「ジョーセンブラザーズです! 盛り上がってますかー!」
歓声が上がる。
文化祭二日目。薄曇りの空、お昼の休みを越えて、ついに午後のステージが始まった。私たちペンディングは今、体育館の二階、普段なら卓球台が広げてある場所からステージを眺めている。
「うひゃー、盛り上がってるねぇ」
能天気に、奏が落下防止の作から身を乗り出して、ステージでやっているバンドを見ながら言った。
「曲も、シンプルにトレンドの曲って感じで良いっすね。王道な感じ」
奏の隣にいる真白も、同じようにステージを見ながら言った。
「場川祭ってこんな感じなのね。場川東とは大違い。体育館も結構広いし」
二人の後ろで楽譜を見ていた望が言う。
自由に重きを置く場川高校に対し、真白と望の通う場川東高校は偏差値が少し高めな代わりにかなりお堅い学校として有名だ。他校の文化祭を見ることもなかなか無いだろうから、確かに物珍しいかもしれない。
「ペンディングの出番まであとどのくらいっすか?」
「あと3つ先だから、だいたい20分後っすかね」
「じゃあ、それまでに……」
奏と真白が同時に振り向いた。
視線の先にあるのは、望の背中で怯える私の姿だ。
「緊張を解いてもらわないとねぇ……」
「そろそろ落ち着かないっすか?」
「むむむむ、む、無理無理無理です!」
小刻みに首を横に振る。
なんでこんなに人が居るんだ。普通に200人以上いるんじゃないか?
「まあ、幸ちゃんはこれが初ライブだしねぇ……」
「お金払って来てもらってるってプレッシャーがない分、マシな初ライブとも言えるっすけどね」
「二人とも、足立さんを怖がらせないの」
望が、背中に引っ付いている私の頭を器用に撫でて落ち着かせてくれる。良い人。
「大丈夫だよ、幸ちゃん。私も初ライブの時は結構緊張したし」
「そっすよ。奏センパイですらこれなんですから」
「これ!? 真白ちゃんまで……」
いろいろと慰めてはくれるが、私の手の震えは止まらない。多分、このまま立ち上がったら生まれたての子鹿よりもプルプルしている自信がある。
「何でも初めては緊張するよねぇ……私も、未だに新曲をネットに上げるときは緊張しちゃうし」
「えっ?」
びっくりして顔を上げた。
「え、作曲してるってことですか?」
「あれ、教えてなかったっけ?」
「はい」
奏が驚いたような顔をする。私の方が驚きたいのだが。
「私も初耳っすけど」
真白が口を挟んだ。
望が呆れたような顔をする。
「奏?」
「あれぇ……?」
並々ならぬ望の圧を感じる。
目を逸らした奏。その場にいる三人の視線が奏に集まった。
「えっとぉ……作曲してます、いつかペンディングでやれたらいいなぁって……」
「そういう大事なことは早めに言ってくれやしませんっすかね」
真白の笑顔が怖い。
先程までけろりとしていた奏の額が冷や汗で光る。
「腐ってもリーダーっすよ、奏さんは」
「まだ腐ってないよ!」
真白と私が首を傾げた。
ぷっくり膨らんでいた奏の頬が、さらに膨れ上がる。
「……今度聞かせてください。そしたら許してあげます」
「お、いいっすねそれ」
「えぇ……そんなに聞きたいの……?」
私の提案に真白が同意して、奏が露骨に嫌そうな顔をする。
「そりゃ、ペンディングの曲になるかもしれないですから」
「……そっかぁ」
奏が納得した、というより観念したような顔で頷く。
それから、皆で少し笑った。さっきまであったはずの震えも、緊張も、心なしかどこか和らいでいて、さっきまで夢みたいに見えていた文化祭の熱狂が少し、自分事のように見えてくる。
いや、やっぱり、ちょっと怖いかもしれない。
「まあ、幸さん」
私の顔をじっと見た真白が、話しかけてくる。
「緊張してもいいっす。間違えてもいいっす。でも何より」
すごく真面目な顔だ。いつかのカラオケの時みたいに。
「音楽って、音を楽しむって書くでしょ? 楽しみましょうよ、音楽を。ロックを!」
真白はそう言った。
ふと、望や奏を見てみても、皆が優しい笑顔で頷いていた。不思議なもので、怖いと思う気持ちは消えなかったが、この人たちとなら大丈夫だと思った。理由は無いけれど、そうだって思えたから、何でもいい気がした。
腕を組んで力強く頷いていた奏が、右の親指を立てた。
「ロックだね!」
「ロックっす!」
「そうね」
珍しく、望がそれに同意した。
それから、皆で笑って、私は立ち上がった。
「ペンディングさーん! 準備お願いします」
「はーい!」
係の人が私たちを呼んだ。
奏が元気に返事をして、いの一番に駆け出す。一歩遅れて真白も小走りで、それを少し呆れ気味に望が歩いて追いかけて、その最後に私がついていった。
