俺は一呼吸置いて話し出す。誰にも話したことのない呪いの話をするのに心臓がバクバクだ。
「呪いだよ。恋しても、好きな人にはどうせ忘れられる。それがあるから極力、人と関わってない。それでも、俺は人と話すのが好きだからってバイトして悪あがきしてた。まぁ、優光さんに出会ってその努力も水の泡だけどな……」
「……え?」
俺のことを優しそうに見ていたはずの瞼は落ち、伏目になる凪紬は、下唇を噛む。
「……いつから?」
「さぁ? ずっと昔に俺の家系にかけられてるんだ。おかしい話だよな」
「親御さんは大丈夫なの?」
「当然。そもそも忘れられほどの強い呪いは近年は、いなかったから。親は結婚できてるのに、俺は好きな人に好きとも言えない。笑えばいいよ」
声が震える。本当は笑われたくなどない。凪紬がこれで笑う人だとも思っていない。それでも、結局震えるほど怖く自分が情けない
実際、何もかも投げ出したかった。
どうせ揶揄われると、構えるも、俺の予想は的外れる。
「……笑わないし信じるよ……ごめん」
スルりと、俺から離れる凪紬の顔はよく見えなかったけど、瞳がキラリと光っている気がした。
「優光さんに会いたい?」
「そりゃあ、まぁ……でももう無理だよ。会う手段もなければ」
「そう、だよね」
「な、なぁ優光さんとはどんな関係なんだ?」
人付き合いが怖くなくなった
「李斗。俺のこと嫌いに……なんでもない。またね」
どんどん遠くなる凪紬の背中に優光さんを重ねる。“またね”。その言葉は、もう信じることはできなくなっていた。
「コホッ……」
小さく咳をする。
俺はやはりタイミングとやらを間違えてしまったのだろうか。
凪紬の絶句したような傷ついたような顔を見てしまったら、どうすればいいのかわからなくなった。
———どこの誰がどうしてかけたか知らねぇけど、なんで俺にまで……
その日は、久しぶりに、自分の境遇を恨んで眠りについた。
*
1日、2日……気づけば1週間、2週間……1ヶ月が経とうとしていた。
あれから、凪紬は一度も学校へ登校していない。
クラスのみんなも凪紬のことを気にし出していた。そのうちの1人がクラスの前で先生に凪紬が休んでいる理由を聞き出そうとしたことがある。
しかしそれは、連絡はもらっているとの一言で一喝されてしまっていた。
俺も理由はしらず、また凪紬からの連絡を待っている。メッセのやり取りの最後は、2月14日を示したままになっていた。
家の自室に戻っては黒いクマのぬいぐるみが並ぶベッドに目をやる。
出会って早々、無愛想かと思えば、倒れそうになるのを助けてくれた。優しいやつかと思ったら、俺の秘密を隠す変わりに交換条件を突きだすし、小馬鹿にもするちょっと意地悪なやつ。
ほんの数ヶ月で、ここまで振り回されたのは初めてだ。
しまいには、辞めた優光さんの居場所がわかるとか言い出し、俺の呪いの話を聞いたら泣きそうになる。普通、俺を嫌厭するのに、そんな素振りは見せなかった。それどころか、凪紬は、隣にいてくれた。
俺は、未だに優光さんのマフラーを持ったまま。もうマフラーの似合わない季節になり始めていた。
結局、凪紬の瞳と髪の色のことも疑問に思っていても聞けずじまいだ。いや、聞くのが怖かった。そんな深入りしていいのだろうか。
"恋をするのが怖い"
幼い頃の”お兄さん”への恋を忘れられたら良かった。そもそも、恋をしなければよかった。呪いなんかなかったらよかった。
そうだったら、ヤンキーのふりをすることもなく、友達と話して恋をして……。わざわざ人との関わりを切ろうとしなくてもよかっただろうか。
タラレバが、頭をよぎっても何も変わらない現実に喪失感を抱いた。
