翌日。
支度部屋で護衛服に着替え、髪を結い、化粧を済ませたタイミングで福から「茜様、お支度できましたか?」と声がかかる。
「はい、終わりました。杜人様は、先にお出になられたのでしょうか」
「そうみたいです。茜様が支度なさっている間にお一人で出ていかれました」
「そう、お一人で……」
まだ一緒に暮らしてから二日しか経っていないが、杜人は使用人を寄せつけずに一人で過ごしていることが多いことに気がつく。司と同じ国家当主という立場なのに、護衛をつけているような気配はなかった。
「では、私達が留守の間、番をお願いします」
「はい。心得ております。……白無垢も素敵でしたが、やはり茜様はその凛々しい姿のほうがお似合いですね」
茜のきっちりとした護衛服姿に、福は惚れ惚れした表情を浮かべる。
「ありがとう、福。私としてもこちらの服のほうが落ち着きます」
茜は姫という肩書きながら、司の護衛の仕事をしていた。普段から鍛錬をしているのもそのためである。
しかし、東野宮が西ノ宮より女性の社会進出が進んでいるとはいえ、女性が武道などと目くじらを立てる者は多い。だから、あえて姫である茜が率先してその地位を築くことによって、後継の女性達の励みになればいいと思って結婚した今でもこの仕事を続けている。
ちなみに、茜が仕事を続けることも結婚の条件にしていたのだが、杜人からは難色を示すことなくすんなりと許可を得られていた。
「えぇ。えぇ。茜様はお仕事なさっているときのほうが生き生きされてますから。ですが、東野宮と西ノ宮の結婚をよく思っていない輩もおりますから、くれぐれもお気をつけくださいね」
「そうですね。今日は結婚後の初出勤ですし、一層気を引き締めて臨んで参ります」
茜は福からの「いってらっしゃいませ」の声を背に受けながら、玄関を出る。そして既に待っていた自動車に乗り込むと、司のいる大和大帝国議会へと向かうのだった。
◇
「結婚しても何も変わらんな」
「ただ一緒に住んでいるだけですし、祝言から二日しか経っていないのですから、変わりようがありません」
司から指摘されて、正論で返す。すると司は肩を竦めて「相変わらず可愛げのない妹だ」と苦笑した。
「そんなことおっしゃってないで仕事してください。仕事」
「言われなくてもわかっているさ。そういえば、西ノ宮はもう来ているのか?」
「恐らく。私より先に出たらしいので」
「本当にドライな関係なのだな。……まぁ、それもそうか。って、おや。噂をすれば何とやら、だな」
茜が司の視線の先を追えば、そこには杜人がいた。祝言のときの紋付袴でも、家でいるときに着ている着流しでもない、軍服姿に思わず見惚れてしまう。
(カッコいい……軍服がとてもお似合いです)
今まで杜人とはここ大和大帝国議会で少なからず顔を合わせていたはずだが、興味がなかったのもあってほとんど記憶にない。司の護衛ということで不審者の注意はしていたものの、全く周りの人々の服装などには意識が向いていなかったため、こうして改めて杜人を注視したときにあまりの男前さに茜は見入ってしまった。
「おいおい。夫を凝視しすぎじゃないか? そんなに見つめるなら家でやってくれ」
「なっ! 別に、そういうのではありません!」
司に呆れたような声で指摘されて、茜は恥ずかしくなってキャンキャンと喚いていたときだった。
「甲高いヒステリックな声が聞こえて来たかと思えば、この場に相応しくない雌が紛れておるな」
近くにいた細目の小太りな男から、あからさまに茜を指した嫌味が飛んでくる。
「非力で能無しのくせに権力ばかり主張しおって。雌はこれだから始末に終えぬ。家から出て来ずに、赤子を抱えて飯炊きさせておけばいいのにな」
大きな声で茜を揶揄する言葉を次々とぶつけられる。
内心は腑が煮えくりかえそうであったが、そういった言葉を言われ慣れていた茜は、揉め事を起こさないようにあえて反応せずに沈黙を貫いた。
(この紋……西ノ宮の人ですね)
相手に気づかれないようにちらっと軍服の紋を見て、嫌味を言ってくる人物が西ノ宮側の人間であることを確認する。
杜人の部下か親類か。とにかく、今回の結婚に納得していない人物であるのは間違いなかった。
(わざわざ特に関わりのない私を構うなんてよっぽど暇な人ですね。どうせ、大した役職でもないでしょうし、何かの当てつけでしょう)
言い合いする価値もないと判断して、茜は涼しい顔をして無視を決め込む。司が何か言いたそうにしていたが、視線を送って何も反応するなと制した。
すると、茜に無視されたことで激昂した男が茜の腕を強く掴んだ。
「おい! ふざけるな! 女の分際で、この私を無視するなど……!」
