◇
まだじっとりと暑い中庭の木陰で、ぽつりとひとり座り込む。
過ごしやすい季節のうちは昼休みの人気スポットだけど、猛暑の余韻をひきずっているうちは誰も来ない。そこが良かった。
ひとりでいることに恥ずかしさはないけれど、教室ではなにかと気遣いの目が光るからめんどくさい。「早見くんもよかったら一緒に」と誘ってくれること自体はありがたいが、そのあとのことを考えるとひとりで居るほうが楽なのだ。
内輪ネタで盛り上がるだけならまだいい。俺が知らない話題を出してはいけない、という空気がどうにも苦手だった。ひとりで居ることを恥ずかしいと思う人たちからの、いわゆる優しい気遣いは、俺にとっては毒も同然。
——……あれも、望んで対価を支払えるなら、接待ランチとして割り切れそうなものだけど。
パンを頬張りながらスマホを光らせると、決済アプリの『支払完了』画面が映しだされる。
——“毎度ありがとうございます”
と、愛嬌たっぷりの笑みを浮かべた後輩の姿は、商売人としてしっかりと成り立っていた。
一回百円、一週間フルで支払うとしたら五百円、一ヶ月でおよそ二千円。
こちらの負担は少ないように見えて、チリツモの原理で考えれば彼の利益も十分なものだ。相手のリサーチまでして、性格にあった快適さを提供するところも、まさにやり手そのもの。
性格はともかく、嗅覚が鋭いのは事実だろう。あと、彼の隣はシンプルに寝心地がよいということも。
予鈴の五分前、俺はあらかじめ持ってきていた教科書とノート、筆記用具を手にとり、立ち上がる。次は移動教室なので、そのまま行けるように準備してきた。クラスメートたちの波に呑まれず、気ままに向かえるところがいい。
俺は優雅に顔をあおぎながら、渡り廊下を進んでいた。
「なあなあ、律世ー、 次の小テの範囲わかる?」
「あー。わかるけど、教えてほしい?」
前方から賑やかな声が近づいてきて、目を瞠る。
——朝日奈くんだ。
よかった、まだこっちには気づいてない。彼は数人の男女に囲まれて笑顔を振りまいている。
あの容姿にあの緻密さ。世渡りがうまいタイプだとは思っていたけど、やっぱりそうだ。モテるだけじゃなくて、同性ともうまくやっていける人付き合いの達人。俺とは、縁遠い存在。
「まじ教えて! ついでにヤマも頼む!」
「なに甘えてんの、透。ヤマくらい自分で張んなよ。前も律世に頼ってたじゃんっ」
「えーっ、だって律世の勘すげーあたんだもん」
女の子に「トオル」と呼ばれた男子生徒が泣きつく先で、朝日奈くんは考える素振りを見せる。
「んー。じゃあ、ジュース一本おごってくれるならいーよ」
「えっ、マジ! そんなん余裕で、」
「うそうそ。ちゃんとタダで教えてやるよ」
「マジ?! あざーっす!」
奢りのくだりのとき、本気の目してたけどな。遠目で気がつくくらい、ばっちり。
俺はとにかく息を潜めて、朝日奈くんたちの集団に近づいた。
本当なら踵を返したいところだけど、戻ったところでクラスメートの波に呑まれてしまう。それならここで、空気と化すほうが簡単だ。
端にぴったりと身を寄せ、顔をうつむかせる。誰の目にも留まらない有象無象のひとりとして、すれ違うほんの数秒をやり過ごす——はずだった。
「わ……」
「うわっ、びっくりした」
ほんの一瞬、その集団のひとりとぶつかって、声をあげてしまう。うつむいたままやり過ごそうとしていた顔をあげれば、中心にいる朝日奈くんと目が合った。
——……気づかれた。
実際には数秒のできごと。だけど、目が合った瞬間だけ時間が止まっているかのような錯覚に陥る。彼の、半月型に細められた瞳が、今朝のぬくもりを思い出させたからだ。
「っ、」
完全に不意を突かれ、心臓がどくりと跳ねる。
