シューゲイザーズ

「えっと、これはどういう状況?」
 緑木奏は困惑した声で、ペンディングのベースボーカル、石上望に問う。
「分かんない。私が来た時から足立さんはこうだった」
「自分も分かんないです。望センパイの後に来たので」
 望の隣にいた真白もそう答えた。
 いつもの貸しスタジオ、トゥーフェイス。オーナーが好意でペンディングの為に押さえてくれている防音室の端っこの方で、私はうずくまっていた。
 いや、正確には、ただうずくまっている訳ではない。
「だからって、その……四日ぶりに会った幸ちゃんが土下座してる理由とかについては、誰も聞かなかったわけ?」
 そう。
 土下座しているのである。
 私は土下座をしている。人生で土下座をするタイミングが結構短いスパンで二度も来るとは思わなかった。
「実は望が土下座を強要したとか」
「違うわよ」
「実はお腹が痛いだけとか」
「さっき聞いたらそういう事じゃないらしいっす」
 奏が一通り、思い当たる理由を望や真白に確認し、あてが外れたことに肩をすくめた。
「……その」
 私は、ようやくそこで口を開いた。
「とりあえず、この三日間、一切連絡を返せてなくて申し訳ありませんでした……」
「ああ、そういう……」
 奏が妙に納得したような声で頷いた。
 私が家に引き篭もっていた三日間。私のスマホは充電切れのまま通学用バッグの中に放置されていたばかりに、メンバーから届く心配のメッセージについて、返信どころか気づくことすらなかった。
「ご心配をおかけしまして……」
「まあ、元気ならいいのよ。私たちもそこまで積極的にアクションを取った訳じゃなったし」
 望がいつも通り、気怠そうな調子でそう言ってくれる。
「と、とりあえず顔を上げてくれないっすか……?」
 真白がそう言って、地べたにくっついた私の上半身を持ち上げる。
 顔を上げてみると、そこにはいつもと変わらない三人がいた。真白は心配そうに私の顔をまじまじと見つめているし、望は足を組んでスチールチェアにいつも通り座っているし、奏は防音扉の前で不思議そうにこちらを眺めている。
「……ちょっと痩せましたね」
 奥歯を噛み締めるような、今にも泣きだしそうな悲壮な顔で真白がそう言った。
 優しい人だ。
「あの、ご迷惑でなければ、なんですけど……」
 気のせいでなければ、私を取り巻く三人の間に緊張が走った。
 私は、今から酷いワガママを言う。それを察されたのだろうか。
 正直、今すぐそこの建付けの悪い窓から放り出されても文句は言えないと思っている。私一人なら通れる隙間だろうし、真白の筋力なら私の事なんて投げ飛ばせてしまいそうだし。
「私を、その」
 ここまで散々に迷惑をかけていながら、どの口で、と自分では思っている。
 でももし、この人たちが良いと言ってくれるなら。
「このペンディングにまだ、いさせてくれないでしょうか……」
 真白も、奏も、望さえも、両目を大きく開いて黙ってしまった。
 ああ、ダメか。そりゃそうだ。こんなに迷惑をかけたのだから、私がこのバンドにいて良い道理がない。
 それから数瞬して、三人は同時にため息を吐いた。
「良かったぁ……」
「何を言うかと思えば」
「心配したっすよ……」
 三人が口々に呟いた。
 奏が私に歩み寄って、それから話し始める。
「私たちは、幸ちゃんにこのバンドに残って欲しいって思ってるよ。安心して」
 優しく笑う奏の言葉に実感は湧かなかったけど、私のワガママは一つ、優しいこの人たちが受け入れてくれたらしかった。
 私は、甘えてばっかりだ。
「ていうか、こっちこそ幸ちゃんが辞めちゃうんじゃないかーって心配してたんだよ。特に望が」
「ちょっ、言わなくていいのよ」
 奏が指差した望が、ぷいと明後日の方向を見た。その耳が赤くなっているのを私は見逃さなかった。
