「……流石に震え過ぎじゃ?」
翌日。機材のセッティングを手伝う真白が言う。
「無茶言わないでください!」
私は叫んだ。
トゥーフェイスの地下、元は物置として使っていたと篠田が言っていた、物置にしては広すぎる空間。改装されて50センチほど高くなったステージ上に立つ私の手を震えている。
「ペンディングの命運を握ってるんですよ!? 私なんかが!」
「流石に命運ってことは無いっすよ。ただちょっと、リーダーが抜けるか抜けないかの瀬戸際にあるってだけで」
「充分すぎるほどに命運握ってるじゃないですか!」
半泣きで言った。
「まあまあ。演奏自体は私も望センパイも手伝うんすから、幸さんが一人で背負う事じゃないっすよ」
「それは……そうですけど……」
「それに」
アンプとシールドを繋ぎ、手慣れた手つきでセッティングをする真白。
こちらの顔を見ることもなく淡々と作業をしているが、その声には迷いはなかった。
「大丈夫っすよ。幸さんや望センパイが思うほど、奏センパイは打算的じゃないっすから」
「……それは、何を根拠に?」
「勘っすね」
より不安が大きくなった。
「まあ、あれですよ。皆が思っている以上にくだらなくて単純な問題ってことっす、こんなこと」
「そんなものかな」
「そんなもんっすよ。ま、これオーナーの受け売りですけどね」
振り返った真白が笑う。
根拠が勘しかない、という割には自信満々だ。そうして今度は、自分の叩くドラムセットの方へと移って、機材を持ってチューニングを始める。
タン、と真白がスネアドラムを叩く度に、私と真白しかいないライブハウスに音が響く。
「……あの」
「どうしたんすか」
私は、足元のエフェクターボードの電源が入ることを確認してから真白に声をかけた。
「真白さんは、なんでロックを?」
我ながら妙な質問だと思った。
目をぱちくりとさせながら、真白は私を眺めて、それから口を開く。
「私の家、結構お固いというか、時代にそぐわない感じだったんっすよね。琴とか習わされる感じの」
「へ、へぇ……」
イメージと合わない。
少なくとも、いつものロックジャンキーで元気快活少女な印象とはかなりかけ離れていた。
「中学時代もそんな感じで、付き合う友達は考えなさい、とか言われてたんすけどね。入ってた吹奏楽部で、ドラムを任せられたんすよ」
「オリジンですね」
「そっすね。でも、親には滅茶苦茶に反対されて」
「え」
「やるならフルートとかにしなさいって言われたんすよ。どんな偏見だよって思ってドラムをそのままやったっすけどね」
「えぇ……」
反抗期というやつだろうか。
というか、そんなに軽く流していい話かな、これ。
「んで、部員がそもそも少ないんでドラムっていうかパーカッション系を全部担当する形になってたんす」
「それはまた、大変というか……」
「んー、でも楽しかったっすよ? 顧問の先生もすごく良い人だったんで」
懐かしむように、真白はチューニング用の機材を置いて、ステージ上の照明を眺めた。
「結構、当時から筋肉はあったんで、顧問の先生からもっと力強い感じの音楽の方が合うかもって言われたんすよ。それで、音楽室でオアシスのCDを聞かせてもらったんす」
いつか言っていた、オアシス好きはここからか。そう直感した。
「もう、そりゃ衝撃で。そっからはこんなロック大好き人間ですよ」
「へえ……。それは、その、ご家族とはなんか言わないんですか?」
「んー……」
私の言葉に、真白が腕を組んで顔をしかめる。
何か不味いことを言っただろうか。
「高校入って、バンドを始めた頃はいろいろとやかく言われましたけど、今となっては、って感じですね。多分、諦められてんじゃないすかね」
肩をすくめながら、薄く笑った真白が言った。どこか諦めたような、寂しそうな、そんな顔で。
私は思わず、ギターをそっとステージ上に置いて、ドラムセットの向こうの真白に近づいた。
「真白さん」
「あえ、は、はい。どうしたんすか、そんな改まって」
「その、私は……」
何を言うべきか分からなかった。
けど、別になんでもいい気がした。真白からすれば、私は。
「私は、真白さんのドラム、好きです」
「はい!?」
そういえば、ちゃんと伝えたことが無かったなと思ったら、口からはそんな言葉が出ていた。如何せん、誤解を招きそうな表現とタイミングであったが、伝えないよりは幾分もマシだろうと自分に言い聞かせて。
