いつだって、夜は短かった。
ゲームをしていればすぐにてっぺんを超えてしまうし、熟睡できたかと思えばすぐに朝がくる。それなのに、最近は夜が長い。
「なんだよ、あれ……」
ベッドに潜れば、蘇る。
体育祭の、うるさいくらい賑やかな歓声。最後の選抜リレーに出場した朝日奈くんは、スウェーデンリレーの汚名返上と言わんばかりに、全速力で一位をもぎとっていた。
クラスメートと、透くんたちと喜びを分かち合う姿は眩しくて、信じられなかった。
——“これでも、優しい人間だって言えますか?”
あんな風に、闇に呑まれたような瞳をしていた男と、同一人物には思えなかった。
最初からって、どういうことだよ。
ガシガシと頭を掻きむしり、仰向けになって天井を睨む。
睡眠売買の契約は、朝日奈くんが不労所得を得るためにやったことじゃないのか。『隣にいたくて』って、そんなの全然理にかなってない。わざわざあんな面倒な手順を踏んでまですることなのか。
どうして……なんなんだよ、俺の隣にいたいって——。
「おはよう深ー……って、どうしたその顔」
翌朝、いつもと同じように家の前で待っていた桜介が、俺の顔を見るなり目を瞠った。
「おはよ……なんでもない」
「なんでもないって、真っ青じゃん。またゲーム?」
「……まあ、そんなところ」
ゲームで寝不足どころか、ベッドに入ってからずっと、夜が明けるのを待っていた。
「いや、絶対様子おかしいだろ。具合悪い?」
隣を歩く桜介は、やっぱり鋭い。簡単には騙されてくれないかと思いつつも、俺は首を振った。
「大丈夫。ただ寝不足なだけだから」
「そういえば、先週末って体育祭だったんだろ? なんかあった?」
何気ない詮索に、心臓がドクンと跳ねる。
「いや……なんも、ないよ」
「ホント?」
「うん。普通に疲れたけど」
うまく誤魔化せたかどうかは、正直微妙なところ。桜介の目はしっかり見れないし、いつもどうやって受け答えをしていたのか、途端にわからなくなった。
もうすぐ朝日奈くんと会わなきゃいけないのに、こんなんで本当に大丈夫なのか。
今日のところはとりあえず、千瀬川駅の前から寝たふりをしてやり過ごすつもりだった。
「疲れてる、だけならいいけど……」
「大丈夫。心配かけてごめん」
そう言うと、桜介はしずかに首を振る。それからすこし言葉を溜めて
「なあ、深……もしなんかあったら、俺に——」
と、切り出したときだった。
「か……鹿島くんっ!」
不意に甲高い声が響き、俺たちの前に一人の女子生徒が滑り込んできた。
鹿島というのは桜介の名字だ。それに、たしかこの制服は桜介の学校のものだったはず。
彼女は顔を真っ赤に染めながら、ローファーのつま先をモジモジと動かしている。その手には、小さな紙袋が握られていた。
「え……あ、おはよう」
桜介はすこし困ったような顔をして、お世辞にも巧いとはいえない笑顔を浮かべる。
朝日奈くんだったらきっと、器用にあのうさんくさい笑みを浮かべるんだろうな。そう思って、すぐに打ち消した。
「ごめんなさい……学校だと、周りに人がいて、あんまり話せないと思ったから」
彼女はぽつりと零しながら、ゆっくり顔を上げた。
「あの、お友だち……?」
こちらに視線を向けられて、思わず肩を弾く。桜介は「こいつは、」と代わりに半歩踏み出そうとしたけれど、俺はそれを止めるように手を前に突き出した。
前までの自分なら、桜介の陰に隠れてやり過ごしていたかもしれない。でも、いまはなんとなくそれが嫌だ。
「うん。幼なじみ」
「そう、なんだ……」
淡々と答えると、彼女はモジモジを再開して言い淀む。さすがにここを去ったほうが良いか、と一歩踏み出したタイミングで、彼女は意を決したように息を吸い込んだ。
「あの、私やっぱり、鹿島くんが好きですっ」
そうだろうな、とは思っていた。『やっぱり』という言葉にも、桜介の困ったような反応にも、思い当たる節がある。
