1人佇む廊下。何時間目の予鈴だったんだろうか。
いつもは目に入らないものが鮮明に見える。木目の廊下にある落書きも、窓に付く指紋も。春になったら、ここから見える正門の大きな桜はきれいなのだろう。桜が舞う姿に釘付けになった人たちが思い出を残すのだろうか。俺はその時誰か隣にいるのだろうか。
俺を離さなかった東崎はというと、予鈴がなった途端、走って行った。それが普通だとは思うが、そもそもお昼までの3時間分の授業を全て寝ていた俺にとっては予鈴では焦らない。無論、本鈴でも焦らないのだが。
東崎の言う友達はよくわからないままだ。なぜ、わざわざ友達になるなんて言ったのか。理解は出来なかった。それでも、了承したとき見せた満面の笑顔は、本当に嬉しかった犬のように喜んだ。含み笑いや仮面が張り付いたような顔を女子に見せていた笑顔しか見たことのなかった俺は、その笑顔に理由なんてどうでも良くなっていた。
いや、“友達”。その響きだけで、人と関わることを避けていた俺にとっても、心を弾ませるには十分だった———……
階段を軽快に降り、踊り場に差し掛かる。壁に薄く設置された全身鏡には、「身だしなみを整えよう」という文字が囲む。
俺は、鏡に近づき、さらに顔を近づける。
——レストランに来た東崎の瞳と髪色が綺麗だったんだよな。
ふと、思い出したかのように鏡を見つめ続ける。
以前は金髪に染めていた俺は、白色にまでブリーチをしたことはなかった。そろそろ髪色を明るくしないとなんだか落ち着かなかない。俺の瞳の色に合うかを、鏡で髪の毛をくるくると指先でいじりながら、花のようにピンクの瞳を覗き込み精査する。
「ブリーチしたいけど、また優光さんに怒られるかな……」
「髪染めんの?」
鏡に東崎が映る。
「……お前、授業はどうしたんだよ」
つい数十分前に、教室に戻ったはずの東崎が鏡に映っていることに驚き、口が悪くなる。
どうやら、なかなか教室に戻ってこない俺を迎えに行くと言って授業を抜け出してきたらしい。先生やクラスメイトは俺のことは気にするなと言って、東崎を止めたが、「友達だから」と強行突破をして来たと言う。
「俺のことは気にするなよ」
「気にするよ? 友達じゃん」
友達という言葉を都合の良いように利用しているようにも聞こえるその口ぶりは、どうにも気に入らない。
俺は東崎と友達とやらじゃなくても、話していただろうか。
東崎が無理やり“友達だから”と言わなきゃ俺はそっけない態度を取り続けるだろう。それを見透かされている気がするのも、どこか不思議だ。
「俺が戻ればいいんだろ」
吐き捨てるように言う。
「そうだけど、別に戻んなくてもいいよ」
鏡越しに話す東崎はふいと、そっぽを向き、教室とは真逆の方に歩き出す。
「東崎? そっちは、教室じゃないぞ」
俺はまだこの学校に慣れていないだけだと思っていたが、自信ありげに進む姿をみたら、どうやらそうではないらしい。無言で歩いていく東崎を追いかけ、一歩後ろを歩く。東崎の長い足の歩く速度は、俺にとっては、あまりにも早すぎた。
すると、東崎がポツリと呟く。
「俺さ、友達になろうなんて初めて言ったよ」
そりゃそうだ。誰がどう見てもイケメンである東崎はいつも人に囲まれていたことは容易に想像がつく。皆、勝手に友達にでもなっていただろう。なんなら彼女も知らないうちに4、5人できていそうなくらいだ。
「それがどうしたんだよ」
「もうこの生活に飽きてたし、楽しみもないと思ってた」
苦しいでも、楽しくないでもない。飽きるとかいう言葉に違和感を覚える。17年間しか生きていないのに、まるで、ずっと生きて来たかという口ぶりに大人ぶりたいだけなのかと思う。
すると、東崎は嬉しそうに笑った。
「なんでだろうな。明日が楽しみだ!」
「そうかよ」
贅沢な悩みだと、呆れ、スマホを取り出す。
「何見てんの?」
覗こうとする東崎を見向きもせず答える。
「シフト確認してる。優光さんにマフラー返さなきゃだから」
「あぁ。”さかき”?」
「年上なんだし、それに会ったこともない人を呼び捨てにするなよ……」