しかし、当の真白は目を大きく見開いている。
「きゅ、急にどうしたんすか」
「あ、えと、伝えておいた方が良いかなと……」
「このタイミングっすか……?」
目を合わせてくれない真白。ステージ照明に照らされた真白の頬と耳が、真っ赤だった。
私は多分、不味いことを言った気がする。
「あ、あれです、その、真白さんのドラムがすごく好きなので、悩みとか、そういうのはあんまり……あの、ロックじゃないなって!」
「……ロックは便利な言い訳じゃないっすよ……」
両手で顔を覆った真白が小鳥がさえずるより小さな声で言った。
その言葉に私も何も言えなくなって、しばし互いに無言の時間が続いた。
気まずい。
「……お前ら何してんだ?」
現れてくれた篠田が救世主に見えた。
十分前に届いた私のスマホに届いたメッセージ。望からのものだった。
『駅に着いた。奏と一緒』
望らしい、実にシンプルなメッセージだ。
手が震える。
駅からトゥーフェイスまでは歩いて十五分弱。もうすぐ到着してしまう。
ステージの真ん中で私はギターを抱えたまま、うずくまっていた。
「……」
指板の上に置いた左手が、目的のコードをなぞる。
間違えられない、そういうわけじゃない。けど、不安なものは不安だ。
私の思ったことはきちんと伝えられるのか、そういう風に考えてしまうから。
口下手な私だから、篠田がこのステージを貸してくれたのは、棚から牡丹餅だった。きっと、言葉にするより音にした方が私の伝えた一個とは届く気がするから。
「幸。不安そうだな」
私の隣に、今日は緩くかなり下の方で長い髪を一つに纏めた篠田が座った。
「そりゃ……はい」
「何が不安だ?」
「……ちゃんと、届くかな、とか」
でも、やっぱり不安だ。
言葉ですら、きちんと届かせられない私が、始めてから数か月のギターで何かを伝えられるのだろうか。
そういう不信感が、私の真ん中に居座り続けている。
私如きに、何かできるだろうか。
「……もしかしたら、失敗しちゃうんじゃないか、とか」
もし、届かなかったら。
私たちの演奏を聴いて、奏が納得しなかったら、今度こそペンディングはなくなってしまうかもしれない。
「……受け入れてくれたとしても、私の選んだやり方が正しくなかったら、とか」
仮に、奏に届いたとしても。
ペンディングがシューゲイザーをやって、有名になれなかったら。シューゲイザーに、私が救われなかったら。
全てが無駄足だったとしたら。間違いだったとしたら。
そうなったら、私は耐えられるだろうか。
「色々、考えちゃいます」
「そうか」
篠田は静かに頷いた。
そして、私と同じ高さの目線で、こちらを見つめる。
「幸。君はそのままで良いからな」
そう言うのだ。
てっきり、迷うなとか、自信を持てとか、そういう反応が返ってくるものだと思っていたから、少し面食らってしまう。
「そうやって、たくさん悩め。たくさん悩んで、たくさん間違えていけばいい」
「……間違えてもいいんですか」
私は、ついそう聞いてしまった。
「ああ。いくらでも間違えればいい。その度に立ち直ればいい。その度に周りに迷惑をかけていけばいい」
「……あんまり、迷惑をかけるのは良くないんじゃ」
「いいんだよ。だって君は」
篠田が、私の頭を少し乱暴に撫でる。
「まだ、17歳なんだから」
そう言った。
確かに、そう言った。
「……誕生日、言いましたっけ」
「いや、あてずっぽう」
「なんですかそれ」
つい、笑ってしまった。
適当だなぁって思ったから。
「私がこのライブハウスを作ったのだって、同じ理由だぞ」
私は首を傾げた。
「色んな人に音楽を好きになって欲しい」
ペンディングのライブを初めて見た日。
篠田はあの日も、私に音楽を好きになって欲しいと言っていたのを思い出す。
「でも、同時に。音楽を好きになった人が、今度は誰かに音楽の楽しさを届けられるようになって欲しい。上手いとか下手とかそういうんじゃないんだ」
篠田がステージ上から、まだ殺風景なライブハウスの中を見た。
「ここは小さい箱だから150人ちょっとしか入らないが、それでも十分だ。というか、人数は関係ない。一人だろうが二人だろうが、音楽はこんなに楽しいんだぞって、誰かに届けられるなら、何でもいいんだよ」
語る篠田は、照れ臭そうに頬を掻いた。こんな顔するんだな、と思った。
ここが満杯になったら。
たった一人がぽつんと立っていたら。
私は、誰に私の音楽を届ければいい?
