自分で言った言葉に後悔しても遅かった。凪紬はもう、戻ってくることなく、ベンチにただ1人で泣き崩れる。
———凪紬……。
心の中で甘え凪紬の名前を呼んだところで、しばらく、泣き続けた。泣き腫らした瞼は重い。落ち着こうと、少しベンチで休んでいると、足音が聞こえてきた。近づいてくる音に顔を上げる。
まさか凪紬……!
「李斗?」
低く穏やかな声。
———優光さんだ……。
なんで、ここにいるのか。次の日にバイトに行った時にいなかったくせに、ふらりと目の前に現れる優光さん。
恋を自覚して2回目に対面する。ということは、もう俺の声は届かないはず。持てない希望で諦めながら口を開ける。
「どうして急にいなくなったんですか……」
———えっ?
声が出ている。
そんなはずがない。聞こえてない可能性を疑う。
「……それは」
優光さんは、さっきまで、凪紬が座っていた場所に入れ替わるように座る。
「いや、言いたくないなら全然大丈夫っす」
確実に聞こえている。そう確信した俺は、動揺を隠すように顔を俯け、口元を手で覆う。
「んーん」と、首を左右に振る優光さんは、俺の顔を覗き込むように言う。
「マフラーはどうした?」
「あ! すんません!! 今日持ってなくて」
慌てて顔を上げる。
「ん? 大丈夫だよ。あのマフラーは李斗にあげたものだから」
「あっ……」
少し前の俺なら、嬉しいはずだった。
でも、気づいてしまった。今、優光さんと会話ができていることが何よりの答えだ。
———あぁ。俺って移り気なのだろうか。
「あざす……」
これが凪紬からだったらって思ってしまうなんて。なんて最低なんだろうか。
——そうか。俺はもう……
恋愛感情の好きではなくなった人。今なら伝えられるだろうか。好きだった人に好きだと伝えるのはご法度だったりするのだろうか。人付き合いがわからない。それでも、伝えておきたいと思ってしまった。そう思った時には、優光さんに向かい会うように身体を捻り、言葉が口に出ていた。
「俺、優光さんのこと好きだったっすよ」
「え? ありがとう?」
「恋愛感情っすよ」
優光さんは、長い瞬きをし、俺に向き合い真剣な趣で言う。
「……それ、もう変わんない?」
「はいっす」
「そっか……」
改めて「そっかぁぁぁ」と言い、項垂れる優光さんは、悲しそうにも、優しく笑って「他に好きな人でもできたのか?」と、揶揄う。俺は真っ赤に茹で上がったタコになってしまっていた。恋バナもしたことのない俺にとっては、恥ずかしがるには十分すぎたのだ。
耐え難い話題に、俺は話の流れを変える。
「そう言えば、なんで優光さんここにいるんすか?」
「凪紬くんっていう子から連絡きて、ここに来いって」
スマホを取り出してメッセのアプリを指差して見せる。
凪紬が歩いていた時に、スマホを操作する姿を思い返す。そして、メッセの会話をしている画面を俺に共有してくれた。
メッセの送信時間は、俺がパン屋のバイトを上がって、数分後を示していた。その時に送ってたのだろう。そして、優光さんはこの駅から離れたところに住んでいることを見越して送信したかのような、図られた時間。
「……何やってんだよ」
「李斗?」
「あ。いや、優光さんて凪紬と仲良いんすか?」
「えっ? 凪紬くんと知り合い?」
「高校同じっす」
「なるほどねー。俺は凪紬くんと色々あってね」
“色々”、なんて便利な言葉なんだ。
「……ふん」
口を尖らせ、鼻を鳴らす俺に、優光さんは声を出して笑う。
「あっはは! 嫉妬しないでよー。別にすごい親しいわけじゃないよ?」
「嫉妬なんて! して、ないっす」
「俺は逆に嫉妬しちゃうな」
「え?」
「いや、なんでもないよ」
「バイトは就活のためにやめただけだよ。それと凪紬くんは、俺らがバイトしてるレストランのオーナーの息子だからね」
「へ?」
「俺はバイトリーダーみたいなのもしていたし、年齢も近いからって半ば無理やり凪紬くんと食事させられて連絡先交換させられたんだよ」
「そう……だったんですね」
そういえば、俺は凪紬のこと何も知らない。
——凪紬は天使。でも、”母が”って言った。じゃあ、父は……?
