塩対応のタイムリーパーは、今日も俺を救えない?

古い体育館の裏手は、へばりつくような濃い湿気と、容赦のない蝉時雨に満ちていた。

西日の届かない日陰の空気はひんやりとしているはずなのに、俺と御子柴の間に漂う空気だけは、妙に熱を帯びて肌にまとわりついてくる。耳の後ろを赤く染めたまま、頑なにこちらを見ようとしない御子柴の横顔を、俺はただ静かに見つめていた。普段の俺なら、こんな面倒な沈黙には耐えられず、すぐにでも「じゃあね」と言って帰宅の途についているはずだ。他人を観察することにリソースを割くなんて、俺の人生において最も無駄な行為だと思っていたから。

なのに、今の俺は、御子柴の細かな変化からどうしても目が離せなくなっていた。

「……おい」

長い沈黙の末、御子柴がようやく低く押し殺した声を漏らした。彼はゆっくりと首を回し、鋭い瞳で俺を正面から睨み据える。その目は相変わらず酷く充血していて、今にも張り詰めた糸が切れてしまいそうな危うさを孕んでいた。

「何?」

「お前、本当に自分が死ぬかもしれないという恐怖があるのか? なぜそんなに他人事みたいに淡々としていられる。四十二回だぞ。俺がどれだけの地獄を見てきたか、お前には……」

そこまで言って、御子柴は自嘲気味に言葉を飲み込んだ。固く握り締められた彼の拳が、小刻みに震えている。四十二回分の絶望という目に見えない重圧が、彼の細い肩にどれほど深くのしかかっているか、俺には想像することしかできない。けれど、その重圧をたった一人で背負い込んできた彼に対して、かけるべき言葉を俺は持ち合わせていなかった。

俺はカバンを近くの錆びついた鉄パイプに立て掛け、彼との距離をもう一歩縮めた。

「他人事だなんて思ってないよ。ただ、俺がここでパニックになって泣き叫んだところで、何かが解決するわけじゃないだろ。それに……」

俺は一呼吸置き、彼の胸元にある黒い手帳を指差した。

「パニックになる役割は、お前一人で十分足りてるみたいだしな。それより、その手帳の中身をもっと詳しく教えてくれ。タイムリープの正確な『ルール』を知りたい」

御子柴は眉間にこれ以上ないほどの深い皺を刻んだが、俺の要求を拒絶することはしなかった。彼は小さく息を吐き出すと、震える指先で手帳のページをゆっくりとめくった。そこには、俺がどのような状況で、どのように命を落としたのかが、まるで無機質な実験記録のように淡々と、けれど異様なまでの執念深さで書き連ねられていた。

「……タイムリープの発動条件は何なんだ? お前が自分の意志で時間を戻しているのか?」

「違う」

御子柴は短く、吐き捨てるように否定した。

「お前が死んだ瞬間、俺の意識は強制的に一週間前の教室に戻される。俺の意志や都合なんて一切関係なくな。……最初の数回は、何が起きたのか全く分からなかった。ただの質の悪い悪夢だと思って、現実から目を背けようとした。だが、お前がまったく同じ日付の同じ時間に、まったく同じように無惨に死ぬのを目の当たりにして、これが逃れられない現実だと理解せざるを得なかったんだ」

彼の声には、その光景を思い出すだけでも身を切られるような痛みが混じっていた。
俺が死んだら、彼が戻る。まるで、俺の命の灯火が消えることが、彼の時間を巻き戻すトリガーになっているかのような歪んだ構造だ。

「俺が死んだらお前が戻る、か。じゃあ、もしお前が死んだらどうなるんだ?」

俺の突飛な質問に、御子柴は弾かれたように目を見開いた。その瞳の奥に、一瞬だけ純粋な驚愕が浮かぶ。

「……試したことはないし、試すつもりもない。俺の生死なんてどうでもいいんだ。問題は、どうやってもお前が死ぬという結果に世界が行き着くことだ。どんなに警戒しても、どんなにルートを変えても、世界はお前を殺すための新しい『罠』を瞬時に用意する。まるでお前の存在そのものを排除しようとする、目に見えない悪意が存在するかのように」

「悪意、ね」

俺は腕を組み、手帳に記された死因の数々を脳内で整理する。トラックの暴走、看板の落下、原因不明の火災。確かに、ただの不運で片付けるには無理があるほど、俺の死は徹底されている。

「でも、無駄じゃなかっただろ」

「……何がだ」

「現に、四十三回目の今回は、俺がこうして前世(?)の記憶を引き継いでる。お前が一人で空回ってた過去の四十二回とは、前提が根本的に違うんだよ。これは、世界の設定エラーか、あるいは俺たちの反撃のチャンスだ」

俺がきっぱりと言い放つと、御子柴は言葉を失ったように黙り込んだ。彼の視線が、俺の顔から首元、そして爪先に至るまで、ゆっくりと移動していく。その視線は、まるで壊れやすい硝子細工の強度を確かめるかのように慎重で、もどかしいほどに熱を帯びていた。

(こいつ、本当に……)

普段の冷淡で突き放すような態度からは想像もつかないほど、その瞳の奥には、狂気にも似た過保護さと圧倒的な執着が渦巻いている。それが他ならぬ俺に向けられているという事実に、ゾクりとした奇妙な感覚が背筋を駆け上がった。それは恐怖ではなく、もっと別の、危険な甘さを孕んだ感情だった。

「……お前は、本当に何も怖くないんだな」

御子柴がぽつりと呟いた声は、どこか諦めを含んだように優しかった。

「怖くないわけないだろ。ただ、お前がそこまで必死になってるのを見たら、冷めるに冷められないだけだ。さあ、四十三回目の作戦を立てよう。まずは、七月二十日当日の俺の行動を、一分一秒単位で固定するところからだ」

俺は不敵に微笑みながら、御子柴の手帳から一枚の白いページを開かせた。噛み合わなかったはずの二人の距離が、この薄暗い日陰の中で、確かに縮まり始めていた。