「ほら、来たぞ」
ステージからはよく見えなかったが、入口の扉が開く音がした。
「んじゃ、見てるからな」
そう言って、篠田はステージから降りる。
「期待してるぞ」
階段を下りてきたのは、奏と望だった。
「……来たよ」
「……ようこそ?」
私は何と返すべきかに困った挙句に、変な返事をしてしまった。
客席の真ん中に立った奏は、ギターを持っていなかった。
「その、ごめん。この前は突然飛び出しちゃって」
奏は、私に向かって素直に頭を下げた。
私は突然すぎて、少し面食らう。
「あ、えと……」
「ごめんね。本当はきちんと、幸ちゃんの話を聞いてあげるべきだったと思ってる。幸ちゃんが初めて、ペンディングでやりたいことを見つけてくれたのに、それを無下にするような態度を取って、本当にごめん」
「あ、あの」
なんか、思ってた展開と違った。
もっと、奏は怒っているものだと思っていたから。
「あ、謝らないでください……」
私の声は、ステージ上のマイクを通して答えた。
想像以上に大きな音だったから、びっくりしてしまう。
「その、無茶言ったのは私ですし、そもそもきちんとした話し合いをしなかったのは私も同じなので……」
「いつまでうだうだやってるの」
いつの間にかステージ上にいた望が、私の背後から声をかけてくる。ベースも持っている。やる気満々だこの人。
「バンドマンなら音で伝えろ、でしょ?」
マイクをひったくった望がそう言った。
「そうっすそうっす!」
もうドラムセットの前の椅子に座った真白もコーラス用のマイクを使って同調した。
なんなんだ、この人たち。
「じゃ、聞いてなさい。バカ奏」
「うっさい、バカ望」
なんか、私を置いてこの二人が喧嘩してないか?
「ほら。馴れ合ってたって結論は出ないわよ、幸」
「なんで望はナチュラルに幸ちゃんのことを名前呼びしてるの! 私がいない間にどんだけ距離縮めてるの!」
頬を膨らませる奏。
なんか喧嘩の主題が変わっていないか?
「やるわよ」
望は奏を無視してそう言った。
それから望は、自分の定位置に戻って演奏の準備を始め、私の方を見る。
真白もスティックを持って掲げ、準備が終わったことを知らせてくれる。
二人と目が合って、いつでも大丈夫だと教えてくれている。
「じゃあ、その」
私は前に向き直って、奏の方を見てマイクを使って話し始める。
「これが、私なりの誠意、です。どうか、聞いてください」
そう言って、足元のエフェクターボード、そのリバーブのペダルを踏み込んだ。
ウォール・オブ・サウンド。
シューゲイザーの音で大切にされる大音量で幾重にも重なった音の奔流は、そう呼ばれるらしい。
単純に言えば、音の壁。
弦を弾いて、その振動をジャズマスターのシングルコイルピックアップが拾って、電気信号に代わった音が、リバーブが残響を付け足し、ディレイが幾重にも音を重ね、オーバードライブが歪ませ、ライブハウスの中を音で埋める。
大音量過ぎて、鼓膜が痛みそうだ。
そういう音。
単純な構成のミニマルなフレーズをギターで繰り返す。コードも演奏方法もシンプルな曲を選んだ。テンポもスローだ。速い曲が持て囃される今の時代には、あまりそぐわないかもしれない。
そういう曲。
望のベースの音も目立ちこそしないが強く歪んでいて、もしかすると建物自体も揺れているのではないかと錯覚するほどの重低音がする。真白も存分にシンバルをシンプルなエイトビートに合わせて叩いていて、なんだかちょっと楽しそうだ。
真白の力強いコーラスが、音の濁流に乗っかる。
音の奔流に交じって、甘くて細い声で望が歌う。
昨日の今日で、やる曲を決めてくれた上、練習までしてくれたのだ。感謝してもしきれない。
私の視界は、靴の方。
一に借りたワウペダルを踏んだり離したり。音を揺らして、また戻して。
何度も何度も反響しては戻ってくる音に、自分が希釈されていくようで。大きな波の中に呑まれていくようで。
でも、足りなかった。
奏の方をちらと見た。
真剣な顔で、私たちの演奏を眺めている。少し、不満げな顔で。
左右に振れた音が、大きな壁のようで、その真ん中に私は立っている。奏も、同じだと良いな。
それから、私はまた足元に視線を移した。
足りない。
オクターバーのペダルを踏み込む。
私の弾いた八度上の音が重なる。
ジャズマスターのトレモロアームを掴んで音を揺らす。
音が重なる。絹糸のような望の声が波の合間を示す。
音が重なる。望の鳴らしたベースの音を蹴飛ばすように、真白がバスドラムを蹴る。
音が重なる。コンマ数秒前の私がアンプから出てきて、私はそれを蹴散らすようにまた弦を弾く。
足らない。
シューゲイザーは、本来、四人以上の構成でやることが殆どだ。場合によっては五人になることもある。
音が足らない。
エフェクターとコードで誤魔化してはいるが、音圧が足りない。
シューゲイザーとしては、成立し得るかギリギリの音だ。いや、成立してないかもしれない。それくらい。
何が足りない?