そもそもなぜ、優光さんを呼んだんだ?
「優光さん、俺のこと忘れてなかったですか?」
「忘れる? まさか! こんな尖った後輩初めてだったから忘れられないよ」
「優光さん……」
優光さんが俺のことを覚えていたから呼んだのか?
俺の呪いは何だ?
『好きな人に忘れられる呪い』
まるで俺がもう優光さんに恋愛感情がないことをわかっていたかのように……それどころか、俺の気持ちの天秤が凪紬に傾いていることまでもお見通しだったんだ。
「俺のこと忘れてもいいって言うことかよ……」
*
凪紬に“どっか行って”と言ってしまった。それでも、凪紬の大きい腕で包んでくれると勘違いしていた。そのまま帰る背中を追うこともできない。あまりにも自業自得すぎる言葉に後悔した。
凪紬と距離を取った。とはいえ、距離を取らずとも、あの後すぐに春休みに入ったから会うこともなかった。
たまたま、最寄り駅で一度会ったが、もう喉から声が出ることはなくなっていた。それに凪紬も何も言わずに去っていった。俺はまた追いかけることもしなかった。
——どうせ声が届かないと、諦めた。
そして、俺たちは3年生になった。
偶然にも、凪紬と同じクラスになれた。もう、俺に執着することはない。
教室で寝ていても最後の授業まで話しかける人はいない。放課後、隣を歩く人はいない。バイト先に来る人も、休みの日に遊ぶ人もいない。
———忘れられたか。
凪紬が転校してくる前の日常に戻った。1人で過ごす時間の方が多かったはずなのに、机にうつ伏せになっても熟睡することができない。
これが日常。だったはずだった。壊れた壁を修復できない。自分で直しても、亀裂が目立って、その隙間から寂しい、期待という情けない感情が溢れていきそうだ。
目を瞑っても、チラつく凪紬の顔にまた期待している自分がいる。
——はぁ。トイレでもいって気分転換するか。
滅多に席を立たない俺は、教室を出た。
チラチラと感じる視線に無理もないと思う。俺が休み時間に廊下にいることなんてほとんどないのだから。
学年1位の成績というのも瞬く間に広まったおかげで、横目で見られることが増えた気さえする。
——俺は呪いとか関係なく、普通に生きれなかったのかもしれないな。
友達に囲まれている自分が想像つかない。
俯き顔で廊下を抜けようとした時だった。
『どんっ』
肩に鈍い痛みが走る。
よろけながらも謝ろうとするも、声が出ない。
——まさか……。
ハッと顔を上げる。久しぶりに俺に向けられた凪紬の言葉は敬語だった。
「あ、すみません」
「……」
「えっと……花園くん、大丈夫だった?」
——あぁ、本当に……忘れてしまったんだな。
胸を刺されるような痛み。こんなに近くにいるのに、話すことができない。そして花園くんなどと心の距離を感じる呼び方。
——大丈夫なわけないだろ……。
思っていることとは真反対に縦に首を振る。
「よかった」と何事もなかったように、廊下の奥へ消えていった。
呼び方一つで左右される気持ちがもどかしい。
一瞬でも近くにいたことが嬉しいのに、全く喜べないどころか苦しい。
——やっぱり、好きって苦しいんだ。
拗ねるように、午後の授業もうつ伏せになる。
「せんせー。凪紬が体調不良で保健室行ってきまーす。俺付き添いでーす」
思わず顔を上げる。3年生に上がってからはお昼休みや移動時間などを凪紬と共にしていた何人かの1人である碧羽が、手を挙げていた。それに同意を示しながら「気をつけてね」と、見送る先生と、「東崎くん大丈夫?」と心配する声も上がる。
凪紬は碧羽と扉を出ようとする。
——俺ってこんなに諦め悪かったっけ。
感情よりも身体が先に動いて、気づけば席を立ち上がるどころか凪紬の裾を引っ張っていた。
ずっと、机に突っ伏して寝ていたせいで右の頬が熱い。でも今はそんなの気にしている余裕がない。目を何かを訴える猫のようにまっすぐに見る。
「なんだ。李斗が行くのか?」
碧羽は、期末テストのあれ以来下の名前で呼んでくる。
こくりと頷くと、「ま! これを機に仲直りでもしてこいよ」と、碧羽に背中を強めに叩かれる。
俺の事情を知らない皆は、やっぱり花園はヤバいやつだと認識されている。その中でも喧嘩と言われるのは初めてで、苦笑いしてしまった。
