好きになったから、恋がしたい

 コンビニを退店すると傘を購入しにきた何人もの生徒が軒下で服に付いた水滴を払っている。
 俺に話しかけるのは少し前から1人しかいない。

「あ、花園くんさっきはありがとうね」

 コクリと頷く。大好きな声を無視することなんてできない。

《もう大丈夫なのか?》
「うん。大丈夫だよ」

――よかった。
 それを聞くと俺は、傘をバサッと開き、バイバイと手を振る。
——だって、もう一緒に帰る仲ではなくなってしまった。今日のところはここが引き際だ。

「待って……!」

 ピタリと、歩く足を止める。

「ごめん。駅まで行くんだったら、傘入れてほしいです……」

 傘に入れて欲しいだけだと理解していても呼び止める声に期待してしまう自分が憎い。
 一生懸命に背伸びをし、傘を凪紬の頭上に持ってくる。

「入れてくれるの? ありがと。俺が持つよ」

——当然だ。
 身長差のありすぎる俺たちは、当然凪紬が傘を持つ。
 同じ傘に入ると凪紬に傘を渡す時にすぐに離れてしまった細く骨ばった指も、筋肉のある肩も触れてしまいそうで息を止めてしまうくらい、苦しい。
 車道側を歩く凪紬の顔を見れずただひたすらに歩く。

「大丈夫? ちゃんと傘に入ってる?」

 またコクリと頷く。
 嘘だ。傘の端から雨粒が歩く肩をポタポタと、パーカーに染み込まれて行っていた。その冷たさをかき消すほど身体が火照る。

「ちょっと!! 傘入ってないじゃん!」

 俺たちの間には人が1人入れるほどの隙間はあったのだ。
 これ以上近づいたら、心音が聞こえてしまいそうなんだ。そんな俺の思いを気に留めない凪紬は優しさから腕をぐいっと引っ張られる。

「風邪引くから、俺にくっついてでも濡れないようにしよ?」 

——なにやってるんだ!
 凪紬が傘に入れようとすればするほど、俺は傘の外へ出ようと抵抗する。

「だーめ。また離れるじゃん」

 抵抗をやめない俺の腰に手を当て、優しいながらも俺の力では勝てない力で抱き寄せる。
——バッ……優しいのはわかる。わかるけど、これは心臓壊れるだろ。

 1つの傘に入り、降り続ける雨の音色を聴きながら何も話さず歩き続けた俺たちは、駅舎の階段の下にまで到着した。そこは、もう屋根の設置された傘の必要のない場所。
 するりと、俺の腰から手を離す。なんだか離れ難いその手を目で追った。

 階段を登り、コンコースを抜ける。改札の前に着くと、「どっち?」と、2つしかないホームのどちらに行くのか聞かれた。指差した俺の指の方向を見て驚く。

「あれ? 方向一緒じゃん」

——そうだよ。
 16時45分発。品川行き。電光掲示板が示す次の電車の時間まであと10分だった。
 一本前の電車が出発したばかりで、ホームに人はまばらだ。列の最前列で、横並びに待つホーム。後ろには、同じ制服の高校生が次々と列を成していた。
 まっすぐと降る雨。何も会話はなくても、雨が奏でる音楽を凪紬の隣で待つ10分は心地よくて、なぜか甘えたくなる。
——諦めたくない。早く思い出してよ。
 足を一歩だけ凪紬の方へ動かして身体を近づける。

「ん? 何?」

 ほんの少し、掠れる程度許してほしい。
 首を横に振り、なんでもないという動作をして見せる。
 勢いを保ったまま到着する電車。
 電車は、席の前などに人はいないものの座ることはできなかった。
 揺れる電車の凪紬が吊り革を握る。俺自身は、電車の吊り革に手が届いても腕に余裕がないので、基本的に吊り革を掴むのは好きではない。

「俺に掴まってていいよ」

 服の裾の端をつまむ。
 
「あと何駅?」

 指折り伝える。

「最寄り同じ?」

 頷き答える。
 慌てて、外を見て電車が駅に着くのを待った。
 鼓動がうるさいまま、無事に駅に着いた電車を降りる。横を歩く凪紬が何を考えているのかがわからない。
 1つしかない出口。改札を潜る。”また明日”って言ったら、もう今日は一緒にいてくれないのだろうか。改札を出たまま佇んだままの凪紬が、まだ一緒にいたいと思ってくれてるんじゃないかと、と都合よく解釈してしまう。俺より先を進む凪紬にこれ以上、俺が期待する前に「またね」って言ってくれと願う。
 まだ、乾き切っていないパーカーの肩は冷たい。小さくくしゃみした。