私たちには何が足りない?
私はまた、視線を上げた。
曲は終盤。大音量の中、それでも足りないのは何だ。
ペンディングに足らないのは何だ。今の私たちに足りないのは何だ。
アウトロ。ごくごく短い、急流みたいな後奏。
もう一度顔を上げて、奏の方を見た。
今の私に、足りないものはなんだ。
最後のコードを弾く。Fmaj7の響きが、ライブハウス中に満ち満ちて、消えない。ずっと。
今の私に足りないのは、奏。貴女だ。
最後の音の余韻が、なかなか消えなかった。
十数秒が経っても、沈黙したままだったライブハウスの中、ともすれば耳鳴りがしているんじゃないかと錯覚してしまう。
残響が響いて、響いて、秒速340メートルの反響を繰り返していた。
「……まあ」
奏が沈黙を破ってようやく、余韻が消えてなくなった。
「うん、まあ、言いたいこと、というか。やりたいことは、分かったよ」
「……よかった」
私は肩の力を抜いた。
ジャズマスターのストラップがずり落ちて、慌ててネックを掴む。
随分、握り慣れたものだと思った。
「あれだね。シューゲイザーにしては音圧足りないね」
「そりゃ……三人しかいないですから」
私が言うと、奏はそっか、と頷いた。
「……楽しかった?」
奏がそう聞いてきた。
私は、その質問の意図を測りかねた。その質問にどう答えるのが、より良い結果になるかが分からなかった。
「はい。楽しい、です」
だから、迷わず答えた。
唇をきゅっと引き結んだ奏は、また静かに頷いた。
奏は何かを思案するように、握った右のこぶしを腰ほどの高さまで持ち上げて、また下ろして。
「で、どうするの」
その様子に耐え難かったらしい望が、痺れを切らして聴く。
それに少し驚いたように、顔を上げた奏が答える。
「……どうしたらいいかな」
いつもの調子で、頭をぽりぽりと掻きながら言った。
その様子に、望がわざとらしいほどに大きなため息を吐いた。
「奏が決めないと、このバンドの方針は決まんないわよ」
「そうっすよ」
望が言って、真白が同調した。
そして、二人が私の方を見る。
だから、私が言った。
「決めてください。奏さんは、このペンディングのリーダー、なんですから」
その言葉に、奏はしばし沈黙してから、今度はにへらと笑った。
「んー。責任取れないよ?」
「奏に責任を取ってもらうほど落ちぶれてない」
望が容赦なく言った。
へそを曲げた奏が望から目を逸らして、私の方を見る。
大丈夫なのかと、そう問うように。
「……大丈夫です。それに」
私は、次に言うべき言葉を探した。
色んな綺麗事が浮かんで、色んな激励が浮かんで、色んな言い訳が浮かんで。
そして、全部蹴飛ばして言う。
「それに、いつだってやり直せますから」
満面の笑みで、そう言ってやった。
機材席にいた篠田が笑ったのが見える。後ろにいる真白の笑い声も聞こえる。
それから、奏が苦笑いしながら言った。
「……そっか。そういう事にしとこうか」
翌日。機材のセッティングを手伝う真白が言う。
「無茶言わないでください!」
私は叫んだ。
トゥーフェイスの地下、元は物置として使っていたと篠田が言っていた、物置にしては広すぎる空間。改装されて50センチほど高くなったステージ上に立つ私の手を震えている。
「ペンディングの命運を握ってるんですよ!? 私なんかが!」
「流石に命運ってことは無いっすよ。ただちょっと、リーダーが抜けるか抜けないかの瀬戸際にあるってだけで」
「充分すぎるほどに命運握ってるじゃないですか!」
半泣きで言った。
「まあまあ。演奏自体は私も望センパイも手伝うんすから、幸さんが一人で背負う事じゃないっすよ」
「それは……そうですけど……」
「それに」
アンプとシールドを繋ぎ、手慣れた手つきでセッティングをする真白。
こちらの顔を見ることもなく淡々と作業をしているが、その声には迷いはなかった。
