塩対応のタイムリーパーは、今日も俺を救えない?

教室の空気は、いつも通りに澱んでいた。

放課後の掃除当番がのんびりと机を運ぶ音、廊下で騒ぐ運動部の掛け声、窓の外で鳴く蝉時雨。すべてが、七月十三日のいつもの午後だ。先ほどまでの、鉄の塊が身体を押し潰すような絶望の熱さは、どこにもない。ここにあるのは、どこまでも平穏で、退屈な日常だけだ。

俺――薄葉綴は、自分の机に頬杖をついたまま、視線を窓際の一番後ろへと固定していた。

御子柴廻。
彼が今、何を考えているのか、俺にはさっぱり分からない。いや、彼が何を考えているのかなど、今まで一度たりとも興味を持ったことなんてなかったはずだ。なのにどうして、これほどまでに視線が吸い寄せられてしまうんだろう。

彼は、教科書を乱暴に鞄に放り込むと、一度だけ俺の方をチラリと見た。
目が合った。その瞬間、御子柴は露骨に顔をしかめると、まるでゴミでも見るような冷ややかな視線を俺に向けてから、すぐにまた背を向けた。

(……相変わらず、性格が悪いな)

内心で悪態をつきながら、俺は記憶の中の惨劇を反芻する。

あのトラックのブレーキ音。視界を遮る鋼鉄の輝き。そして、衝突の直前、視界の端で必死に手を伸ばしていたあの男。
――御子柴、だったよな。

あれが幻覚だとは到底思えない。あの時の彼の表情は、クラスメイトの俺に向けていいはずのない、切迫した、泣き出しそうな、あまりに人間臭い感情に満ちていた。
もしあれが現実で、そして今、俺が七月十三日の教室に立っているのなら。

(タイムリープ、なんて非現実的な話が、現実に起こっているのか?)

SF小説じゃあるまいし、と自分を笑おうとして、胸の奥がずきりと痛んだ。
もし本当に時間が巻き戻っているのなら、御子柴が俺の死を止めようとしていたことになる。
なぜ? 俺と御子柴は、席が近いだけの他人だ。会話なんて、授業のプリントを回す時か、掃除の当番が重なった時に事務的な挨拶を交わす程度。友情も、ましてや恋愛感情なんてものは、天と地がひっくり返っても存在しない。

考えれば考えるほど、違和感が脳内で泡のように膨らんでいく。

御子柴は、カバンを掴むと足早に教室を出ようとした。
あの一歩一歩が、妙に重い。まるで、自分の身体の重さを確認するように、床をしっかりと踏み締めている。
その背中を見送るべきか、それとも呼び止めるべきか。
俺の心臓は、これまでになく速い鼓動を刻んでいた。恐怖なのか、それとも知的好奇心なのかは分からない。ただ、このまま何もしなければ、また同じ結末が待っているのではないかという、根拠のない不安が俺の背筋を冷やした。

「……御子柴」

喉から声が漏れた。
我ながら、呼び止める理由なんて何一つ持ち合わせていない。だが、口は勝手に動いていた。

教室の出入り口に差し掛かっていた御子柴の肩が、ピクリと震える。
彼は立ち止まったが、すぐには振り返らなかった。その背中から、「関わるな」というオーラが痛いほど伝わってくる。

「……なんだ」

彼は振り返らずに言った。声は掠れていて、まるで喉を酷使したかのような疲れが滲んでいる。

「いや、今日さ。その……何か、忘れ物でもしたのか?」

我ながら、あまりに間抜けな問いかけだった。
御子柴はゆっくりと俺の方を向いた。その目には、いつもの冷たさに加えて、どこか疲弊しきったような諦念が浮かんでいる。

「お前には関係ない。余計なことに首を突っ込むな」

その言葉は、冷たい拒絶だ。
しかし、俺の目には、彼の制服の袖口に付着した薄黒い泥が、どうしても気になって仕方なかった。
あれは確か、学校の裏手にある工事現場の土の色だ。
あそこは、俺が事故に遭った交差点に続く唯一の近道だ。

やはり、彼は何かを知っている。

「関係ない、か。でも、御子柴。お前の足、大丈夫か? なんか、相当歩き回ったみたいだけど」

俺がそう指摘した瞬間、御子柴の表情が険しく凍りついた。
隠そうともせず、彼は自分の足元を見下ろすと、それから再び俺へと視線を戻す。その瞳の奥で、何かが激しく揺れ動いた気がした。

「……お前、いい加減にしろよ」

吐き捨てるようにそう言って、御子柴は教室を飛び出した。
バタン、と大きな音を立ててドアが閉まる。
残された教室には、静寂だけが戻っていた。

(……逃げたな)

確信に近い思いが、胸の中にストンと落ちる。
あれは、ただの「塩対応」じゃない。何かを必死に隠し、何かを必死に抱え込んでいる人間の、精一杯の強がりだ。

俺は、机に突っ伏していた上半身を起こし、深く息を吐き出した。
七月十三日。あと七日。
俺の命の期限まで、あと一週間。
御子柴廻という男の正体を暴かなければ、俺はまた、死ぬ。

そう思った瞬間、不思議と恐怖は薄れ、代わりにどうしようもない「面白さ」が込み上げてきた。
退屈だった日常が、急激に色彩を帯びていく。
御子柴、お前が隠しているその「秘密」を、俺が全部暴いてやる。

夕日が、教室の窓から長く伸びて、俺の机を真っ赤に染め上げていた。
まるで、これから始まる惨劇の幕開けを予告するかのように。

俺は鞄を手に取ると、御子柴が去ったドアの方を見つめた。
明日は、もっと近づいてやる。
そう心に誓って、俺は教室の明かりを消した。