「大丈夫? 本当は熱あるんじゃない?」

 凪紬がわざわざ振り返って額に手を当てる。
——”友達”ではないのに、この距離感。誰にでも……女の子にもこうするんだろうな。

「熱あるじゃん」
「……」
「俺送るよ。花園くん」

 左右に首だけを振り、拒否する。「いや、途中で倒れられても困るから」と、言う。
——さっきから花園くん、花園くん……て。
 苗字でなんて呼んでなかったクセに。また李斗って呼べよ。

《体調が悪かったのはそっちだろ。凪紬》

 下の名前で呼ぶと、瞳を丸くして驚かれる。思い出せない罰だとふんと鼻を鳴らす。凪紬が下の名前で呼んで欲しいって言ったんだ。今更変えて欲しいとか言っても聞いてやらないんだから。
 きっと、俺のことは綺麗さっぱり忘れて、彼女でもできるんだろうな。
——……嫌だ。そんなの許せない。
 凪紬を許せないんじゃない。あの時俺が動けば、何か変わるかもしれなかったって後悔する自分が許せない。
 凪紬に会ってから我慢が効かなくなってしまった。そうしたのは、アンタのせいだから。察しが悪いと怒る子供みたいに凪紬の腕を力任せに引き寄せる。
 バランスを崩した凪紬の顔が息がかかりそうなほど近い。いや、わざと近づけた。前髪と前髪が掠める。

「な…に———」

 とまどう凪紬を無視して、唇に触れる。一瞬重なった唇に感じる熱。

——俺に恋してしまえ! バカ!!
 李斗ってまた呼べよ!

 ぎゅっと瞑った目を細く開ける。凪紬の切長の目が大きく開いたその瞳が揺らぐ。
 思わず離した唇と共に逃げるように走った。後ろを振り返ることなどできず熱が上がっているのを感じても、ただ我武者羅に足を動かす。
 凪紬の泣きそうになる顔を見て、期待してしまった。思い出してくれるなんて贅沢な話だ。今のは、きっと嫌だったからに違いない。

「もう会話をすることなんて本当にできないだろうな」

 高架橋を渡る。横断歩道を通っても良かったはずの道。いつもは信号の待ち時間なんて授業中よりも何倍も楽だ。なのに、今は止まっているのがしんどい。
 俺の独り言に、「できる」と、返事をしてもらいたかった。しかし誰も言ってくれる人はいない。
 上がった息に次第に足は減速する。点滅する青信号を横目に、横断歩道の横にある歩道橋を歩き続ける。さっきまで降りしきっていた雨は上がり、夕日が顔を出しかける。

「李斗!!!!」

 歩道橋の半分に差し掛かったと思ったら、凪紬の幻聴まで聞こえるようになってしまったらしい。
 
「待って! 李斗!!」

 ふわりと抱き抱えられる。この感触をよく知っている。
 見上げたそこには、当たり前に凪紬がいた。

「李斗」

 声が出ない俺の口が塞がれる。
——ん。
 名残惜しそうに離れる凪紬の唇が小さく動く。

「好き」

 より一層、力の入る腕。

《な、んで……》

 同じだと答えたい。『好き』と、伝えたい。
 出ない声に反抗するように口パクで何回も何回も『好き』と、口にする。口にすればするほど、我慢していた涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。
 我慢する気など全くない。

「うん、ありがとう」

 熱で朦朧とする頭に抗えなかった。その場で倒れ込む俺に、熱があったことを思い出させた。

「李斗!」

 凪紬の名前を呼ぶ声が微かに聞こえた。



 初恋の人をなぜ忘れているのだろうか。俺は忘れるはずのなかった恋。
『好きな人に忘れられる呪い』
 俺が好きになった人に忘れられるのは分かる。俺が好きな人を忘れるのはこの呪いから逸脱している。その理由を考えたこともなかったが、今考えないでいつ考えるのか。もうこんな呪いは嫌だ。早く謎の呪いを解いて、——凪紬に「好き」と、伝えたい。

「李斗! 大丈夫?」

 凪紬の声に顔だけ動かす。
——どうして凪紬がいるんだ? ……そうだ。俺倒れたんだ。
 状況を一つ一つ糸を解くように、紐解いていく。
 俺のことを下の名前で呼んでいる凪紬がいる、ここは俺の部屋で。
 ということは、記憶は戻っていて。
——じゃあ、話せるの?
 口を小さく開いて声を出すことを試みる。結果はわかっていた。自分の身体のことは自分が一番わかっている。喉でつっかえるみたいに声帯を押し殺される。
 凪紬は思い出せた。何かが鍵になったのか? と思考する。自分からキスをしたことを思い出してボンと音を鳴らすかのように顔が赤くなる。