「次に幕が下りたら、そのまま入ってセッティングを始めてください。合図をくれたら開けますけど、時間が押してるので早めにお願いします」
「わかりました。合図は誰に?」
「合図は舞台袖に先生が立っているので、そちらに何かしら分かりやすい合図を──」
舞台袖。
明るいステージの真横、ほとんど真っ暗なその空間で、実行委員の生徒から望と真白が話を聞いている。この手の話は一番しっかりしている望と真白が適任だからだ。
「ねね、幸ちゃん」
そんな二人を眺めていた私に、隣にいた奏が小声で話しかけてくる。
「な、なんですか」
「あのね。幸ちゃんには話してなかったことがもう一つだけあってさ」
「は、はい」
奏の言葉に少し身構えた。
このタイミングで何かやらかしたのだろうか。
「私の夢、話したことなかったよね」
少し、拍子抜けしてしまった。
「な、なぜこのタイミングで?」
「まあまあ」
まあまあってなんだ。
「それでね、私の夢がさ。ロックスターになる事なんだよね」
「ロックスター?」
また、随分と古典的だなと思った。
ある意味、奏らしいとも思うけれど。
「そう。歴史に残るロックスターになりたいの」
「な、なんか理由とかはあるんですか」
「んー、ロックが好きだから、以上の理由はないかな」
なんと身も蓋もない。
「でもね、私、もう一個夢が出来たんだ」
「なんですか」
「それはね」
一呼吸、間があった。私の、少し落ちてしまった視線を拾い上げるように、奏は少し屈んで上目遣いで私の目を見る。
「このペンディングを、最高のロックバンドにすること!」
にっこりと、歯を見せて笑った。
暗闇のはずなのに、どこか眩しく見えて。
「……それって」
「ほら、もうすぐ終わるわよ。準備して」
望が私たちを呼んだ。
奏は、さっと私の前に踏み出して、私が言おうとしたことを遮ってしまう。
「ほら、円陣組も! 幸ちゃんも!」
さっと空中に右手を出した奏。
円形に並んだ私たちは、まず望が手を重ね、次いで真白が、最後に私が右手を重ねた。
「頑張るぞー! そして、楽しもう!」
「うん」
「おー!」
「お、おー……!」
それぞれが、それぞれの方法で気合を入れ直す。
どうなるかな。失敗しちゃうかな。分からないけど、やってみるしかないことは分かる。
「ペンディングさん、本番でーす!」
「やるぞー!」
そして、奏が真っ先にギターと共にステージへと躍り出た。
私も負けじと、舞台袖に持ってきていたギターとエフェクターボードの入ったケースを持ってステージ上へ。
定位置に着いたらケースを開いて、すごく小ぶりな金属製のボードに色とりどりのエフェクターが乗った、この日の為にセッティングしたものだ。歴の短さから来る下手さはこれでカバーする。アンプの電源がオフになってるのを確認してからギターにシールドを、ボードの裏面に貼り付けられたパワーサプライにACケーブルを、ギターやアンプから伸びるシールドをエフェクターボードの機材にそれぞれ挿して、アンプの電源をオンにした。
それから立ち上がって、ギターのストラップを調整してチューナーのペダルを踏んだ。弦を一つずつ鳴らしていって、チューニングがズレていないことを確認してからチューナーのペダルをもう一度踏んで音が出るようにする。
背後からスネアドラムの音がした。振り返ってみれば、真白が何やら小さな工具でスネアドラムの音を調整している。満足したらしい真白が椅子の位置をズラして、シンバルなんかの位置を好みに合わせた。それから、ドラムセットの隙間を縫うように伸びたマイクスタンドの位置を自分の口元に来るように調整する。コーラスは真白の仕事だ。
「あ、あー。んん。あー!」
ステージど真ん中に立った望は、ベースのチューニングが終わったのか、今度はマイクに乗せずに深呼吸をしてから声を出した。私はギターを鳴らすのに手いっぱいなのに、望はベースを鳴らしながら歌うのだから器用なものだ。足元にあるエフェクターは歪み一個だけ。
最後に、ステージの観客側から見て一番左にいる奏の方を見た。
既にセッティングを終えたらしい奏は、私のエフェクターボードよりも少し大きいボードを眺めて、次いでMC用のマイクを見て、それから私たちの方を一瞥する。
準備はいいかと、そう聞くようで。
望も真白も、そして私も、黙って頷いた。
「よし!」
笑顔で頷き返した奏。
そして、幕が上がる。
観客がたくさん。期待している目だ。現実味がない。足元が雲になったようだ。地面はどこだ。深呼吸しろ。よく見ろ。
今、私の左手は何を触ってる?
