬を止めたい。
見えない文字を打ち込んで扉に向ける。届かないことはわかっていた。
《凪紬、お願い。俺のこと信じて》
「凪紬、あなたのしたことは許されないことよ。それは母として叱るわ。でも、あなたが後悔しない方を選んでほしい」
カチャリと、音を立てて扉が開かれる。猫背になって俯いたまま俺のスマホに視線だけをやる。その顔が少し崩れると、スマホを持つ手を片手でソッと握りながら俺の肩に頭を乗せた。
「……俺と一緒にいない方が人間は幸せなんじゃないかって考えてた」
——そんなことありえない。
「でも、李斗が他の誰かを好きになったり、その人の隣を歩くのが俺以外なのは嫌だ……嫌なんだ」
——俺だって……!
今にも泣きそうなほど、声を振るわせる凪紬に俺の言葉は届かない。
——俺が好きなのは凪紬だ!! 隣を歩きたいのも、一緒にいたいのも凪紬以外いない。
声を大にして伝えたい。俺が伝えられる、寄り添えられる精一杯を見せる。
《俺だって、きっと同じことをした。だって凪紬に先に死なれたらなんて考えたくもないくらいどうしようもなく凪紬が好きだから》
凪紬は「多分こっちにいるはず」と言って、天使である母の場所まで向かう。
玄関と対角にもう一枚、今度は、大きな壁に対して小さく取り付けられた扉が見える。小さいと言っても、凪紬の身長は超えている人1人が腰を曲げずとも通れる高さだ。
内開きの扉を開けると、そこは広い庭に繋がっている。来る道中の歩道の横に続いていた真っ白な柵が全てこの庭に繋がっていたのだろう。
凪紬に続くように外へ一歩出る。空はこんなに青かっただろうか。新緑はこんなに鮮やかだっただろうか。どこを切り取っても息を呑むほど美しい。ここが庭だと紹介されても信じがたかった。
絵に描いたように、白いベールのようなワンピースを纏った女性。風も感じないほどの奇妙とも取れる空間でこちらに近づくたびに綺麗に切り揃えられた髪が微風に揺らされるようにふわりとする。と、思えばこちらに駆け寄ってきた。
「わぁぁ! お友達!?」
「……うるさ」
「最近は熱心に学校通ってたのはこの子がいるから!?」
「……そうだよ」
「はじめまして! 凪紬の母のラブです! 気軽にラブって呼んで!」
母と言うには若過ぎるほど、しわひとつない肌艶。天使だと言われれば誰もが納得できる透き通るほど白い肌と細い髪の毛。凪紬と瓜二つのエメラルドに輝く瞳に、細身な体格は親子というよりも兄妹にさえ思える。
美人すぎる彼女は記憶に新しかった。
《あ、レストランの……》
「あそこのご飯おいしのよー!」
俺が店員であることは知っているらしい。元気すぎる凪紬の母は、凪紬同様レストランでのお淑やかな印象と違いすぎる。凪紬のおかげでそのギャップに驚くこともなくなった。
そして、ラブさんはニヤリと口角を上げるとレストランについて続ける。
「凪紬ったら、そこに好きな子がいるっぽくてね」
「ちょ、母さん」
「『好きな子には優しくしなきゃダメだよ』ってアドバイスしたつもりが、もうすでに棘のある言葉言ってしまった後だったのか、ため息つかれちゃって、もー、息子がこんな恋に振り回されるなんて初めて見たわ!」
「……母さん、その好きな人がこの子だから!!」
「ん? そんなの来た時からわかってたわよ。母を舐めないで?」
「じゃあ、なんで……」
「わ、ざ、と、に決まってるでしょ!」
意地悪な笑みを浮かべるラブさんが、凪紬の意地の悪い顔そっくりで微笑する。
凪紬が俺のことをちゃんと紹介しなかったことを根に持っているらしい。その腹いせか凪紬がわざわざ俺に振り回されていることを言いたくなってしまったらしい。
「えーと、名前は何て言うの⁉︎」
《花園李斗です》
「花園……李斗?」
天使だからか凪紬に呪いのことを聞いていたのか、察したらしく「お茶でもしながら話しましょう」と、広い庭の中央に設置されたテーブルに招待される。
緑の芝がラブさんの髪の毛が映える。凪紬が白い髪の毛でここにいたら
すごく美しいんだろうと自分のことを聞きにきたのに、凪紬の思考をめぐらせてしまう。