慣れてないんだ、こういうの。スマートに挨拶なんてできない。とにかく早く逃げ出したい——そう思うのに、動揺でおろそかになった足はうまく動かない。
「あの……ごめんなさい、ぶつかっちゃって。大丈夫?」
ぶつかってしまった女の子に顔を覗き込まれる。罪悪感と恥ずかしさで顔を火照らせながら、首を縦にふった。
「すみません、でした……」
本当、恥ずかしい。なんで俺はいっつもこうなんだろう。
心のなかではハキハキと弁が立つのに、溢れ出てくる言葉はいつも、こんがらがった糸のようにまとまりがなくて、めちゃくちゃで。本当……人の前に立つと、ろくなことがない。
か細い声で頭をさげると、彼らを背に歩きだす。
一刻も早く、この注目から抜け出したい。とにかく彼らが見えないところまで逃げ込もうと、俺は前のめりに足を速めた。
「——あ、」
けれど、焦りはさらなる災難を呼ぶ。
向こう岸まであと数メートルというところで、体がぐらりと傾いた。足がもつれ、今度こそ重力に逆らえない。
ドサッ、と鈍い音が響く。
無様につかれた膝。散らばった教科書とノート。視界の端まで飛んでいった、ボールペン。
——……もう、最悪だ。
今すぐ、消えてなくなりたい。
「大丈夫ですか?」
頭上から降ってきたのは、鈴の音のようにクリアで、けれどどこか楽しげな響きを孕んだ声。見上げると、そこには散らばったはずのノートを差し出す、朝日奈くんの姿があった。
何も言えずにいると、彼は目の前で膝を折り、目を眇めてにこりと微笑む。
「もしかして、まだ寝ぼけてます?」
「なっ……にそれ、」
周囲には聞こえないように、俺だけにこっそり囁かれたその声が、体温をカァッと上げる。そして、継がれた言葉に目を瞬いた。
「せっかく無視してあげようと思ってたのに」
「無視してあげる……?」
「早見さん、俺と知り合いってバレるの嫌そうだなぁと思ってたんで」
トーンを抑えたまま、彼はひっそり告げる。
もしかして、最初から気づいてたのか。だとしたら、あんなに必死で息を潜めてた俺って一体……。
「じゃあ、無視してくれればよかったのに」
売り言葉に買い言葉とは言うけれど、少し後悔した。拾ってもらっておいて、さすがにこの言い草はない。
「こんな状態で置き去りにできるわけないでしょ」
だけど、朝日奈くんは淡々と応えた。
「俺、一応紳士的なキャラでやってるんで」
「は?」
「あいつらが見てるのに、かわいそうな先輩を見捨てるなんてできませんよ」
どこまで外面ファーストなんだ、この男。
だけど、その徹底した計算高さにすこしだけ救われる。今朝の取引と同じように、この行動すらも損得勘定のひとつなら、むしろそれがいいと思った。だって、タダより怖いものはないのだから。
友だちには無償でヤマを張ってあげるところも、そういう意図があるのなら頷ける。
「……これ、金とられる?」
ノートを受け取り、ふたり同時に立ち上がる。そして、「まさか」と朝日奈くんが口元を緩めた、そのときだった。
「おい律世ー! 大丈夫かー?」
先ほど小テストのヤマをねだっていた男子生徒が、こちらへ駆け寄ってくる。
人懐っこそうな笑顔と、見るからにエネルギーの塊のような陽のオーラ。彼が近づいてくるだけで、空気が一気にそちら側へ引っ張られるような不思議な引力。
「なんか派手にすっ転んでたけど、大丈夫?」
もしかして、俺に話しかけてるのか。
親切で言ってくれているのは分かるけど、反射で肩がすくみ、体は硬くなる。眩しすぎる温度とまっすぐ話しかけられることには、慣れてないんだ。
俺は無言で頷いたあと、静かに身体をスライドさせる。朝日奈くんには悪いけど、背中に身を隠させてもらうことにした。