目の前で突然間近で怒鳴られて、思わず脚が震える。
けれど司の護衛として、萎縮し相手を調子づかせてはならないと、茜はまっすぐ相手を毅然とした態度をとった。
「何だ、その目は……!? いい加減に……っ」
「僕の妻に何かご用ですか?」
「!?」
いつのまに近くにきたのか、茜の隣にいる杜人。相手に微笑んでいるが、その声音はひどく冷たいものだった。
「あ、な、なぜ、西ノ宮様が……」
杜人の登場に、狼狽しながら茜から手を離す男。杜人には強く出られないらしい。
「先程も申したが、彼女は私の妻です。それから、彼女は東野宮の姫でもある。それを知っていての狼藉か? 確か、貴方は先日の祝言に出席していたはずでは?」
「そ、そうですけど。けれど、彼女は婚姻したと言っても東野宮の人間で……!」
「では、理解していてこの蛮行に及んだということで間違いない、と。……ほう、なるほど。つまり、西ノ宮の決定に異議を唱えるということでよろしいか? お父上にも確認してみましょうか」
「そ、れは……! 失礼しました。申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
「僕ではなく彼女に謝罪してくれないか?」
杜人に促されて「すみませんでした」と渋々といった様子ながらも謝る男。茜は少し驚きながらも「謝っていただけたらそれで結構です」と答えた。
「失礼します……っ」
茜が答えるやいなや、男は逃げるようにどこかへ行く。その逃げ足の速さに、何だったんだと内心呆れた。
「身内が大変な失礼をしました。申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず。むしろ茜を助けていただき、ありがとうございました」
杜人が頭を下げると、司が答える。茜も司の言葉に合わせて、ぺこりと頭を下げた。
「茜さんも気を悪くさせてしまって申し訳ない」
「いえ。杜人様が来てくださったおかげで助かりました。ありがとうございます」
「そう言ってもらえると助かります。では、司様は、このあとよろしくお願いします」
「えぇ、後ほど議会で」
そう言うと、杜人は先に会議場へと行ってしまう。その背を見ながら「ちゃんと大事にされているようでよかったな」と司がこっそりと耳打ちしてくるのがなんだかむず痒くて、茜は熱くなった顔を見られないように俯くのだった。
支度部屋で護衛服に着替え、髪を結い、化粧を済ませたタイミングで福から「茜様、お支度できましたか?」と声がかかる。
「はい、終わりました。杜人様は、先にお出になられたのでしょうか」
「そうみたいです。茜様が支度なさっている間にお一人で出ていかれました」
「そう、お一人で……」
まだ一緒に暮らしてから二日しか経っていないが、杜人は使用人を寄せつけずに一人で過ごしていることが多いことに気がつく。司と同じ国家当主という立場なのに、護衛をつけているような気配はなかった。
「では、私達が留守の間、番をお願いします」
「はい。心得ております。……白無垢も素敵でしたが、やはり茜様はその凛々しい姿のほうがお似合いですね」
茜のきっちりとした護衛服姿に、福は惚れ惚れした表情を浮かべる。
「ありがとう、福。私としてもこちらの服のほうが落ち着きます」
茜は姫という肩書きながら、司の護衛の仕事をしていた。普段から鍛錬をしているのもそのためである。
しかし、東野宮が西ノ宮より女性の社会進出が進んでいるとはいえ、女性が武道などと目くじらを立てる者は多い。だから、あえて姫である茜が率先してその地位を築くことによって、後継の女性達の励みになればいいと思って結婚した今でもこの仕事を続けている。
ちなみに、茜が仕事を続けることも結婚の条件にしていたのだが、杜人からは難色を示すことなくすんなりと許可を得られていた。
「えぇ。えぇ。茜様はお仕事なさっているときのほうが生き生きされてますから。ですが、東野宮と西ノ宮の結婚をよく思っていない輩もおりますから、くれぐれもお気をつけくださいね」
「そうですね。今日は結婚後の初出勤ですし、一層気を引き締めて臨んで参ります」
茜は福からの「いってらっしゃいませ」の声を背に受けながら、玄関を出る。そして既に待っていた自動車に乗り込むと、司のいる大和大帝国議会へと向かうのだった。
◇
「結婚しても何も変わらんな」
「ただ一緒に住んでいるだけですし、祝言から二日しか経っていないのですから、変わりようがありません」
司から指摘されて、正論で返す。すると司は肩を竦めて「相変わらず可愛げのない妹だ」と苦笑した。
「そんなことおっしゃってないで仕事してください。仕事」