俺のことを忘れた凪紬は、仲直りも何も喧嘩する仲でもないはずの俺に、何でそんなことを言うのか疑問に思ってるんだろうな。
呆然とする凪紬に「寂しいって顔に書かれてんだよ」と、笑顔で送り出される。
どちらに向けた言葉なのか理解はできず、凪紬を見上げる。凪紬も理解できていない顔を顰めていた。
そして、保健室に向かう廊下、何も話さず横を歩く俺に、気まずさを感じたのかぎこちなく話し出す。
「なんで来たの?」
——心配だからに決まってるだろ。
「俺別にすごい体調悪いわけじゃないから帰ってもいいよ?」
首を横に振り否定する。
「碧羽は仲直りがなんとか言ってたけど、俺たち、そもそも友達でも何でもないのにな!」
少しでも場を和ませようとしたのか、乾いた笑い声を上げる凪紬の優しさが痛みを増幅させる。
——友達になろうって言ったのは凪紬のクセに……。
それでも、何も言葉を発せない俺の顔を覗き込まれる。
込み上げてくる涙を堪えるために奥歯は噛み締める。それでも、やはり凪紬の前では制御が効かないらしい。
「え!? 泣いてる??」
左右に首を振り、否定する俺に視線を合わせてかがむ。見られたくない涙を、顔を逸らしてその瞳には涙が溢れ、今にも溢れそうだ。
見られたくないから顔を逸らしていることくらい分かっているはずなのに、顔を見続ける凪紬に焦る。すると、ポツリとこぼした。
「瞳、きれいだね」
——は……マジで、思い出してくれるかと思っただろ……
「あ! いや、ごめん。変な意味とかじゃなくて、本当にそう思ったっていうか……」
凪紬は口走っているのだと、焦ったのか。
相変わらず、何も言うことのない俺にどうしたらいいのかわからない。気を悪くしてしまったと判断されたのか「ごめん」と立ち上がる。
「……」
——ダメだ。また凪紬から来てくれることを望んでしまった。もう甘えたくない。
目をこすりながらスマホを取り出しメモ帳に打ち込む。その画面を凪紬の視線に合うように手を伸ばした。
《思い出して》
画面を即座に消すと、早歩きで保健室までの廊下を進む。
心臓がうるさい。今までに感じたことのない緊張が走る。
「花園くん、どういうこと??」
凪紬の疑問には、答えようとせずにただひたすらに前を歩く。
ピロンと、スマホから通知を知らせる音がした。俺じゃない凪紬のスマホだ。凪紬はスマホをすかさず開いて確認していると、ハッとしたような表情を見せて言う。
「……花園くん。やっぱり俺たち友達だったんだよね?」
《なんでそう思ったの?》
「メッセ遡ったら花園くんと遊ぶくらい仲良かったんだって知って……なのに、なぜか何も覚えていないんだ」
いつか気づくとは思っていた。3月の頭くらいには俺のことは綺麗さっぱり忘れていたと予想できる。その間に友達の多い凪紬はメッセが動いていて常に上の方には俺以外の誰かがいて、何も会話がなくなっていた俺のトーク履歴は押しつぶされ、終いには1画面には見えなくなったのだろう。
——気づくの遅いよ……。
《なんで覚えてないんだろうな》
「だから、それを聞いて……」
俺は自分で言うのは悔しいと、無視をして歩き進め保健室の前まできた。保健室の扉には【離席中】と書かれた紙がラミネートされてマグネットで貼り付けられている。
俺はお構いなしに開ける。「ここまででいいよ」という凪紬も無視をした。誰もいない保健室はシンと静まり返っていて、開けっぱなしの窓からカーテンが揺れていた。3つ横並びになったベッドそれぞれを隔てるパーティションが全て開いていることから休んでいる生徒もいない。
一番窓に近いベッドに向かう。
そして、ベッドの掛け布団を捲ると、マットレスを手でボフボフ叩いて見せる。笑みが溢れる凪紬に眉間に皺を寄せる。
「横になってって?」
大きく頷き同意すると、今度は口を開けて笑う。
「あはは! わかったわかった」
横になるのを確認し、捲った掛け布団を丁寧にかけた。満足し、その場を去ろうとするとパーカーの裾を引っ張られる。
「どうしてか答えてくれないの?」
俺のことをありのまま言ったところで信じてはもらえない。それなら俺のことで困ればいい。俺のことでいっぱいになればいい。