「はや……先輩?」
いま、たぶん……きっとそうだ。
俺と知り合いだとバレないように、『早見さん』から『先輩』へ切り替えてくれたんだと気がつく。
そして、とっさに隠れてしまった無礼と俺の存在を上書きするように、
「大丈夫だったから、早く戻るぞ。小テストのヤマほしいんでしょ?」
と、注目をそらしてくれた。本当に、どこまでも器用な男だ。
「欲しい! マジで頼むわ!」
こちらに向いていた男子生徒の意識が、ものの一瞬で小テストへと切り替わる。朝日奈くんはそれを見計らって
「じゃあね、先輩」
と、隠れる俺にささやくような声量で言い残した。
「早見さん?」
……せっかくバレないようにしてくれたのに、何してんだろう。朝日奈くんの制服の裾を掴んで、動きを止めるなんて。
「いや……あの、」
ただ、なんとなく居心地が悪かった。あのまま帰してしまったら、気持ちが悪かった。たったそれだけなのに、素直に言葉が出てこない。
「ん、どうかしました?」
朝日奈くんは何も言い出さない俺を覗き込む。仕方ないな、と言いたげな表情は俺よりずっと大人びていた。
「あの……ありがとう」
「え?」
「ノートも、あと、匿ってくれたのも」
俺なんかに礼を言われたって、なんの価値にもならないだろうけど。
心のなかでそう継いで、顔をあげる。朝日奈くんはパチパチと目を瞬かせていた。いつも計算高く立ち回る彼が、まるで予想外のものを突きつけられたかのように、ほんの一瞬だけ年相応の顔になる。
なんだ……そういう顔もできるの。
「貸しひとつ、ですね」
すぐに調子を戻した彼の声に、今度はこちらが目を瞬く。
「ちゃんと覚えといてくださいよ」
本当に、油断も隙もない。
じゃあね、先輩。と、今度はしっかりと聞こえる声で言い残し、彼はどこか軽い足取りで友人たちの元へ戻っていった。
まだじっとりと暑い中庭の木陰で、ぽつりとひとり座り込む。
過ごしやすい季節のうちは昼休みの人気スポットだけど、猛暑の余韻をひきずっているうちは誰も来ない。そこが良かった。
ひとりでいることに恥ずかしさはないけれど、教室ではなにかと気遣いの目が光るからめんどくさい。「早見くんもよかったら一緒に」と誘ってくれること自体はありがたいが、そのあとのことを考えるとひとりで居るほうが楽なのだ。
内輪ネタで盛り上がるだけならまだいい。俺が知らない話題を出してはいけない、という空気がどうにも苦手だった。ひとりで居ることを恥ずかしいと思う人たちからの、いわゆる優しい気遣いは、俺にとっては毒も同然。
——……あれも、望んで対価を支払えるなら、接待ランチとして割り切れそうなものだけど。
パンを頬張りながらスマホを光らせると、決済アプリの『支払完了』画面が映しだされる。
——“毎度ありがとうございます”
と、愛嬌たっぷりの笑みを浮かべた後輩の姿は、商売人としてしっかりと成り立っていた。
一回百円、一週間フルで支払うとしたら五百円、一ヶ月でおよそ二千円。
こちらの負担は少ないように見えて、チリツモの原理で考えれば彼の利益も十分なものだ。相手のリサーチまでして、性格にあった快適さを提供するところも、まさにやり手そのもの。
性格はともかく、嗅覚が鋭いのは事実だろう。あと、彼の隣はシンプルに寝心地がよいということも。
予鈴の五分前、俺はあらかじめ持ってきていた教科書とノート、筆記用具を手にとり、立ち上がる。次は移動教室なので、そのまま行けるように準備してきた。クラスメートたちの波に呑まれず、気ままに向かえるところがいい。
俺は優雅に顔をあおぎながら、渡り廊下を進んでいた。
「なあなあ、律世ー、 次の小テの範囲わかる?」
「あー。わかるけど、教えてほしい?」
