塩対応のタイムリーパーは、今日も俺を救えない?

体育館の中は、大型の扇風機が数台うなっているだけで、容赦のない熱気が巨大な空間を支配していた。

校長による退屈で長い式辞が、音割れしたスピーカーを通じて天井へと吸い込まれていく。全校生徒が整列する中で、俺は学年ごとに分けられた列の、ちょうど真ん中あたりに立っていた。じっと立っているだけで制服の背中に汗が滲み、額を伝う雫が鬱陶しい。普段の俺なら、こんな退屈で不快な時間は脳を完全にスリープモードにして、時間が過ぎ去るのをただ無心で待っていただろう。面倒な行事には一切の感情を割かない、それが俺のモットーだった。

けれど、今日の俺の意識は、自分の斜め後ろ、数メートル離れた別の列にいる男に完全に占有されていた。

御子柴廻。
あいつは背が高いから、人混みの中でも嫌でも目立つ。直立不動で前を見据えるその横顔は相変わらず氷のように冷ややかで、周囲の生徒たちとは明らかに一線を画す孤高のオーラを放っていた。だが、俺がほんの少しだけ首を動かして視線を送ると、あいつの視線もまた、まるで磁石のように正確に俺へと向くのだ。

視線が絡み合う。その瞬間、あいつの切れ上がった瞳の奥に、張り裂けそうなほどの熱い情動と、俺を片時も見失いたくないという強烈な独占欲が浮かび上がるのを、俺ははっきりと感じ取っていた。四十二回の地獄を一人で潜り抜けてきたあいつにとって、この体育館の群衆すらも、俺の命を掠め取ろうとする世界の『罠』の隠れ蓑に見えているのかもしれない。他の男たちが俺の隣に立っていることすら、あいつの過保護な神経をギリギリと逆撫でしているのが、その鋭い目付きから痛いほど伝わってきた。

(本当に、俺しか見えてないんだな……)

そのあまりにも重く、歪んだ愛の視線が、今の俺にはどうしようもなく愛おしく、そして甘やかな快感となって胸の奥を突き刺す。他人に執着されることを何よりも嫌っていたはずの俺が、廻にだけは、もっとその瞳で俺を縛り付けてくれとさえ願っているのだから、本当にどうかしている。

ようやく終業式が終わり、解散の号令がかかると、体育館は生徒たちの騒がしい雑音と足音で満たされた。教室へ戻るゾロゾロとした列の中で、俺はわざと歩調を緩め、あいつが追いついてくるのを待った。

すれ違いざま、誰の目にも留まらない一瞬の隙を突いて、廻の指先が俺の制服の袖口をキュッと強く引っ張った。
ただそれだけの、子供っぽい合図。けれど、触れ合わされた布地越しに伝わるあいつの指の熱さが、俺の心臓の鼓動をドクンと跳ね上げる。俺は振り返らず、けれどあいつにだけ分かるように、小さく頷いて見せた。

教室に戻ったのは、十四時十五分。運命のチャイムまで、あと十五分。

冷房の効いた教室は、すでに放課後の解放感に浮き足立つクラスメイトたちの熱気で満ちていた。「夏休み、どこ行く?」「海行こうぜ!」そんな能天気な会話が飛び交う中、俺は自分の席に座り、カバンを机の上に置いた。荷物をまとめるフリをしながら、俺の全神経は斜め後ろの廻へと向けられている。

廻は席に着くなり、カバンからあの黒い革の手帳を取り出し、じっと見つめていた。あいつの指先は、今にも手帳の表紙を破りかねないほどの力で強張っている。その白い額には微かに汗が浮かび、隈の濃い瞳は狂気的なまでの集中力で文字盤を追っていた。

俺はスマホを取り出し、机の下で素早く文字を打ち込んだ。

『うすば:廻、手帳を見るのはもうやめろ。書かれてる過去データは全部ゴミだ。今回は俺たちが新しい歴史を作るんだろ』

画面に向かって送信すると、あいつは弾かれたようにスマホを取り出した。画面を確認した瞬間、廻の身体から微かに張り詰めた空気が抜けるのが分かった。あいつは手帳をカバンに仕舞うと、俺の背中に向かって、短く、けれど熱いメッセージを返してきた。

