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あれから1週間が経った。久しぶりのレストランでのバイトを明日に控える。
パン屋さんのバイトの方が家が近いということもあり、その通いやすさからシフトを多く入れていたのだ。
夜、スクールバックの一番上にしまったマフラーがあることを確認して眠りについた。
学校が終わるのが待ち遠しい。凪紬の話が耳の右から左へと通り抜けてしまうほど気持ちが昂っていた。
「ねー。今日も一緒に帰ろーね」
授業と授業の合間も、お昼の時間も時間があれば俺の席まで話をしにくるようになった。俺に話しかけてくることはないものの否定的な意見は減り、凪紬と話すなと言った女子もおとなしくしている。おそらく、凪紬にキツく言われたのだろう。
俺は俺から話しかけられないような態度をとっていたというのに、何年も積み上げたそれが、凪紬によってガラガラと崩されたことが嫌ではなかった。
「李斗?」
「あ、あぁ」
名前を呼ばれて凪紬と向き合う。
「本当⁉︎ 今日駅前のジュース飲みたい!」
「え、あ……今日バイトだ」
一緒に帰る話をされていたのかと、その時に初めて気がついた。凪紬は「……そう」と、口を動かす。普段は昼休みの終わるギリギリまで居座っていた凪紬はまだ昼休みが終わるまで10分近くあったのに自席に戻って行った。
——なんだ?
確かに聞いていなかった俺が悪いが、なんであんな態度を?
「……以上で、本日のホームルームを終わりにします」
挨拶が終わるなり、ガタッと太ももで椅子を勢いよく引く。学校を飛び出した。
「ケホッ」
血の気が引く。
——呪い? なんで今……
しかし好きな人がいるということが俺の心を躍らせバイト先が近づくにつれてそわそわして駆け足になる。
バッグからマフラーを取り出し、まるで返す気のないように両手で抱えて出勤する。
早く、仕事に熱中する優光さんの姿が見たいという気持ちと、このマフラーを返す緊張する気持ちが右往左往する。マフラーを見るだけで、巻いている時の優光さんを思い出して顔がカッと熱くなる。
——なんて言えばいいんだろうか。
ありがとうございますと感謝を述べるだけなのに、その言葉は心臓の音を大きくさせる。アルバイトとしてだったらいくらでも話せるのに、その枠から外れると何と話していいのかわからない。
エントランスに出て、来店するお客さんを案内する。その間に、ホールの忙しさを悟られないよう優雅に歩く優光さんが見れるのではないかと、怪しまれない程度にキョロキョロする。
しかし、優光さんの姿は見えない。
——あれ? 優光さん今日シフト入ってるのに来てない……?
会えることを楽しみにしていた癖に、ホッとしてしまう自分がいた。
マフラーは帰りにでもオーナーに預けておこうと思う。
今、会ってまた声が聞こえなくなってるとか、呪いを進行させていたら……そう考えただけでゾッとしたのだ。
でも、今日を逃すと、会えない気がしてならない焦燥感に駆られた。
浮き足立つ気持ちを抑え、バイトはバイトだと、集中しようとする。それなのに、俺の決意は一瞬にして破られることになる。
「いらっしゃいま……」
「また来ちゃった」
俺の目の前には、宝石のような翠の瞳を持ち、シャンデリアが反射するほど眩しい白く美しい髪の男性。“また来ちゃった”。そう言った彼は紛れもなく、俺に素っ気ない態度をとった男性だろう。
しかし前回と打って変わって、ニコニコとしている。そのギャップに慌てて予約情報の確認を急ぐ。
『……東崎凪紬……VIP……2名』
俺が急いででも名前を知りたかったのは、ギャップに驚いたからだけではなかった。話し方と声には、聞き覚えがあった。俺の脳内では学校で会った東崎凪紬と認識するのだ。変化する姿に脳が追いつかない。確認しても、目の前にいる見た目が違う姿に確信が持てず、唖然とする。
「李斗? 無視?」
「ほんとに……凪紬…すか?」
お客様に対して下の名前で呼んでいいのかということと確認したい気持ちがせめぎ合う。信じきれない俺に「なんで敬語なの?」と、苦笑する凪紬は、当然のだろ、と言わんばかりに言う。
「そうじゃなきゃ声かけなくない?」
俺の脳では、未だに学校で見せた金髪にブラウンの目の東崎凪紬と今、目の前にいる東崎凪紬が別人に見え、混乱する。脳の処理が追いつかなくなった俺は覚束ない力の入らない小さく口を開き、業務に戻る。
「……仕事しなきゃいけねぇから、またな」
「うん? がんばって」
俺が読み取った情報を他の業務に付いている人たちにも、VIPの来店を知らせる。キッチンに知らせれば、なんだか慌しく感じる声にVIPの特別さが滲み出る。
——こんなすごい人がなんで、普通の高校に通ってるんだ?
