塩対応のタイムリーパーは、今日も俺を救えない?

放課後を告げるチャイムの音が、重苦しい余韻を残して教室の天井に吸い込まれていった。

クラスメイトたちが一斉にカバンを掴み、部活動やバイト、あるいは友人との他愛のないお喋りへと散っていく。その騒がしい喧騒の渦中で、俺はあえて机の上の荷物をゆっくりと片付けていた。ノートを閉じ、筆箱をカバンに入れ、教科書の端をきれいに揃える。普段の俺なら、チャイムの瞬間に席を立って誰よりも早く校門をくぐり抜けているはずだ。他人と関わるのは面倒だし、一人の時間を一秒でも長く確保したいから。

けれど、今日の俺には、そうもいかない理由があった。

視線を斜め後ろへ向けると、そこにはやはり、荷物をまとめる手を極端に遅くしている男の姿があった。
御子柴廻だ。
彼はいつも通りの無表情で、周囲の人間を寄せ付けない冷徹な壁を周囲に張り巡らせている。だが、その指先がノートの角を何度も無意味になぞっているのを見て、俺は小さく息を漏らした。あいつ、緊張している。昼休みに屋上の踊り場で交わしたあの会話――四十三回目の世界で初めて、俺たちが「共闘」を決めたあの約束が、彼の心を激しく揺さぶり続けているのは明白だった。

クラスの人間がほとんどいなくなり、夕方の西日が窓ガラスをオレンジ色に透き通らせる頃、御子柴がようやく立ち上がった。彼はカバンを肩にかけると、俺の席の横を通り過ぎる際、一度も目を合わせないまま、低く掠れた声で呟いた。

「……ついてこい。他人の目が届かない場所へ行く」

「了解」

俺は短く答えて、自分のカバンを肩にかけ、彼の斜め後ろを歩き始めた。
いつもなら、誰かの後ろをついて回るなんて鬱陶しいだけの行為だ。しかし、この一歩先を行く背中が、俺の知らないところで四十二回も俺の死を見届けてきたのだと思うと、不思議と不快感はなかった。むしろ、その頑なな背中にどれだけの絶望が張り付いているのかを、もっと暴いてやりたいという奇妙な欲求すら湧いてくる。

御子柴が向かったのは、校舎の裏手、古い体育館の裏にある使われていない倉庫の影だった。
夏草が生い茂り、錆びついた鉄パイプや破棄された跳び箱が転がっているその場所は、放課後になっても生徒が立ち入ることはまずない。鬱蒼とした木々が西日を遮り、妙にひんやりとした影が地面に落ちている。

御子柴はそこで足を止めると、ぐるりと周囲を警戒するように見回してから、ようやく俺の方を振り返った。相変わらず、隈の濃い、酷くやつれた顔だ。けれど、その瞳だけは、飢えた獣のように鋭く俺を射抜いていた。

「……ここなら、誰にも聞かれない」

「わざわざこんな日陰を選ばなくても、どっかのファミレスでも良かったのに。暑いし、虫が寄ってきそうなんだけど」

「ふざけるな」

俺の軽口を、御子柴は容赦のない冷徹な声で一蹴した。

「お前は事の重大さを分かっていない。俺たちが今から話すのは、オカルトや都市伝説の類じゃないんだ。お前の『命』がかかっているんだぞ。そんな話を、呑気にドリンクバーを飲みながらできるわけがないだろ」

「はいはい。悪かったよ。怒るなよ、怖い顔が余計に怖くなってるぞ」

俺は両手を軽く挙げて降参のポーズを取ったが、心の中では彼のその『必死さ』を冷静に観察していた。御子柴は俺の態度が気に入らないのか、チッと小さく舌打ちをして、カバンから一冊の古びた手帳を取り出した。それは、学校の指定品ではない、黒い革張りの無骨な手帳だった。

「いいか、薄葉。時間がないから端的に説明する。お前が死ぬのは、七月二十日の午後四時十五分だ。場所は駅前の大通りにある、スクランブル交差点」

御子柴が手帳を開くと、そこには細い文字で、びっしりと何かが書き込まれていた。日付、時間、場所、そして、おぞましい単語の数々。

「……これ、全部俺の死因?」

俺が覗き込もうとすると、御子柴は拒絶するように手帳を少し胸元へ引いた。だが、俺の目は、そこに書かれたいくつかの記録を捉えていた。

『三回目:トラックの衝突。即死』
『十二回目:交差点を避けさせたが、裏路地で上部から落下してきた看板の直撃。即死』
『二十五回目:体調不良を理由に学校を休ませたが、自宅に突っ込んできた暴走車両により死亡』