気づけば、桜舞う季節を迎えていた。バイトで出会った人が原因で呪いが発動していたのがわかっていてもどちらのバイトを辞めてはいなかった。自分でも懲りて無いと思う。それでも、学校で話さない分、バイトの時間人と関われていることが好きなのだ。
何ヶ月もあっていない凪紬のことばかり考える日々をやめたいと思っても、ふとした時に過ぎる。優光さんの時のように、もう会えないのだろうか。
「嫌だな……」
「花園くん?」
「あっ、いえ。なんでもないです。桜散るの早いのが嫌だなと思ってました」
パン屋の早朝バイトを終え、家の帰路でふと思う。
"俺が行動してれば何か変われたのか"
そう思った時には、自然と通話をかけていた。発信中から通話中に変わるスクリーンに緊張する。
「……凪紬、俺だけど———」
「うん。久しぶり」
スマホを通した特有の機械音ではなく、凪紬の優しい声が背後からする。俺はピタリと歩く足を止め、振り向いた。
そこには、レストラン以外では見せなかった翠の瞳と真っ白な美しい髪が朝日に照らされてオレンジ掛かる東崎凪紬の姿。そして、優しく、悲しそうな声でいう。
「李斗。昔話、しようか」
*
桜が舞い落ち、桃色に街の道路を彩る季節。忽然と姿を消した凪紬が、昇りきった太陽に照らされ、輝く真っ白な髪の毛。その髪の毛の反射で眩しいのか、俺の瞳が潤んだか目の前が霞む。
「凪紬……? なのか?」
通話を鳴らしたときの勢いは失速し、弱々しく口を動かした。凪紬だと言うことは、頭の中では理解している。それなのに、聞いてしまうのは、幻覚かもしれないと思ってしまうほど、俺は凪紬に会いたかった。
“昔話をしよう”そう言った凪紬が、通話中のままのスマホをぷつりと切る。
そして、いなくなる前と同じことを言う。「そうじゃなきゃ声かけなくない?」と。不思議とムカつかない。きっと、いつもと同じな凪紬に安心してしまった。
———もう会えないと思ってた……。
高鳴る胸に返事をするように少し早くなる鼓動。
嬉しくて緩む顔を隠すように俯く。俺は懲りずに凪紬から近づいてくるのを待っている。そして、ゆっくりと近づいてきた凪紬は、俺の頭を撫でる。俺の身長は撫でやすいのだろうか。
甘い顔で撫でる凪紬に、俺の顔が綻ぶ。
「んだよ……」
「いいじゃん? 友達だから」
“友達"が俺らを繋ぎとめているかのような言い方に、複雑になる。
——それは俺も同じか。
こいつに撫でられるとふわふわとした不思議な気分になる。この気持ちに友達以外の言葉はあるのだろうか。自分の感情の変化よりも引っかかっていた言葉がある。
「”昔話”ってなんだよ」
昔話とやらをすることなく、無言で俺に背を向け歩き出す。俺を呼び止めるための、口実だったのかと、勘繰ってしまう。それに、何やらスマホを操作しているようにも見える視線と手つきに、俺は歩くのをやめる。
構ってくれないと駄々を捏ねる子供のようでダサいと感じても本心に争うことができなかった。
俺が、歩き出さないことに気づいた凪紬は、戻ってきてくれた。
胸がキュウっと苦しくなるのを感じる。
——んで、戻ってきちゃうんだよ。
手をそっと掬い握られ、引っ張る凪紬。その手は俺の手のひらよりも一回り大きく、細いながらも骨張った指。前を歩いていた凪紬が次第に俺の歩幅に合わせて歩き出す。
凪紬に会えたことで、興奮していた俺は知らない間に、家の最寄駅を過ぎ線路を跨いだ反対側の出口付近にまで到着していたらしい。駅から数十メートルと離れたところには休憩できるスペースがあった。俺の手を離すことなく、その休憩スペースの軒下に座る。
人通りの少ない1畳ほどの小さな空間に設置されたベンチ。
手を離せと言うのはなんだか惜しかった。
そのベンチに凪紬に続くように腰掛けた。頭上にある藤棚で咲き誇る藤の花が2人に影を落とす。
そして、凪紬は悲しそうに「俺が知ってる昔話をしよう」と、子供に絵本を読み聞かせるように話し出した。