前に桜介からの電話で聞いた、告白をしてきた女子。それはたぶん、この子のことだろう。
「前にも言ったけど……俺、いまは恋愛とか考えられないっていうか、」
「それでも好きなのっ……ずっと前から、最初から、ずっと好きなんです」
——最初から。
その言葉が響いた瞬間、俺はフリーズした。
目の前の切実な表情が、一瞬視界からさらわれる。代わりに脳裏を満たしたのは、体育祭の日に見た朝日奈くんの歪んだ表情だ。
——“俺が言ってるのは、最初からの話ですよ”
——“あなたの隣にいたくて、契約を持ちかけたとしたら”
いま、彼女が桜介に向けている瞳と、あのときの朝日奈くんが俺に向けた瞳。まったくの違う色をしているはずなのに、どうして重なるんだろう。
だって、いま彼女は、桜介に告白してるんだぞ。
「——ん……おい、深?」
遠くから桜介の声が聞こえて、ハッと意識が引き戻される。
いつの間にか、告白していた女子の姿はなく、桜介の手元には紙袋が提げられていた。
「フリーズしてたけど、大丈夫か?」
「うん……それより彼女は、」
「あー……これ渡したかっただけなんだって。手作りの焼き菓子。それより、ほんとに大丈夫か? 顔色、さっきより悪くなってるぞ」
覗き込まれて、頬のあたりに桜介の手が伸びる。その瞬間、思わず飛び退いた。
——“……かわい”
また。まただ。
化学室で、朝日奈くんが不意に零したその言葉が、甘やかな声音で蘇る。
「深……やっぱり、今日は学校休んだ方が」
「だいじょうぶ、だから。ちょっと、考え事してただけ」
きっと、眠れていないせいだ。だからあの日のことを、ふとしたきっかけで思い出す。
「じゃあ……俺、もう行くから」
「え、おい、深——」
これ以上あの場にいて、桜介に見透かされるのは嫌だった。もしかして、後輩の男子が自分に特別な感情を抱いているかもしれない、なんて。
ありえない。ありえないけど。そんな思考が過ったことさえ知られたくなかった。
電車に乗ると、リュックを膝の上で強く抱え込んだ。
心臓が、耳の奥でドクドクと脈打っている。まるで、逃げ場のない箱に自ら閉じこもっている気分だった。
——……とにかく、寝たふりだ。
目を閉じて、何も聞こえない、何も気づかないフリを突き通せばいい。
「おはようございます、早見先輩」
……なんで狸寝入りだって、すぐに気づくんだよ。
ゆったりとした、あるいはねっとりとした挨拶に瞼を持ち上げる。
本当に眠っているときは声を掛けずに、隣に座る。そして、さりげなく肩を貸してくれる。だからこうして話しかけてきた時点で、嘘寝がバレていることは明確だった。
「……おはよ」
喉の奥がカラカラに乾いていて、かすれた声しか出てこない。見上げると、体育祭前とまったく変わらない、完璧な制服姿の朝日奈くんが立っていた。
体育祭の日のあの、闇に呑まれたような瞳は綺麗さっぱり消えている。だけど代わりに、形の良い唇には外面の笑みが張り付いていた。体育祭前と変わらない、というより、少し前に戻った、というほうが正しいかもしれない。
「起きてたんですね」
「気づいてたくせに……」
「はい?」
「なんでもない」
いつも通り、スマートに隣を埋める朝日奈くん。少し肩が触れるだけで、意識がぶれる。眠いはずなのに、これじゃあ狸寝入りもまともにできない。
「体育祭の疲れ、とれました?」
もう、わざとだろ、それ。俺は睨みつけるように視線を向けた。
「とれてない」
「そうですか。早見さん、頑張ってましたもんね。俺も、最後のリレーは本気で走りましたけど」
「……見てたよ。速かった」
「ほんとに? 嬉しいなぁ」
でも、と一呼吸おいて、彼は言う。
「俺も、メッセージ書いてもらえばよかった」
「……?」
「透に書いてたでしょ。アレ、俺も早見さんに書いてもらえばよかったと思って」
「ああ……でも、朝日奈くんが要らないって言ったんじゃん」