「言われなくてもわかっているさ。そういえば、西ノ宮はもう来ているのか?」
「恐らく。私より先に出たらしいので」
「本当にドライな関係なのだな。……まぁ、それもそうか。って、おや。噂をすれば何とやら、だな」
茜が司の視線の先を追えば、そこには杜人がいた。祝言のときの紋付袴でも、家でいるときに着ている着流しでもない、軍服姿に思わず見惚れてしまう。
(カッコいい……軍服がとてもお似合いです)
今まで杜人とはここ大和大帝国議会で少なからず顔を合わせていたはずだが、興味がなかったのもあってほとんど記憶にない。司の護衛ということで不審者の注意はしていたものの、全く周りの人々の服装などには意識が向いていなかったため、こうして改めて杜人を注視したときにあまりの男前さに茜は見入ってしまった。
「おいおい。夫を凝視しすぎじゃないか? そんなに見つめるなら家でやってくれ」
「なっ! 別に、そういうのではありません!」
司に呆れたような声で指摘されて、茜は恥ずかしくなってキャンキャンと喚いていたときだった。
「甲高いヒステリックな声が聞こえて来たかと思えば、この場に相応しくない雌が紛れておるな」
近くにいた細目の小太りな男から、あからさまに茜を指した嫌味が飛んでくる。
「非力で能無しのくせに権力ばかり主張しおって。雌はこれだから始末に終えぬ。家から出て来ずに、赤子を抱えて飯炊きさせておけばいいのにな」
大きな声で茜を揶揄する言葉を次々とぶつけられる。
内心は腑が煮えくりかえそうであったが、そういった言葉を言われ慣れていた茜は、揉め事を起こさないようにあえて反応せずに沈黙を貫いた。
(この紋……西ノ宮の人ですね)
相手に気づかれないようにちらっと軍服の紋を見て、嫌味を言ってくる人物が西ノ宮側の人間であることを確認する。
杜人の部下か親類か。とにかく、今回の結婚に納得していない人物であるのは間違いなかった。
(わざわざ特に関わりのない私を構うなんてよっぽど暇な人ですね。どうせ、大した役職でもないでしょうし、何かの当てつけでしょう)
言い合いする価値もないと判断して、茜は涼しい顔をして無視を決め込む。司が何か言いたそうにしていたが、視線を送って何も反応するなと制した。
すると、茜に無視されたことで激昂した男が茜の腕を強く掴んだ。
「おい! ふざけるな! 女の分際で、この私を無視するなど……!」
目の前で突然間近で怒鳴られて、思わず脚が震える。
けれど司の護衛として、萎縮し相手を調子づかせてはならないと、茜はまっすぐ相手を毅然とした態度をとった。
「何だ、その目は……!? いい加減に……っ」
「僕の妻に何かご用ですか?」
「!?」
いつのまに近くにきたのか、茜の隣にいる杜人。相手に微笑んでいるが、その声音はひどく冷たいものだった。
「あ、な、なぜ、西ノ宮様が……」
杜人の登場に、狼狽しながら茜から手を離す男。杜人には強く出られないらしい。
「先程も申したが、彼女は私の妻です。それから、彼女は東野宮の姫でもある。それを知っていての狼藉か? 確か、貴方は先日の祝言に出席していたはずでは?」
「そ、そうですけど。けれど、彼女は婚姻したと言っても東野宮の人間で……!」
「では、理解していてこの蛮行に及んだということで間違いない、と。……ほう、なるほど。つまり、西ノ宮の決定に異議を唱えるということでよろしいか? お父上にも確認してみましょうか」
「そ、れは……! 失礼しました。申し訳ありません。出過ぎた真似をしました」
「僕ではなく彼女に謝罪してくれないか?」
杜人に促されて「すみませんでした」と渋々といった様子ながらも謝る男。茜は少し驚きながらも「謝っていただけたらそれで結構です」と答えた。
「失礼します……っ」
茜が答えるやいなや、男は逃げるようにどこかへ行く。その逃げ足の速さに、何だったんだと内心呆れた。
「身内が大変な失礼をしました。申し訳ありません」
「いえ、お気になさらず。むしろ茜を助けていただき、ありがとうございました」
杜人が頭を下げると、司が答える。茜も司の言葉に合わせて、ぺこりと頭を下げた。
「茜さんも気を悪くさせてしまって申し訳ない」
「いえ。杜人様が来てくださったおかげで助かりました。ありがとうございます」
「そう言ってもらえると助かります。では、司様は、このあとよろしくお願いします」
「えぇ、後ほど議会で」
そう言うと、杜人は先に会議場へと行ってしまう。その背を見ながら「ちゃんと大事にされているようでよかったな」と司がこっそりと耳打ちしてくるのがなんだかむず痒くて、茜は熱くなった顔を見られないように俯くのだった。



