あちこち回った後、ようやく要は満足したようだ。
日傘以外にも夏服や小物を見繕ってもらい、行く先々で仲の良い新婚夫婦だと微笑ましい顔を向けられていた。
「疲れただろう。喫茶室で少し休むか」
「は、はい」
九階の喫茶室に向かおうとするが、そこで思わぬ人物の顔を見つけてしまった。
「芹奈ちゃん!?」
「美弥子!? どうしてここに……!」
向こうから颯爽と歩いてきた洋装の女性は、芹奈だった。
化粧室から出てきたばかりの彼女の手にはハンカチと口紅があり、塗り直したての唇は真っ赤に彩られている。
普段の上品な化粧からは少し印象の変わる派手な化粧に、いかにもモダンガールらしい水色のワンピース。
美弥子がすぐに芹奈だと気づいたのは、そのワンピースは元は父から贈られたものであり、芹奈が気に入って持っていってしまった一着と瓜二つだったからだ。
「おや、君は……」
「まあまあ天岸大尉ではありませんか!」
芹奈は要の顔を見るなり甲高い声で駆け寄ってくる。
途端、周囲の人々の視線が集まる。
「聞きましたわよ、先日結婚式を挙げたそうじゃないですか。どうして私には一言も教えてくださらなかったんですの!? 私は、ずっとこの子の親友として長い間大切にしてきたと言うのに……!」
涙ながらに切実に訴える芹奈に、周りの客たちからどよめきが広がる。
「せ、芹奈ちゃん、落ち着いて」
「やっぱり、私のことをまだ恨んでいるのね……ひどい、ひどいわ。あなたはずっと家柄の良い立派な人と結婚したと言うのに、私が恋愛結婚するのがそんなに妬ましいの!?」
これではまるで、美弥子が芹奈を泣かせているようだ。
周囲の客から好機の視線が集まる。
まただ。
これでは玻璃坂の社にいた時と同じになってしまう。
だが、その時だ。
「しっ……見ておけ」
芹奈を止めようとした美弥子を、要が小声で制する。
どうするつもりかと思いきや。
「おおい、美弥子さん。どうしたんだい」
喫茶室から出てきた男性が、にこやかに芹奈に寄っていく。
なぜか、『美弥子』と呼んで。
「さ、坂口さん。あちらでお待ちくださいといいましたのに……!」
途端、芹奈の顔が真っ青になる。すっかり涙は引っ込んだようだ。
二十代後半ぐらいだろうか。背広姿のちょっと野暮ったい雰囲気のある青年は、坂口というらしい。もちろん、美弥子は知り合いでもなんでもない。
「ほう。奇遇ですな。私の妻も美弥子と言うのです」
坂口を引っ張ってどこかに逃げようとする芹奈に、要が追い討ちをかける。
「おや、皆様お知り合いで。美弥子、私にも紹介してくれないか」
「こ、この方は……私の親戚よ。なんでもないわ、早く行きましょう」
「美弥子さん? 次は空中庭園に行きたいと言っていたけれど、そんなに急がなくても……」
坂口は要と美弥子が気になるらしい。
それにしても、二人はずいぶん親しい様子だ。それこそ、友人同士というには違和感があるぐらい。
「いやあ、すまないね。青井は私と非番を代わってくれたんだ。だがどうやら、新妻殿は退屈しのぎの相手を見繕うのが上手なようだね」
「美弥子さん? 青井って、誰のことだい。それに新妻って……」
「ああ失敬! まだ婚約中でしたな。私としたことがつい」
坂口は芹奈と要を交互に見やる。察しがいいようで、要が何を言いたいのか理解したようだ。
坂口の顔が曇ると同時に、芹奈は彼の手を振り払い逃げ出していく。
「……っ! なんなのよもう!」
「待って、美弥子さん!」
衆目の視線を浴びながら、二人はバタバタと駆けていった。
「逃げ足だけは早いことだな」
その後ろ姿を見て、要がふんと鼻で笑う。
「あの人、芹奈ちゃんのことを美弥子って……」
「言っていたな。おかしな話だ」
美弥子はひとつ、嫌な真実に気づいてしまった。
異性とまともに会話もしたことのない自分が、なぜ男遊びをする性悪娘呼ばわりされていたのか。
美弥子を名乗る『誰か』が、遊び回っていたのだとしたら。
(私、本当に何も気づいてなかったんだ……)
もし、芹奈が彰に手を出さなければ、今頃も芹奈は何食わぬ顔で親友として振舞っていたのだろう。
「さて、珈琲でも飲みに行くか。美弥子は何が好きなんだ?」
「え……?」
目の前が真っ暗になりそうだったところに、要が軽快に声をかけてくる。
沈みかけていた気持ちが一気に現実に引き戻された。
「あ、私、こういうお店に来るのは初めてで……」
「そうなのか。じゃあ、とびきり良いものを食べて帰らないとだな」
淡々と話しているが、その声には美弥子を気遣う優しさが滲んでいた。