真っ白な丸いテーブルの周りにはテーブルを囲むような形で、等間隔に同じ白い椅子が3つ並べられている。
凪紬を挟んで俺とラブさんが座る。
そして、凪紬が話し出した。
「母さんに会ってもらってるのは、他でもない呪いの話を聞きたいからだよ」
《天使がかけた呪いは解いたって聞きました。でも、天使の言い伝えはまだ呪いは残っているとなっているんですよね》
「そうよ? そのことなら話すことはないんじゃない?」
俺が「どうしてですか?」と、スマホのメモに打ち込み終わる前に、凪紬が口を開く。
「なんでだよ」
「大昔にかけられた呪いはもちろんもうないわ。別の呪いだし、言い伝えは所詮ただの言い伝えよ」
「それはわかってんの。この呪いが何なのか知りたくて……幼い頃に俺も呪いにかかったことがあるんだよ。それは母さんも知ってるだろ? 俺が考えるに、その花園家に呪いをかけた大天使が天使と人間の子供である俺に対しても呪いをかけたって考えるのが妥当だろ?」
「無理よ。あなたが呪いにかかったのなんてほんの十数年前の話でしょ? その頃には大昔に呪いをかけた子が呪いをかけられるほどの力なんて残っていなかったもの」
「じゃあ、なんで……」
「李斗くん。目の前にいるじゃない」
ゆっくりと俺に向けられた視線。その先を耳にするのが怖いくらいに静かに話す凪紬の母に固唾を飲む。
「呪いをかけた本人が」
「え……?」
重い石でガンと、叩かれたような鈍い衝撃。それは俺だけではなかった。ただただ信じることができないままの凪紬を無視して話を続ける。
「無意識的な呪いほど厄介なものはないわね」
——凪紬が呪いをかけていた……??
「こんな息子でごめんなさい。確かに、人間に恋をした天使たちにも呪いをかけていたし、そのご子息も呪われていた。けど、花園家はもちろん、すべての呪いは解かれているわ。花園家の呪いは続いているというのは、ただの迷信よ。これ以上悲しむ人間を生まないようにするための天使の教訓みたいなもの」
凪紬が聞いていた話と俺が父と母から聞かされていた花園家の話の行く先が違う時点でなんとなく、違和感は感じていた。
「人間と天使の間に生まれた俺に、天使の力がそこまであると思えない」
自分がかけたのではないと否定したくて、抗えないものに抗おうとしているのがひしひしと伝わってくる。
ラブさんが無意識の呪いと言っていた通り、凪紬は意識して呪いをかけていなかったはずだ。
「そもそも人間と天使の間に生まれた子があまり前例はないけれど、この場合天使の方が強く継承されるらしいわね」
「らしいって……」
確証のないラブさんに言い方に、苛立っているのを感じる。しかし、そんなことはもろともせずに確信に変化する。
「そりゃあ、あなただって人間の寿命をとうの昔に超えてるのが何よりの証拠じゃない」
——人間の寿命を超えている? じゃあ、あの時の言葉は……
『飽きた』。いつしか、凪紬が俺に放った言葉だ。俺は凪紬が大人ぶりたいだけなのだとか考えたこともあった。でも、凪紬にとって本当に飽きていた本心だったのだろう。
目の前で繰り広げられる会話について、得た情報を整理していくのでやっとだった。
呪いをかけた本人は凪紬であること。凪紬は、人間よりも遥かに生きることが出来ること。怒りも悲しみも小さく、ただ、好きになることが苦しいと感じていたのは俺だけではなかった。
俺が凪紬の立場だったら、迷わず呪っていただろう。
——人間を好きになっても、同じ時間を過ごせないから。
とは言え、俺は凪紬の呪いは解かなければいけない。いや、解いて俺が凪紬に好きと伝えたい。
《呪いはどうすれば解けますか? 凪紬に忘れられたけど、思い出してくれた》
「李斗……」
「そうね。凪紬、何が怖いの?」
「怖いとか……!!」
「自分が人間じゃないこと?」
「ち、違う!!」
人間と同じ時間を過ごせないことが怖いはずだ。それでも、肯定しないのは、母を否定したくないのだろう。凪紬は天使の力を持って生まれたラブさんのことを大切に思っているから。そして、父である人間と同じ時間を過ごした凪紬自身もそれを否定などしたくないんだろう。
「……いいわ。頭を冷やしてきなさい」
