朝日奈くんは、俺に睡眠を売りたいらしい。

 ◇

 ​電子音が重なり合うゲームセンターの奥。俺は仄暗い筐体(きょうたい)と向かい合っていた。カチャカチャとレバーを傾け、淡々とボタンを沈めていく。
 本来なら電車に乗っているはずの時間だけど、数分前、駅前でクラスメートたちが集まっているのを見かけて踵を返した。
 そういえば、カラオケに行くとか言ってたな。
 思い出しながら、森尾先生の雑用が長引かなければ、と、あのうさんくさい笑みを少し恨んだ。
『オリャ!セイヤ!』
 画面のなかのキャラクターが、指の動きに合わせて絶えず技を繰り出す。家のコントローラーに馴染んでいた指先も、すこしずつ感覚を取り戻していく。
 格ゲーは、コスパの良い時間つぶしには最適だった。
 それに、画面に意識を注いでいれば、余計なことを考えずに済む。無心になれる。——そう思っていたのに。
『グハァッ!』
 ああ、もう。こんな攻撃くらうなんて、全然鈍ったままじゃん。
 嘆息を小さく吐きながら、体勢を立て直す。
 ——朝日奈くんが怒ってたのは、俺のせいなのか。
「…………」
 胸の奥に溜まっていくモヤが、指の動きを乱す。攻撃が雑になっていくのが自分でもわかる。
 ——わかってる。
 今朝、俺があんな言い方をしたのが悪いってことくらい。……でも、だからって。朝日奈くんと俺はそもそも、友だちでもなんでもないのに。
「なんで……怒るんだよ」
 ぽろりと漏れたつぶやきと同時に、ボスキャラが容赦なく必殺技を放つ。聞きなれた技名に背筋を伸ばす。
​ それは乱れたガードの隙をぬった、美しい攻撃だった。
『K.O.!』
 操作していたキャラが、スローモーションのように舞って仰け反る。画面一杯に『GAME OVER』の文字が浮かんだのを見届けて、指先は力をなくした。
 ——……無心になれるって、どこがだよ。
​「うわっ、めっちゃ惜しい!」
 突如として落とされた声に、びくっと肩を弾く。振り仰げば、同じ制服を来たその男とばっちり目があった。
 この人、どこかで見たような……。
「あ、すんません! 勝手に覗いたりして」
「いや、べつに……」
「これCPUの難易度ベリーハードっすよね? まじすごかったです。あそこまで行った人初めてみた」
 興奮気味なテンションに圧されて、すこし仰け反る。
 格ゲーなんてやりそうにもない見た目だけど、好きなんだろうか。戦闘シーンを見ていただけで難易度がわかるってことは、いくらか詳しいはずだけど。
「もう一回やらないんすか? てか、隣で見ててもいいっすか?」
 この薄暗いエリアで、よくそんなに目をキラキラさせられるなと感心する。両耳に空いた派手なピアスがときどき光を反射して、俺は堪らず目をそらした。
 ——……思い出した。前に、廊下ですれ違った人だ。
 朝日奈くんと一緒にいた、陽の空気をまとった男子生徒。あのときの小テストは、無事にクリアできたんだろうか。
「いいですか?」
 ぼうっとしていると、後押しするように覗き込まれて、反射的に首肯する。彼は「よっしゃ!」と溌剌な笑顔を浮かべて、隣に座った。
 朝日奈くんと親しそうなのに、彼とはまるで種類のちがう笑い方だ。
「俺、間近でプロのプレーみんの初めて。めっちゃ楽しみっす」
「いや……プロじゃないよ」
「でも、そんくらい巧いから」
「……あんまり期待しないでね」
 他人に見られるの、実はけっこう落ち着かないんだけど。
 俺は百円玉を投入して、視界を研ぎ澄ました。
「おお、すげぇ……」
 隣からの熱い視線を受けながら、反撃の隙を与えないコンボで敵を追い詰める。
 落ち着かないと思っていたけど、気持ちがリセットされたせいなのか。
 さっきよりもずっとスムーズにクリアできてしまって、俺は力を抜くように息を吐いた。『ALL CLEAR』の文字が画面のなかで踊っている。
「すげえ……マジモンじゃん先輩」
「え?」
 いま、先輩って。
「ん? なんすか?」
「いや……学年の話したっけ」
 同じ学校だということは制服で割れているけど、二年だということは明かしてないはずだ。
 首をもたげると、彼は「あ、そっか」と人懐っこい笑みで姿勢を正した。
「俺、一回会ってるんすよ。学校で」
「え……」
「渡り廊下で、先輩ノートとかぶちまけたでしょ? あんとき、律世が『先輩』って言ってたから」
 なんだ、そっちも覚えてたのか。
 あのときはすぐ朝日奈くんの影に隠れてしまったから、顔までは覚えられていないと思っていたのに。
​「あのときは、その……隠れちゃって、ごめん」
 急にばつが悪くなって、肩を竦める。だけど彼は、あっけらかんとした笑顔で淀んだ空気を吹き飛ばした。
「全然いいっすよ!てか、覚えててくれて嬉しいです! こんなすげぇ人だったなんて」
 人と話すときはいつだって、壁を隔ててきた。それが俺の処世術だったから。
 だけど太陽のような彼の明るさは、人見知りを発動する隙すら与えない。天然の明るさに目が眩むけど、怖いとは思えなかった。
 笑うたびに覗く八重歯が、人懐っこさに拍車をかける。
「全然『すげぇ人』じゃないよ」
「いやいや、すごいじゃないっすか。あんなクールにコマンド捌いてる人なんて初めて見たし。超かっけぇ」
「それは言い過ぎ」
「いつからやってたんすか?」
「えっと……初めは、たぶん小三くらい」
「そんな早くから?! いいなあ、かっけぇ!」
「またそれ?」
 畳みかける「かっけぇ」に、思わず笑みが零れる。
「あ、すんませんっ。俺、あんまゴイリョク?とかなくて」
「いいよ。ただ、びっくりしただけ」
「びっくり?」
「ゲームしててかっこいいなんて、初めて言われたから」
 なんだか歯がゆくて、それを誤魔化すように「君は」と問いかけた。
「君は、なんでこんなとこに? 格ゲーやるの?」
 ゲームセンターのなかでは最奥にある格ゲーコーナーに、高校生の姿はほとんどない。同年代が集うのは、UFOキャッチャーとかプリクラとか、昼白色の明かりがきらめくコーナーばかりだというのに。
「実はさっきまで、友だちと一緒に居たんですけど」​
 そのフレーズが耳に飛び込んできた瞬間、心臓がドクンと嫌な音を立てる。
 ——友達。
 脳裏に、化学室で手首を掴んできた朝日奈くんの、冷ややかな笑みがフラッシュバックする。たしか、ふたりは友人同士だったはずだ。もしかして、一緒に来てるとか。
 恐る恐る周りに視線をやったけど、彼の姿はおろか、同じ制服の生徒すら見当たらなかった。
「あいつら、金ないっつって速攻ファミレスの方行ったんすよ。ほら、ここの上にある」
「あー……そうだったんだ」
 その言葉に、すこしだけ安堵する。体育祭の準備で忙しそうだったから、ファミレスにいるかどうかも分からないけど。
「俺はゲーセンの空気とか、ガチャガチャした感じとか好きで抜けてきちゃいました。あとで合流するんすけど」
「まあ、それはちょっとわかる」
「格ゲーはまだ全然下手だけど、うまくなりたくて」
「そこで格ゲー選んだ。珍しい」
「なんつーか、クレバーに戦ってる感じがかっこいいんすよねぇ。先輩もだけど」
「そっか。……でも、そろそろ合流しないとまずいでしょ」
 店内の時計は五時を指している。もうさすがに、クラスメートたちも駅から移動しているだろう。
 カバンを背負って立ち上がると、頷いた彼も隣に並んだ。