*
———昔、その遠い昔に天使と悪魔がいました。天使たちは、人間の目の届かない隔離された場所で暮らしていました。人間がその世界に足を踏み入れることはできません。天使たちは、人間の世界と行き来することが可能でした。
その人間の世界には、野原が広がり、空を遮るものなど何もなく羽を伸ばしていました。時より、おいしいご飯を食べ楽しむ者もいたといいます。
天使というのは、人間の幸せが生きる糧となり、悪魔は———罪悪感を糧に生きる。
その相対する存在は、いつも歪みあっていました。幸せすぎると、人間の罪悪感が消え、罪悪感を抱きすぎると幸せがなくなる。お互いがお互いの仕事の邪魔をしていたからです。ある日、天使と悪魔の一番権力の持つもの同士とその子孫は例外なく結婚をするという約束ができました。その約束通り、何年、何十年、何百年と守られてきていました。その結果、大きな争い事はなくなり、平穏にくらしていました。
とある年のその子孫の天使は婚約者の悪魔に恋をしました。しかし、結婚をする運命である彼女に恋をしませんでした。それでも、約束である限り、自分の元を離れられないと分かりきっていたためか、好意を寄せられていないことは、あまり気に留めていませんでした。付人などに可哀想だの、言われても涼しい顔をしていました。
そんな日々を過ごして結婚を目前にしたときでした。婚約者である悪魔は人間の女の子に恋をしてしまったのです。それも、お腹に新しい命を宿した女の子です。
名を“花園遥(はなぞのはるか)“という。
彼女は、優しく、息の詰まるような悪魔と天使の世界の話という名の愚痴を嫌な顔せず聞いていたそうです。疑わず怖がりもしない遥。悪魔は、そんな遥に徐々に惹かれていったそうです。
それを知った怒りと嫉妬で狂う天使は、遥の優しさに漬け込み、金輪際恋愛をさせれないように呪いをかけました。
話し合いというものは存在しておりません。故に、結婚という約束で、均衡を保っていたくらいですからね。
当然、遥は罪悪感を抱えることになりました。自分のせいで、お腹にいる赤ちゃんを含め、残る人たちをも苦しめることになると……。
———そう。罪悪感を抱えれば喜んでくれますよね? わたしの愛しの悪魔くん?
“悪魔は罪悪感を糧に生きる。”
人間の罪悪感を摂取しなければ、悪魔は力を失い、次第に動けなくなるのです。
それにも関わらず、この天使がそうしたのは、紛れも無く“罪悪感に苦しむ花園遥を見せるため”。悪魔は、遥を忘れ、その罪悪感に貪りつく。
好きだったはずの人間の罪悪感を食らう悪魔を見ていて愉快だと……。
「ねぇ。罪悪感はおいしい?」
「あらやだ。どんどん力をつけるのね。悪魔って本当に醜い」
遥のことを忘れた悪魔と自分のせいで残る人たちに呪いを残すことになった遥。
それが、花園家の呪いの始まりでした。
ですが、それだけでは、天使の嫉妬は治らず、人間と恋をした悪魔も天使も呪ってしまいました。人間と恋してはいけないという掟がなかったこの世界には、自分の正体を隠して、人間と恋愛を楽しむ者も多くいました。そのため、その呪いに対しての大波乱が起きました。そのため仕方なく、天使と悪魔の呪いは解きました。
しかし、未だに花園家にはかけたままにしているという———
*
「昔話はおしまい。俺が聞いた話はここまでだよ」
呆然とする俺に間髪入れずに、話を続ける。
「これは、あくまで俺の憶測だけど、大天使は力が強すぎるんだ。お父さんたちの呪いが弱かったのは、単純に世代が変わりすぎたからだろうね。李斗の呪いが強くなったのは、そいつが死に際かなにかで抵抗でもしてるんじゃないかって……天使はしつこいからね」
「なんで、そんな俺の家にも伝わってない話を知ってるんだよ……」
