シューゲイザーズ

「私はOasisが大好きなんすよ!」
「い、良いですよね」
「私はロックにあんまり触れずに生きてきたから、有名どころしか分かんない」
「それはそれで大丈夫っすよ」
「わ、私もそんなに詳しいわけじゃないので大丈夫ですよ……」
「そうだと良いんだけど。練習のために何曲か聞いたけど、すごくピンとくる音楽ってなかなかないのね」
 私と真白と望は、真っ当に交友を広げていた。
 望はさっき聞いた通り、奏に唆されてバンドを始めたので、そもそも音楽にはあまり明るくなく、逆に真白は筋金入りのロック好き。特にビートルズの系譜を色濃く受け継ぐUKロックが好きらしい。
「運命の出会いみたいな音楽って中々ないっすからね、まだまだ先っすよ!」
「あなた、いつもそれ言うわよね」
「もっと好きになって欲しいっすから!」
 ああ、これこそ普通のコミュニケーション。私の憧れたキラキラ女子高生。
「さて」
 決して。
「奏はそろそろ反省したかしら」
 決して、この2人に怒られまくって涙目になりながら防音室の隅の方ですんすん泣いている奏のような、パーソナルスペースという概念そのものを知らないかのようにずかずかと距離感を詰めるやり方は普通のコミュニケーションではない。
「……あんなに怒んなくたっていいじゃん」
「オーナーにも怒られてるんでしょう? そろそろちゃんと反省しないと、本当に出禁になるわよ」
 望の言葉に真白が頷いた。
「貴重な練習場所を奏センパイのせいで失くしたら許さないっすよ」
 口調は軽いが目は本気だ。
 これがロックか。
「許して……」
「謝るのは私たちじゃないでしょ」
 望がちらとこちらを見た。
「足立さんに、でしょ」
「すみませんでした……」
 深々と頭を下げる奏。
 どことなく居心地の悪さを感じたが、望がさも当然であるという顔をしていたので、甘んじてそれを受け入れることにした。
「よっしゃ、じゃあ合わせの練習しましょ!」
 真白がすくっと立ち上がった。
「そうね。本番は明日だし」
「ほ、本番?」
 望の言葉に聞き返してみると、望は心底呆れたような顔をして奏を一瞥してから、もう一度口を開く。
「今度、ここのオーナーの篠田さんの紹介でライブに出演するのよ。特別枠みたいな感じだけど」
「小っちゃい箱だけど、pending初のお披露目をアンダー18の枠に捻じ込んでもらったんだ!」
 奏がドヤ顔で言う。
 問題はそこじゃない。
「わ、私は……」
 一番の問題はそこなのだ。
「安心しなさい。ギター始めて一週間未満のあなたをいきなり出演させることは無いから」
「よ、よかった……」
 ほっと胸を撫で下ろした。
 いきなりライブ出演なんて、そんなことはまずないとは思っていたが、奏ならやりかねない。
「確かに奏ならやりかねないけど、さすがにそこまで浅慮じゃないでしょ」
「奏センパイならやりかねないっすけど、さすがにそこまでロック狂いじゃないっすよ」
 口々にそう言うものだから、奏がまた肩を跳ねさせた。
「もし暇なら、見に来るっすか?」
「へ?」
「確かチケット一枚残ってたっすよね」
 真白が奏の方を見た。
「うん。オーナーが余分に一枚買い取ってくれたやつがあるはず」
「じゃあ、オーナーさんに声掛けないとっすね!」
「え?」
 待って。話についていけていないぞ。
 ちょっと待ってくれ。
「ちょっと待ちなさいよ」
 望が真白と奏の会話を遮った。
 ありがとう望さん。あなたは私のメシアです。
「ドリンクチケットはどうするの」
 ああ、違う!
「確かにそっすね」
「幸ちゃんごめん! 500円だけは自分で払える……?」
 ああもう、私は行く前提で話が進んでいる。みんな奏に毒され過ぎだ。
 断れ、私! おかしいのはこのバンドの皆なんだ!
「あっ……はい……大丈夫です」
 かくいう私は陰キャが過ぎる。よって、断るという選択肢はあっても選べないのだ。
 コミュニケーション能力を向上させてやる!
 絶対に! 絶対だ!