少し不機嫌に言う俺の機嫌を伺うように、東崎が顎を肩に乗せてきたが、俺はスマホを操作を続けた。
「あ!」
「ん?」
「今度、優光さんいる!」
「よかったね」と、全く良くなさそうに言う東崎は、突拍子もない提案をする。
「ねぇ、メッセのID交換しようよ」
「え? 良いけど俺返信しない」
「えー! 返してよ!!」
口を尖らせ、不満そうにする東崎に耳と尻尾が見えるようにまでなっていた。しっぽは垂れ、なんだかかわいそうにさえ思え、呆れ気味に言う。
「……10回に1回な」
しっぽをパタパタとさせる犬のように嬉しそうにする東崎に、呆れつつも満更でもない顔をする。
当然、実際に生えているわけではないが、それほどに感情が表に出ているのだ。そんな人懐っこさのせいで、つい、深入れしそうで心が揺らぐ。
「そういえば、東崎。昨日……」
昨日のレストランと姿が違うこと思い出し言いかけたが、言葉を詰まらせる。
——これ以上、自分から関わったって……
それに、アルバイトで知り得たことを学校で発言するのは気が引けた。続きを言えない俺は「やっぱ、なんでもねぇわ」と誤魔化す。会話をやめた気まずい雰囲気を見かねて、東崎が口を開く。
「李斗、俺の名前知ってる?」
「東崎だろ?」
「ちがーう! 下の名前!! 全然呼んでくれないじゃん!」
「言われてないし」
「凪紬って呼んでよ」
「えぇ」
「俺は名前で呼んでるのにー」
「勝手に呼んだんだろ?」
「ねー! お願い!」
「わかったよ……凪紬……」
名前を呼んだだけで屈託のない笑顔を見せる東崎に、こそばゆくなる。
その後、教室に戻ると、これまでにないほどの視線を集める。東崎が来る前までは、俺がいつ教室に入ろうが、いなかろうが気にする人は誰1人いなかった。それからは、席について、眠りについて授業が終わるのを待った。
椅子のガタガタと動く音で目が覚める。放課後になったのだ。帰りの支度をして、流れるように教室を後にしようとする。
それに気づいた凪紬がドアの前に阻む。
「りーと。今日俺の歓迎会、駅前のカラオケでやるらしいけど来る?」
「んなもん行くかよ」
「えー……」
断る俺の目には、凪紬が耳も尻尾も垂れているように見える。犬のように瞳に余計、罪悪感がわいた。
それでも、集まりに行く気にはなれず、帰ろうと扉を抜けようとする。その俺の腕を引き止めようとしたのか掴もうとした凪紬の手を伸びてきた。
「触んな……!」
乱暴に言う俺に、教室に残っていた歓迎会に参加するであろう女子たちが怪訝な顔をする。そして、ヒソヒソと俺の話をする。
「やっぱ友達じゃなくて、花園に目つけられてるんじゃない?」
「凪紬くんかわいそう……」
明らかに聞こえるように言われているのは、検討がついた。さっさと出ていけと言わんばかりの視線に、ため息1つつく。逆に何も気にせずただ俺の目の前を阻み続ける凪紬に口パクで言い放つ。
『バ・イ・ト!!』
東崎を振り切り、学校を駆けていった。
バイトと言ったものの本当はバイトはない。帰りがけにある駅の本屋に行きたかったのだが、高校の最寄駅にいては俺が嘘をついたことを見抜かれてしまう。そう思った俺は、颯爽と帰宅した。
バイトのない日に寄り道をしないのは久々だったせいで、自室に戻ってもやることが見当たらず、ベッドに横になる。こんなに学校で人と話すなんて久しぶりすぎて……
——俺じゃないみたいだったな。
滅多に鳴らないスマホの通知音に起こされる。
何事かと、身体を起こし内容を確認する。
『李斗ーー!!』
名前だけ書かれたメッセージは凪紬のもので、要件がないことから無視をした。
既読を示す文字がメッセージに付いたからなのか、続け様にメッセージが送られてくる。
『明日は一緒に帰ろー?』
そんなこと明日の朝に言えばいいものを、わざわざメッセを通して聞いてくることに理解できず、何も返さず次の日を迎えた。
教室に入った途端に、耳に入ってきた声に警戒する。
「李斗!!」
「……何?」
「おはよう!!!!」
「おはよう」
元気に挨拶しているのに、頬を膨らませる凪紬の言動に違和感を感じる。
——挨拶返したら不機嫌になるのか?
