「そういえば、ちゃんと日焼け止めもってます?」
電車に乗ってくるなり、朝日奈くんは唐突に問いかける。今日はお互い制服ではなくジャージ姿で、やけに新鮮だ。
「あー……忘れた」
「じゃあ、俺の貸すんで塗ってください」
「いいよべつに」
「甘く見ないほうが良いですよ。早見さん、白いからすぐ赤くなりそうだし」
はい。と日焼け止めを渡されて、眉を寄せる。
たしかに今日は、十月の陽射しにしては強すぎる。季節が迷子になったみたいな、居心地の悪い暑さだった。
とはいえ、後輩に世話を焼かれるなんて情けない。なにより、ここ最近の朝日奈くんはちょっとおかしい。うまくは言えないけど、あの雨の日に一緒に帰ったときから雰囲気が変わった気がしていた。
「……わかったよ。塗る」
「それがいいと思います」
遠慮のない圧に押し切られる形で、俺は渋々ジャージを脱ぐ。腕に塗っていくと、日焼け止め特有のケミカルな香りが、脳をわずかに覚醒させた。
今日の体育祭で、これが意味をなさないくらい焼かれるのかと思うと、すでに気持ちが沈む。しかも今日は久しぶりの夏日だ。十月も半ばなのに、ありえない。
「塗ったよ。ありがとう」
「いえ。また貸しが増えましたね」
また、ということは、最初の貸しもしっかり覚えてはいるのか。渡り廊下で、かくまってくれた時のアレだ。
「そういうとこは変わんないね」
「はい?」
「なんか雨の日から、ちょっと変わった気がしたんだけど」
「変わったって、俺が?」
「うん」
決済アプリでのやりとりはそのままだし、このあと眠ればいつも通り請求される。相変わらず貸しを作るのも得意だ。
なのに、やっぱり、なんとなく違う。
「うまく言えないけど、前より怖くない」
「怖かったんですか?」
「まあ、ときどき」
そもそも、初対面が起き抜けのアレだし。いつもその顔に貼り付けていた笑みだって、怖かったよ、君。
「……話しやすいって言ってくれたの、あれ嘘だったんですか?」
朝日奈くんはわざとらしく腕を組んで、俺を睨んでくる。
そういうところも、たぶん違う。前だったらきっと「取引相手に怖いなんて、失礼だなあ」くらいの嫌味は言っていた。例の笑みを貼り付けながら。
「だから、ときどきって言ったじゃん。いまは、その怖い感じがなくなってる。なんでかは分かんないけど」
「俺には思い当たる節、ありますよ」
左隣にたたずむ瞳が、ふっと緩まる。そのとき、もうすっかり昇りきった朝日が、車内へ静かに降り注ぐ。
あたたかな光のなかに浮かぶ横顔は、どこか柔らかな温度を帯びていた。
「楽になったんですよ。早見さんに話して」
「ああ……俺が心を許すと、どうとかっていう?」
「はい。今はそういう打算抜きで、早見さんと接したい。——ダメですか?」
こそこそ話をするように、突然耳元に注がれた語尾。すっかり油断していたせいで、大袈裟なくらい肩を弾いた。
「……っ、これのどこが打算抜きなの」
「ただの戯れですよ。早見さんの、素のリアクションが見たいだけです」
いたずらを成功させた彼の表情は、腹が立つほど生き生きしている。人のこと、玩具かなにかだと思ってないか。
あからさまに睨みつける俺を、朝日奈くんは涼しい顔で迎え受けた。
「だから、仲良くしましょうね。早見さん」
「……嫌だ、やっぱり怖い」
「手でも繋ぎます?」
「絶対いや」
「冗談ですよ」
吹っ切れたせいか、余計に厄介になってないか、この男。
横顔をそっと盗み見れば、すぐに視線が捕まる。ふっ、と。からかうような笑みを落としたかと思えば、いつものようにヘッドフォンを装着して前を見据える。
散々弄んでおいて、引き際は驚くほどスマート。そういうところは、前と変わっていない。
朝日奈くんの、変わったところと、変わらないところ――数えていたら、すぐ眠りにつけるだろうか。
いつもと少し違う衣擦れのせいか、日焼け止めの香りが漂うせいか。今日はなかなか眠れそうになかった。