「『ペンギンども』でーす! よろしくー!」
「きゃー!」
 知らないバンドの知らないボーカルが叫んだ。
 嵐のような顔合わせの翌日。
 私は家の最寄駅から2駅行った先のライブハウスに来ていた。小じんまりとしたビルの地下2階、その名の通り『アングラ』な感じのライブハウスだ。
「pendingの登場まではあと2つかな?」
「あ、はい……そうです……」
 ステージから離れたドリンクショップの横あたり、ちょっとしたパイプ椅子が五つほど並んだ二つに、私と篠田は座っていた。
 薄暗い会場はライトで煌々と照らされたステージとは対照的で、輝かしい成功とは無縁の私にはお似合いだと思う。
「楽しんでるか?」
「えあ、は、はい。それなりに……」
 薄暗い場所は好きだ。私は目立たずに済むから。
 会場が揺れるんじゃないかと思うほど、スピーカーからは大音量で歪んだギターサウンドが流れていた。
 ぶっちゃけ、そんなに楽しくない。というか、楽しみ方が分からない。
 たくさんの人がいる状況は苦手なので、ステージ近くの人混みに混ざろうとは思えないし、かといって後ろの方で大人しく音楽を聴いて、その良し悪しが分かるほど耳が肥えている訳ではない。普通に音が大きすぎて耳も痛い。
 誤魔化すように、手元のコップなみなみに注がれたオレンジジュースをストローで一口啜った。
「いい会場だろう。収容人数は80人程度だが、ここの店長は音響にすごいこだわりがあってな。店そのものが音が聴きやすいように調整されてるらしい」
「へ、へぇ……」
 篠田さんが言っていることの半分くらいが分からなかったが、なんとなく相槌を打っておいた。
 そもそも、他のライブハウスに言ったことがないので音響の違いなど比べようがない。
「こじんまりとしてるが、むしろそっちの方がお客さんやファンの顔を覚えやすい。良いことばかりではないが、駆け出しバンドには大事な要素だ」
「あ、なるほど……」
 私が大半を理解していないのを分かっているかのように、補足をしてくれる篠田。優しい。
 思えば、出会って一週間も経っていないのに、初対面の段階から随分と良くしてもらっている。
「あ、あの、オーナーさん」
「ん?」
 優しげな顔で私を見つめてくれる。
「な、なんで私なんかに世話を焼いてくれるんでしょうか……ま、まさか後からお金を請求したり……!?」
「君は私を何だと思ってるんだ……」
 呆れたように、口を引き結んだ篠田。またコミュニケーションに失敗した。
 一つ、ため息をついた篠田は、すっと私の方に手を伸ばした。殴られる!
「特に大した理由はないよ」
 殴られるわけでもなく、私の頭をその手は撫でた。
「新たな挑戦にはそれなりに覚悟がいる。その手助けをしたかっただけだ」
「て、手助け……?」
 篠田はこくりと頷いた。薄暗さの中で表情が詳らかに分かるわけではなかったが、優しそうに微笑みを浮かべているのは分かる。
「私はな、音楽が好きになって欲しいんだ。聴くことも弾くことも」
「音楽を、好きに?」
 何を言っているのかさっぱりだ。
「何を言っているのかさっぱり、って顔だな」
 バレた。
「いつか分かる時が来る。来ないかもしれないけど」
「どっちですか……」
 篠田は笑った。
 どことなく、大人だなと思った。
 その時、爆音が鳴る。大雑把なギターサウンドが鳴って、大味なベースとドラムがついて行く。まるで喧嘩しているような音だ。
「いい音楽だと思うか?」
 スピーカーからの音に負けないよう、かといって周りの迷惑にもならないギリギリの大声で篠田が聞いてくる。
「分かんないです。でも、音がすごく大きいです」
 私もなるべく大きな声で正直に答えた。
「私も常々そう思う」
 篠田が手元のジンジャーエールを啜りながら答えた。

「こんにちは! 間違えた! こんばんは!」
 ステージ上でギターを構えた奏が言った。
 会場から笑い声が響く。
 ついに順番が来たのだ。
「私たちはオルタナティブロックバンド、pending(ペンディング)です!」
 元気なことだ。
 ごった返すお客さんたちの後ろの方から、私と篠田はステージに立った三人を眺めていた。
「今日はアンダー18の枠で出演させて頂けて本当に感謝です!」
 ステージ上の白いライティングに照らされた奏は笑顔だった。