ギターだ。
「こんにちは! ペンディングです!」
奏のバカでかい声が体育館中に満ちて響いた。
エフェクターボードの方を見る。体育館履きで、最初に演奏する曲で使うオーバードライブのペダルを踏んで、きちんと電源が入っているのを確認してからもう一度踏んだ。
「リーダーのロック狂いの緑木です!」
自分で言うのか。
体育館の色んな所で笑い声が起きる。少し肩の力が抜ける。
「今日は皆さんに、ロックの良さを知ってもらおうと思います!」
最初のフレーズを思い出せ。
やることはいつもの合わせ練習と一緒だ。
「そのために、皆さんも知ってるであろう曲、練習してきました! 早速、一曲目いっちゃいます!」
喉が渇いた。
緊張しすぎで呼吸が浅いのも分かる。視界がぐるぐる回る。
「四月に映画の主題歌で話題になった曲で。皆で盛り上がっていきましょー! ラッドチキンの『フォーエバー』!」
真白がスティック同士を叩き合わせて響く、聴き慣れた4カウントが私の緊張をほんの少し溶かした。
クリーントーンのギターソロで始まるこの曲。派手な始まりじゃない。ルーパーで短いフレーズをズラして重ねる奏法だ。そこにベースの低音が重なる。長く響いて消えかけたところにもう一度、低音が重なって、それから。
私の出番だ。
12フレットの4弦を鳴らす。一拍置いて、それからクリーントーンのままコードを重ねる。ミスは目立つから許されない。
そして、ブレイク。
コンマ数秒の静寂の中、望が息を吸い込む音だけが響いて。
ようやく、望のボーカルと真白のドラムが重なって、ようやく曲が走り出す。
──あの頃の僕らはいつだって。
望の甘くも芯のある歌声が、最初のワンフレーズだけ歌って。
それから、足元のエフェクターボード、その右下辺りに置かれた黄色のオーバードライブを踏み込んで、パワーコードをかき鳴らす。
重なる真白のドラムを道標に、記憶の中の音と左手の形を頼りに、あとはどうとでもなれって思って。
余計な弦を鳴らすな。リズムを乱すな。正しく楽譜をなぞれ。足手まといにだけは。
「姉ちゃん!」
声のした方向を見た。
わざわざスタンバっていたのか。ステージから一番近い、しかも私から一番近い場所でスマホのカメラを構えながら、一が私のことを見つめていた。
一は笑っていた。ちょっと心配そうに。
本番前にメンバーが言っていたことを思い出す。
音を楽しむ。
なるほど。なんだか、私に欠けていたものが分かったような、やっぱり分からないような。
でも、やるべきことは分かった。
「見てて」
小声で、私の弾いた音にかき消されてしまうくらいの声量だけど、きっと一には伝わったって信じてる。
それから、手元に向かっていた視線を上げた。
それで、とびっきりの笑顔で一に返事をしてやった。お返しは、私のギターの音だ。
一番の歌詞を望が歌い始める。
青春時代を回顧する歌詞。
永遠に続くと思ってたとか、失ってからその大切さに気付いたとか。手垢がついて擦り切れたような歌詞では、どうやら青春というやつの真っ只中にいるらしい私には響きやしないけど、聴き慣れた望の声が歌詞をなぞる度、不思議と説得力を感じてしまう。
観客席側は暗くて、ステージが明るすぎて、私の目にはほとんど、観客たちの反応は見えなかった。
サビ前のBメロ、ブリッジミュート。コーラスのペダルを踏んだ。分厚くて重い音がアンプを揺らす。
単純な、明るいメロディに仄暗い歌詞。面白みのないエモいコード進行。それをなぞるだけ。
私の思い描いた理想の形で、指板の上を滑るように踊る左手。安物のピックを握って、大味に振り上げては振り落とされる右手。なだらかに潰れた音の粒を、私が弾いた通りに吐き出すアンプ。
それだけでいい。
私にとってはそれで十分に思えて、それだけで満たされる。
体育館の窓から、雲間から覗いた陽光が差し込む。観客の顔が見えて、体育館の入口辺りに立って鑑賞している篠田の姿が見えた。
来てくれてたんだ。
ラスサビ。真白のコーラスが望のボーカルに重なる。私はリバーブのペダルを踏む。
奏のアルペジオを支えるように、私の16分音符で繰り返されるパワーコードを重ねる。