《東崎凪紬は天使でいいんだよな?》
凪紬はスクリーンを凝視すると、目を見開いて俺にゆっくり顔を向ける。
「は……?」
ポカンと口を開けたまま静止する凪紬に俺のことではなく、秘密を明かした方が凪紬の気を引けることに少し虚しさを覚える。
込み上げる涙を抑えるように踵を返す。
「待って……」
凪紬の指先が俺の腕を掴む。
そう思ったのも束の間、腕を掴んだまま凪紬はベッドから転げ落ち、俺が巻き込まれるように凪紬の上に尻餅つくと、ガシャンと大きな音を立ててベッドとベッドの間のパーティションが倒れる。
「何の音だ?!」
廊下まで響いていたのか、血相を変えたガタイのいい男性の保険の先生が乱暴に扉を開ける。そして、俺たちの様子を見ると、「怪我はないか?」と凪紬の上に乗った俺を幼い子を高い高いするように、持ち上げ助けてくれた。借りてきた猫のように、されるがままに身体が宙に浮き脱力する。
背後から微笑が聞こえた。
「ふっ」
「待ってろ。東崎も今に助けてやる」
頼もしい言葉に、「俺は大丈夫です」と凪紬が遠慮し、起き上がるとベッドに腰掛けた。
先生の腕から下される。
——凪紬とあんな距離にいたの久しぶりすぎて心臓に悪りぃ……。
その場に立ち尽くす。血相を変えた先生は、俺から離れると凪紬の方へ向かう。
「何があった?」
「俺が体調悪くなって、花園くんに連れてきてもらったんです。それで、俺が……み、水欲しくなってそこの自販機に行ってもらおうとして呼び止めたら転んだみたいな」
なんで咄嗟に嘘をついているのかはわからなかったが問題はそこではなかったらしい。先生は、少し考えた後、凪紬の発言を自分で答えにありついたかのように言う。
「あ! 東崎が体調不良だったんだ!」
「はい」
「そうだったんだ? 花園がすごく顔赤いから、てっきり……」
——それは、凪紬が近くにいたせいで……!
恥ずかしさから手に力を入れる。耳まで熱くなるのを感じた。
「なんだ。そういうことか」
ポツリと聞こえた微かな声に反応する。
——何を納得したんだ?
背後を振り返り、スマホに文字を打ち込んで見せる。
《大丈夫か?》
「大丈夫。俺についてきた理由が分かって勝手に納得してただけ」
《理由?》
「そう。話したこともないのに、保健室に来た理由。友達だったから、心配してくれたって勘違いしちゃったよ」
——勘違いなんかじゃない。
凪紬は何に気付いたんだ? わからない。
やはり体調がすぐれないのだろう。剥がれた掛け布団を凪紬にかけ直す。
「……なんか本当に体調悪くなってきたかも」
心配になり、凪紬の額に手を当てると凪紬は測ったかのように俺の手を掴んで離さない。
「天使のことなんで知ってるの?」
「……」
布団をかける手を止め伏目になる。視界の真っ白な布団がぼやけて見えずらい。
「ねぇ。しゃべってよ」
強くなる口調にびくりとする。しゃべれるわけがないことを知らない凪紬にムッとする。
——凪紬が俺に話しかけたから……好きにさせたから!
責任転嫁してでも怒りたくなる。こんなに諦めたくないと思ったのは初めてだ。俺は、凪紬の手を引き剥がすと両手を広げ掛け布団にくるまる凪紬を、包むように強くハグをする。
「何!?」
思わず、身体を起こす凪紬の勢いでずり落ちかけるが、コアラの子供が親に抱きつくように、腕に力を込めた。
「花園くん……??」
首を直角に曲げ凪紬のことを仰ぎ見る。
——ねぇ、凪紬。思い出してよ。俺は普通に暮らすっていうのを諦めたのに、凪紬だけは諦めきれないんだ。
——好きだよ。
口に出せない言葉は苦し紛れに俺の口角を上げさせた。
すぐに手を離し、最後まで何も言わずに走って保健室を出て行ってしまった。
凪紬はどう思っただろうか。変なやつだと思っただろう。周りの人間に俺のことを聞くのだろうか。それとも気にしないだろうか。
それは後者だろう。
変な人だと思われてもう話せないんだろうな……。
——でも、諦めたくないって思っちゃったんだ。
———凪紬……。
心の中で甘え凪紬の名前を呼んだところで、しばらく、泣き続けた。泣き腫らした瞼は重い。落ち着こうと、少しベンチで休んでいると、足音が聞こえてきた。近づいてくる音に顔を上げる。
まさか凪紬……!