背筋に、すっと冷たい氷を押し当てられたような感覚が走った。
ただの事故じゃない。俺が交差点を避けようが、学校を休もうが、世界はまるで『薄葉綴を殺すこと』をあらかじめ決定しているかのように、形を変えて俺の命を奪いにきているのだ。

「気づいたか」

御子柴は、俺の表情の変化を見逃さなかった。彼の声から、いつもの刺々しさが消え、代わりに底なしの疲弊が滲み出る。

「そうなんだよ。最初の数回は、ただの不運な交通事故だと思って、お前をあの交差点に近づけないようにした。力ずくで引き留めたり、手前の店に誘導したりな。だが、意味がなかった。あの交差点を回避しても、お前は必ず、別の『事故』に巻き込まれて死ぬ。まるで、運命そのものがお前を排除しようとしているみたいに」

手帳を握りしめる御子柴の指先が、小刻みに震え始める。

「回数を重ねるごとに、俺もやり方を変えた。お前を一日中監視したり、不審者扱いされるのを覚悟で家までついていったりもした。だけど、ダメだったんだ。四十二回、俺はありとあらゆる方法を試した。お前を部屋に閉じ込めて鍵をかけた時ですら、原因不明の漏電による火災が起きて、俺はお前を助け出せなかった……!」

彼の告白は、あまりにも重く、あまりにも絶望的だった。
四十二回の失敗。それは、四十二通りの『俺の死に様』を、この男が特等席で観させられてきたという歴史そのものだ。目の前で何度も何度も、肉塊に変わり、炎に包まれ、冷たくなっていくクラスメイトの姿を。精神が狂わなかったのが奇跡だと思えるほどの拷問を、こいつはたった一人で耐えてきたのだ。

なぜそこまでして、と尋ねそうになって、俺は言葉を飲み込んだ。
昼休みに掴まれた肩の痛み。そして今、俺を見つめる彼の瞳の奥にある、狂気にも似た圧倒的な『生への執念』。理由なんて、聞くだけ野暮だ。こいつにとって、俺を救うことは、もう理屈を超えた絶対的な義務であり、呪いなのだ。

俺は深く息を吸い込み、肺に生温い夏の空気を満たしてから、彼の手帳を上からそっと押し下げた。

「わかった。お前の苦労はよーく分かったよ、御子柴」

「分かったなら――」

「だからこそ、やっぱり俺が必要なんだろ?」

俺は御子柴の言葉を遮り、彼の目を真っ向から見据えた。

「今までは、お前一人が勝手に動き回って、俺を救おうとしてた。だから失敗したんだよ。だって、当の本人である俺は何も知らずに、のんきに死亡フラグに向かって歩いてたんだからな。お前がどれだけ裏で立ち回っても、俺が予測不可能な動きをしたらそれでおしまいだろ」

御子柴は言葉を失ったように、わずかに口を開けた。

「でも、今回は違う。俺には記憶があるし、お前がタイムリープしてることも知ってる。つまり、俺自身の意志で、その死の運命とやらを裏切ることができるんだよ」

俺は不敵に笑ってみせた。極度のめんどくさがり屋の俺が、まさか自分の命をかけたデスゲームにこんなに前向きになるなんて、本当にどうかしている。けれど、この目の前で絶望に押し潰されそうになっている不器用なタイムリーパーを見ていたら、どうしようもなく心が煽られるのだ。こいつの四十二回の絶望を、すべてひっくり返してやりたい、と。

「……具体的に、どうするつもりだ」

御子柴が、警戒を解かないまま、けれど確実に俺の言葉に耳を傾けている。

「まずは、七月二十日の当日の行動を完全にシミュレーションする。お前がこれまでに試していない『盲点』が必ずあるはずだ。それを、今日から一週間かけて、二人で徹底的に洗い出す」

俺は御子柴の一歩前に足を踏み出し、彼との距離を縮めた。西日の影の中で、二人の影が地面に長く伸びて重なり合う。

「覚悟しろよ、御子柴。もう一人で格好つけるのは終わりだ。四十三回目は、俺とお前、二人で生き残るぞ」

御子柴は、俺の強い視線に圧されるように、わずかに息を呑んだ。いつもなら「黙れ」「うっとうしい」と言い返すはずの彼の唇が、微かに戦慄いている。彼は手帳をきつく締めると、ふいっと顔を背けた。その白い首筋が、夕暮れの影の中でも分かるほど、ほんのりと赤く染まっているのを、俺は見逃さなかった。