「大丈夫っすよ。幸さんや望センパイが思うほど、奏センパイは打算的じゃないっすから」
「……それは、何を根拠に?」
「勘っすね」
より不安が大きくなった。
「まあ、あれですよ。皆が思っている以上にくだらなくて単純な問題ってことっす、こんなこと」
「そんなものかな」
「そんなもんっすよ。ま、これオーナーの受け売りですけどね」
振り返った真白が笑う。
根拠が勘しかない、という割には自信満々だ。そうして今度は、自分の叩くドラムセットの方へと移って、機材を持ってチューニングを始める。
タン、と真白がスネアドラムを叩く度に、私と真白しかいないライブハウスに音が響く。
「……あの」
「どうしたんすか」
私は、足元のエフェクターボードの電源が入ることを確認してから真白に声をかけた。
「真白さんは、なんでロックを?」
我ながら妙な質問だと思った。
目をぱちくりとさせながら、真白は私を眺めて、それから口を開く。
「私の家、結構お固いというか、時代にそぐわない感じだったんっすよね。琴とか習わされる感じの」
「へ、へぇ……」
イメージと合わない。
少なくとも、いつものロックジャンキーで元気快活少女な印象とはかなりかけ離れていた。
「中学時代もそんな感じで、付き合う友達は考えなさい、とか言われてたんすけどね。入ってた吹奏楽部で、ドラムを任せられたんすよ」
「オリジンですね」
「そっすね。でも、親には滅茶苦茶に反対されて」
「え」
「やるならフルートとかにしなさいって言われたんすよ。どんな偏見だよって思ってドラムをそのままやったっすけどね」
「えぇ……」
反抗期というやつだろうか。
というか、そんなに軽く流していい話かな、これ。
「んで、部員がそもそも少ないんでドラムっていうかパーカッション系を全部担当する形になってたんす」
「それはまた、大変というか……」
「んー、でも楽しかったっすよ? 顧問の先生もすごく良い人だったんで」
懐かしむように、真白はチューニング用の機材を置いて、ステージ上の照明を眺めた。
「結構、当時から筋肉はあったんで、顧問の先生からもっと力強い感じの音楽の方が合うかもって言われたんすよ。それで、音楽室でオアシスのCDを聞かせてもらったんす」
いつか言っていた、オアシス好きはここからか。そう直感した。
「もう、そりゃ衝撃で。そっからはこんなロック大好き人間ですよ」
「へえ……。それは、その、ご家族とはなんか言わないんですか?」
「んー……」
私の言葉に、真白が腕を組んで顔をしかめる。
何か不味いことを言っただろうか。
「高校入って、バンドを始めた頃はいろいろとやかく言われましたけど、今となっては、って感じですね。多分、諦められてんじゃないすかね」
肩をすくめながら、薄く笑った真白が言った。どこか諦めたような、寂しそうな、そんな顔で。
私は思わず、ギターをそっとステージ上に置いて、ドラムセットの向こうの真白に近づいた。
「真白さん」
「あえ、は、はい。どうしたんすか、そんな改まって」
「その、私は……」
何を言うべきか分からなかった。
けど、別になんでもいい気がした。真白からすれば、私は。
「私は、真白さんのドラム、好きです」
「はい!?」
そういえば、ちゃんと伝えたことが無かったなと思ったら、口からはそんな言葉が出ていた。如何せん、誤解を招きそうな表現とタイミングであったが、伝えないよりは幾分もマシだろうと自分に言い聞かせて。
しかし、当の真白は目を大きく見開いている。
「きゅ、急にどうしたんすか」
「あ、えと、伝えておいた方が良いかなと……」
「このタイミングっすか……?」
目を合わせてくれない真白。ステージ照明に照らされた真白の頬と耳が、真っ赤だった。
私は多分、不味いことを言った気がする。
「あ、あれです、その、真白さんのドラムがすごく好きなので、悩みとか、そういうのはあんまり……あの、ロックじゃないなって!」
「……ロックは便利な言い訳じゃないっすよ……」