前方から賑やかな声が近づいてきて、目を瞠る。
——朝日奈くんだ。
よかった、まだこっちには気づいてない。彼は数人の男女に囲まれて笑顔を振りまいている。
あの容姿にあの緻密さ。世渡りがうまいタイプだとは思っていたけど、やっぱりそうだ。モテるだけじゃなくて、同性ともうまくやっていける人付き合いの達人。俺とは、縁遠い存在。
「まじ教えて! ついでにヤマも頼む!」
「なに甘えてんの、透。ヤマくらい自分で張んなよ。前も律世に頼ってたじゃんっ」
「えーっ、だって律世の勘すげーあたんだもん」
女の子に「トオル」と呼ばれた男子生徒が泣きつく先で、朝日奈くんは考える素振りを見せる。
「んー。じゃあ、ジュース一本おごってくれるならいーよ」
「えっ、マジ! そんなん余裕で、」
「うそうそ。ちゃんとタダで教えてやるよ」
「マジ?! あざーっす!」
奢りのくだりのとき、本気の目してたけどな。遠目で気がつくくらい、ばっちり。
俺はとにかく息を潜めて、朝日奈くんたちの集団に近づいた。
本当なら踵を返したいところだけど、戻ったところでクラスメートの波に呑まれてしまう。それならここで、空気と化すほうが簡単だ。
端にぴったりと身を寄せ、顔をうつむかせる。誰の目にも留まらない有象無象のひとりとして、すれ違うほんの数秒をやり過ごす——はずだった。
「わ……」
「うわっ、びっくりした」
ほんの一瞬、その集団のひとりとぶつかって、声をあげてしまう。うつむいたままやり過ごそうとしていた顔をあげれば、中心にいる朝日奈くんと目が合った。
——……気づかれた。
実際には数秒のできごと。だけど、目が合った瞬間だけ時間が止まっているかのような錯覚に陥る。彼の、半月型に細められた瞳が、今朝のぬくもりを思い出させたからだ。
「っ、」
完全に不意を突かれ、心臓がどくりと跳ねる。
慣れてないんだ、こういうの。スマートに挨拶なんてできない。とにかく早く逃げ出したい——そう思うのに、動揺でおろそかになった足はうまく動かない。
「あの……ごめんなさい、ぶつかっちゃって。大丈夫?」
ぶつかってしまった女の子に顔を覗き込まれる。罪悪感と恥ずかしさで顔を火照らせながら、首を縦にふった。
「すみません、でした……」
本当、恥ずかしい。なんで俺はいっつもこうなんだろう。
心のなかではハキハキと弁が立つのに、溢れ出てくる言葉はいつも、こんがらがった糸のようにまとまりがなくて、めちゃくちゃで。本当……人の前に立つと、ろくなことがない。
か細い声で頭をさげると、彼らを背に歩きだす。
一刻も早く、この注目から抜け出したい。とにかく彼らが見えないところまで逃げ込もうと、俺は前のめりに足を速めた。
「——あ、」
けれど、焦りはさらなる災難を呼ぶ。
向こう岸まであと数メートルというところで、体がぐらりと傾いた。足がもつれ、今度こそ重力に逆らえない。
ドサッ、と鈍い音が響く。
無様につかれた膝。散らばった教科書とノート。視界の端まで飛んでいった、ボールペン。
——……もう、最悪だ。
今すぐ、消えてなくなりたい。
「大丈夫ですか?」
頭上から降ってきたのは、鈴の音のようにクリアで、けれどどこか楽しげな響きを孕んだ声。見上げると、そこには散らばったはずのノートを差し出す、朝日奈くんの姿があった。
何も言えずにいると、彼は目の前で膝を折り、目を眇めてにこりと微笑む。
「もしかして、まだ寝ぼけてます?」
「なっ……にそれ、」
周囲には聞こえないように、俺だけにこっそり囁かれたその声が、体温をカァッと上げる。そして、継がれた言葉に目を瞬いた。
「せっかく無視してあげようと思ってたのに」
「無視してあげる……?」