凪紬は俯いたまま庭を後にし、庭から室内へ繋がる扉の奥へ消えていった。俺が凪紬にかけられる言葉が見つからず、ただ、扉を見つめることしかできなかった。
ラブさんと2人きりになった俺は喉の詰まりがとれた感覚になり、声が出せると本能的に感じ取る。
「改めて、凪紬がごめんなさい。母として止められなかったこと、呪いについてしっかりと教えてなかったこと本当に情けなく思うわ」
「い、え……」
否定する俺に、ラブは疑問に思う。
「怒らないの?」
「怒ってますよ。凪紬が呪った天使だと思わなかったですし。でも怒るのは、呪いが解けて自分の声が凪紬に届くようになってからがいいです。喧嘩も好きも全部自分の口で伝えたいですから」
「本当にいい子を見つけたのね」
良い子なんかじゃない。ただ、こんなことをされても凪紬が好きだから。凪紬以外はどうなったってどう思われたっていいんだ。
この呪いを解きたい理由も、俺の言葉で全て伝えたいということが原動力になっているくらいなのだから。
「じゃあ、私からの謝罪は受け取ってくれる?」
「ラブさんからですか?」
「そう。凪紬が呪いをかけてしまったのはわたしの所為だと思うから」
「ラブさんの所為……」
ラブさんは少し悲しそうな表情を浮かべ、左手の薬指にはめられた華奢な指輪に触れる。
「わたしが夫と出会って、結婚して、凪紬が生まれてすごく幸せだった。でも、寿命って残酷よね。もう何十年も前なんだけど亡くなってしまったから。多分、そのことがあったから」
凪紬が人間の寿命を超えているというところで、父がもう亡くなっていることは察しがついていたし、だからこそ、忘れたいという気持ちも理解できた。忘れてしまえば、苦しさも感じることがないから。それに、凪紬の立場だったら同じことをしたと思うのは嘘ではない。
——でも……
「そうだったら、凪紬は俺のこと信用してなさすぎですね。もし俺が先に死んだとしても、俺はあいつを好きになって良かったとしか思わないし、俺のこと好きで良かったって思わせる自信しかないです」
「なんで?」
「だって、俺と話してるときの凪紬の表情が豊かで幸せそうなのは人付き合いのなかった俺でもわかるくらいでしたから。だからこそ、俺が先に死んだら苦しいのもわかる。それよりも……今動かずに、俺と恋ができなかったことを後悔させてあげますよ!」
「恋ができなかったことを後悔……それすごく好き」
「ラブさんは、旦那さんを好きになって後悔しましたか?」
「いいえ。あの人を好きになれて恋ができてよかったと思っているわ」
恋ができてよかったというラブさんは、旦那さんのことを思い返しているのだろう。微笑みながら「あの時食べたたい焼きをもう一回食べたいとか、選んでくれた服とか付き合う前のことも全部覚えているもの」と、遠くを眺めた。
「俺も、凪紬とそんな関係になれたらいいっす」
「あなたたちらしい恋ができたらわたしも嬉しい」
「凪紬にあと何百年あるのか知らないですけど、幸せな時間が一秒でも長い方がいいに決まってる。一緒にいれる時間も。一緒に話せる時間も。くだらない話も。全部今しかできないですから」
——どんなことにも”後で”なんてない。今しかないんだ。
「俺は人に忘れられるのが怖くなって、ずっと人を避けてきました。その間に出会えた人も、話せてたらもっと学校行事も楽しかったかもしれない。息を殺して、自分を偽らなくてもよかったかもしれない。そうさせたのは間違いなく呪いだ」
「……」
「天使のせいだと、言って仕舞えば俺は楽になれるかもしれない」
俺は一呼吸置いて、全て吐き出すみたいに言う。
「今は一歩を踏み出せなかった自分の勇気のなさにも怒ってます。実際に、俺が凪紬に忘れられたときに頑張ったから思い出してくれました。それに、こんな俺らしか味わえない苦しいってもはや幸せです!」
ラブさんは泣きそうな顔を一瞬見せた。そして穏やかに「ありがとう」と口にされた。
「あと、一つ聞きたいことあるんですけど」
「なぁに? なんでも聞いてちょうだい」
「凪紬もですけど、ラブさんも……、あ、いや、なんでもないっす」