両手で顔を覆った真白が小鳥がさえずるより小さな声で言った。
その言葉に私も何も言えなくなって、しばし互いに無言の時間が続いた。
気まずい。
「……お前ら何してんだ?」
現れてくれた篠田が救世主に見えた。
十分前に届いた私のスマホに届いたメッセージ。望からのものだった。
『駅に着いた。奏と一緒』
望らしい、実にシンプルなメッセージだ。
手が震える。
駅からトゥーフェイスまでは歩いて十五分弱。もうすぐ到着してしまう。
ステージの真ん中で私はギターを抱えたまま、うずくまっていた。
「……」
指板の上に置いた左手が、目的のコードをなぞる。
間違えられない、そういうわけじゃない。けど、不安なものは不安だ。
私の思ったことはきちんと伝えられるのか、そういう風に考えてしまうから。
口下手な私だから、篠田がこのステージを貸してくれたのは、棚から牡丹餅だった。きっと、言葉にするより音にした方が私の伝えた一個とは届く気がするから。
「幸。不安そうだな」
私の隣に、今日は緩くかなり下の方で長い髪を一つに纏めた篠田が座った。
「そりゃ……はい」
「何が不安だ?」
「……ちゃんと、届くかな、とか」
でも、やっぱり不安だ。
言葉ですら、きちんと届かせられない私が、始めてから数か月のギターで何かを伝えられるのだろうか。
そういう不信感が、私の真ん中に居座り続けている。
私如きに、何かできるだろうか。
「……もしかしたら、失敗しちゃうんじゃないか、とか」
もし、届かなかったら。
私たちの演奏を聴いて、奏が納得しなかったら、今度こそペンディングはなくなってしまうかもしれない。
「……受け入れてくれたとしても、私の選んだやり方が正しくなかったら、とか」
仮に、奏に届いたとしても。
ペンディングがシューゲイザーをやって、有名になれなかったら。シューゲイザーに、私が救われなかったら。
全てが無駄足だったとしたら。間違いだったとしたら。
そうなったら、私は耐えられるだろうか。
「色々、考えちゃいます」
「そうか」
篠田は静かに頷いた。
そして、私と同じ高さの目線で、こちらを見つめる。
「幸。君はそのままで良いからな」
そう言うのだ。
てっきり、迷うなとか、自信を持てとか、そういう反応が返ってくるものだと思っていたから、少し面食らってしまう。
「そうやって、たくさん悩め。たくさん悩んで、たくさん間違えていけばいい」
「……間違えてもいいんですか」
私は、ついそう聞いてしまった。
「ああ。いくらでも間違えればいい。その度に立ち直ればいい。その度に周りに迷惑をかけていけばいい」
「……あんまり、迷惑をかけるのは良くないんじゃ」
「いいんだよ。だって君は」
篠田が、私の頭を少し乱暴に撫でる。
「まだ、17歳なんだから」
そう言った。
確かに、そう言った。
「……誕生日、言いましたっけ」
「いや、あてずっぽう」
「なんですかそれ」
つい、笑ってしまった。
適当だなぁって思ったから。
「私がこのライブハウスを作ったのだって、同じ理由だぞ」
私は首を傾げた。
「色んな人に音楽を好きになって欲しい」
ペンディングのライブを初めて見た日。
篠田はあの日も、私に音楽を好きになって欲しいと言っていたのを思い出す。
「でも、同時に。音楽を好きになった人が、今度は誰かに音楽の楽しさを届けられるようになって欲しい。上手いとか下手とかそういうんじゃないんだ」
篠田がステージ上から、まだ殺風景なライブハウスの中を見た。
「ここは小さい箱だから150人ちょっとしか入らないが、それでも十分だ。というか、人数は関係ない。一人だろうが二人だろうが、音楽はこんなに楽しいんだぞって、誰かに届けられるなら、何でもいいんだよ」
語る篠田は、照れ臭そうに頬を掻いた。こんな顔するんだな、と思った。
ここが満杯になったら。
たった一人がぽつんと立っていたら。
私は、誰に私の音楽を届ければいい?
