塩対応のタイムリーパーは、今日も俺を救えない?

スマートフォンがベッドのサイドテーブルの上で短く震えたのは、昨晩の午前零時をとうに過ぎた頃だった。

いつもなら、通知の主が誰であれ、眠気を優先して完全に無視を決め込む時間帯だ。画面の明かりすら目に入らないよう、枕の下に頭を潜り込ませてそのまま夢の世界へ逃げ出すのが、俺のいつもの怠惰なルーティンだった。しかし、昨晩ばかりは、そのわずかな振動に対して、俺の身体は驚くほど過敏に反応してしまった。

暗闇の中で手を伸ばし、液晶画面を点灯させる。
ブルーライトが網膜をチクリと刺した。画面に表示されていたのは、新しく追加されたばかりの、素っ気ない文字のアカウント名。

『みこしば:明日の放課後、どこに行く。裏庭は、お前が嫌なら変える』

その画面を見つめたまま、俺は思わずベッドの上で小さく吹き出してしまった。
時刻は午前零時三十五分。あいつ、俺にこんな短いメッセージを一行送るためだけに、一体どれだけの時間、スマホの画面を睨みつけ、文字を書いては消し、書いては消しを繰り返していたのだろうか。想像するだけで、あの目つきの悪い、常に眉間に皺を寄せた御子柴の顔が鮮明に浮かび上がってきて、どうしようもなく可笑しかった。

『うすば:図書室の奥の資料スペース。あそこなら冷房も効いてるし、この時期は誰も来ないから。放課後、現地集合で』

俺がそう返信を送ると、一秒と経たずに『既読』の二文字がついた。あいつ、画面を開いたまま俺からの返信を待っていたな。
しかし、それきり御子柴からの返信は途絶えた。了解とも、分かったとも来ない。相変わらず、コミュニケーションの取り方が絶望的に不器用な男だ。けれど、その『既読』の早さに含まれた、言葉にならない切迫感と必死さが、俺の胸の奥を妙に温かく、そして少しだけ擽(くすぐ)ったいような気分にさせた。

――そして、明けた今日、七月十五日。

朝の教室は、昨日までと何も変わらない、いつもの退屈な光景が広がっていた。
登校してきた俺は、自分の席にカバンを置き、いつも通りにめんどくさそうな表情を張り付けて着席する。斜め後ろの特等席には、すでに御子柴が座っていた。彼は昨日と同様、窓の外をじっと見つめ、周囲に「話しかけるな」という強固なバリアを張り巡らせている。

俺と御子柴の視線が交わることはなかった。
クラスの誰も、俺たちの間に【秘密の連絡先】が共有され、放課後の密会の約束が交わされているなんて、夢にも思っていないだろう。周りから見れば、俺たちはただの「クラスの隅にいる、愛想のない塩対応な男たち」のままだった。この、全校生徒を騙しているかのような、あるいは世界そのものを欺いているかのような奇妙な共犯関係が、俺の退屈だった高校生活を劇的に塗り替えていく。

「おい、薄葉。一限のノート、ちょっと見せてくれよ」

前の席の男子が気安く振り返って声をかけてきた。俺は「あー、別にいいけど。字、汚いぞ」といつも通りの低いトーンで答え、カバンからノートを引っ張り出して手渡す。その一連のやり取りの間、俺の背中に、チリチリとした痛いほどの視線が突き刺さっているのを感じていた。

御子柴だ。
振り返らなくても分かる。あいつ、俺が他の奴と親しげに話すだけで、あからさまに神経を尖らせているのだ。それは嫉妬というよりも、俺が「いつ、どこで、どんな些細なきっかけで死亡フラグに接触するか分からない」という、過剰なまでの警戒心と恐怖からくるものだろう。四十二回もの失敗を重ねてきたあいつにとって、俺の周囲にあるすべての人間関係が、俺を死に追いやる『罠』に見えているのかもしれなかった。

(そんなに睨むなよ。ただノートを貸しただけだろ)

心の中でそう苦笑しながら、俺はあえて御子柴の方を見ずに、授業の準備を進めた。
今ここで俺たちが不自然に目線を合わせたりすれば、勘のいいクラスメイトに怪しまれる。俺たちの共闘は、あくまでも水面下で、世界の裏をかくように進められなければならない。

授業中も、御子柴の張り詰めた気配は途切れることがなかった。
先生がチョークを黒板に走らせる音、クラスメイトのあくびの音、窓の外の蝉の声。それらすべての日常の雑音の裏で、御子柴のシャーペンが時折、激しく机を叩く音が聞こえる。あいつ、授業なんて一切頭に入っていないな。おそらく頭の中で、七月二十日の当日のシミュレーションを、何百回、何千回と繰り返しているに違いない。

時計の針が、じりじりと進んでいく。
普段なら、早く終われと呪うように見つめる文字盤が、今日ばかりは、タイムリミットへ向かうカウントダウンのように見えて、俺の心臓の鼓動をわずかに速めさせた。

そして、ついに放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。

起立、礼、の号令とともに、教室が一気に解放感に包まれる。俺はカバンに手早く教科書を詰め込むと、御子柴の様子を窺うこともなく、真っ先に教室を出た。あいつに言った通り、現地集合だ。一緒に移動して目立つ必要はない。

廊下を進み、本校舎から少し離れた場所にある図書室へと向かう。
夏休み直前のこの時期、放課後の図書室には驚くほど人がいない。図書委員の生徒が一人、カウンターで退屈そうにスマホをいじっているだけだった。俺は足音を忍ばせながら、図書室の最奥、古い郷土資料や事典が並ぶ、滅多に人が立ち入らない薄暗いスペースへと足を運んだ。

冷房の風が、火照った肌に心地よく吹き付けてくる。
大きな本棚の影に隠れた四人掛けの机。そこに、俺は腰を下ろした。

カバンからノートを取り出し、机の上に広げる。
トントン、と静かな図書室の空気を刻むように、ローファーの足音が近づいてくるのが聞こえた。足音の間隔が少しだけ、焦るように乱れている。

本棚の陰から姿を現したのは、やはり御子柴だった。
彼はカバンを強く握りしめたまま、周囲に誰もいないことを鋭い目付きで確認すると、俺の正面の席に、滑り込むようにして腰を降ろした。

「……遅い」

開口一番、御子柴は不機嫌そうにそう呟いた。
俺は手元の時計に目をやる。教室を出てから、まだ五分も経っていない。

「いや、最速で来たんだけど。お前が早すぎるだけだろ、御子柴」

俺がいつもの調子で言うと、御子柴はそれには答えず、カバンから例の黒い革の手帳を取り出し、机の上にドン、と静かに置いた。その瞳には、昨日よりもさらに深い、執念と決意の光が宿っていた。

「ここなら、邪魔は入らないな。……薄葉、今から四十三回目の、本当の作戦会議を始める」

冷房の効いた静寂の中で、御子柴の声が低く響いた。
俺たちの、世界を相手にした長い一週間が、ここから本格的に動き出そうとしていた。