「李斗?」
低く穏やかな声。
———優光さんだ……。
なんで、ここにいるのか。次の日にバイトに行った時にいなかったくせに、ふらりと目の前に現れる優光さん。
恋を自覚して2回目に対面する。ということは、もう俺の声は届かないはず。持てない希望で諦めながら口を開ける。
「どうして急にいなくなったんですか……」
———えっ?
声が出ている。
そんなはずがない。聞こえてない可能性を疑う。
「……それは」
優光さんは、さっきまで、凪紬が座っていた場所に入れ替わるように座る。
「いや、言いたくないなら全然大丈夫っす」
確実に聞こえている。そう確信した俺は、動揺を隠すように顔を俯け、口元を手で覆う。
「んーん」と、首を左右に振る優光さんは、俺の顔を覗き込むように言う。
「マフラーはどうした?」
「あ! すんません!! 今日持ってなくて」
慌てて顔を上げる。
「ん? 大丈夫だよ。あのマフラーは李斗にあげたものだから」
「あっ……」
少し前の俺なら、嬉しいはずだった。
でも、気づいてしまった。今、優光さんと会話ができていることが何よりの答えだ。
———あぁ。俺って移り気なのだろうか。
「あざす……」
これが凪紬からだったらって思ってしまうなんて。なんて最低なんだろうか。
——そうか。俺はもう……
恋愛感情の好きではなくなった人。今なら伝えられるだろうか。好きだった人に好きだと伝えるのはご法度だったりするのだろうか。人付き合いがわからない。それでも、伝えておきたいと思ってしまった。そう思った時には、優光さんに向かい会うように身体を捻り、言葉が口に出ていた。
「俺、優光さんのこと好きだったっすよ」
「え? ありがとう?」
「恋愛感情っすよ」
優光さんは、長い瞬きをし、俺に向き合い真剣な趣で言う。
「……それ、もう変わんない?」
「はいっす」
「そっか……」
改めて「そっかぁぁぁ」と言い、項垂れる優光さんは、悲しそうにも、優しく笑って「他に好きな人でもできたのか?」と、揶揄う。俺は真っ赤に茹で上がったタコになってしまっていた。恋バナもしたことのない俺にとっては、恥ずかしがるには十分すぎたのだ。
耐え難い話題に、俺は話の流れを変える。
「そう言えば、なんで優光さんここにいるんすか?」
「凪紬くんっていう子から連絡きて、ここに来いって」
スマホを取り出してメッセのアプリを指差して見せる。
凪紬が歩いていた時に、スマホを操作する姿を思い返す。そして、メッセの会話をしている画面を俺に共有してくれた。
メッセの送信時間は、俺がパン屋のバイトを上がって、数分後を示していた。その時に送ってたのだろう。そして、優光さんはこの駅から離れたところに住んでいることを見越して送信したかのような、図られた時間。
「……何やってんだよ」
「李斗?」
「あ。いや、優光さんて凪紬と仲良いんすか?」
「えっ? 凪紬くんと知り合い?」
「高校同じっす」
「なるほどねー。俺は凪紬くんと色々あってね」
“色々”、なんて便利な言葉なんだ。
「……ふん」
口を尖らせ、鼻を鳴らす俺に、優光さんは声を出して笑う。
「あっはは! 嫉妬しないでよー。別にすごい親しいわけじゃないよ?」
「嫉妬なんて! して、ないっす」
「俺は逆に嫉妬しちゃうな」
「え?」
「いや、なんでもないよ」
「バイトは就活のためにやめただけだよ。それと凪紬くんは、俺らがバイトしてるレストランのオーナーの息子だからね」
「へ?」
「俺はバイトリーダーみたいなのもしていたし、年齢も近いからって半ば無理やり凪紬くんと食事させられて連絡先交換させられたんだよ」
「そう……だったんですね」
そういえば、俺は凪紬のこと何も知らない。
——凪紬は天使。でも、”母が”って言った。じゃあ、父は……?
そもそもなぜ、優光さんを呼んだんだ?