「李斗? 熱さがってないよね。無理に起きなくても……ん⁉︎」

 凪紬の顔を覗き込み、キスをする。

《記憶戻ったんだろ?》
「そ、それはそうだけど……なにしてんの」
《俺からキスしたから何か変化あったのかと思って》
「そんな物語のお姫様じゃないんだから……」
《じゃあ凪紬からしたら俺に変化あるとかは?》
「……意味ないよ」
《なんで意味ないってわかるんだよ》
「李斗が寝てる間にしてるし……」

——へ?
 顔が今までにない以上に熱くなるのを感じる。「とりあえず、お母さんに伝えてくるから」と、いそいそと凪紬が部屋を後にした。
 
 程なくすると、視界にまた凪紬が覗いたために、身体を起こす。凪紬の後ろから母の声が聞こえた。

「李斗、何があったの?」
「……」
「あ! 俺、ちょっとコンビニ行ってきます。俺がいると声、出ないから」
「え……? バイトのしすぎで疲れが出たとかじゃないの?」

 俺が首を横に振ると、母は覚悟したように顎を引く。

「東崎くんって言ったかしら」
「はい」
「花園家についてはどこまで聞いてるの?」
「基本的に知ってます。俺は……」

 凪紬の背後から両手で話す口を押さえ次の言葉を阻止する。
——言わなくていい。
 この家系は天使に対して良い印象は持っていない。凪紬が傷つく言葉を言われないか、心配になる。親だからこそ、俺のことを守ろうと警戒するはずだ。

「言わなきゃダメだよ」

 そっと、両手を握られ下される。
 
「俺、天使なんです。黙っててすみません」
「そう……」

 母は、怒るでも悲しむでもなく、ただ静かに「東崎くんと話がしたい」と言って2人は俺の部屋を出ていってしまった。
 1人になった部屋は静かで、少し前まではこれが普通だったのにどこか寂しささえ感じた。

——喉乾いた。
 水を取りに行こうと階段を降りる途中で、階下から凪紬と母の話す声が聞こえる。咄嗟に隠れた。

「なんで追い出さなかったんですか。花園家は呪いにかかってたんですよね? 天使が憎くないんですか?」
「憎くないって言ったら嘘になるわ」
「そう、ですよね」
「でも、あなたの話している後ろで李斗が『絶対追い出すな』ってすごい怖い顔してたし……それに、李斗が話せないってことは、あなたのことが好きってことでしょう? 人を避けてた李斗がそう思える人に会えたの、すごく嬉しいのよ」

 母が俺のことを考えてくれているという事実がどうしようもなく嬉しい。

「幼稚園の頃に一度呪いが発動して、その後私たち、親も人を避けるように行動してしまったから責任も感じていた。だからこそ、また好きと思える人に会えたことがとても嬉しいわ」
「そうだったんですね」
「あ! ごめんなさい。今あなたのことが好きなのに他の人の話なんて」
「……いえ、そうだとしても俺も李斗が好きなのは変わらないです」
「凪紬くんみたいないい天使と生涯を共にできるのなら、いいと思うわ」
「……一緒にいれたら幸せです」
「まるでそれが不可能みたいな言い方ね……」

——なんでそんな言い方するんだよ。
 カタッ物音を立ててしまった俺の方に、振り向く。

「今の話、聞いてた……?」

 小さく頷くも盗み聞きをしていたという罰の悪さから、おずおずと顔を出す。
 すると、凪紬は苦笑いして「おいで」と、優しく声をかけてくれた。俺は、コップに水を汲むと凪紬の隣の席に座る。

 母に「やっぱりそっちに座るのね」と笑われてから、自然と凪紬の隣を選んだことを自覚させられる。

「そもそも、呪いは解けているはずってところよね」
「え? 解けてるんですか?」
「え、えぇ。もちろんよ。というか、本当に李斗が特殊なの。祖父母も祖父母が知る限りのご先祖さまにも呪いは発動してないのよ。言い伝えられてはいたけどね」
「それだったら…うちの母に聞いた方がいいですね。天使からの情報だと、花園家の呪いだけは解けていないとまで言い伝えられているので……」

 花園家と天使では、言い伝えに齟齬がある。事実、花園家にはもう呪いは残っていなかったし、天使の伝えである花園家に呪いが残っているということに当てはめれば、俺が呪われてるのも不思議ではない。

《明日、行こう》
「熱出てるんだから、そんな急がなくても、母さんは逃げないよ」
《なんか、ダメな気がする》