この旅の先に何があるか、博士は教えてくれなかった。
栄養ドリンクの入ったペットボトルをいくつかリュックに入れて持ち出したけど、いつなくなるかは分からない。
博士はこの栄養ドリンクは購入することができないと言った。
私は作り方を知らない。
けど、人間界の飲み物でも生きていけると博士は言っていた。
人間界の飲み物ってなんだろう?
人間というものを知らない。
博士と住んでいた施設を真っ直ぐ歩く。
景色はどこまでも草原が広がっていて、歩きやすいようにするためか、ところどころに柵が立っている。
私はその道をどこまでも進んだ。
しばらくすると、その道の途中に人間がいた。
人間は柵にもたれて休んでいた。
「男の人ですか?」
「え?」
「よく分からなくて」
「分からない?」
「人の性別が分からなくて」
「まあ、男性ではあるかな。恐らく君より5、6才年齢が上の」
「そう、ですか」
男性は少し怪訝そうな顔をしたが、しばらく私の顔を見つめて、目を見開く。
「君は、アイリス?」
「え?」
「東谷博士のとこの、アイリスじゃないか!」
私は首を傾げてしまう。
この人は誰だろう?
「昔博士の研究所で働いていたんだ。結婚してね、俺は婿養子になったから、妻の実家の米農業を継ぐことになってね」
「はあ」
「婿養子わかる?」
「……ぎりぎり」
「そうかい」
男性は優しい笑みを浮かべてから、少し間を開けて、また口を開く。
「アイリス、博士はどうしたんだい?」
「亡くなりました」
「いつ?」
「昨日」
男性は少し目を伏せる。
「東谷博士、亡くなったんだね。博士は最後に何と言っていたかな?」
男性と目が合って、私も一瞬思わず目をそらしてしまったけど、もう一度目を合わせて口を開く。
「私はもうすぐ孤独になる。だから旅をしてこいと。
だから外へ来てみました。博士が何故そう言ったのかはよくはわからないのですが」
男性は黙ったまま、何度か頷き、また口を開く。
「アイリスそれは、博士のいうとおりなんだ。
君は孤独になる」
「え?」
「一足遅かったね。もう少し早かったら、人間界の明るい世界を見せてあげられた」
男性は少々苦しそうな顔をした。
明るい世界を見せてあげられた?
「隣に座らないかい?」
男性が床をぽんぽんと叩く。
私が男性の隣に座ると、男性は私の頭を撫でた。
博士と過ごしたときを思い出す。
優しくあたたかい手で頭を撫でられて、いつもそれがおはようの前のルーティンだった。
「そうだ、飲み物」
「え?」
「人間の飲み物を教えてほしい」
男性は天を仰ぐ。
「飲み物。水とか、かな」
「みず?」
「アイリスは水を知ってるかい?」
私が首を振ると、男性はははと笑った。
「そこに蛇口があるよ」
男性が振り向いた先を見る。
錆びついたとってのついたそれを私は知っている。
博士と住んでいた施設にも錆びついてはいなかったけど、それは存在していた。
そうか、あそこから出ていたものが水かと、私は気づいた。
私はそれに触れて、とってを回してみる。
確かしゃーとたくさん出てきたはずだけど、ぽたぽたと水はたれて、すぐに止まって、またぽたぽたとたれてを繰り返す。
施設で見た時とは違っていた。
「一週間前までは、水圧が弱くとも、まだ良かったんだけどね」
男性が私を見つめる。
「昔は水なんて簡単に手に入ったものだよ。食べ物もそれなりにあって、すぐに購入できた。それがだんだん高騰化してすぐに入手困難になった」
男性は話を続ける。
「建物にはさほど変化はない。ただ、食物も育たず、水も出ず、この世界は貧困化が進んでいる。どういう環境の変化か分からないけど、一部の箇所では空気ですら一度吸い込むと死に至るなんて場所もあるようだよ」
そう言うと、男性は床に倒れ込む。
私はすぐさま彼のそばに駆け寄ると、彼は弱々しく私の腕をつかんだ。
「私はこの環境の変化で妻も子供も失った。施設で博士と働けたことは誇りに思っている。だから……最後に話せて良かったよ、アイリス」
手が離れた瞬間、男性が倒れて静かに目を閉じた瞬間、私は昨日のことを思い出した。
『アイリス、君はもうすぐ孤独になる。だから旅に出なさい』
「博士、私は」
私はもう一度とってをひねってみる。水は一滴も出なかった。
男性は目を閉じたまま動かない。
「世界がおかしいみたい」
私は男性を抱えたまま、立ち上がる。
「アンドロイドの私だからこそできることがあるはずよ」
一歩一歩歩き出す。初めてみた世界で私は誓う。
「私は孤独にならないわ、博士」