トオルくんから「書いてもらえば?」と言われたとき、彼は淡白に断っていたはずだ。興味なんて微塵もなさそうに。
「癪だったんですよ」
「癪?」
「俺と早見さんのあいだに、透が入ることが」
どういうことだ。まったく理解できなくて、首を捻る。
「でも、こんなことなら書いてもらえばよかった。——嫉妬で、気が狂いそうだったんで」
想定外のフレーズに、ひゅっ、と喉が鳴る。
嫉妬? 朝日奈くんが、トオルくんに? 意味が分からなかった。いや、理解したくなかった。
きれいに笑っているはずなのに、その奥に感じられるものが、前よりずっと生々しい――やっぱり、体育祭の前とは違う。
触れ合っている肩が熱い。ただでさえ寝不足で熱をもっていた体は、とうとう悲鳴をあげた。
「早見さん?」
言葉を詰まらせていると、朝日奈くんはわざとなのか、覗き込むように顔を寄せてくる。
限界だった。
俺は勢いよくシートから立ち上がって、抱えたリュックをお守りのように、さらに強く引き寄せる。朝日奈くんもさすがに驚いたのか、わずかに目を瞬いていた。
「ごめん……今日は、向こうに行く」
「向こうって?」
「金は払うから、しばらくその……ひとりにさせて」
俺は逃げるように背を向けて、隣の車両へと続くドアをくぐった。
ガタゴトと揺れる狭い空間で、荒い息を吐き出す。リュックを握りしめる指先も、その強さに耐えかねてじんじんと痺れていた。
――嫉妬って……ほんと、なんなの。
朝日奈くんにとって俺は、ただの取引相手のはずなのに。不労所得を得るためだけに見初めた、都合のいいぼっちのはずなのに。いや……でも、違う。それもこれも全部、俺の隣にいるためだって紐解かれたはずだ。
つまり朝日奈くんは最初から、俺のことを狙っていて――。
「っ、狙うって、なんだよばか……」
彼の言うことすべてに思考が占領されて、絡まって、パンクしそうだ。
「もう……わかんない」
吐き出した息さえも、溜まった熱を逃がしてはくれなかった。
ゲームをしていればすぐにてっぺんを超えてしまうし、熟睡できたかと思えばすぐに朝がくる。それなのに、最近は夜が長い。
「なんだよ、あれ……」
ベッドに潜れば、蘇る。
体育祭の、うるさいくらい賑やかな歓声。最後の選抜リレーに出場した朝日奈くんは、スウェーデンリレーの汚名返上と言わんばかりに、全速力で一位をもぎとっていた。
クラスメートと、透くんたちと喜びを分かち合う姿は眩しくて、信じられなかった。
——“これでも、優しい人間だって言えますか?”
あんな風に、闇に呑まれたような瞳をしていた男と、同一人物には思えなかった。
最初からって、どういうことだよ。
ガシガシと頭を掻きむしり、仰向けになって天井を睨む。
睡眠売買の契約は、朝日奈くんが不労所得を得るためにやったことじゃないのか。『隣にいたくて』って、そんなの全然理にかなってない。わざわざあんな面倒な手順を踏んでまですることなのか。
どうして……なんなんだよ、俺の隣にいたいって——。
「おはよう深ー……って、どうしたその顔」
翌朝、いつもと同じように家の前で待っていた桜介が、俺の顔を見るなり目を瞠った。
「おはよ……なんでもない」
「なんでもないって、真っ青じゃん。またゲーム?」
「……まあ、そんなところ」
ゲームで寝不足どころか、ベッドに入ってからずっと、夜が明けるのを待っていた。
「いや、絶対様子おかしいだろ。具合悪い?」
隣を歩く桜介は、やっぱり鋭い。簡単には騙されてくれないかと思いつつも、俺は首を振った。
「大丈夫。ただ寝不足なだけだから」
「そういえば、先週末って体育祭だったんだろ? なんかあった?」
何気ない詮索に、心臓がドクンと跳ねる。
「いや……なんも、ないよ」
「ホント?」
「うん。普通に疲れたけど」
うまく誤魔化せたかどうかは、正直微妙なところ。桜介の目はしっかり見れないし、いつもどうやって受け答えをしていたのか、途端にわからなくなった。