失礼なことを聞くことになると踏む止まる。
「えー! そこまで言っておいてなしはないわよ!!」
「怒らないでくださいね……」
「もちろん!」
「いや、あー、老けないのかなーって……」
目を丸くするラブさんは身体を前に傾け、口を開けて爆笑する。
「あっははは!!」
「失礼なこと聞いてる自覚はあるんですけど、人間の寿命超えててあれってすごすぎません?」
「確かに不思議に思うわよね。それはね、私たちは見た目だったら基本的に変えられるわ。人間に溶け込めるようにってとこかしら。私は変化させる理由がないから変化しないようにしてるけど……凪紬は人間の一生を知るとか言って10年か前に幼い子に変化させてたこともあったわ。あ、わたしも一回だけ幼い子になったことはあるけど慣れなくてすぐやめてしまったわ。これは呪いに似た方法ではあるけど、人間に直接危害を加えるわけじゃないから許されているのよ」
「人間に危害を加える呪いって、何か不都合があるんですか?」
「……簡単に言うと代償があるかないかね」
「え……?」
代償という言葉で背筋が凍る。俺に気を遣ったのか、慌てて口を開く。
「あれは完全に無意識だから、多少はなんとかなるし。仮に天使側から怒られてもわたしと言う恋の大天使ちゃんがなんとかするわ!」
「恋の大天使……?」
「えへへ! これでもすごい天使だったのよ!」
「天使にも色々あるんですね」
俺が住んでいるこの世界とはやはり、違う世界なのだと実感させられる。
多少はなんとかなると言ったくらいだ、よくない予感がする。
それに、心のどこかで引っかかりがある。
「昔好きな人に忘れられたことがあるってそれって、凪紬が自分にも呪いをかけていたって言うことですよね?」
「そうね」
「今回、凪紬は自身には呪いをかけていない」
「そうよ」
「その……忘れたくなるくらい一緒にいたいと思っている人だったんでしょうか……」
「あはは‼︎ ごめんなさい。そうね、そうよね。今回に関しては代償がないからかけられなかっただけじゃないかしら」
「自分自身でも代償は必要ということですか?」
「ええ。人の記憶を奪っているのだから、人間への大きな損害よ」
「凪紬が呪いをかけてまで怖がった人間を知りたい?」
「んーー、いやぁ……別に……」
知りたいと知りたくないが交錯し歯切れ悪く返事をする。
「んふふ。大きくなったわね。李斗くん」
「え?」
言葉の意味は理解できなかった。
それよりも、いつになっても戻ってこない凪紬に不思議に思い家の方へ向かう。ところが扉を開けようとどんなに押しても開かない。凪紬が、ドアの奥にいるのだと理解できる。すると、扉の奥からか細い声が聞こえる。
「俺が好きになったせいだ」
「やめなさい!!」
壁越しに話す凪紬に、俺の言葉を届けることができない。
——もう忘れられたくない……
自責する凪紬が、また呪いをかけるのではないかと、ラブさんも必死に声をかける。
無意識に呪いをかけたり、解いたりを繰り返している凪紬を止めたい。
見えない文字を打ち込んで扉に向ける。届かないことはわかっていた。
《凪紬、お願い。俺のこと信じて》
「凪紬、あなたのしたことは許されないことよ。それは母として叱るわ。でも、あなたが後悔しない方を選んでほしい」
カチャリと、音を立てて扉が開かれる。猫背になって俯いたまま俺のスマホに視線だけをやる。その顔が少し崩れると、スマホを持つ手を片手でソッと握りながら俺の肩に頭を乗せた。
「……俺と一緒にいない方が人間は幸せなんじゃないかって考えてた」
——そんなことありえない。
「でも、李斗が他の誰かを好きになったり、その人の隣を歩くのが俺以外なのは嫌だ……嫌なんだ」
——俺だって……!
今にも泣きそうなほど、声を振るわせる凪紬に俺の言葉は届かない。
——俺が好きなのは凪紬だ!! 隣を歩きたいのも、一緒にいたいのも凪紬以外いない。
声を大にして伝えたい。俺が伝えられる、寄り添えられる精一杯を見せる。
《俺だって、きっと同じことをした。だって凪紬に先に死なれたらなんて考えたくもないくらいどうしようもなく凪紬が好きだから》