「優光さん、俺のこと忘れてなかったですか?」
「忘れる? まさか! こんな尖った後輩初めてだったから忘れられないよ」
「優光さん……」
優光さんが俺のことを覚えていたから呼んだのか?
俺の呪いは何だ?
『好きな人に忘れられる呪い』
まるで俺がもう優光さんに恋愛感情がないことをわかっていたかのように……それどころか、俺の気持ちの天秤が凪紬に傾いていることまでもお見通しだったんだ。
「俺のこと忘れてもいいって言うことかよ……」
*
凪紬に“どっか行って”と言ってしまった。それでも、凪紬の大きい腕で包んでくれると勘違いしていた。そのまま帰る背中を追うこともできない。あまりにも自業自得すぎる言葉に後悔した。
凪紬と距離を取った。とはいえ、距離を取らずとも、あの後すぐに春休みに入ったから会うこともなかった。
たまたま、最寄り駅で一度会ったが、もう喉から声が出ることはなくなっていた。それに凪紬も何も言わずに去っていった。俺はまた追いかけることもしなかった。
——どうせ声が届かないと、諦めた。
そして、俺たちは3年生になった。
偶然にも、凪紬と同じクラスになれた。もう、俺に執着することはない。
教室で寝ていても最後の授業まで話しかける人はいない。放課後、隣を歩く人はいない。バイト先に来る人も、休みの日に遊ぶ人もいない。
———忘れられたか。
凪紬が転校してくる前の日常に戻った。1人で過ごす時間の方が多かったはずなのに、机にうつ伏せになっても熟睡することができない。
これが日常。だったはずだった。壊れた壁を修復できない。自分で直しても、亀裂が目立って、その隙間から寂しい、期待という情けない感情が溢れていきそうだ。
目を瞑っても、チラつく凪紬の顔にまた期待している自分がいる。
——はぁ。トイレでもいって気分転換するか。
滅多に席を立たない俺は、教室を出た。
チラチラと感じる視線に無理もないと思う。俺が休み時間に廊下にいることなんてほとんどないのだから。
学年1位の成績というのも瞬く間に広まったおかげで、横目で見られることが増えた気さえする。
——俺は呪いとか関係なく、普通に生きれなかったのかもしれないな。
友達に囲まれている自分が想像つかない。
俯き顔で廊下を抜けようとした時だった。
『どんっ』
肩に鈍い痛みが走る。
よろけながらも謝ろうとするも、声が出ない。
——まさか……。
ハッと顔を上げる。久しぶりに俺に向けられた凪紬の言葉は敬語だった。
「あ、すみません」
「……」
「えっと……花園くん、大丈夫だった?」
——あぁ、本当に……忘れてしまったんだな。
胸を刺されるような痛み。こんなに近くにいるのに、話すことができない。そして花園くんなどと心の距離を感じる呼び方。
——大丈夫なわけないだろ……。
思っていることとは真反対に縦に首を振る。
「よかった」と何事もなかったように、廊下の奥へ消えていった。
呼び方一つで左右される気持ちがもどかしい。
一瞬でも近くにいたことが嬉しいのに、全く喜べないどころか苦しい。
——やっぱり、好きって苦しいんだ。
拗ねるように、午後の授業もうつ伏せになる。
「せんせー。凪紬が体調不良で保健室行ってきまーす。俺付き添いでーす」
思わず顔を上げる。3年生に上がってからはお昼休みや移動時間などを凪紬と共にしていた何人かの1人である碧羽が、手を挙げていた。それに同意を示しながら「気をつけてね」と、見送る先生と、「東崎くん大丈夫?」と心配する声も上がる。
凪紬は碧羽と扉を出ようとする。
——俺ってこんなに諦め悪かったっけ。
感情よりも身体が先に動いて、気づけば席を立ち上がるどころか凪紬の裾を引っ張っていた。
ずっと、机に突っ伏して寝ていたせいで右の頬が熱い。でも今はそんなの気にしている余裕がない。目を何かを訴える猫のようにまっすぐに見る。
「なんだ。李斗が行くのか?」
碧羽は、期末テストのあれ以来下の名前で呼んでくる。
こくりと頷くと、「ま! これを機に仲直りでもしてこいよ」と、碧羽に背中を強めに叩かれる。