俺は少し悩んだ後、メッセージが来ていたことを思い出し凪紬に声をかけようとした時には遅かった。転校してきたばかりなこととイケメンなことが重なり、凪紬はあっという間に人に囲まれていて俺の入る隙などない。
仕方がないと、俺はいつも通り机に突っ伏して眠りにつく。今日は体育の時間があるため目だけ覚まし、体操着に着替えるも俺が体育に参加することはない。
体育館の半分を女子が、もう半分を男子が使用する。
その姿を俺は体育館の上にある通路で眺めるのがいつものことだった。初めの頃は、体育の先生に参加を促されたりクラスメイトは上から見られていることに不快感を感じたりしていたらしいが、そんなものは一瞬だった。
結局、俺への興味は薄れていってここに居座っている。
「いた」
いつも1人。しかし今日は違った。凪紬が階段を登ってまで来たらしい。
「……人気者が何しに来たんだよ」
「友達探しに来ただけだよ!」
「俺は参加しないから早く行ってこい」
「えー話したい!」
「好きにしろ」
「じゃあ質問タイムね」
「俺が答えなきゃいけないだろ……勝手に喋っててくれ」
呆れ声を出しても凪紬は話を進める。
「李斗って、なんで話さないの?」
「……別に話すことないし、それに、みんな怖いって話してくれねぇよ」
理由は俺にあるのはわかっているのに、クラスメイトのせいにして情けないとそっぽを向く。
「じゃ、次の質問ねー。レストランの出勤いつ?」
「いつだろうな」
「じゃあ毎日行こうかなー」
——毎日食べるような場所じゃないだろ。
高級店であるのに、平然という凪紬にギョッとする。
「パン屋は?」
「さぁな」
「なんで教えてくれないのー」
凪紬は胡座のまま不満そうに身体を伸ばし俺の肩に頭を乗せ体重をかけてくる。
「重い」
「筋肉は重いんだよ」
そう言いながら、一段と体重を乗せる。呼吸する音さえも聞こえる距離。話題を逸らした。
「優光さんになんて渡そう」
「え?」
「いや、マフラー貸してもらって何かお礼とかいるのかなとか……」
「優光……”さかき”? のこと? マフラーくらいだったら普通に『ありがとうございましたー』でいいんじゃない?」
「そうか。そうだな」
誰かに物を貸してもらうことなど経験がない俺にとって、変な意識が生まれていたことに恥ずかしい気持ちがジワリと湧く。
——そうだ。普通にお礼を言えばいいだけなのか。
『好きな人』という意識は、俺自身を狂わせる。
——普通ってなんだっけ。
「……そのマフラー返さなくてもいいんじゃない?」
「は? だめだろ! 俺の1日のバイト代くらいはするだろ。大金だ」
「そういう問題なんだ」
「それ以外に何があるんだ?」
肩で笑う凪紬を、いぶかしむ。
「さっきのバイトの話だけど、今日はないから帰れるよ」
「本当⁉︎⁉︎」
凪紬はパッと顔を上げ表情が一気に明るくなる。
肩に頭が乗っていたことで、顔が近く心臓がギュッとする。
「……ちけぇ」
近いと言ったのに、そのまま俺の背に手を回されハグされる。
「ちょっ……凪紬‼︎」
「うれしー」
「わかった。わかったから手離せ」
——くっそ。
「ねぇ、花園。こっち来て」
1人の女子に話しかけられる。当然話したことなどない。普段は着いていくこともなく無視をするのだが、凪紬と関わったからだろうか。話せると思ったのだ。そのまま、女子の後ろをついていく。
人通りの少ない廊下に俺を囲うようにして、女子3人が怪訝な顔をしている。
「東崎くんの何なの?」
鼻で笑う女子の1人に、鋭い眼光を向ける。
「は?」
「まさか、付き合ってるとか?」