電車に乗ってくるなり、朝日奈くんは唐突に問いかける。今日はお互い制服ではなくジャージ姿で、やけに新鮮だ。
「あー……忘れた」
「じゃあ、俺の貸すんで塗ってください」
「いいよべつに」
「甘く見ないほうが良いですよ。早見さん、白いからすぐ赤くなりそうだし」
はい。と日焼け止めを渡されて、眉を寄せる。
たしかに今日は、十月の陽射しにしては強すぎる。季節が迷子になったみたいな、居心地の悪い暑さだった。
とはいえ、後輩に世話を焼かれるなんて情けない。なにより、ここ最近の朝日奈くんはちょっとおかしい。うまくは言えないけど、あの雨の日に一緒に帰ったときから雰囲気が変わった気がしていた。
「……わかったよ。塗る」
「それがいいと思います」
遠慮のない圧に押し切られる形で、俺は渋々ジャージを脱ぐ。腕に塗っていくと、日焼け止め特有のケミカルな香りが、脳をわずかに覚醒させた。
今日の体育祭で、これが意味をなさないくらい焼かれるのかと思うと、すでに気持ちが沈む。しかも今日は久しぶりの夏日だ。十月も半ばなのに、ありえない。
「塗ったよ。ありがとう」
「いえ。また貸しが増えましたね」
また、ということは、最初の貸しもしっかり覚えてはいるのか。渡り廊下で、かくまってくれた時のアレだ。
「そういうとこは変わんないね」
「はい?」
「なんか雨の日から、ちょっと変わった気がしたんだけど」
「変わったって、俺が?」
「うん」
決済アプリでのやりとりはそのままだし、このあと眠ればいつも通り請求される。相変わらず貸しを作るのも得意だ。
なのに、やっぱり、なんとなく違う。
「うまく言えないけど、前より怖くない」
「怖かったんですか?」
「まあ、ときどき」
そもそも、初対面が起き抜けのアレだし。いつもその顔に貼り付けていた笑みだって、怖かったよ、君。
「……話しやすいって言ってくれたの、あれ嘘だったんですか?」
朝日奈くんはわざとらしく腕を組んで、俺を睨んでくる。
そういうところも、たぶん違う。前だったらきっと「取引相手に怖いなんて、失礼だなあ」くらいの嫌味は言っていた。例の笑みを貼り付けながら。
「だから、ときどきって言ったじゃん。いまは、その怖い感じがなくなってる。なんでかは分かんないけど」
「俺には思い当たる節、ありますよ」
左隣にたたずむ瞳が、ふっと緩まる。そのとき、もうすっかり昇りきった朝日が、車内へ静かに降り注ぐ。
あたたかな光のなかに浮かぶ横顔は、どこか柔らかな温度を帯びていた。
「楽になったんですよ。早見さんに話して」
「ああ……俺が心を許すと、どうとかっていう?」
「はい。今はそういう打算抜きで、早見さんと接したい。——ダメですか?」
こそこそ話をするように、突然耳元に注がれた語尾。すっかり油断していたせいで、大袈裟なくらい肩を弾いた。
「……っ、これのどこが打算抜きなの」
「ただの戯れですよ。早見さんの、素のリアクションが見たいだけです」
いたずらを成功させた彼の表情は、腹が立つほど生き生きしている。人のこと、玩具かなにかだと思ってないか。
あからさまに睨みつける俺を、朝日奈くんは涼しい顔で迎え受けた。
「だから、仲良くしましょうね。早見さん」
「……嫌だ、やっぱり怖い」
「手でも繋ぎます?」
「絶対いや」
「冗談ですよ」
吹っ切れたせいか、余計に厄介になってないか、この男。
横顔をそっと盗み見れば、すぐに視線が捕まる。ふっ、と。からかうような笑みを落としたかと思えば、いつものようにヘッドフォンを装着して前を見据える。
散々弄んでおいて、引き際は驚くほどスマート。そういうところは、前と変わっていない。
朝日奈くんの、変わったところと、変わらないところ――数えていたら、すぐ眠りにつけるだろうか。
いつもと少し違う衣擦れのせいか、日焼け止めの香りが漂うせいか。今日はなかなか眠れそうになかった。