「それは……母が天使だから」
口籠もりながら、話す凪紬。
鈍感な俺でもなんとなく感じていた違和感に終止符を打つ。
「……凪紬は天使なのか?」
「そうなってしまうね」
質問されるのが分かっていたかのように、淡々と話す凪紬の目にかかりそうなほど長い前髪がサラリと揺れる。
「……お前らがいなければ……」
口からこぼれ落ちる言葉を止めることができない。これが、ただの八つ当たりだと分かっていてももう遅かった。
「うん。ごめん」
その呪いのかけた天使とは無関係であるはずの凪紬に頭を下げさせ、自分勝手に感情をぶちまける。
「なんでだよ!! それがなければ……俺だって……うっ」
——普通に生活してみたい。
何度も思った。
「天使なんて……!!」
———大嫌いだ!! いなければいい!!
「げほっ!! ごほ……」
「李斗!!」
咳き込む俺の背中をさする。心臓がチクチクと針で刺されるような感覚。凪紬は察しがいいから、俺が今言おうとした言葉の続きに気づいているはずだ。それなのに、優しく大きく温かい手で摩り続けてくれる凪紬に対して、罪悪感でいっぱいになる。
「いや…だ! げほ」
———嫌じゃない……。
思っている言葉と真逆の言葉しか出ない。素直になれない俺はいつまでも凪紬に甘えるのだろうか。
「どっか……行って……」
———行かないで。
「うん、ごめんね」
嗚咽しながら丸くなっていく背中を伸ばすこともできないままの俺は、凪紬の気配が消えていくのを感じ取ることしかできなかった。
———行かないで……。
「呪いだよ。恋しても、好きな人にはどうせ忘れられる。それがあるから極力、人と関わってない。それでも、俺は人と話すのが好きだからってバイトして悪あがきしてた。まぁ、優光さんに出会ってその努力も水の泡だけどな……」
「……え?」
俺のことを優しそうに見ていたはずの瞼は落ち、伏目になる凪紬は、下唇を噛む。
「……いつから?」
「さぁ? ずっと昔に俺の家系にかけられてるんだ。おかしい話だよな」
「親御さんは大丈夫なの?」
「当然。そもそも忘れられほどの強い呪いは近年は、いなかったから。親は結婚できてるのに、俺は好きな人に好きとも言えない。笑えばいいよ」
声が震える。本当は笑われたくなどない。凪紬がこれで笑う人だとも思っていない。それでも、結局震えるほど怖く自分が情けない
実際、何もかも投げ出したかった。
どうせ揶揄われると、構えるも、俺の予想は的外れる。
「……笑わないし信じるよ……ごめん」
スルりと、俺から離れる凪紬の顔はよく見えなかったけど、瞳がキラリと光っている気がした。
「優光さんに会いたい?」
「そりゃあ、まぁ……でももう無理だよ。会う手段もなければ」
「そう、だよね」
「な、なぁ優光さんとはどんな関係なんだ?」
人付き合いが怖くなくなった
「李斗。俺のこと嫌いに……なんでもない。またね」
どんどん遠くなる凪紬の背中に優光さんを重ねる。“またね”。その言葉は、もう信じることはできなくなっていた。
「コホッ……」
小さく咳をする。
俺はやはりタイミングとやらを間違えてしまったのだろうか。
凪紬の絶句したような傷ついたような顔を見てしまったら、どうすればいいのかわからなくなった。
———どこの誰がどうしてかけたか知らねぇけど、なんで俺にまで……
その日は、久しぶりに、自分の境遇を恨んで眠りについた。
*
1日、2日……気づけば1週間、2週間……1ヶ月が経とうとしていた。
あれから、凪紬は一度も学校へ登校していない。
クラスのみんなも凪紬のことを気にし出していた。そのうちの1人がクラスの前で先生に凪紬が休んでいる理由を聞き出そうとしたことがある。
しかしそれは、連絡はもらっているとの一言で一喝されてしまっていた。