「うわ。かわいそう、よりにもよって……」
——俺と関わっていると可哀想なのか。
「付き合ってねぇよ」
「そりゃあそうでしょ。揶揄っているに決まってるじゃない。もう凪紬くんに近づかないでね」
——なんなんだ……。
「帰ろ?」
返事はせずに凪紬の横を通り過ぎる。俺が近づいちゃダメなんだろ? どうせ勝手についてくるのだと、思っていた。
話すなと言われたけど、俺から話しかけることなんてなかったのに恋が関係なくても人は厄介だ。
——俺からは近づけないということを言った方がいいのかもしれないな。
ついてきているものだと思い、昇降口で振り返る。
「なつ……む」
どこにも凪紬の姿は見えない。
——なんだ。来てなかったんだ。
ベッドに横になりながらスマホのメッセ画面を眺める。昨日俺が返信しないままのメッセージで止まっている画面。キーボードを開くも、打つ文字が思い浮かばない。
——ごめん? 俺悪くないのに?
次の日の朝、登校した途端「李斗、今いい?」と、顔から笑顔の消えた凪紬に呼び出される。
「お、怒ってるのか?」
「そんな怯えないでよ。ちゃんと言ったから」
——何をだ?
「なんて?」
「俺と李斗の邪魔しないでねって」
「なん、て?」
こういうところから俺との関係性が誤解されてきたのか。すでに言ってしまっているのだったら考えるだけ無駄だった。俺が訂正したって信じてもらえない、
初めて怒ったみたいな凪紬を前にして、緊張の糸が張る。
「怒ってるのは、あの女子たちが李斗に酷いこと言ったから」
「そんなこと怒らなくていいよ。他の人にもそういうことやってるかもしれないんだし、いちいち凪紬が言ってたら大変だろ」
「違う。李斗だから」
「俺以外に友達たくさんいるんだし、俺にこだわらなくても……」
「……わかんない。でも、李斗に無視された時、本当に心が苦しかったんだ」
「なん、だよ、それ」
——誰とも仲良くて周りにいつも人がいる凪紬が、俺に無視されただけでこんなにも落ち込むなんて。
安心からなのか、糸がふんわりと緩まると、不思議と目頭にじわりと熱さを感じ取る。
——友達のひとりじゃなくて少し特別な感じがしたんだ。
それに、俺も凪紬を無視して名前を呼んでいなかったとき、心のどこかでチクリと針が刺さったんだ。それが抜けた感覚にふいと、顔を逸らすも遅かった。
背けた顔と反対に力を込めた凪紬の手が触れる。
「泣いてる⁉︎ なんで⁉︎」
「知らねぇよ! 触んな‼︎」
こんなことになったのは初めてで、俺の方が声をあげる。
抵抗する俺を無視し、目頭から溢れそうになった涙を拭われる。
触れられた手に少し体重を預けたのだった。
いつもは目に入らないものが鮮明に見える。木目の廊下にある落書きも、窓に付く指紋も。春になったら、ここから見える正門の大きな桜はきれいなのだろう。桜が舞う姿に釘付けになった人たちが思い出を残すのだろうか。俺はその時誰か隣にいるのだろうか。
俺を離さなかった東崎はというと、予鈴がなった途端、走って行った。それが普通だとは思うが、そもそもお昼までの3時間分の授業を全て寝ていた俺にとっては予鈴では焦らない。無論、本鈴でも焦らないのだが。
東崎の言う友達はよくわからないままだ。なぜ、わざわざ友達になるなんて言ったのか。理解は出来なかった。それでも、了承したとき見せた満面の笑顔は、本当に嬉しかった犬のように喜んだ。含み笑いや仮面が張り付いたような顔を女子に見せていた笑顔しか見たことのなかった俺は、その笑顔に理由なんてどうでも良くなっていた。
いや、“友達”。その響きだけで、人と関わることを避けていた俺にとっても、心を弾ませるには十分だった———……