『みこしば:分かっている。……だが、心臓がうるさくて破裂しそうだ。お前がチャイムと同時に俺の胸に飛び込んでくるという作戦を、頭の中で何度も反芻している。……その瞬間が、待ち遠しくて、同時に恐ろしい』

『うすば:恐れるなよ。俺の身体を受け止める準備だけしとけ。絶対に離すなよ』

『みこしば:死んでも離さない』

その極端で、けれど一ミリの嘘もない言葉に、俺の身体の内側から甘い熱がフツフツと湧き上がってくる。死んでも離さない、か。こいつになら、本当に命ごと抱きしめられてもいいと、本気で思えてしまうのが恐ろしい。

時計の針が、非情なまでに進んでいく。
十四時二十五分。あと五分。

クラスの連中が少しずつ教室を出ていく。前の席の男子が、再び俺の方を振り返ろうとした。その瞬間、俺はあえてそいつと目を合わせず、ガタッと少し大きめの音を立てて席を立ち、机の上の荷物をカバンへと乱暴に詰め込んだ。話しかける隙すら与えない。世界のタイムロス要因を、俺自身の意志で徹底的に排除していく。

俺のその毅然とした態度に、背後の廻が小さく息を呑み、それからどうしようもない愛おしさを孕んだ熱い視線を俺の腰のあたりへと注いできたのが分かった。あいつの独占欲が、俺の行動一つで簡単に満たされ、また激しく疼いている。その関係性が、たまらなく心地よかった。

十四時二十九分。あと一分。

教室に残っているのは、俺と廻、そして数人の意識の低い生徒だけだ。
俺はカバンを左肩に深くかけ直し、右足のつま先にぐっと力を込めた。いつでも飛び出せるように、バネを縮めるように身体を緊張させる。

斜め後ろを盗み見ると、廻もまた、カバンを握りしめたまま席から半分腰を浮かせていた。あいつの端正な顔は真っ赤に変色しており、俺を見つめる瞳は情欲と決意が混ざり合った、妖しく濡れた光を放っている。その胸元は激しく上下し、俺を受け止めるために、両腕が微かに開かれていた。

ジリジリと、教室の古い掛け時計の秒針が、最後の十二の数字へと重なっていく。

俺と廻の視線が、今度こそ正面から火花を散らすように交錯した。周囲の雑音も、蝉の声も、すべてが遠い過去の出来事のように消え去り、世界には俺とあいつの二人だけしか存在しないような、圧倒的な密室感が教室を支配する。

そして――十四時三十分。

放課後を告げる、運命のチャイムの第一音が、静かにスピーカーから鳴り響いた。

「――っ、廻!」

俺は叫ぶと同時に、自分の席の椅子を後ろへと激しく蹴り飛ばした。床を強く踏み締め、世界が罠を用意するよりも早く、世界の予測アルゴリズムが俺の動きを感知するよりも刹那の速さで、俺は斜め後ろの席へと身体を躍らせた。

視界が激しくブレる。けれど、その先にいる男の、俺を求めて限界まで広げられた両腕だけは、信じられないほど鮮明に俺の網膜に焼き付いていた。

ドン、という激しい衝撃と共に、俺の身体は廻の分厚く熱い胸板の中へと勢いよく飛び込んだ。
あいつの長い両腕が、待ってましたとばかりに俺の背中と腰へと回り、骨が軋むほどの圧倒的な力で俺を抱きすくめる。

「捕まえた……薄葉……っ!」

耳元で、廻の歓喜と狂気に満ちた熱い声が響いた。あいつの激しい心臓の鼓動が、俺の背中に直接ドクドクと突き刺さる。四十三回目の世界で、俺たちはついに、最初の死亡フラグの引き金を、二人で同時に引き絞ったのだ。