日傘以外にも夏服や小物を見繕ってもらい、行く先々で仲の良い新婚夫婦だと微笑ましい顔を向けられていた。
「疲れただろう。喫茶室で少し休むか」
「は、はい」
九階の喫茶室に向かおうとするが、そこで思わぬ人物の顔を見つけてしまった。
「芹奈ちゃん!?」
「美弥子!? どうしてここに……!」
向こうから颯爽と歩いてきた洋装の女性は、芹奈だった。
化粧室から出てきたばかりの彼女の手にはハンカチと口紅があり、塗り直したての唇は真っ赤に彩られている。
普段の上品な化粧からは少し印象の変わる派手な化粧に、いかにもモダンガールらしい水色のワンピース。
美弥子がすぐに芹奈だと気づいたのは、そのワンピースは元は父から贈られたものであり、芹奈が気に入って持っていってしまった一着と瓜二つだったからだ。
「おや、君は……」
「まあまあ天岸大尉ではありませんか!」
芹奈は要の顔を見るなり甲高い声で駆け寄ってくる。
途端、周囲の人々の視線が集まる。
「聞きましたわよ、先日結婚式を挙げたそうじゃないですか。どうして私には一言も教えてくださらなかったんですの!? 私は、ずっとこの子の親友として長い間大切にしてきたと言うのに……!」
涙ながらに切実に訴える芹奈に、周りの客たちからどよめきが広がる。
「せ、芹奈ちゃん、落ち着いて」
「やっぱり、私のことをまだ恨んでいるのね……ひどい、ひどいわ。あなたはずっと家柄の良い立派な人と結婚したと言うのに、私が恋愛結婚するのがそんなに妬ましいの!?」
これではまるで、美弥子が芹奈を泣かせているようだ。
周囲の客から好機の視線が集まる。
まただ。
これでは玻璃坂の社にいた時と同じになってしまう。
だが、その時だ。
「しっ……見ておけ」
芹奈を止めようとした美弥子を、要が小声で制する。
どうするつもりかと思いきや。
「おおい、美弥子さん。どうしたんだい」
喫茶室から出てきた男性が、にこやかに芹奈に寄っていく。
なぜか、『美弥子』と呼んで。
「さ、坂口さん。あちらでお待ちくださいといいましたのに……!」
途端、芹奈の顔が真っ青になる。すっかり涙は引っ込んだようだ。
二十代後半ぐらいだろうか。背広姿のちょっと野暮ったい雰囲気のある青年は、坂口というらしい。もちろん、美弥子は知り合いでもなんでもない。
「ほう。奇遇ですな。私の妻も美弥子と言うのです」
坂口を引っ張ってどこかに逃げようとする芹奈に、要が追い討ちをかける。
「おや、皆様お知り合いで。美弥子、私にも紹介してくれないか」
「こ、この方は……私の親戚よ。なんでもないわ、早く行きましょう」
「美弥子さん? 次は空中庭園に行きたいと言っていたけれど、そんなに急がなくても……」
坂口は要と美弥子が気になるらしい。
それにしても、二人はずいぶん親しい様子だ。それこそ、友人同士というには違和感があるぐらい。
「いやあ、すまないね。青井は私と非番を代わってくれたんだ。だがどうやら、新妻殿は退屈しのぎの相手を見繕うのが上手なようだね」
「美弥子さん? 青井って、誰のことだい。それに新妻って……」
「ああ失敬! まだ婚約中でしたな。私としたことがつい」
坂口は芹奈と要を交互に見やる。察しがいいようで、要が何を言いたいのか理解したようだ。
坂口の顔が曇ると同時に、芹奈は彼の手を振り払い逃げ出していく。
「……っ! なんなのよもう!」
「待って、美弥子さん!」
衆目の視線を浴びながら、二人はバタバタと駆けていった。
「逃げ足だけは早いことだな」
その後ろ姿を見て、要がふんと鼻で笑う。
「あの人、芹奈ちゃんのことを美弥子って……」
「言っていたな。おかしな話だ」
美弥子はひとつ、嫌な真実に気づいてしまった。
異性とまともに会話もしたことのない自分が、なぜ男遊びをする性悪娘呼ばわりされていたのか。
美弥子を名乗る『誰か』が、遊び回っていたのだとしたら。
(私、本当に何も気づいてなかったんだ……)
もし、芹奈が彰に手を出さなければ、今頃も芹奈は何食わぬ顔で親友として振舞っていたのだろう。
「さて、珈琲でも飲みに行くか。美弥子は何が好きなんだ?」
「え……?」
目の前が真っ暗になりそうだったところに、要が軽快に声をかけてくる。
沈みかけていた気持ちが一気に現実に引き戻された。
「あ、私、こういうお店に来るのは初めてで……」
「そうなのか。じゃあ、とびきり良いものを食べて帰らないとだな」
淡々と話しているが、その声には美弥子を気遣う優しさが滲んでいた。