ベースが、ボーカルが、ドラムが、コーラスが、リードギターが、私のギターが、全部重なって、全部一つの塊みたいに思えて、大きな何かの一つになったみたいで、それだけでいいのだ。
私はこれでいいのだ。
ギターに出会うまでの私と、ギターに出会った後の私。
多分、私は変わっていない。
ギターを弾くようになっても、未だに足元ばかり見てしまうし、自己否定的な被害妄想に耽ってしまうし。
でも、今の私にはペンディングがあって、トゥーフェイスがあって、家族があって、奏がいて、望がいて、真白がいて、篠田がいて、一がいて、何よりギターがある。
アウトロ。エフェクターボードの方を見て、コーラスのペダルをもう一度踏んだ。
だから、今の私にはこれで充分だ。
忙しなく別々に動く右手と左手で、音楽を奏でられるなら。
奏も望も私も振り返って、真白の方を見た。目が合って、アイコンタクトもそこそこに、分かりやすいように一際大きく振り上げられたドラムスティックがシンバルを叩くと同時に、最後のコードを鳴らす。
奏が、指板を下から上に撫でるように、グリスダウンと共に曲を締めくくった。
数瞬の沈黙。
私たちがまた、観客の方を向き直ったと同時に、歓声と拍手が沸き起こった。
「……すごい」
思わず、喉の奥から言葉が零れた。想定を超える盛り上がり具合だ。
すぐ近くにいる一を見てみると、ほんの少し首を傾けながら笑っていた。
多分、上手く出来ていたんだろうと思う。
「ありがとーございます! じゃあ、次の曲に行く前に!」
奏がMCとしてまた喋り出す。
「我がペンディングのメンバーを紹介します!」
なんの話だ。
曲の合間に水を飲んでいた望が心なしか、少し動揺したように見えた。
「まずは私、リードギターでロック狂い! 緑木奏でーす!」
二度目の自己紹介と共に、ピックスクラッチを披露する奏。観客が沸き立つ。
え、これ何かやらなきゃいけないやつですか?
「次は、場川東から来てくれたベース&ボーカル、石上望!」
望は流れをぶった切るように右の手の平を見せて、ひらひらと手を振ってみせた。
歓声の最中、望が私をちらと見て、これでいいんだ、とでも言いたげにまた前へ向き直る。
「同じく、場川東から来たロックオタクのドラムス、会藍真白!」
「いえーい! 皆、盛り上がってますかー!」
短いフレーズを叩きながら、コーラス用に与えられたマイクで観客を煽る真白。
器用すぎる。半分くらい分けてほしい。
「最後に、ちょっと前にペンディングに加入してくれたギター、足立幸!」
ついに来てしまった。
諦めて、ギターから離した右手で小さく手を振る。視線は上げられず、あらぬ方向を向いていた。
これでは陰キャ丸出しだ。恥ずかしい。穴があるなら埋まりたい。
だが、自己評価とは裏腹に観客からはまた歓声が上がる。
「私たちは学外で活動してるので、あんま出会うことは無いかもしれないですけど! 今日の演奏を気に入ってくれたら、ぜひライブに来てください!」
奏が自然とつなげたMCに救われる。
息を吐いて、次の曲の序盤を思い出す。
「じゃあ、次の曲に行きます! 短い時間でしたけど、皆が盛り上がってくれたら嬉しいです!」
奏が深呼吸した。
それから。
「2曲目、ケーブル・タイで『光』!」
奏がミュートした状態で弦を鳴らす。ブラッシングと呼ばれる技法で、3拍。
4拍目の裏で、私と奏が同時にギターを鳴らす。
前の曲から入れたままだったリバーブとオーバードライブで、私の弾くコードはほんの少し音の輪郭が潰れて引き延ばされ、その上にディストーションで強く歪んだ奏のギターの音が乗る。
4小節、次いで重なるのは望のベースと真白のドラム。オーバードライブを踏んだベースの音は荒々しく強く歪んで、バスドラムを強く踏んだこの曲特有のリズムの刻みの隙間を埋めるようで。
そして、奏のギター以外の音が止む。
静寂を切り裂く、僅か2小節のギターソロ。ワウと共に歪んでミニマルなフレーズが体育館に響く。
ソロパートの最後に被さるように、私たちのバンドサウンドが乗っかる。
──私は虎にはなれないから。
間髪入れずに、そんな歌詞で始まる望の歌声が重なる。
大丈夫、ミスはない。一番の難所は通り過ぎた。
