シューゲイザーズ

「……って感じかな。前にも言った通り、別に、ヤンキーがしたくてヤンキーしてたわけじゃない」
「でもあの頃の望センパイ、マジで怖かったっすよ……滅茶苦茶目つき悪かったんで」
「それは、ほら。そうでもしないと、必要以上に絡まれちゃうから」
 望は、淡々と中学時代の話をしてくれた。
 家が裕福だから、という理由で妙な絡まれ方をしたこと。それが不良グループに知れ渡って、カツアゲ被害に遭いかけたこと。それを返り討ちにしたらヤンキー呼ばわりされるようになったこと。唯一の友達が、奏であったこと。
「え、でも絡まれた時は普通にやり返してた上に勝ってるんですよね?」
「ええ、痛いのは嫌だもの」
 それは普通にヤンキーなのでは?
 私のそんな思いは、リンゴジュースと一緒に飲み込んだ。
「へえ……そんな話だったんすね」
「知らなかったの?」
「私が入学した時点で、望センパイは関わるとヤバい人って認識は固まってたんで……」
 真白が遠くの方を見ながら、しみじみと話した。
「だから、高校入ってバンドやり始めて、センパイと話して滅茶苦茶にびっくりしましたもん。こんな優しい人だとは思わなくて」
「まあ、その辺は奏のお陰ね。高校入学の時に、髪の毛のセットとか、メイクとか、全部教えてくれたから」
 綺麗なブルーブラックの髪の毛先を弄りながら、思い出すように望は言う。
 この人にとって、緑木奏という人間は。
「……あの、望さんにとって、奏さんって……」
 私の口からは、考える間もなく言葉が零れていた。
 望は、しばらく考えるような素振りを見せる。頭を捻り、両手を組み替え、腕を組み、また解いて、しばし落ち着かない様子だった望は、ようやく結論が出たのか、ふう、と息を吐いてから口を開く。
「……友達よ。唯一無二のね」
 そう言った。
 唯一無二の友達。
「なら……どうして、私の方(・)に」
 良い聞き方が思いつかなかった。
 数年来の唯一無二の友達なら、どうして出会って数か月のぽっと出の私の話を聞いて、知りもしないジャンルを提案した私なんかの思い付きに賛同して、どうしてその唯一無二の友達を裏切るような真似をしたのか。
 人間関係の希薄な人生を送ってきた私には、どうにも想像がつかなかった。
「……なんか勘違いしてるわね」
 ホットコーヒーを一口啜った望は言う。
「私は奏を裏切ってない。ずっと裏切ってたのはあっちよ」
 驚いた。望の口からそんな言葉が出るとは。
 隣にいた真白も驚いたようで、メロンソーダのグラスに浮いたソフトクリームを崩すスプーンの手が止まる。
「奏が作曲してるって話は聞いたでしょ?」
「は、はい」
 この前の、文化祭ステージ本番前に聞いた事実だ。
 そういえば、後で聞かせて欲しいと約束をしたはずで、それは履行されないまま私は。
 胸の奥がツキンと痛む。
「奏はね、音楽で食っていこうとしてるのよ」
 なんでもないことのように、望は言った。
「それは……また、奏さんらしいというか」
「ロックやる人なら誰でも、一度は夢見ることっすよ」
 望は静かにかぶりを振った。
「本気よ。人生丸ごと投げ打つつもり」
「そりゃ……」
「真白、あなたが考える数倍は、奏はロックに本気。でも、悪いけどあなたのように純粋な気持ちじゃない」
 両手を組んで頭に乗せながら、背もたれに寄りかかった真白に、望はコーヒーカップを持ちながら真剣な表情で言った。
 ソーサーに戻す気配はない。
「ロックが好きだから、じゃない。もちろん、それもあるでしょうけど、実際にはね」
 望の視線は、コーヒーカップの中の黒い水面に向いている。
「奏は、別に頭が良いわけじゃない。誇れるような技術や能力がある訳でもない。だから、ロックバンド『pending』で売れようとしてる」
 ロックバンドでデビューして、売れて、しかもそれで食っていく。
 どれだけ現実的で、どれだけ非現実的な話だろうか。画面の向こうにはいつだって、売れているバンドや売れているアーティストがいる。
 実際には、画面の向こう側には見えないだけで、夢追い人たちの屍が山のように積み上がっているだろうに。
「奏が王道系のオルタナロックの曲をやりたがるのも、そこよ。ライブでは売れ線のバンド曲をカバーして、貴方たちは聞いたことがないと思うけど、奏が自分で作るのも商業的に成功しやすいジャンルを選んでる。あのリサーチ力が普段から発揮できれば、成績もいいだろうに」
 信じられないという気持ちと、納得した気持ちが半々だった。
 ロック狂いとの前評判に対し、妙に下調べが入念だったり、流行りモノばかり演奏したり。世間の言うロック狂というのは、言い方を選ばなければ、こだわりが強くて売れているものに対してそう易々と飛びつくものではない、どちらかといえば文句を垂れる方……だと思っていたから。
「あー、だからシューゲイザーが嫌だったんすね」
「というと?」
「シューゲイザーはロックのジャンルとしてはかなり下火。80年代末期に登場しましたけど、90年代の半ばにはブリットポップの影に隠れちゃったっすからね。最近になって再評価され始めてはいますけど、日本じゃまだまだマイナージャンルっすよ。売れない、とは言えないっすけど売れづらいってのが正直なとこっすかね」
 真白が淡々と語った。
 マイナージャンルの壁。メジャーデビュー、とは言わなくともインディーズとしても茨の道になることは違いない。
 しかし。
「……その、それを教えてもらった上で二人はペンディングに?」
 真白は首を横に振った。望も同じだ。
「言ったでしょ、裏切ってたのは奏だって。あいつはね、ロック狂いって周囲の評価を自分の免罪符にして、私や真白をバンドに入れたの。私は友達が欲しいだけだからあまり気にしなかったし、真白に関してはロックが出来てさえいればいいって感じだったし」
「その通りっすけど、なんか言葉に棘がありません?」
 望が語った奏の姿。それは多分、私に対しても同じだったのだろう。
 ロックが好きなら、ロックに狂っているなら、ロックに人生を捧げていると嘯けば。自分の後先考えない行動も、実現可能性の低い夢も、ある種の正当性を得ることができるから。
 そういう免罪符を振りかざして、私にも接して、ギターを握らせて。
 緑木奏とは、そういう人間らしい。
「……でも」
 本当に?