そして、また少し遅れて前回と全く同じ女性が到着する。今日は、真っ青なドレスに宝石が散りばめられた豪華な服。
前回同様、凪紬は隣の女性をエスコートする。その姿はとてもじゃないが高校生には見えない。
俺は、予約された人数が揃ったことから、案内をしようと思い、凪紬たちの一歩前に踏み出す。
「あぁ。そうだ。”榊“さん”には会えた?」
「……いや」
「榊優光の居場所わかるけど?」
「どうして……?」
まるで、会えていないことを分かり切っているかのような言い方をする凪紬に動揺する。
「色々あるんだよ。李斗だって色々あるんだろ?」
棘を含ませた言葉を吐く凪紬に俺は、眉を顰める。
それでも、今、気にしても仕方ない。「お席の方、ご案内いたします」と、わざと丁寧な口調で距離を取るり、浅く一礼し、凪紬と女性に背を向け歩き出す。
何やら2人でコソコソと話しているのが聞こえたが俺は、足早に先を急いだ。
凪紬のため息が聞こえ、何を話していたのか気になってしまったが、前に進むことしかできなかった。
身長の数倍もある大きな扉の前に出る。席に繋がる扉を開け、先に進むよう促す。俺の前に出た凪紬の後ろ耳が火照ってるのが目に入った。そんな凪紬の姿に、胸の奥が強く握られる感覚になったのは、どうしてなのだろうか。
それから、凪紬と話すことはなく、バイトの時間は過ぎた。
帰りの支度も終え、あとはマフラーを返しておいてもらおうと、オーナーのいる部屋の扉を開ける。
「お疲れさまです」
パソコンで作業していたと思われる手を止め、俺の方に身体を向ける。そして、「お疲れさま」と穏やかな口調で返してくれた。
「これ、優光さ……あ、榊さんに返しておいてほしいんすけど……」
綺麗に畳まれたマフラーを突き出す。なんとなく、気恥ずかしくなりながら話す俺は、オーナーと目も合わせることができない。
すると、俺に聞きたくもない言葉が降りかかる。
「榊くんなら辞めたよ?」
「え……??」
「君たち仲良かったのに、知らなかったとは……」
不思議そうに言うオーナーのだんだん遠くなる声に口先だけで返事する。
「そう……なんすね。なんか、すんません。お先に失礼します……」
持っていたマフラーの腕を引く。
パタリと扉を閉め、足の感覚だけで、バイト先を後にした。
辞めたことも知らない。メッセも何も連絡手段もない。それくらいの関係だ。
昨日と同じ道で帰る。優光さんが横にいた時のことを思い出してしまいそうになる。
———もう……この道通りたくねぇな……。
心にポッカリと空いた穴。それでも、まだ会う機会はあるはずだと、マフラーを抱きしめる。
今日は色々ありすぎて、頭がパンクするどころか何も考えたくない。
それなのに目頭が熱くなり、泣きそうになるのを我慢して歩き、やっとの思いで、電車に乗る。退勤時間に直撃した電車の混雑は、俺のこぼれそうな涙を隠すのに丁度よかった。
家の最寄駅についても、整理しきれない頭の中はぐちゃぐちゃだ。
ふいと、凪紬の顔が思い浮かんだ。
——なんでこんな時に……。
脳裏に過った凪紬の顔を消すように、首を振る。
重い足で階段を登り、出口が1つしかない改札を抜ける。いつもだったら、1か所の出口に集まる人でごった返す光景に苛立っていたが、そんな余裕もなかった。
抜けた改札をそのまま右折しようとした時だった。
「お疲れさま」
出会って1週間ほどしか経っていないのに毎日耳にした凪紬の声。ついに幻聴でも聞こえ始めたのかと思う。
しかし、それは幻聴でもなんでもない。改札の前で、俺のことを待ち伏せしていたかのように突っ立っている凪紬。レストランにいた時とはまた見た目を変え、エメラルドの瞳ではない。制服を着てどこかのただの高校生のように振る舞っている。
——なんで姿を変えるんだ? どうしてこんな時に目の前に現れるんだ?
「榊優光の居場所知ってるって、俺言ったのに」
——どうして、優光さんのことを知っているんだ?
フラフラと声のする方に歩き、凪紬と数センチという距離に向かい合わせに立つ。
聞きたいことは山ほどあったはずなのに、もう遅かった。弱りすぎていた俺は、弱らせた元凶の1人であるはずの凪紬に泣きつきたくなっていた。
会いたかった。
——誰に?