「ほら、来たぞ」
ステージからはよく見えなかったが、入口の扉が開く音がした。
「んじゃ、見てるからな」
そう言って、篠田はステージから降りる。
「期待してるぞ」
階段を下りてきたのは、奏と望だった。
「……来たよ」
「……ようこそ?」
私は何と返すべきかに困った挙句に、変な返事をしてしまった。
客席の真ん中に立った奏は、ギターを持っていなかった。
「その、ごめん。この前は突然飛び出しちゃって」
奏は、私に向かって素直に頭を下げた。
私は突然すぎて、少し面食らう。
「あ、えと……」
「ごめんね。本当はきちんと、幸ちゃんの話を聞いてあげるべきだったと思ってる。幸ちゃんが初めて、ペンディングでやりたいことを見つけてくれたのに、それを無下にするような態度を取って、本当にごめん」
「あ、あの」
なんか、思ってた展開と違った。
もっと、奏は怒っているものだと思っていたから。
「あ、謝らないでください……」
私の声は、ステージ上のマイクを通して答えた。
想像以上に大きな音だったから、びっくりしてしまう。
「その、無茶言ったのは私ですし、そもそもきちんとした話し合いをしなかったのは私も同じなので……」
「いつまでうだうだやってるの」
いつの間にかステージ上にいた望が、私の背後から声をかけてくる。ベースも持っている。やる気満々だこの人。
「バンドマンなら音で伝えろ、でしょ?」
マイクをひったくった望がそう言った。
「そうっすそうっす!」
もうドラムセットの前の椅子に座った真白もコーラス用のマイクを使って同調した。
なんなんだ、この人たち。
「じゃ、聞いてなさい。バカ奏」
「うっさい、バカ望」
なんか、私を置いてこの二人が喧嘩してないか?
「ほら。馴れ合ってたって結論は出ないわよ、幸」
「なんで望はナチュラルに幸ちゃんのことを名前呼びしてるの! 私がいない間にどんだけ距離縮めてるの!」
頬を膨らませる奏。
なんか喧嘩の主題が変わっていないか?
「やるわよ」
望は奏を無視してそう言った。
それから望は、自分の定位置に戻って演奏の準備を始め、私の方を見る。
真白もスティックを持って掲げ、準備が終わったことを知らせてくれる。
二人と目が合って、いつでも大丈夫だと教えてくれている。
「じゃあ、その」
私は前に向き直って、奏の方を見てマイクを使って話し始める。
「これが、私なりの誠意、です。どうか、聞いてください」
そう言って、足元のエフェクターボード、そのリバーブのペダルを踏み込んだ。
ウォール・オブ・サウンド。
シューゲイザーの音で大切にされる大音量で幾重にも重なった音の奔流は、そう呼ばれるらしい。
単純に言えば、音の壁。
弦を弾いて、その振動をジャズマスターのシングルコイルピックアップが拾って、電気信号に代わった音が、リバーブが残響を付け足し、ディレイが幾重にも音を重ね、オーバードライブが歪ませ、ライブハウスの中を音で埋める。
大音量過ぎて、鼓膜が痛みそうだ。
そういう音。
単純な構成のミニマルなフレーズをギターで繰り返す。コードも演奏方法もシンプルな曲を選んだ。テンポもスローだ。速い曲が持て囃される今の時代には、あまりそぐわないかもしれない。
そういう曲。
望のベースの音も目立ちこそしないが強く歪んでいて、もしかすると建物自体も揺れているのではないかと錯覚するほどの重低音がする。真白も存分にシンバルをシンプルなエイトビートに合わせて叩いていて、なんだかちょっと楽しそうだ。
真白の力強いコーラスが、音の濁流に乗っかる。
音の奔流に交じって、甘くて細い声で望が歌う。
昨日の今日で、やる曲を決めてくれた上、練習までしてくれたのだ。感謝してもしきれない。
私の視界は、靴の方。
一に借りたワウペダルを踏んだり離したり。音を揺らして、また戻して。
何度も何度も反響しては戻ってくる音に、自分が希釈されていくようで。大きな波の中に呑まれていくようで。
でも、足りなかった。
奏の方をちらと見た。
真剣な顔で、私たちの演奏を眺めている。少し、不満げな顔で。
左右に振れた音が、大きな壁のようで、その真ん中に私は立っている。奏も、同じだと良いな。
それから、私はまた足元に視線を移した。
足りない。
オクターバーのペダルを踏み込む。
私の弾いた八度上の音が重なる。
ジャズマスターのトレモロアームを掴んで音を揺らす。
音が重なる。絹糸のような望の声が波の合間を示す。
音が重なる。望の鳴らしたベースの音を蹴飛ばすように、真白がバスドラムを蹴る。
音が重なる。コンマ数秒前の私がアンプから出てきて、私はそれを蹴散らすようにまた弦を弾く。
足らない。
シューゲイザーは、本来、四人以上の構成でやることが殆どだ。場合によっては五人になることもある。
音が足らない。
エフェクターとコードで誤魔化してはいるが、音圧が足りない。
シューゲイザーとしては、成立し得るかギリギリの音だ。いや、成立してないかもしれない。それくらい。
何が足りない?