「……それでも、友達、なんですよね」
 望にとって、奏は、私と同じように。自惚れかな。
「……そうね」
 ようやく、望はコーヒーカップをソーサーに戻す。
 だが、その視線がコーヒーから移ることは無かった。
 黒い水面には、何が映っているのだろうか。
「裏切られてたとしても、私にとっては辛い時期を隣にいてくれた子だから。友達が欲しい、なんてバカみたいな願望を大真面目に聴いてくれたのは、奏以外にはそうそういなかったしね。今となっては真白や幸がいるけど」
 そう言った望が細めた目には、何が映っているのだろうか。
 私は知らない。
「じゃあ、なんで」
 だから、聞かなければならない。
 私は、望の友達として。そう言ってくれるなら、聞かなければならない。
 そう思ったから。
「……なんで、私のやることに反対しないんですか……」
 望が顔を上げた。
 そして、至極、不思議そうな顔で語る。
「幸の方が、自分のやりたいことに正直だからよ。私は、そっちの方が価値があるって思う」
 望は当然のように言った。
「でも、それなら奏さんだって……」
「奏はロックを逃げ道にしてるだけ。幸とは根本的に違うわよ」
「逃げ道?」
「上手くいかなくても、才能がないって言い訳が立つでしょ」
「なるほど……?」
 正直、望が奏をここまでこき下ろしている理由は、なんとなくしか分からない。
 私にとってはやはり、望の語る奏の姿にいまいちピンと来てないというのもあるからだ。
 でも、それ以上に。
「さて」
 望が両手を合わせる。
「私はちゃんと話したわよ。ここからどうするかは、幸、あなた次第よ」
「そっすね。今の話を聞いて、幸さんがどうするかっすよ」
「一応聞くけど、真白はどうなのよ」
「私はロックが出来れば何でもいいっすから」
「筋金入りね……」
 呆れたように望が言った。
「んで、どうするんすか」
 真白が、こちらを向いて言う。
 私は、しばし考えた。
 望の語った奏の姿。私の見ていた奏の姿。
 どれが正しいのだろうか。いや、多分、正しいとか正しくないとか、そういうのは無いのだろう。
 ここまで来ると真白の思う奏のことも聞きたいが、この人は多分、ロックが第一でロックに関わるなら気にするだろうが、それ以外のことで他人のこととかあんまり見てないと思う。
「……なんか失礼なこと考えてません?」
 隣の真白が言った。私は答えなかった。
 きっと、全部が真実なのだ。
 どれが間違ってるとか、どれが正しいとか、そういうことじゃない。全部がロック狂いの奏で、全部がステージの上の奏で、全部がペンディングのギタリストの奏で、全部が高校三年生の奏で、全部が緑木奏と言う人間なのだ。
 多分、それは私や、望や、真白であっても。
 私の知る望は、奏や真白、ライブを見た観客、篠田、その他の誰かにとっての望とも別物だ。真白でも、私でも、全部同じだ。
 でも、望や真白と、奏や私が決定的に違うのは。
「……私は」
 きっと、その違いに耐えられないことだ。
 他人が与えた自分の姿と、自分が与えた自分の姿の間。その摩擦に耐えられないのだ。弦の上を滑らせる指が痛むように。
 だから、多分。
 おこがましいとは思うけど。
「……私は、それでも」
 きっと、私と奏は同じなのだ。
 現実から逃げ出したくて、誰かに期待されるのが苦手で、言い訳ばかり必死に追い求めて、音楽に縋って、俯きながら足元ばかり眺めて生きるのに、そのくせ寂しがり屋な。
 ともすれば、私が知らないだけで、望や真白も、篠田も、誰も彼もが。
「……ペンディングで、シューゲイザーがしたいです」 
 そういう、未完成で等身大な、シューゲイザーズ(靴を眺める人たち)なのだ。
 ……多分。
「それで、いいのね?」
 望がそう聞くから、私は頷いた。
 それから、望と真白は満足したように顔を見合わせて、それから気の抜けたような表情で笑う。
「良かったっすね」
「無駄に緊張したわ……」
 私は何度か瞬きしながら、望がため息を吐くのを眺めていた。
 真白はというと、もう炭酸が抜けきってしまったメロンソーダをストローで啜って、それから口を開く。
「んじゃ、後は奏センパイをどうするかっすね……」
「そうね」
「あ、あの……!」
 望と真白がこちらを、不思議そうに見てくる。