 後方、中央に置かれたドラムセットの間から覗く真白も笑顔であったし、前方、向かって左側でベースとマイクの位置を調整する望の顔は真剣そのものであった。
「あんまりMCの時間を与えられてないので、早速、一曲弾かせていただきます!」
 数十人のお客さんが沸き上がった。
 奏がちらと望を見て、望が頷く。真白を見て、真白が頷く。そして、再び奏が向き直って叫ぶ。
「アーミー・レーションで『ホワット・イズ・ラヴ』!」
 つい、びっくりしてしまった。
 そうか。考えてみれば当たり前だ。出会った日に練習していたということは、練習する理由があったということだ。その理由こそがこのライブ。
 爆音で、聴き慣れたイントロが流れ始めた。同時に、ステージが暗転して、カラフルにライトが輝き始めた。
 音源と遜色ない、と言えば流石に嘘だ。奏のギターソロパートから始まるこの曲は、明らかに抜かされているフレーズや音があるし、曖昧な原曲の記憶と比べれば少し走り気味だ。でも、それがなんだか奏らしかった。
 次いで、ドラムが鳴った。
 力強くて、それでいて安定感がある。自分のリズム感に自信がある訳ではないが、リズムはズレていないと思う。それに乗っかった奏のギターは、ギターソロの時よりも不思議と際立って聞こえた。
 そして、いつの間にかベースが割り込んでいる。
 輪郭が分かり辛い、歪んで潰れた音がベースの音は、足りなかった音の隙間に入り込むような、そんな音。一つ一つが分離して聞こえた音が全てまとまったような、そんな感じ。
 そして、望の力強くて繊細なボーカルが響いて、真白の元気なコーラスがそれを追いかけるように重なる。
 正直、何か感じるかと言えば、よく分からない。
 よく分からないが、分からない自分にも、それがお世辞にも群を抜いてすごく上手なわけではないという事だけは分かった。
 アニメや漫画のようなことはなかなか起きないものだ。リズムが詰まって音が渋滞を起こす瞬間はあるし、音程も適当な部分がある。音がふわふわするエフェクターの使い方も投げやりだ。
 でも、もう一つ分かるのは、皆が楽しそうだということ。皆が、好きでやっているということ。
 ライティングの逆光のせいで、ステージ上の三人の顔は見えなかったが、揺れる体が、ぱたぱたと忙しなく動く足が、懸命にコードに追い縋る左手が、迷いなく振り上げられ、また振り下げられる右手が、その全てが自信とはまた違う楽観に満ちていた。
 混ざってみたい。純粋にそう思ってしまった。
 だから、篠田の横顔をちらと見た。
 彼女はジンジャーエールを飲みながら笑顔で見守っていた。だから、私もオレンジジュースを一口飲んで見守ってみた。
 数分の演奏を、ずっと見守っていた。

「ふいー、終わった終わった」
 全てのバンドの演奏が終わり、お客さんも捌けて、私と篠田はペンディングに割り当てられたライブハウスのスタジオにいた。
 ペンディングの面々は疲労困憊といった様子で、真白は汗だくの体をフェイスタオルで拭い、望は静かに椅子の背にもたれかかり、奏は興奮冷めやらぬといった様相でギターを愛でていた。
「お疲れ。ほれ、差し入れだ」
 篠田が両手に三つ持った種々のジュースが入ったグラスを少し掲げてみせた。
「わーい! オーナーさん、大好き!」
「ありがとうございます」
「んへへ。ツンデレなんだから〜オーナーは〜!」
 真白に麦茶を、望にリンゴジュースを与えた篠田は、最後に来た奏へあげるためのリンゴジュースをひょいと持ち上げて、頭ひとつ分は下の奏の顔を冷めた目で見下ろす。
「お前は500円だ」
「んな殺生な!」
「バカ言え。お前が調子乗って倒した機材の件は私が謝ったんだぞ」
 そう、奏はまたやらかしたのだ。
 『ホワット・イズ・ラヴ』のアウトロで靴を飛ばさなかったのは良い。トゥーフェイスでの練習の時よりもずいぶん抑えていた。
 だがしかし、演奏直後のMCで手元が狂った奏は持っていたストラトキャスターでマイクスタンドを薙ぎ倒したのだ。
 気まずそうに目を逸らしていた奏が、くるっと篠田の顔を見直した時、にこりと笑っていた。
 多分、ろくなことを言い出さない。
「……んー、まあこれもロックってことで!」
 それ見たことか。
「ロックは免罪符じゃねえ!」
 篠田の手刀が奏の頭を軽く叩いた。
 大袈裟に痛がる奏。……いや、割と本気で痛がってるようにしか見えない。本当に軽く叩いただけか?