俺の事情を知らない皆は、やっぱり花園はヤバいやつだと認識されている。その中でも喧嘩と言われるのは初めてで、苦笑いしてしまった。
俺のことを忘れた凪紬は、仲直りも何も喧嘩する仲でもないはずの俺に、何でそんなことを言うのか疑問に思ってるんだろうな。
呆然とする凪紬に「寂しいって顔に書かれてんだよ」と、笑顔で送り出される。
どちらに向けた言葉なのか理解はできず、凪紬を見上げる。凪紬も理解できていない顔を顰めていた。
そして、保健室に向かう廊下、何も話さず横を歩く俺に、気まずさを感じたのかぎこちなく話し出す。
「なんで来たの?」
——心配だからに決まってるだろ。
「俺別にすごい体調悪いわけじゃないから帰ってもいいよ?」
首を横に振り否定する。
「碧羽は仲直りがなんとか言ってたけど、俺たち、そもそも友達でも何でもないのにな!」
少しでも場を和ませようとしたのか、乾いた笑い声を上げる凪紬の優しさが痛みを増幅させる。
——友達になろうって言ったのは凪紬のクセに……。
それでも、何も言葉を発せない俺の顔を覗き込まれる。
込み上げてくる涙を堪えるために奥歯は噛み締める。それでも、やはり凪紬の前では制御が効かないらしい。
「え!? 泣いてる??」
左右に首を振り、否定する俺に視線を合わせてかがむ。見られたくない涙を、顔を逸らしてその瞳には涙が溢れ、今にも溢れそうだ。
見られたくないから顔を逸らしていることくらい分かっているはずなのに、顔を見続ける凪紬に焦る。すると、ポツリとこぼした。
「瞳、きれいだね」
——は……マジで、思い出してくれるかと思っただろ……
「あ! いや、ごめん。変な意味とかじゃなくて、本当にそう思ったっていうか……」
凪紬は口走っているのだと、焦ったのか。
相変わらず、何も言うことのない俺にどうしたらいいのかわからない。気を悪くしてしまったと判断されたのか「ごめん」と立ち上がる。
「……」
——ダメだ。また凪紬から来てくれることを望んでしまった。もう甘えたくない。
目をこすりながらスマホを取り出しメモ帳に打ち込む。その画面を凪紬の視線に合うように手を伸ばした。
《思い出して》
画面を即座に消すと、早歩きで保健室までの廊下を進む。
心臓がうるさい。今までに感じたことのない緊張が走る。
「花園くん、どういうこと??」
凪紬の疑問には、答えようとせずにただひたすらに前を歩く。
ピロンと、スマホから通知を知らせる音がした。俺じゃない凪紬のスマホだ。凪紬はスマホをすかさず開いて確認していると、ハッとしたような表情を見せて言う。
「……花園くん。やっぱり俺たち友達だったんだよね?」
《なんでそう思ったの?》
「メッセ遡ったら花園くんと遊ぶくらい仲良かったんだって知って……なのに、なぜか何も覚えていないんだ」
いつか気づくとは思っていた。3月の頭くらいには俺のことは綺麗さっぱり忘れていたと予想できる。その間に友達の多い凪紬はメッセが動いていて常に上の方には俺以外の誰かがいて、何も会話がなくなっていた俺のトーク履歴は押しつぶされ、終いには1画面には見えなくなったのだろう。
——気づくの遅いよ……。
《なんで覚えてないんだろうな》
「だから、それを聞いて……」
俺は自分で言うのは悔しいと、無視をして歩き進め保健室の前まできた。保健室の扉には【離席中】と書かれた紙がラミネートされてマグネットで貼り付けられている。
俺はお構いなしに開ける。「ここまででいいよ」という凪紬も無視をした。誰もいない保健室はシンと静まり返っていて、開けっぱなしの窓からカーテンが揺れていた。3つ横並びになったベッドそれぞれを隔てるパーティションが全て開いていることから休んでいる生徒もいない。
一番窓に近いベッドに向かう。
そして、ベッドの掛け布団を捲ると、マットレスを手でボフボフ叩いて見せる。笑みが溢れる凪紬に眉間に皺を寄せる。
「横になってって?」
大きく頷き同意すると、今度は口を開けて笑う。
「あはは! わかったわかった」
横になるのを確認し、捲った掛け布団を丁寧にかけた。満足し、その場を去ろうとするとパーカーの裾を引っ張られる。
「どうしてか答えてくれないの?」