自問自答する。
流れ落ちる涙は我慢という言葉を知らないらしい。俺の許容量はとっくに過ぎていて、赤子のようにわぁわぁ泣き出してしまった。
凪紬が俺の顔を隠すように頭の後ろに手を回し、そのまま静かに撫でる。俺は凪紬の胸で数分もの間、泣き続けた。
嗚咽しながら、凪紬にくっついたまま顔を上げ、仰ぎ見る。目頭に残っていた涙が目尻の方へと滴り、鼻を啜る。
「なんでそこまで俺のこと気にするんだよ」
凪紬は、俺を支えていた後頭部の手を頬まで移動させ、親指で俺の涙をぬぐう。そのぬぐう指にほんの少し力が入ったのを感じる。
「友達……だから」
「凪紬?」
友達だという凪紬は、どこか苦しそうで無理しているように見える。
「俺はただ、なんでそこまでして人のことを避けるんだろうって思って知りたいだけ……こんなに一緒にいて楽しいからみんなと話せるんじゃないかって……」
「気にしなくていいんだよ。友達だからって凪紬は言うけど、友達だから言えないこともあるんだよ」
友達と呼べる人など、凪紬が初めてなのに偉そうに友達を語る俺自身に顔を背けたくなる。
「でもっ……、いや、なんでもない。友達だから言えないことくらいあるよね」
言葉に詰まる凪紬の頬が高揚する。
「待って。李斗、今、俺のこと友達って……」
「それがなんだよ」
「嬉しすぎてどうにかなっちゃいそう」
「どうにもなるな」
“友達”がそんなに嬉しかったのかと思い、可愛いところもあるんだなと笑えるくらいに気を許す。
笑みが溢れる俺に、凪紬は駅ビルに入っているカフェで話そうという。なんだか、まだ帰りたくなくて了承した。
「ブレンド一つ」
「ミルクと砂糖はおつけしますか?」
「いらないです」
——また大人ぶってる……
「李斗は何にする?」
「オレンジジュース……」
「かしこまりましたー。お席でお待ちくださいー」
「な、何?」
「別に……」
オレンジジュースなんて子供っぽくて言いたくなかったが、コーヒーが飲めなかったので頼むものがこれしかなかった。
席に着くと、目の前にいる凪紬にふと言葉をこぼす。
「不思議だよな。こんなに話すとは思わなかった」
そして、誰にも言うつもりのなかったことを口にしようとする。
「さっき、なんで人と関わらないのか。聞いただろ?」
「う、うん」
「俺は……」
「待って!」
「何だよ」
「言いたくないんでしょ?」
「凪紬になら言ってもいいのかなって」
「友達だから言えないこともあるんじゃなかったの?」
拒否しているとも捉えられる言い回しに眉を顰める。
「……なんだ。別に聞きたくなかったか」
溢れるみたいに出た言葉は屁理屈だった。器用に生きれない自分が嫌いになりそうだ。
「聞きたくないわけないよ!」
「へぇ?」
「友達の……李斗のことだ、から……」
目を見開いて、閉じきれてない口がまるで気付いてはいけないことに気づいたのようで、何かに怯えているようにも見える。
「凪紬?」
どこに振り切れたのか理解できなかったが、落ち着いた声でゆっくりと返事をする。
「うん。李斗のことだから知りたいんだ……でも、勢いで言うみたいにはしてほしくない。本当に言いたくなったら言ってね」
「わかった」と返事すると、ただなんでもない時間が流れる。凪紬といる時間が心地いいのに俺の意思に反して、酸素が足りないと脳が信号を出す。一緒にいるのがつまらないと思われるのが怖くて我慢し続けていた欠伸がついに出た。
「疲れてるのに呼び止めてごめん! バイトお疲れ。帰ろうか?」
「いやっ……別にまだ……」
「一緒にいたい?」
その言葉に口をつぐんだ。
嫌でも怒ることもできない。
俺の言語化できなかったそれが凪紬によってピースが埋まったから。
——俺、凪紬と一緒にいたいんだ。
「あー、その……」
「何?」
軽く首を傾け、優しく言う凪紬の目をまっすぐに見つめる。
「ありがとう」
ただ、感謝を口にしただけだ。慣れないせいで感謝さえも声が震える。
「なんで今?」
「言いたくなったから」
そっと手を取られる。それがレストランでの凪紬の行動と重なる。
「こういうのは彼女にやれよ……!」
「彼女?」
鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かばせる凪紬に、間違ったことを言ったつもりはない。毎回同じ女性を高級レストランに連れてくるのだ。その彼女のことが大切だということはひしひしと伝わってきていた。
「いただろ? レストランの……」
「あっははは‼︎‼︎」
間髪入れずに口を開けて笑われる。凪紬の中でも誰のことを言っていたのかが想像できたのだろう。「そんなんじゃないよ」と、否定する。
彼女ではないのならどんな関係なのか、見当もつかない。
心のどこかでホッとする自分がいたのは確かだった。
凪紬のことを新たに1つ知った。自分から聞いたことで。一歩踏み出してしまったと気付かされる。
——このままではダメだ。
ブレーキがかける気持ち”友達”の距離感を忘れてしまわぬように。