 そのまま外に出ると、湿っぽい空気が肌にまとわりつく。ゲーセンが冷え切っていたせいか、その生ぬるさが少しありがたかった。
「あの、連絡先教えてください!」
 じゃあ、と歩き出そうとした足を止めて、振り返る。
 さっきまでは薄暗くてよくわからなかったけど、夕焼けに照らされた彼の髪は、はちみつのような色をしていた。
 やっぱり眩しいなと目を眇めながら、スマホを取り出す。
「あんまり、ラインとか得意じゃないけど」
「全然いいっす! てか、名前は?」
「早見深」
「早見深センパイ」
「フルは長いね」
「じゃあ……はやみん?」
 連絡先を交換するのも、あだ名で呼ばれるのも久しぶりだった。
 ……もちろん、決済アプリのID交換はカウントしていない。——だってあれは、ただの取引用だから。
「あ。さすがに生意気っすか?」
「いいよ。そういうの、気にしない」
「よかった……あざっす!」
 不安げだった瞳が、ぱっと光を吸い込む。連絡先に登録された『Toru』という文字を心のなかで復唱した。
 そういえば、渡り廊下で呼ばれてたな。それも女の子たちから、ちょっと呆れた感じで。
「すぐ連絡しますね。うざかったら無視でいいんで」
「無視はしないよ」
「うわ、はやみん優男」
 さっそく呼ばれたあだ名にむず痒くなる。だけど、その眩しいまでの気安さが、胸の奥に居座っていたモヤをすこしだけ溶かしてくれた気がした。