「そわそわして練習にも身が入ってなかったすよね」
「真白?」
 ゆっくりと真白の方を見た望の表情は、見たことがないほどに完璧で屈託のない笑顔だった。
 美人のこういう笑顔が一番怖い。
 真白の背筋が伸びて、望とかち合っていた視線を外した。
「まあ、ともかく。四日いなかった程度で切れる縁じゃないわよ、私たちはね」
 望が立ち上がりながらそう言った。
 私はどうにも釈然としない、というか納得し難いが望が言うならそうなのだろう。私には分からないが、もしかすると人間関係というやつはそう言う事なのかもしれない。この先、分かるようになる時が来ると嬉しいのだが。
「じゃあ、次の目標を決めましょ」
「そうしよ!」
 望の言葉に奏が飛びついた。
「あれ、幸さん。エフェクターボードの構成替えたんですか」
「あぇ」
 我関せず、実に自由な真白は私が厚顔無恥にも持ってきたギターケースの横に置いた、半開きのハードケースの中身を覗いて言った。
「は、はい。あ、その、その件なんですけど……」
 私はまた頭を下げて、額を防音室のちょっと柔らかい床に擦りつける。
「また幸ちゃんが土下座してる!」
「今度は何……」
 奏と望が声をあげる。
 特に望は、もうかなりだいぶうんざりしたような様子だ。いやまあ、私が悪いのだが。
「その……もう、本当にワガママばっかりで申し訳ないんですけど……」
「いいよ、教えて? 幸ちゃんだってペンディングの一員だし」
 奏が優しく諭すように私に話しかける。
 私は、顔を上げなかった。
「あの、今後の目標、なんですけど。ペンディングで、その」
 その言葉がどれだけの意味を持つのか、それを私は測りかねていた。後になって自覚したし、すごく後悔した。
 もしもを考えるのは好きではないけれど、そう思ってしまう。
「シューゲイザーを、やらせていただけませんか……」
 私は、そう言ってしまったのだ。
「シューゲイザー?」
「ああ、マイブラとかの……よく知ってますね」
 望が首を傾げ、真白が納得したように頷く。
 私はきちんとした説明をしようと頭を上げた。好意的、とまでは言い難いが話くらいは聞いてやろうという感じはあったからだ。
「……なんで?」
 たった一人、奏だけを除いて。
 私の肩が跳ねた。顔を上げた先にあった奏の表情は真剣そのもので、その声色には明らかに怒りが滲んでいた。
「なんで、幸ちゃんはシューゲイザーをやりたいの?」
 言葉選びこそ柔らかい。それが、余計に恐ろしかった。
 奏の表情は笑顔ではなかった。いつものような軽薄さもなかった。
 私の知らない奏がいる。無茶苦茶なことを言っているのは確かに私の方だし、怒るのも当然だとも思っている。
 だが。
「私は……その」
 今までの私だったら、何と答えただろうか。
 多分、ただの冗談だと言ってなかったことにしただろう。そう思う。
「……過去を」
 それを知った上で、私は続ける。
 このバンドは、奏が集めたものだと聞いている。だから奏がリーダーだし、奏がメンバーの中心に居る。
 どれだけ直情的だろうと、どれだけ考えなしだろうと、どれだけ突拍子の無い人間だろうと、どれだけ変人だろうと、バンドのリーダーであることに違いはない。
 だから、私の発言があまりに配慮に書いた身の程知らずなものかを、私は知っている。
 だから、ワガママなのだ。
 だけど、私は。
 それでも、私は。
「私の過去を、自分で否定したくなかったので」
 面食らったような奏の顔。
 それは瞬きの間にまた、先ほどまでと同じ表情に変わってしまった。
 だが、心なしか、別の色が滲んだようで。
「幸ちゃんは、私がこのバンドをどういう思いで集めたかわかる?」
 奏の言葉が重くのしかかる。
「……わかんないです。でも、私はシューゲイザーがやりたいと、思ったんです」
