塩対応のタイムリーパーは、今日も俺を救えない?

コンクリートの壁に囲まれた薄暗い踊り場に、御子柴の荒い呼吸の音だけが、不気味なほど鮮明に響き渡っていた。

制服の生地越しに伝わってくる彼の指先は、驚くほど冷え切っている。まるで、真冬の氷点下に晒されていたかのように凍えていて、それが彼の内面のパニックを何よりも雄弁に物語っていた。肉を抉るような強い力で俺の肩を掴んだまま、御子柴は微動だにしない。いや、正確には、怒りと恐怖のあまり全身を小刻みに震わせていた。

「お前が夢で死のうが生きようが、俺には関係ない」

先ほど彼が吐き捨てた言葉が、冷たい壁に反響して、ゆっくりと脳裏に溶けていく。
関係ない、か。よくもまあ、そんな分かりきった嘘を、これほど必死な顔で言えたものだ。

俺は、激しく上下する彼の胸元を見つめながら、あえて挑発するように、ふっと息を漏らして笑った。極度のめんどくさがり屋であるはずの自分が、どうしてこんなことをしているのか、自分でも不思議で仕方がない。いつもなら、面倒な人間関係からは一歩も二歩も引いて、傍観者に徹するのが俺のスタンスだったはずだ。なのに、この御子柴廻という男の、鉄仮面が剥がれ落ちた剥き出しの素顔を見た瞬間、胸の奥で燻っていた何かが、パチパチと音を立てて燃え広がっていくのを感じていた。

「嘘が下手だな、御子柴」

俺は極めて冷静な、いつもの抑揚のない声で呟いた。

「関係ないなら、どうしてそんなに怯えてるんだ? 関係ないなら、どうして俺の肩を、そんなに壊しそうな力で掴んでる?」

「それは……っ」

御子柴の喉が、引き攣ったような音を立てる。
彼はハッと我に返ったように目を見開くと、まるで熱い鉄板にでも触れてしまったかのように、勢いよく俺の肩から手を離した。行き場を失った彼の両手が、空中で行き場をなくして彷徨い、やがて固く拳に握り締められる。彼はそのまま、階段を一段、二段と後ろへ下がり、俺との距離を強引に引き離した。

薄暗い踊り場の中で、窓から差し込む一筋の夕光が、彼の顔を斜めに切り裂いている。光の中に浮かび上がる彼の瞳は、ひどく傷ついた獣のようにギラギラと濁っていた。

「……お前には、分からない。何も、分かっていない癖に、気安く踏み込んでくるな」

御子柴は絞り出すような声で、呪詛のように言葉を紡ぐ。

「お前はただ、気味の悪い白昼夢を見ただけだ。タチの悪いオカルト妄想だ。明日になれば、そんなものは綺麗さっぱり忘れてる。……忘れてろ。俺に、これ以上構うな」

彼はカバンを掴み直し、俺の脇をすり抜けて階段を駆け下りようとした。その横顔を、俺は逃がさなかった。
立ち上がり、振り返りながら、彼の背中に向かって言葉を叩きつける。

「夢じゃない」

その一言で、御子柴の足がピタリと止まった。階段の途中で、彼はまるで見えない壁に衝突したかのように、不自然な姿勢で硬直している。

「夢なわけがないだろ。トラックのバンパーが俺の骨を砕いた音も、フロントガラスに飛び散った自分の血の赤さも、まだ生々しく覚えてる。……そして、あの時、俺の名前を叫びながら、届きもしない手を伸ばして、泣きそうな顔をしてたお前の顔も、全部はっきりと覚えてるんだよ」

踊り場の空気が、一瞬で真空に変わったかのように息苦しくなる。
御子柴はゆっくりと、本当にゆっくりと、錆びついた人形のような足取りで振り返った。その顔は、もはや青白いという域を通り越して、土気色に変色している。唇は小刻みに震え、瞳の奥には、底なしの絶望が広がっていた。

「なぜ……」

かすれた声が、彼の唇から溢れ出る。

「なぜ、覚えている……? そんなはずは、ない。今まで、一度だって、お前が記憶を引き継いだことなんて……なかった。どうして、四十三回目になって、急に……!」

――四十三回目。

彼自身の口から、決定的な数字が飛び出した。
俺の記憶にあった『四十二回』という数字は、やはり彼が「失敗した回数」だったのだ。そして今、俺たちが立っているこの世界は、彼が俺の命を救うために命を削って巻き戻した、四十三回目の世界。

すべてが繋がった。
この男は、俺という、大して親しくもないクラスメイトを救うためだけに、四十二回も時間を巻き戻し、四十二回も俺の死に様を見届けてきたのだ。気が遠くなるほどの孤独と、絶望のループ。それを、誰にも打ち明けることなく、たった一人で背負い続けてきた。

そうまでして、なぜ俺を救おうとするのか。その本当の理由はまだ分からない。けれど、彼が抱えるあまりにも巨大で、歪んだ執着の塊が、俺の胸にずっしりと重くのしかかってくる。

「……やっぱり、本当だったんだな」

俺は階段を一段下り、御子柴に近づいた。彼は逃げようとしなかった。いや、衝撃のあまり、動くことすらできないようだった。

「どうして記憶が残ってるのかなんて、俺にも分からないよ。でも、残っちゃったんだから仕方ないだろ。御子柴、お前、今までずっと一人でこれをやってたのか?」

「……お前には関係ないと言っただろ。これは、俺の……俺だけの問題だ」

「関係大ありだ。死ぬのは俺なんだからな」

俺は呆れたように息を吐き、御子柴の目の前で足を止めた。
視線が真っ向から交錯する。相変わらず目つきが悪くて、不機嫌そうで、だけど今にも壊れてしまいそうな硝子細工のような、危うい男。

「お前、四十二回も失敗したんだろ? だったら、お前一人じゃ絶対に無理ってことじゃん。作戦が悪いのか、やり方が下手くそなのかは知らないけど、これ以上お前の『塩対応な救出劇』に付き合って、何度も死ぬのは御免だね」

「薄葉、お前……何を言って……」

「決まってるだろ」

俺はポケットから手を抜き、御子柴の胸元を人差し指で軽く突いた。

「四十三回目は、俺も混ぜろ。二人でやれば、そのクソみたいな死亡フラグもへし折れるかもしれないだろ」

御子柴は呆然と俺を見つめていた。その瞳に、ほんの少しだけ、これまでにはなかった小さな光――『希望』とも呼べないような、微かな揺らめきが灯るのを、俺は見逃さなかった。
彼は何度も唇を戦かせ、何かを言おうとしては飲み込み、やがて、いつもの不機嫌な仮面を無理やり張り直して、ふいっと顔を背けた。

「……勝手にしろ。足手まといになったら、置いていくからな」

「へえ、冷たいね。まあ、置いていかれたら俺が死ぬだけだから、お前のループがまた増えるだけだけど?」

「っ……! お前、本当に……!」

言い返せずに耳の後ろを真っ赤にする御子柴を見て、俺は確信した。
この一週間、退屈極まりないはずだった日常は、間違いなく、予想もつかない方向へと転がり始めている。

噛み合わなかったはずの二人の歯車が、四十三回目にして、ようやく、不協和音を立てながら回り出したのだ。