階段を軽快に降り、踊り場に差し掛かる。壁に薄く設置された全身鏡には、「身だしなみを整えよう」という文字が囲む。
俺は、鏡に近づき、さらに顔を近づける。
——レストランに来た東崎の瞳と髪色が綺麗だったんだよな。
ふと、思い出したかのように鏡を見つめ続ける。
以前は金髪に染めていた俺は、白色にまでブリーチをしたことはなかった。そろそろ髪色を明るくしないとなんだか落ち着かなかない。俺の瞳の色に合うかを、鏡で髪の毛をくるくると指先でいじりながら、花のようにピンクの瞳を覗き込み精査する。
「ブリーチしたいけど、また優光さんに怒られるかな……」
「髪染めんの?」
鏡に東崎が映る。
「……お前、授業はどうしたんだよ」
つい数十分前に、教室に戻ったはずの東崎が鏡に映っていることに驚き、口が悪くなる。
どうやら、なかなか教室に戻ってこない俺を迎えに行くと言って授業を抜け出してきたらしい。先生やクラスメイトは俺のことは気にするなと言って、東崎を止めたが、「友達だから」と強行突破をして来たと言う。
「俺のことは気にするなよ」
「気にするよ? 友達じゃん」
友達という言葉を都合の良いように利用しているようにも聞こえるその口ぶりは、どうにも気に入らない。
俺は東崎と友達とやらじゃなくても、話していただろうか。
東崎が無理やり“友達だから”と言わなきゃ俺はそっけない態度を取り続けるだろう。それを見透かされている気がするのも、どこか不思議だ。
「俺が戻ればいいんだろ」
吐き捨てるように言う。
「そうだけど、別に戻んなくてもいいよ」
鏡越しに話す東崎はふいと、そっぽを向き、教室とは真逆の方に歩き出す。
「東崎? そっちは、教室じゃないぞ」
俺はまだこの学校に慣れていないだけだと思っていたが、自信ありげに進む姿をみたら、どうやらそうではないらしい。無言で歩いていく東崎を追いかけ、一歩後ろを歩く。東崎の長い足の歩く速度は、俺にとっては、あまりにも早すぎた。
すると、東崎がポツリと呟く。
「俺さ、友達になろうなんて初めて言ったよ」
そりゃそうだ。誰がどう見てもイケメンである東崎はいつも人に囲まれていたことは容易に想像がつく。皆、勝手に友達にでもなっていただろう。なんなら彼女も知らないうちに4、5人できていそうなくらいだ。
「それがどうしたんだよ」
「もうこの生活に飽きてたし、楽しみもないと思ってた」
苦しいでも、楽しくないでもない。飽きるとかいう言葉に違和感を覚える。17年間しか生きていないのに、まるで、ずっと生きて来たかという口ぶりに大人ぶりたいだけなのかと思う。
すると、東崎は嬉しそうに笑った。
「なんでだろうな。明日が楽しみだ!」
「そうかよ」
贅沢な悩みだと、呆れ、スマホを取り出す。
「何見てんの?」
覗こうとする東崎を見向きもせず答える。
「シフト確認してる。優光さんにマフラー返さなきゃだから」
「あぁ。”さかき”?」
「年上なんだし、それに会ったこともない人を呼び捨てにするなよ……」
少し不機嫌に言う俺の機嫌を伺うように、東崎が顎を肩に乗せてきたが、俺はスマホを操作を続けた。
「あ!」
「ん?」
「今度、優光さんいる!」
「よかったね」と、全く良くなさそうに言う東崎は、突拍子もない提案をする。
「ねぇ、メッセのID交換しようよ」
「え? 良いけど俺返信しない」
「えー! 返してよ!!」
口を尖らせ、不満そうにする東崎に耳と尻尾が見えるようにまでなっていた。しっぽは垂れ、なんだかかわいそうにさえ思え、呆れ気味に言う。
「……10回に1回な」