「先方は何も機材が壊れてないし傷もないから気にしなくていいって言ってくれたが、きちんと後で詫びを入れに行きなさい」
「はい……」
 わざとらしく奏が口を尖らせる。
「それが分かったらリンゴジュースはくれてやる」
「はい!」
 現金な人だ。
 それでいいのか緑木奏。これもまたロックか。ロックか?
「で、どうでした?」
 望が臆することもなく篠田に聞いた。
「……まあ、やりたいことは分かったよ。手放しじゃ褒められんが悪くなかった」
 照れ臭そうに篠田が頭を指で搔きながら言った。
 その様子を見て、望は小さくガッツポーズをして、真白はこれまで以上の満面の笑みを浮かべた。
 奏はというと、篠田の方には見向きもせず、私のことをしかと見つめていた。
「幸ちゃんは?」
「あえ、私ですか!?」
 予想外の方向から槍が飛んできた。
「あの、音楽始めたばっかりの私じゃ私まともな感想言えないですけど……」
「大丈夫だよ、オーナーだってツンデレすぎて具体的な感想は言えてないもん」
「誰がツンデレだ」
 篠田の手刀がまたもや奏の頭に突き刺さる。今度は結構しっかり、ごすっと鈍い音が響いた。
 部屋の中の四人が、私を見ているのが分かる。
 何か言わなきゃ。
 頭を抱えてうずくまっている涙目の奏に代わって、真白が口を開く。
「適当でいんすよ。良かった、悪かった、楽しかった、つまんなかった、それだけでも立派に感想っすよ」
 流石につまんなかったとは言わないだろう。
 汗を拭きながら項垂れていたはずの真白はオーナーの差し入れの麦茶で復活したのか、すっかりいつもの調子に戻っていた。
「えと……」
 すごく楽しかった? 流石に嘘っぽすぎるし、純粋に楽しめたかといえば違う気もする。
 よく分からなかった? 誘ってくれたのに失礼だろう。
 じゃあ、何と言えばいい?
 私は、何を感じたのだろうか。私の言葉で、あの時の心持ちを言葉にするなら。
「……あの場に立てたら、楽しそうだなって思いました」
 気恥ずかしくて、足元の靴を見ながら答えた。
 俯いていたせいで何が起きているかは分からなかったが、しばらくの間、誰も何も言わなかったから、多分私はまずいことを言ってしまったのだと思う。
「ロックっすね」
「ロックだね」
「はぁ……」
 ペンディングの面々が、口々にそう言った。なにがロックなんだ。
 顔を上げてみると、皆が柔らかく笑っていた。望はため息をついていたけど。
「楽しんだみたいだな」
 篠田の右手が私の肩にそっと触れて、柔らかく微笑んでいた。
「んじゃ、ここの店長と話してくる。機材は運んでやるから片しとけよ」
 それだけ言って、スタジオの中から篠田は出て行った。
 なんとなく気まずく思ったが、ペンディングの三人はまだ微笑んでいたし、より気まずかった。なんなのだ。
「足立さん。ずいぶん他人行儀にしてるけど、あなたね」
 望が言う。
「あなたも立派にペンディングのメンバーよ?」
「……?」
 つい首を傾げてしまうと、望が特大のため息を吐いた。
「私、今日から手綱を握る人数が三人になるのね……」
「そんなに嬉しい?」
「嘆いてんのよ」
 奏の自惚れをぶった切った望は傍らのスタンドに置いていたベースを持ち上げて、ケースに入れた。
 何かしらを諦めたようだ。
「じゃあ、幸ちゃん。正式にさ」
 奏が立ち上がって、私の手を取って言った。
「ようこそ、pending(ペンディング)へ!」