 実に配慮に欠いた発言だ。
 だったら一人でやればいい。
 自分でメンバーを集めればいい。
 そういう言葉が心の中のもう一人の私が叫んでいる。
 実際そうだ。私は、私が自力で掴んだわけでもない環境を自分の物のように扱おうとしている。
 私は、この環境に甘えているのだ。
「っ……いい加減に……!」
 明確に怒りに歪んだ奏の表情。感情に任せて、奏が右手を振り上げて一歩踏み出す。
 殴られるならそれでいい。私は抵抗しない。だって、悪いのは私だから。
「奏。やめなさい」
 それを望が制止した。
 奏の振り上げられた右手を掴んだ望が、冷めた目で奏を、次に私の方を見て、それからもう一度、奏に視線を合わせた。
「……確かに、足立さんは滅茶苦茶なことを言ってる」
 静かに正論を展開する望。
 それなら、止めてくれなくても良かった。
「でもね」
 望が、奏の右手を掴んだまま言葉を繋げる。
「私は、奏のやり方が正しいとは思えない」
 望の言葉に、奏の視線が望の方に向く。
 それから、望が掴んだ手を力任せに振り解いた。
「……なんでよ」
 一歩、後退った奏。視線が落ち込んで、床の方へと向いていた。
 それを気にも留めず、望は奏の方を見て言い放つ。
「奏について行くよりも、足立さんについて行く方が、私にとっては価値があるからよ」
 私は耳を疑う。
 奏は顔を上げて、望の方を睨んだ。その眼は僅かに潤んでいる。
「そんなこと……!」
「ただの事実よ。少なくとも、私にとってはね」
 奏は口を開いて、そして何も言わずにまた閉じる。そして、踵を返して走って防音室の扉を開けて出て行ってしまった。
「ちょっ、奏センパイ!」
 真白が後を追う。望も、興味なさげにゆっくりと歩いて防音室を出て行く。
 私は、楽器だけが残された防音室に一人、取り残されてしまった。

 孤独というのは、こんなにも辛かっただろうか。
 トゥーフェイスの防音室で揉めた、その翌日。私は、またいつも通りに登校を再開していた。
 相変わらず、授業の内容はギリギリ分からないし、誰かと仲睦まじくお喋りすることもなかったし、イヤホンも手放せなかった。そういう、いつも通りの日常だ。
 私が3日休んだ程度で、何か変わるわけではなかった。それに、妙に安心してしまう自分がいる。
 だが。
「そんでさ、そん時の彼女がさ」
「へえ。それは初耳だわ」
 日暮れ。
 勾配の急な坂の十メートルくらい先を歩く、下校中のサッカー部と思しき男子たち。
 つまらない話を続けている。下ネタか自慢話しかない話題のレパートリーに、直接話を聞かされている訳でもないのにうんざりさせられる。
 視線は足元だった。
 でも、イヤホンをつける気にはなれなかった。
 私の背後から、私の名前を呼ぶ声が聞こえなくなってしまうかもしれないから。私の肩を無遠慮に叩いて、望んでもいないロックの話をする声を、聴き逃してしまうかもしれないから。
 でも、その日は誰も、私に声をかけなかった。
 学校から一番近い駅についても、電車に乗っても、降りても、自宅から一番近い最寄り駅についても、ロータリーを歩いても、大通りに出ても、誰も。
 夕暮れ時の空は、茜色に染まって、夏は終わったのだと主張しているようで。
 それでも、誰もいなかった。
 それからしばらく歩いて、トゥーフェイスの横を通り過ぎようとしたとき。
 私は、ふと立ち止まって、いつもの防音室の窓を見上げる。
 数秒ほど待った。
 ギターの音は鳴っていなかった。
 靴も降って来なかった。
 アーミー・レーションの曲はどこからも聞こえなかった。
 孤独が私の両足を襲って、いたたまれなくなって、足早に私はそこを後にする。
 孤独というのは、こんなにも辛かっただろうか。
 ギターと出会う前の私は、こんなにも孤独だっただろうか。