しっぽをパタパタとさせる犬のように嬉しそうにする東崎に、呆れつつも満更でもない顔をする。
当然、実際に生えているわけではないが、それほどに感情が表に出ているのだ。そんな人懐っこさのせいで、つい、深入れしそうで心が揺らぐ。
「そういえば、東崎。昨日……」
昨日のレストランと姿が違うこと思い出し言いかけたが、言葉を詰まらせる。
——これ以上、自分から関わったって……
それに、アルバイトで知り得たことを学校で発言するのは気が引けた。続きを言えない俺は「やっぱ、なんでもねぇわ」と誤魔化す。会話をやめた気まずい雰囲気を見かねて、東崎が口を開く。
「李斗、俺の名前知ってる?」
「東崎だろ?」
「ちがーう! 下の名前!! 全然呼んでくれないじゃん!」
「言われてないし」
「凪紬って呼んでよ」
「えぇ」
「俺は名前で呼んでるのにー」
「勝手に呼んだんだろ?」
「ねー! お願い!」
「わかったよ……凪紬……」
名前を呼んだだけで屈託のない笑顔を見せる東崎に、こそばゆくなる。
その後、教室に戻ると、これまでにないほどの視線を集める。東崎が来る前までは、俺がいつ教室に入ろうが、いなかろうが気にする人は誰1人いなかった。それからは、席について、眠りについて授業が終わるのを待った。
椅子のガタガタと動く音で目が覚める。放課後になったのだ。帰りの支度をして、流れるように教室を後にしようとする。
それに気づいた凪紬がドアの前に阻む。
「りーと。今日俺の歓迎会、駅前のカラオケでやるらしいけど来る?」
「んなもん行くかよ」
「えー……」
断る俺の目には、凪紬が耳も尻尾も垂れているように見える。犬のように瞳に余計、罪悪感がわいた。
それでも、集まりに行く気にはなれず、帰ろうと扉を抜けようとする。その俺の腕を引き止めようとしたのか掴もうとした凪紬の手を伸びてきた。
「触んな……!」
乱暴に言う俺に、教室に残っていた歓迎会に参加するであろう女子たちが怪訝な顔をする。そして、ヒソヒソと俺の話をする。
「やっぱ友達じゃなくて、花園に目つけられてるんじゃない?」
「凪紬くんかわいそう……」
明らかに聞こえるように言われているのは、検討がついた。さっさと出ていけと言わんばかりの視線に、ため息1つつく。逆に何も気にせずただ俺の目の前を阻み続ける凪紬に口パクで言い放つ。
『バ・イ・ト!!』
東崎を振り切り、学校を駆けていった。
バイトと言ったものの本当はバイトはない。帰りがけにある駅の本屋に行きたかったのだが、高校の最寄駅にいては俺が嘘をついたことを見抜かれてしまう。そう思った俺は、颯爽と帰宅した。
バイトのない日に寄り道をしないのは久々だったせいで、自室に戻ってもやることが見当たらず、ベッドに横になる。こんなに学校で人と話すなんて久しぶりすぎて……
——俺じゃないみたいだったな。
滅多に鳴らないスマホの通知音に起こされる。
何事かと、身体を起こし内容を確認する。
『李斗ーー!!』
名前だけ書かれたメッセージは凪紬のもので、要件がないことから無視をした。
既読を示す文字がメッセージに付いたからなのか、続け様にメッセージが送られてくる。
『明日は一緒に帰ろー?』
そんなこと明日の朝に言えばいいものを、わざわざメッセを通して聞いてくることに理解できず、何も返さず次の日を迎えた。
教室に入った途端に、耳に入ってきた声に警戒する。
「李斗!!」
「……何?」
「おはよう!!!!」
「おはよう」
元気に挨拶しているのに、頬を膨らませる凪紬の言動に違和感を感じる。
——挨拶返したら不機嫌になるのか?