俺のことをありのまま言ったところで信じてはもらえない。それなら俺のことで困ればいい。俺のことでいっぱいになればいい。
《東崎凪紬は天使でいいんだよな?》
凪紬はスクリーンを凝視すると、目を見開いて俺にゆっくり顔を向ける。
「は……?」
ポカンと口を開けたまま静止する凪紬に俺のことではなく、秘密を明かした方が凪紬の気を引けることに少し虚しさを覚える。
込み上げる涙を抑えるように踵を返す。
「待って……」
凪紬の指先が俺の腕を掴む。
そう思ったのも束の間、腕を掴んだまま凪紬はベッドから転げ落ち、俺が巻き込まれるように凪紬の上に尻餅つくと、ガシャンと大きな音を立ててベッドとベッドの間のパーティションが倒れる。
「何の音だ?!」
廊下まで響いていたのか、血相を変えたガタイのいい男性の保険の先生が乱暴に扉を開ける。そして、俺たちの様子を見ると、「怪我はないか?」と凪紬の上に乗った俺を幼い子を高い高いするように、持ち上げ助けてくれた。借りてきた猫のように、されるがままに身体が宙に浮き脱力する。
背後から微笑が聞こえた。
「ふっ」
「待ってろ。東崎も今に助けてやる」
頼もしい言葉に、「俺は大丈夫です」と凪紬が遠慮し、起き上がるとベッドに腰掛けた。
先生の腕から下される。
——凪紬とあんな距離にいたの久しぶりすぎて心臓に悪りぃ……。
その場に立ち尽くす。血相を変えた先生は、俺から離れると凪紬の方へ向かう。
「何があった?」
「俺が体調悪くなって、花園くんに連れてきてもらったんです。それで、俺が……み、水欲しくなってそこの自販機に行ってもらおうとして呼び止めたら転んだみたいな」
なんで咄嗟に嘘をついているのかはわからなかったが問題はそこではなかったらしい。先生は、少し考えた後、凪紬の発言を自分で答えにありついたかのように言う。
「あ! 東崎が体調不良だったんだ!」
「はい」
「そうだったんだ? 花園がすごく顔赤いから、てっきり……」
——それは、凪紬が近くにいたせいで……!
恥ずかしさから手に力を入れる。耳まで熱くなるのを感じた。
「なんだ。そういうことか」
ポツリと聞こえた微かな声に反応する。
——何を納得したんだ?
背後を振り返り、スマホに文字を打ち込んで見せる。
《大丈夫か?》
「大丈夫。俺についてきた理由が分かって勝手に納得してただけ」
《理由?》
「そう。話したこともないのに、保健室に来た理由。友達だったから、心配してくれたって勘違いしちゃったよ」
——勘違いなんかじゃない。
凪紬は何に気付いたんだ? わからない。
やはり体調がすぐれないのだろう。剥がれた掛け布団を凪紬にかけ直す。
「……なんか本当に体調悪くなってきたかも」
心配になり、凪紬の額に手を当てると凪紬は測ったかのように俺の手を掴んで離さない。
「天使のことなんで知ってるの?」
「……」
布団をかける手を止め伏目になる。視界の真っ白な布団がぼやけて見えずらい。
「ねぇ。しゃべってよ」
強くなる口調にびくりとする。しゃべれるわけがないことを知らない凪紬にムッとする。
——凪紬が俺に話しかけたから……好きにさせたから!
責任転嫁してでも怒りたくなる。こんなに諦めたくないと思ったのは初めてだ。俺は、凪紬の手を引き剥がすと両手を広げ掛け布団にくるまる凪紬を、包むように強くハグをする。
「何!?」
思わず、身体を起こす凪紬の勢いでずり落ちかけるが、コアラの子供が親に抱きつくように、腕に力を込めた。
「花園くん……??」
首を直角に曲げ凪紬のことを仰ぎ見る。
——ねぇ、凪紬。思い出してよ。俺は普通に暮らすっていうのを諦めたのに、凪紬だけは諦めきれないんだ。
——好きだよ。
口に出せない言葉は苦し紛れに俺の口角を上げさせた。
すぐに手を離し、最後まで何も言わずに走って保健室を出て行ってしまった。
凪紬はどう思っただろうか。変なやつだと思っただろう。周りの人間に俺のことを聞くのだろうか。それとも気にしないだろうか。
それは後者だろう。
変な人だと思われてもう話せないんだろうな……。
——でも、諦めたくないって思っちゃったんだ。