 私は自分のバッグを漁って、底の方に眠っているであろう金属の感触を探る。
「その、さっきスタジオを出るときにオーナーさんに預けられたんですけど……」
 言いながら見つけた小さな金属を、二人に見せる。
 手の中にあったのは、小さな鍵だ。
「……どこの鍵なの?」
 首を傾げる望と真白。
「その……トゥーフェイスの地下に出来るライブハウスの鍵らしいんですけど……」
「はぁ?」
 真白が眉根を寄せる。
「あの、オーナーさんが奏さんと話し合う気になったなら、工事は全部終わってるからライブハウスを使っていいって……」
「……どゆこと?」
「話し合うだけならライブハウスじゃなくてもいいんじゃ」
 望と真白の言う事はごもっともである。
 私もそう思っているが、篠田が私に語ったのはもっと……こう、アバンギャルドな感じだ。
「その、オーナーさん曰く、『バンドマンなら、言葉より音の方が伝わることもある』だそうで……」
 望と真白が、一気に白けた、というか呆れた顔になる。
「オーナーって、一番ロックンローラーっていうか、たまに凄い思想強いわよね……」
「いや、いつもそうっすよ。あの人は隠すのが上手いだけで」
 思わず苦笑いが漏れる。
 気づいていなかったが、思い返せば確かにそのきらいはあった。
「まあ、オーナーがそう言うならそういう事にしましょうか」
「望センパイって、オーナーさんに甘いっすよね……」
 呆れる真白。
 そんな彼女を置いて、奏はスマホを懐から取り出す。
「じゃ、奏には連絡しておくから」
「え?」
「何よ」
「連絡取れるんですか……?」
「取れるから連絡するんでしょ。別にメッセージアプリはブロックされてないし、最悪、奏の家に直接乗り込めばいい」
「えぇ……」
 ここ数日、奏から連絡が来ることは一度もなかった。個別のメッセージでも、バンドのグループでも。
 勝手に、もう連絡手段の全ては潰えたものかと思っていた。しかしまさか、ブロックしてないとは。
 だが、望も望だ。
 誰が見ても疑いようなく、喧嘩中であるというのに。この図太さは、奏と長く過ごしていれば手に入れられるのだろうか。羨ましいような、羨ましくないような……いや、あんまり羨ましくない。
「明日でいいわよね」
「え!?」
「善は急げって言うでしょ。あと、あんまり引き延ばしてライブハウスを使う日が後になったらオーナーに迷惑がかかるでしょ」
「それはまあ……確かにそうですけど……」
 私が慌てふためいている中、真白は興味なさげに、メロンソーダの残りをストローで啜った。
「じゃあ、明日の放課後にトゥーフェイスで。奏は私が首根っこ掴んででも連れてくるから安心して」
 いったい、どこに安心すればいいのだ。変なところで元ヤン根性を発揮しないで欲しい。
「じゃあ今日はお開きっすね」
「そうしましょ」
「あえ、え!? その、あ……」
 真白も奏も、当然のように帰り支度を始めている。
 お願いだ、置いてかないで欲しい。
「じゃ、明日は期待してますよ、幸さん」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
 ニコッと笑ってスクールバッグを肩にかけた真白。
 伝票を持って当然のように会計を済ませようとする望。
 私は立ち上がって、二人を可能な限り、そして常識的な範囲内の大きな声で呼び止める。
「あの……ありがとうございました」
 それから、私は深々と頭を下げた。
 元はといえば、私と奏の問題だったのだ。それなのに、こんなに手助けをされてしまったから。
「絶対、とは正直、言えないんですけど、仲直り……って言うんですかね、ともかく、この諍いはちゃんと明日、決着つけます」
 視界の先の靴は、滲んで見えた。
「勇気をくれて、ありがとうございます」
 私は、胸いっぱいのあらん限りの感謝を込めて、そう言った。
 そして、真白の笑い声が鼓膜を揺らす。
「お礼なんていいんすよ」
「そうね」
 顔を上げると、真白も望も笑っていた。すごく優しい顔で。
 一つ、ため息を吐いてから望は言う。
「私たちは、仲間(ともだち)、でしょ?」
「バンドの問題っすから、バンドの皆で解決するのが当たり前っすよ」
 それだけ言って、今度こそ二人はレジの方へ行ってしまった。
 私は、急いで帰り支度を整えて二人の後を追う。鼻をすすって、目尻を拭いながら。