俺は少し悩んだ後、メッセージが来ていたことを思い出し凪紬に声をかけようとした時には遅かった。転校してきたばかりなこととイケメンなことが重なり、凪紬はあっという間に人に囲まれていて俺の入る隙などない。
仕方がないと、俺はいつも通り机に突っ伏して眠りにつく。今日は体育の時間があるため目だけ覚まし、体操着に着替えるも俺が体育に参加することはない。
体育館の半分を女子が、もう半分を男子が使用する。
その姿を俺は体育館の上にある通路で眺めるのがいつものことだった。初めの頃は、体育の先生に参加を促されたりクラスメイトは上から見られていることに不快感を感じたりしていたらしいが、そんなものは一瞬だった。
結局、俺への興味は薄れていってここに居座っている。
「いた」
いつも1人。しかし今日は違った。凪紬が階段を登ってまで来たらしい。
「……人気者が何しに来たんだよ」
「友達探しに来ただけだよ!」
「俺は参加しないから早く行ってこい」
「えー話したい!」
「好きにしろ」
「じゃあ質問タイムね」
「俺が答えなきゃいけないだろ……勝手に喋っててくれ」
呆れ声を出しても凪紬は話を進める。
「李斗って、なんで話さないの?」
「……別に話すことないし、それに、みんな怖いって話してくれねぇよ」
理由は俺にあるのはわかっているのに、クラスメイトのせいにして情けないとそっぽを向く。
「じゃ、次の質問ねー。レストランの出勤いつ?」
「いつだろうな」
「じゃあ毎日行こうかなー」
——毎日食べるような場所じゃないだろ。
高級店であるのに、平然という凪紬にギョッとする。
「パン屋は?」
「さぁな」
「なんで教えてくれないのー」
凪紬は胡座のまま不満そうに身体を伸ばし俺の肩に頭を乗せ体重をかけてくる。
「重い」
「筋肉は重いんだよ」
そう言いながら、一段と体重を乗せる。呼吸する音さえも聞こえる距離。話題を逸らした。
「優光さんになんて渡そう」
「え?」
「いや、マフラー貸してもらって何かお礼とかいるのかなとか……」
「優光……”さかき”? のこと? マフラーくらいだったら普通に『ありがとうございましたー』でいいんじゃない?」
「そうか。そうだな」
誰かに物を貸してもらうことなど経験がない俺にとって、変な意識が生まれていたことに恥ずかしい気持ちがジワリと湧く。
——そうだ。普通にお礼を言えばいいだけなのか。
『好きな人』という意識は、俺自身を狂わせる。
——普通ってなんだっけ。
「……そのマフラー返さなくてもいいんじゃない?」
「は? だめだろ! 俺の1日のバイト代くらいはするだろ。大金だ」
「そういう問題なんだ」
「それ以外に何があるんだ?」
肩で笑う凪紬を、いぶかしむ。
「さっきのバイトの話だけど、今日はないから帰れるよ」
「本当⁉︎⁉︎」
凪紬はパッと顔を上げ表情が一気に明るくなる。
肩に頭が乗っていたことで、顔が近く心臓がギュッとする。
「……ちけぇ」
近いと言ったのに、そのまま俺の背に手を回されハグされる。
「ちょっ……凪紬‼︎」
「うれしー」
「わかった。わかったから手離せ」
——くっそ。