一小節先を見ろ。一拍先を読め。一呼吸先の予測をしろ。ネックを掴む左手を、ピックを握った右手を、常に一歩先の記憶に合わせて。
余計な思考を挟むな。周りの音を聴いて。
いつもの練習を、飽くほど重ねた呼吸を、記憶のままになぞる。
手元に移った視線は外さなくていい。今はただ、皆との演奏に集中したい。
頭の奥の方が痺れる。視界の端で、白い光が弾けて、白いジャズマスターの輪郭を曖昧にしていく。
指板の上、手は力を抜いて、指先に集中して。
余計な音は鳴らさないように、コードを押さえる指じゃない他の指は軽く弦に触れて。
右手の力は抜いて、重力に任せて手首を使ってピックを振り下ろす。弦の全体を撫でるように。
音を聴いて。
皆を信頼して。
誰かに合わせるのではなく、誰かに委ねるのではなく、私の音楽ではなく、私たちの音楽を。
何より。
ふと持ち上げた視線は、観客の方ではなく、メンバーたちの方に向かった。
マイクと真剣に向き合った望を飛び越えて、向こうの奏を見た。私の視線に気づいたらしい奏が、目を合わせて、汗を煌めかせながら笑う。
何より、楽しい。
何よりも、楽しい。
こんなにも楽しいだなんて。
音楽が、こんなにも楽しいものだったなんて、知らなかった。
私は、音楽を楽しんでいる。
身長161cmの私の身体には収まりきらないほどの衝動が、私を衝き動かす。その衝動がジャズマスターの6弦を震わせている。その衝動が音を歪ませて、アンプを鳴らしている。
気づけばラスサビだ。
青春時代に残した後悔と、誰とも交われない寂しさと、音楽に救われた自分を歌った詞に、叫ぶようなバンドサウンド。なんて独善的で、傲慢で、強欲で贅沢な曲だろうか。
端から青春を諦めた私からすれば、そうとしか思えない曲だけど。
サビが終わると同時にベースとドラムの音は消え、アウトロはたったの4小節。短すぎる。もっと、この瞬間が続いて欲しくてたまらないのに。
イントロで奏が弾いたソロパートのフレーズと同じ旋律、その最後の音が、私の弾くAsus2のコードと共に名残惜しそうに響いた。
奏と合わせたままの視線。彼女が頷くと同時に、私はジャズマスターの弦に軽く触れて余韻を消す。
音が消えて、興奮と緊張で荒くなった私の呼吸の音が、あまりに早く脈打つ心臓の鼓動が、このまま死んでしまうのではないかと不安にさせてくる。もしかすると、それは不幸ではなく、幸福かもしれないけど。
大歓声が、バスケコート二面分の体育館いっぱいに満ちた。
びっくりして、観客の方を見た。拍手が、歓声が、激励が、色んな音が、一挙に私たちに降り注いだ。
表情こそ見えないけれど、体育館の入口の方にいる篠田が納得したように数度頷いている。ステージのすぐ近くにいる一が、満足そうな笑顔で拍手を送ってくれる。
どうやら、私たちはこのライブをやり切ったらしかった。
歓声が上がる。
文化祭二日目。薄曇りの空、お昼の休みを越えて、ついに午後のステージが始まった。私たちペンディングは今、体育館の二階、普段なら卓球台が広げてある場所からステージを眺めている。
「うひゃー、盛り上がってるねぇ」
能天気に、奏が落下防止の作から身を乗り出して、ステージでやっているバンドを見ながら言った。
「曲も、シンプルにトレンドの曲って感じで良いっすね。王道な感じ」
奏の隣にいる真白も、同じようにステージを見ながら言った。
「場川祭ってこんな感じなのね。場川東とは大違い。体育館も結構広いし」
二人の後ろで楽譜を見ていた望が言う。
自由に重きを置く場川高校に対し、真白と望の通う場川東高校は偏差値が少し高めな代わりにかなりお堅い学校として有名だ。他校の文化祭を見ることもなかなか無いだろうから、確かに物珍しいかもしれない。
「ペンディングの出番まであとどのくらいっすか?」
「あと3つ先だから、だいたい20分後っすかね」
「じゃあ、それまでに……」
奏と真白が同時に振り向いた。
視線の先にあるのは、望の背中で怯える私の姿だ。
「緊張を解いてもらわないとねぇ……」
「そろそろ落ち着かないっすか?」
「むむむむ、む、無理無理無理です!」
小刻みに首を横に振る。
なんでこんなに人が居るんだ。普通に200人以上いるんじゃないか?