「早見さん、俺と知り合いってバレるの嫌そうだなぁと思ってたんで」
トーンを抑えたまま、彼はひっそり告げる。
もしかして、最初から気づいてたのか。だとしたら、あんなに必死で息を潜めてた俺って一体……。
「じゃあ、無視してくれればよかったのに」
売り言葉に買い言葉とは言うけれど、少し後悔した。拾ってもらっておいて、さすがにこの言い草はない。
「こんな状態で置き去りにできるわけないでしょ」
だけど、朝日奈くんは淡々と応えた。
「俺、一応紳士的なキャラでやってるんで」
「は?」
「あいつらが見てるのに、かわいそうな先輩を見捨てるなんてできませんよ」
どこまで外面ファーストなんだ、この男。
だけど、その徹底した計算高さにすこしだけ救われる。今朝の取引と同じように、この行動すらも損得勘定のひとつなら、むしろそれがいいと思った。だって、タダより怖いものはないのだから。
友だちには無償でヤマを張ってあげるところも、そういう意図があるのなら頷ける。
「……これ、金とられる?」
ノートを受け取り、ふたり同時に立ち上がる。そして、「まさか」と朝日奈くんが口元を緩めた、そのときだった。
「おい律世ー! 大丈夫かー?」
先ほど小テストのヤマをねだっていた男子生徒が、こちらへ駆け寄ってくる。
人懐っこそうな笑顔と、見るからにエネルギーの塊のような陽のオーラ。彼が近づいてくるだけで、空気が一気にそちら側へ引っ張られるような不思議な引力。
「なんか派手にすっ転んでたけど、大丈夫?」
もしかして、俺に話しかけてるのか。
親切で言ってくれているのは分かるけど、反射で肩がすくみ、体は硬くなる。眩しすぎる温度とまっすぐ話しかけられることには、慣れてないんだ。
俺は無言で頷いたあと、静かに身体をスライドさせる。朝日奈くんには悪いけど、背中に身を隠させてもらうことにした。
「はや……先輩?」
いま、たぶん……きっとそうだ。
俺と知り合いだとバレないように、『早見さん』から『先輩』へ切り替えてくれたんだと気がつく。
そして、とっさに隠れてしまった無礼と俺の存在を上書きするように、
「大丈夫だったから、早く戻るぞ。小テストのヤマほしいんでしょ?」
と、注目をそらしてくれた。本当に、どこまでも器用な男だ。
「欲しい! マジで頼むわ!」
こちらに向いていた男子生徒の意識が、ものの一瞬で小テストへと切り替わる。朝日奈くんはそれを見計らって
「じゃあね、先輩」
と、隠れる俺にささやくような声量で言い残した。
「早見さん?」
……せっかくバレないようにしてくれたのに、何してんだろう。朝日奈くんの制服の裾を掴んで、動きを止めるなんて。
「いや……あの、」
ただ、なんとなく居心地が悪かった。あのまま帰してしまったら、気持ちが悪かった。たったそれだけなのに、素直に言葉が出てこない。
「ん、どうかしました?」
朝日奈くんは何も言い出さない俺を覗き込む。仕方ないな、と言いたげな表情は俺よりずっと大人びていた。
「あの……ありがとう」
「え?」
「ノートも、あと、匿ってくれたのも」
俺なんかに礼を言われたって、なんの価値にもならないだろうけど。
心のなかでそう継いで、顔をあげる。朝日奈くんはパチパチと目を瞬かせていた。いつも計算高く立ち回る彼が、まるで予想外のものを突きつけられたかのように、ほんの一瞬だけ年相応の顔になる。
なんだ……そういう顔もできるの。
「貸しひとつ、ですね」
すぐに調子を戻した彼の声に、今度はこちらが目を瞬く。
「ちゃんと覚えといてくださいよ」
本当に、油断も隙もない。
じゃあね、先輩。と、今度はしっかりと聞こえる声で言い残し、彼はどこか軽い足取りで友人たちの元へ戻っていった。