「ねぇ、花園。こっち来て」
1人の女子に話しかけられる。当然話したことなどない。普段は着いていくこともなく無視をするのだが、凪紬と関わったからだろうか。話せると思ったのだ。そのまま、女子の後ろをついていく。
人通りの少ない廊下に俺を囲うようにして、女子3人が怪訝な顔をしている。
「東崎くんの何なの?」
鼻で笑う女子の1人に、鋭い眼光を向ける。
「は?」
「まさか、付き合ってるとか?」
「うわ。かわいそう、よりにもよって……」
——俺と関わっていると可哀想なのか。
「付き合ってねぇよ」
「そりゃあそうでしょ。揶揄っているに決まってるじゃない。もう凪紬くんに近づかないでね」
——なんなんだ……。
「帰ろ?」
返事はせずに凪紬の横を通り過ぎる。俺が近づいちゃダメなんだろ? どうせ勝手についてくるのだと、思っていた。
話すなと言われたけど、俺から話しかけることなんてなかったのに恋が関係なくても人は厄介だ。
——俺からは近づけないということを言った方がいいのかもしれないな。
ついてきているものだと思い、昇降口で振り返る。
「なつ……む」
どこにも凪紬の姿は見えない。
——なんだ。来てなかったんだ。
ベッドに横になりながらスマホのメッセ画面を眺める。昨日俺が返信しないままのメッセージで止まっている画面。キーボードを開くも、打つ文字が思い浮かばない。
——ごめん? 俺悪くないのに?
次の日の朝、登校した途端「李斗、今いい?」と、顔から笑顔の消えた凪紬に呼び出される。
「お、怒ってるのか?」
「そんな怯えないでよ。ちゃんと言ったから」
——何をだ?
「なんて?」
「俺と李斗の邪魔しないでねって」
「なん、て?」
こういうところから俺との関係性が誤解されてきたのか。すでに言ってしまっているのだったら考えるだけ無駄だった。俺が訂正したって信じてもらえない、
初めて怒ったみたいな凪紬を前にして、緊張の糸が張る。
「怒ってるのは、あの女子たちが李斗に酷いこと言ったから」
「そんなこと怒らなくていいよ。他の人にもそういうことやってるかもしれないんだし、いちいち凪紬が言ってたら大変だろ」
「違う。李斗だから」
「俺以外に友達たくさんいるんだし、俺にこだわらなくても……」
「……わかんない。でも、李斗に無視された時、本当に心が苦しかったんだ」
「なん、だよ、それ」
——誰とも仲良くて周りにいつも人がいる凪紬が、俺に無視されただけでこんなにも落ち込むなんて。
安心からなのか、糸がふんわりと緩まると、不思議と目頭にじわりと熱さを感じ取る。
——友達のひとりじゃなくて少し特別な感じがしたんだ。
それに、俺も凪紬を無視して名前を呼んでいなかったとき、心のどこかでチクリと針が刺さったんだ。それが抜けた感覚にふいと、顔を逸らすも遅かった。
背けた顔と反対に力を込めた凪紬の手が触れる。
「泣いてる⁉︎ なんで⁉︎」
「知らねぇよ! 触んな‼︎」
こんなことになったのは初めてで、俺の方が声をあげる。
抵抗する俺を無視し、目頭から溢れそうになった涙を拭われる。
触れられた手に少し体重を預けたのだった。