俺も理由はしらず、また凪紬からの連絡を待っている。メッセのやり取りの最後は、2月14日を示したままになっていた。
家の自室に戻っては黒いクマのぬいぐるみが並ぶベッドに目をやる。
出会って早々、無愛想かと思えば、倒れそうになるのを助けてくれた。優しいやつかと思ったら、俺の秘密を隠す変わりに交換条件を突きだすし、小馬鹿にもするちょっと意地悪なやつ。
ほんの数ヶ月で、ここまで振り回されたのは初めてだ。
しまいには、辞めた優光さんの居場所がわかるとか言い出し、俺の呪いの話を聞いたら泣きそうになる。普通、俺を嫌厭するのに、そんな素振りは見せなかった。それどころか、凪紬は、隣にいてくれた。
俺は、未だに優光さんのマフラーを持ったまま。もうマフラーの似合わない季節になり始めていた。
結局、凪紬の瞳と髪の色のことも疑問に思っていても聞けずじまいだ。いや、聞くのが怖かった。そんな深入りしていいのだろうか。
"恋をするのが怖い"
幼い頃の”お兄さん”への恋を忘れられたら良かった。そもそも、恋をしなければよかった。呪いなんかなかったらよかった。
そうだったら、ヤンキーのふりをすることもなく、友達と話して恋をして……。わざわざ人との関わりを切ろうとしなくてもよかっただろうか。
タラレバが、頭をよぎっても何も変わらない現実に喪失感を抱いた。
気づけば、桜舞う季節を迎えていた。バイトで出会った人が原因で呪いが発動していたのがわかっていてもどちらのバイトを辞めてはいなかった。自分でも懲りて無いと思う。それでも、学校で話さない分、バイトの時間人と関われていることが好きなのだ。
何ヶ月もあっていない凪紬のことばかり考える日々をやめたいと思っても、ふとした時に過ぎる。優光さんの時のように、もう会えないのだろうか。
「嫌だな……」
「花園くん?」
「あっ、いえ。なんでもないです。桜散るの早いのが嫌だなと思ってました」
パン屋の早朝バイトを終え、家の帰路でふと思う。
"俺が行動してれば何か変われたのか"
そう思った時には、自然と通話をかけていた。発信中から通話中に変わるスクリーンに緊張する。
「……凪紬、俺だけど———」
「うん。久しぶり」
スマホを通した特有の機械音ではなく、凪紬の優しい声が背後からする。俺はピタリと歩く足を止め、振り向いた。
そこには、レストラン以外では見せなかった翠の瞳と真っ白な美しい髪が朝日に照らされてオレンジ掛かる東崎凪紬の姿。そして、優しく、悲しそうな声でいう。
「李斗。昔話、しようか」
*
桜が舞い落ち、桃色に街の道路を彩る季節。忽然と姿を消した凪紬が、昇りきった太陽に照らされ、輝く真っ白な髪の毛。その髪の毛の反射で眩しいのか、俺の瞳が潤んだか目の前が霞む。
「凪紬……? なのか?」
通話を鳴らしたときの勢いは失速し、弱々しく口を動かした。凪紬だと言うことは、頭の中では理解している。それなのに、聞いてしまうのは、幻覚かもしれないと思ってしまうほど、俺は凪紬に会いたかった。
“昔話をしよう”そう言った凪紬が、通話中のままのスマホをぷつりと切る。
そして、いなくなる前と同じことを言う。「そうじゃなきゃ声かけなくない?」と。不思議とムカつかない。きっと、いつもと同じな凪紬に安心してしまった。
———もう会えないと思ってた……。
高鳴る胸に返事をするように少し早くなる鼓動。
嬉しくて緩む顔を隠すように俯く。俺は懲りずに凪紬から近づいてくるのを待っている。そして、ゆっくりと近づいてきた凪紬は、俺の頭を撫でる。俺の身長は撫でやすいのだろうか。
甘い顔で撫でる凪紬に、俺の顔が綻ぶ。
「んだよ……」
「いいじゃん? 友達だから」
“友達"が俺らを繋ぎとめているかのような言い方に、複雑になる。
——それは俺も同じか。