もうすぐ朝日奈くんと会わなきゃいけないのに、こんなんで本当に大丈夫なのか。
今日のところはとりあえず、千瀬川駅の前から寝たふりをしてやり過ごすつもりだった。
「疲れてる、だけならいいけど……」
「大丈夫。心配かけてごめん」
そう言うと、桜介はしずかに首を振る。それからすこし言葉を溜めて
「なあ、深……もしなんかあったら、俺に——」
と、切り出したときだった。
「か……鹿島くんっ!」
不意に甲高い声が響き、俺たちの前に一人の女子生徒が滑り込んできた。
鹿島というのは桜介の名字だ。それに、たしかこの制服は桜介の学校のものだったはず。
彼女は顔を真っ赤に染めながら、ローファーのつま先をモジモジと動かしている。その手には、小さな紙袋が握られていた。
「え……あ、おはよう」
桜介はすこし困ったような顔をして、お世辞にも巧いとはいえない笑顔を浮かべる。
朝日奈くんだったらきっと、器用にあのうさんくさい笑みを浮かべるんだろうな。そう思って、すぐに打ち消した。
「ごめんなさい……学校だと、周りに人がいて、あんまり話せないと思ったから」
彼女はぽつりと零しながら、ゆっくり顔を上げた。
「あの、お友だち……?」
こちらに視線を向けられて、思わず肩を弾く。桜介は「こいつは、」と代わりに半歩踏み出そうとしたけれど、俺はそれを止めるように手を前に突き出した。
前までの自分なら、桜介の陰に隠れてやり過ごしていたかもしれない。でも、いまはなんとなくそれが嫌だ。
「うん。幼なじみ」
「そう、なんだ……」
淡々と答えると、彼女はモジモジを再開して言い淀む。さすがにここを去ったほうが良いか、と一歩踏み出したタイミングで、彼女は意を決したように息を吸い込んだ。
「あの、私やっぱり、鹿島くんが好きですっ」
そうだろうな、とは思っていた。『やっぱり』という言葉にも、桜介の困ったような反応にも、思い当たる節がある。
前に桜介からの電話で聞いた、告白をしてきた女子。それはたぶん、この子のことだろう。
「前にも言ったけど……俺、いまは恋愛とか考えられないっていうか、」
「それでも好きなのっ……ずっと前から、最初から、ずっと好きなんです」
——最初から。
その言葉が響いた瞬間、俺はフリーズした。
目の前の切実な表情が、一瞬視界からさらわれる。代わりに脳裏を満たしたのは、体育祭の日に見た朝日奈くんの歪んだ表情だ。
——“俺が言ってるのは、最初からの話ですよ”
——“あなたの隣にいたくて、契約を持ちかけたとしたら”
いま、彼女が桜介に向けている瞳と、あのときの朝日奈くんが俺に向けた瞳。まったくの違う色をしているはずなのに、どうして重なるんだろう。
だって、いま彼女は、桜介に告白してるんだぞ。
「——ん……おい、深?」
遠くから桜介の声が聞こえて、ハッと意識が引き戻される。
いつの間にか、告白していた女子の姿はなく、桜介の手元には紙袋が提げられていた。
「フリーズしてたけど、大丈夫か?」
「うん……それより彼女は、」
「あー……これ渡したかっただけなんだって。手作りの焼き菓子。それより、ほんとに大丈夫か? 顔色、さっきより悪くなってるぞ」
覗き込まれて、頬のあたりに桜介の手が伸びる。その瞬間、思わず飛び退いた。
——“……かわい”
また。まただ。
化学室で、朝日奈くんが不意に零したその言葉が、甘やかな声音で蘇る。
「深……やっぱり、今日は学校休んだ方が」
「だいじょうぶ、だから。ちょっと、考え事してただけ」
きっと、眠れていないせいだ。だからあの日のことを、ふとしたきっかけで思い出す。
「じゃあ……俺、もう行くから」
「え、おい、深——」
これ以上あの場にいて、桜介に見透かされるのは嫌だった。もしかして、後輩の男子が自分に特別な感情を抱いているかもしれない、なんて。
ありえない。ありえないけど。そんな思考が過ったことさえ知られたくなかった。