私たちには何が足りない?
私はまた、視線を上げた。
曲は終盤。大音量の中、それでも足りないのは何だ。
ペンディングに足らないのは何だ。今の私たちに足りないのは何だ。
アウトロ。ごくごく短い、急流みたいな後奏。
もう一度顔を上げて、奏の方を見た。
今の私に、足りないものはなんだ。
最後のコードを弾く。Fmaj7の響きが、ライブハウス中に満ち満ちて、消えない。ずっと。
今の私に足りないのは、奏。貴女だ。
最後の音の余韻が、なかなか消えなかった。
十数秒が経っても、沈黙したままだったライブハウスの中、ともすれば耳鳴りがしているんじゃないかと錯覚してしまう。
残響が響いて、響いて、秒速340メートルの反響を繰り返していた。
「……まあ」
奏が沈黙を破ってようやく、余韻が消えてなくなった。
「うん、まあ、言いたいこと、というか。やりたいことは、分かったよ」
「……よかった」
私は肩の力を抜いた。
ジャズマスターのストラップがずり落ちて、慌ててネックを掴む。
随分、握り慣れたものだと思った。
「あれだね。シューゲイザーにしては音圧足りないね」
「そりゃ……三人しかいないですから」
私が言うと、奏はそっか、と頷いた。
「……楽しかった?」
奏がそう聞いてきた。
私は、その質問の意図を測りかねた。その質問にどう答えるのが、より良い結果になるかが分からなかった。
「はい。楽しい、です」
だから、迷わず答えた。
唇をきゅっと引き結んだ奏は、また静かに頷いた。
奏は何かを思案するように、握った右のこぶしを腰ほどの高さまで持ち上げて、また下ろして。
「で、どうするの」
その様子に耐え難かったらしい望が、痺れを切らして聴く。
それに少し驚いたように、顔を上げた奏が答える。
「……どうしたらいいかな」
いつもの調子で、頭をぽりぽりと掻きながら言った。
その様子に、望がわざとらしいほどに大きなため息を吐いた。
「奏が決めないと、このバンドの方針は決まんないわよ」
「そうっすよ」
望が言って、真白が同調した。
そして、二人が私の方を見る。
だから、私が言った。
「決めてください。奏さんは、このペンディングのリーダー、なんですから」
その言葉に、奏はしばし沈黙してから、今度はにへらと笑った。
「んー。責任取れないよ?」
「奏に責任を取ってもらうほど落ちぶれてない」
望が容赦なく言った。
へそを曲げた奏が望から目を逸らして、私の方を見る。
大丈夫なのかと、そう問うように。
「……大丈夫です。それに」
私は、次に言うべき言葉を探した。
色んな綺麗事が浮かんで、色んな激励が浮かんで、色んな言い訳が浮かんで。
そして、全部蹴飛ばして言う。
「それに、いつだってやり直せますから」
満面の笑みで、そう言ってやった。
機材席にいた篠田が笑ったのが見える。後ろにいる真白の笑い声も聞こえる。
それから、奏が苦笑いしながら言った。
「……そっか。そういう事にしとこうか」