こいつに撫でられるとふわふわとした不思議な気分になる。この気持ちに友達以外の言葉はあるのだろうか。自分の感情の変化よりも引っかかっていた言葉がある。
「”昔話”ってなんだよ」
昔話とやらをすることなく、無言で俺に背を向け歩き出す。俺を呼び止めるための、口実だったのかと、勘繰ってしまう。それに、何やらスマホを操作しているようにも見える視線と手つきに、俺は歩くのをやめる。
構ってくれないと駄々を捏ねる子供のようでダサいと感じても本心に争うことができなかった。
俺が、歩き出さないことに気づいた凪紬は、戻ってきてくれた。
胸がキュウっと苦しくなるのを感じる。
——んで、戻ってきちゃうんだよ。
手をそっと掬い握られ、引っ張る凪紬。その手は俺の手のひらよりも一回り大きく、細いながらも骨張った指。前を歩いていた凪紬が次第に俺の歩幅に合わせて歩き出す。
凪紬に会えたことで、興奮していた俺は知らない間に、家の最寄駅を過ぎ線路を跨いだ反対側の出口付近にまで到着していたらしい。駅から数十メートルと離れたところには休憩できるスペースがあった。俺の手を離すことなく、その休憩スペースの軒下に座る。
人通りの少ない1畳ほどの小さな空間に設置されたベンチ。
手を離せと言うのはなんだか惜しかった。
そのベンチに凪紬に続くように腰掛けた。頭上にある藤棚で咲き誇る藤の花が2人に影を落とす。
そして、凪紬は悲しそうに「俺が知ってる昔話をしよう」と、子供に絵本を読み聞かせるように話し出した。
*
———昔、その遠い昔に天使と悪魔がいました。天使たちは、人間の目の届かない隔離された場所で暮らしていました。人間がその世界に足を踏み入れることはできません。天使たちは、人間の世界と行き来することが可能でした。
その人間の世界には、野原が広がり、空を遮るものなど何もなく羽を伸ばしていました。時より、おいしいご飯を食べ楽しむ者もいたといいます。
天使というのは、人間の幸せが生きる糧となり、悪魔は———罪悪感を糧に生きる。
その相対する存在は、いつも歪みあっていました。幸せすぎると、人間の罪悪感が消え、罪悪感を抱きすぎると幸せがなくなる。お互いがお互いの仕事の邪魔をしていたからです。ある日、天使と悪魔の一番権力の持つもの同士とその子孫は例外なく結婚をするという約束ができました。その約束通り、何年、何十年、何百年と守られてきていました。その結果、大きな争い事はなくなり、平穏にくらしていました。
とある年のその子孫の天使は婚約者の悪魔に恋をしました。しかし、結婚をする運命である彼女に恋をしませんでした。それでも、約束である限り、自分の元を離れられないと分かりきっていたためか、好意を寄せられていないことは、あまり気に留めていませんでした。付人などに可哀想だの、言われても涼しい顔をしていました。
そんな日々を過ごして結婚を目前にしたときでした。婚約者である悪魔は人間の女の子に恋をしてしまったのです。それも、お腹に新しい命を宿した女の子です。
名を“花園遥(はなぞのはるか)“という。
彼女は、優しく、息の詰まるような悪魔と天使の世界の話という名の愚痴を嫌な顔せず聞いていたそうです。疑わず怖がりもしない遥。悪魔は、そんな遥に徐々に惹かれていったそうです。
それを知った怒りと嫉妬で狂う天使は、遥の優しさに漬け込み、金輪際恋愛をさせれないように呪いをかけました。
話し合いというものは存在しておりません。故に、結婚という約束で、均衡を保っていたくらいですからね。
当然、遥は罪悪感を抱えることになりました。自分のせいで、お腹にいる赤ちゃんを含め、残る人たちをも苦しめることになると……。
———そう。罪悪感を抱えれば喜んでくれますよね? わたしの愛しの悪魔くん?