電車に乗ると、リュックを膝の上で強く抱え込んだ。
心臓が、耳の奥でドクドクと脈打っている。まるで、逃げ場のない箱に自ら閉じこもっている気分だった。
——……とにかく、寝たふりだ。
目を閉じて、何も聞こえない、何も気づかないフリを突き通せばいい。
「おはようございます、早見先輩」
……なんで狸寝入りだって、すぐに気づくんだよ。
ゆったりとした、あるいはねっとりとした挨拶に瞼を持ち上げる。
本当に眠っているときは声を掛けずに、隣に座る。そして、さりげなく肩を貸してくれる。だからこうして話しかけてきた時点で、嘘寝がバレていることは明確だった。
「……おはよ」
喉の奥がカラカラに乾いていて、かすれた声しか出てこない。見上げると、体育祭前とまったく変わらない、完璧な制服姿の朝日奈くんが立っていた。
体育祭の日のあの、闇に呑まれたような瞳は綺麗さっぱり消えている。だけど代わりに、形の良い唇には外面の笑みが張り付いていた。体育祭前と変わらない、というより、少し前に戻った、というほうが正しいかもしれない。
「起きてたんですね」
「気づいてたくせに……」
「はい?」
「なんでもない」
いつも通り、スマートに隣を埋める朝日奈くん。少し肩が触れるだけで、意識がぶれる。眠いはずなのに、これじゃあ狸寝入りもまともにできない。
「体育祭の疲れ、とれました?」
もう、わざとだろ、それ。俺は睨みつけるように視線を向けた。
「とれてない」
「そうですか。早見さん、頑張ってましたもんね。俺も、最後のリレーは本気で走りましたけど」
「……見てたよ。速かった」
「ほんとに? 嬉しいなぁ」
でも、と一呼吸おいて、彼は言う。
「俺も、メッセージ書いてもらえばよかった」
「……?」
「透に書いてたでしょ。アレ、俺も早見さんに書いてもらえばよかったと思って」
「ああ……でも、朝日奈くんが要らないって言ったんじゃん」
トオルくんから「書いてもらえば?」と言われたとき、彼は淡白に断っていたはずだ。興味なんて微塵もなさそうに。
「癪だったんですよ」
「癪?」
「俺と早見さんのあいだに、透が入ることが」
どういうことだ。まったく理解できなくて、首を捻る。
「でも、こんなことなら書いてもらえばよかった。——嫉妬で、気が狂いそうだったんで」
想定外のフレーズに、ひゅっ、と喉が鳴る。
嫉妬? 朝日奈くんが、トオルくんに? 意味が分からなかった。いや、理解したくなかった。
きれいに笑っているはずなのに、その奥に感じられるものが、前よりずっと生々しい――やっぱり、体育祭の前とは違う。
触れ合っている肩が熱い。ただでさえ寝不足で熱をもっていた体は、とうとう悲鳴をあげた。
「早見さん?」
言葉を詰まらせていると、朝日奈くんはわざとなのか、覗き込むように顔を寄せてくる。
限界だった。
俺は勢いよくシートから立ち上がって、抱えたリュックをお守りのように、さらに強く引き寄せる。朝日奈くんもさすがに驚いたのか、わずかに目を瞬いていた。
「ごめん……今日は、向こうに行く」
「向こうって?」
「金は払うから、しばらくその……ひとりにさせて」
俺は逃げるように背を向けて、隣の車両へと続くドアをくぐった。
ガタゴトと揺れる狭い空間で、荒い息を吐き出す。リュックを握りしめる指先も、その強さに耐えかねてじんじんと痺れていた。
――嫉妬って……ほんと、なんなの。
朝日奈くんにとって俺は、ただの取引相手のはずなのに。不労所得を得るためだけに見初めた、都合のいいぼっちのはずなのに。いや……でも、違う。それもこれも全部、俺の隣にいるためだって紐解かれたはずだ。
つまり朝日奈くんは最初から、俺のことを狙っていて――。
「っ、狙うって、なんだよばか……」
彼の言うことすべてに思考が占領されて、絡まって、パンクしそうだ。
「もう……わかんない」
吐き出した息さえも、溜まった熱を逃がしてはくれなかった。