“悪魔は罪悪感を糧に生きる。”
人間の罪悪感を摂取しなければ、悪魔は力を失い、次第に動けなくなるのです。
それにも関わらず、この天使がそうしたのは、紛れも無く“罪悪感に苦しむ花園遥を見せるため”。悪魔は、遥を忘れ、その罪悪感に貪りつく。
好きだったはずの人間の罪悪感を食らう悪魔を見ていて愉快だと……。
「ねぇ。罪悪感はおいしい?」
「あらやだ。どんどん力をつけるのね。悪魔って本当に醜い」
遥のことを忘れた悪魔と自分のせいで残る人たちに呪いを残すことになった遥。
それが、花園家の呪いの始まりでした。
ですが、それだけでは、天使の嫉妬は治らず、人間と恋をした悪魔も天使も呪ってしまいました。人間と恋してはいけないという掟がなかったこの世界には、自分の正体を隠して、人間と恋愛を楽しむ者も多くいました。そのため、その呪いに対しての大波乱が起きました。そのため仕方なく、天使と悪魔の呪いは解きました。
しかし、未だに花園家にはかけたままにしているという———
*
「昔話はおしまい。俺が聞いた話はここまでだよ」
呆然とする俺に間髪入れずに、話を続ける。
「これは、あくまで俺の憶測だけど、大天使は力が強すぎるんだ。お父さんたちの呪いが弱かったのは、単純に世代が変わりすぎたからだろうね。李斗の呪いが強くなったのは、そいつが死に際かなにかで抵抗でもしてるんじゃないかって……天使はしつこいからね」
「なんで、そんな俺の家にも伝わってない話を知ってるんだよ……」
「それは……母が天使だから」
口籠もりながら、話す凪紬。
鈍感な俺でもなんとなく感じていた違和感に終止符を打つ。
「……凪紬は天使なのか?」
「そうなってしまうね」
質問されるのが分かっていたかのように、淡々と話す凪紬の目にかかりそうなほど長い前髪がサラリと揺れる。
「……お前らがいなければ……」
口からこぼれ落ちる言葉を止めることができない。これが、ただの八つ当たりだと分かっていてももう遅かった。
「うん。ごめん」
その呪いのかけた天使とは無関係であるはずの凪紬に頭を下げさせ、自分勝手に感情をぶちまける。
「なんでだよ!! それがなければ……俺だって……うっ」
——普通に生活してみたい。
何度も思った。
「天使なんて……!!」
———大嫌いだ!! いなければいい!!
「げほっ!! ごほ……」
「李斗!!」
咳き込む俺の背中をさする。心臓がチクチクと針で刺されるような感覚。凪紬は察しがいいから、俺が今言おうとした言葉の続きに気づいているはずだ。それなのに、優しく大きく温かい手で摩り続けてくれる凪紬に対して、罪悪感でいっぱいになる。
「いや…だ! げほ」
———嫌じゃない……。
思っている言葉と真逆の言葉しか出ない。素直になれない俺はいつまでも凪紬に甘えるのだろうか。
「どっか……行って……」
———行かないで。
「うん、ごめんね」
嗚咽しながら丸くなっていく背中を伸ばすこともできないままの俺は、凪紬の気配が消えていくのを感じ取ることしかできなかった。
———行かないで……。