「まあ、幸ちゃんはこれが初ライブだしねぇ……」
「お金払って来てもらってるってプレッシャーがない分、マシな初ライブとも言えるっすけどね」
「二人とも、足立さんを怖がらせないの」
望が、背中に引っ付いている私の頭を器用に撫でて落ち着かせてくれる。良い人。
「大丈夫だよ、幸ちゃん。私も初ライブの時は結構緊張したし」
「そっすよ。奏センパイですらこれなんですから」
「これ!? 真白ちゃんまで……」
いろいろと慰めてはくれるが、私の手の震えは止まらない。多分、このまま立ち上がったら生まれたての子鹿よりもプルプルしている自信がある。
「何でも初めては緊張するよねぇ……私も、未だに新曲をネットに上げるときは緊張しちゃうし」
「えっ?」
びっくりして顔を上げた。
「え、作曲してるってことですか?」
「あれ、教えてなかったっけ?」
「はい」
奏が驚いたような顔をする。私の方が驚きたいのだが。
「私も初耳っすけど」
真白が口を挟んだ。
望が呆れたような顔をする。
「奏?」
「あれぇ……?」
並々ならぬ望の圧を感じる。
目を逸らした奏。その場にいる三人の視線が奏に集まった。
「えっとぉ……作曲してます、いつかペンディングでやれたらいいなぁって……」
「そういう大事なことは早めに言ってくれやしませんっすかね」
真白の笑顔が怖い。
先程までけろりとしていた奏の額が冷や汗で光る。
「腐ってもリーダーっすよ、奏さんは」
「まだ腐ってないよ!」
真白と私が首を傾げた。
ぷっくり膨らんでいた奏の頬が、さらに膨れ上がる。
「……今度聞かせてください。そしたら許してあげます」
「お、いいっすねそれ」
「えぇ……そんなに聞きたいの……?」
私の提案に真白が同意して、奏が露骨に嫌そうな顔をする。
「そりゃ、ペンディングの曲になるかもしれないですから」
「……そっかぁ」
奏が納得した、というより観念したような顔で頷く。
それから、皆で少し笑った。さっきまであったはずの震えも、緊張も、心なしかどこか和らいでいて、さっきまで夢みたいに見えていた文化祭の熱狂が少し、自分事のように見えてくる。
いや、やっぱり、ちょっと怖いかもしれない。
「まあ、幸さん」
私の顔をじっと見た真白が、話しかけてくる。
「緊張してもいいっす。間違えてもいいっす。でも何より」
すごく真面目な顔だ。いつかのカラオケの時みたいに。
「音楽って、音を楽しむって書くでしょ? 楽しみましょうよ、音楽を。ロックを!」
真白はそう言った。
ふと、望や奏を見てみても、皆が優しい笑顔で頷いていた。不思議なもので、怖いと思う気持ちは消えなかったが、この人たちとなら大丈夫だと思った。理由は無いけれど、そうだって思えたから、何でもいい気がした。
腕を組んで力強く頷いていた奏が、右の親指を立てた。
「ロックだね!」
「ロックっす!」
「そうね」
珍しく、望がそれに同意した。
それから、皆で笑って、私は立ち上がった。
「ペンディングさーん! 準備お願いします」
「はーい!」
係の人が私たちを呼んだ。
奏が元気に返事をして、いの一番に駆け出す。一歩遅れて真白も小走りで、それを少し呆れ気味に望が歩いて追いかけて、その最後に私がついていった。
「次に幕が下りたら、そのまま入ってセッティングを始めてください。合図をくれたら開けますけど、時間が押してるので早めにお願いします」
「わかりました。合図は誰に?」
「合図は舞台袖に先生が立っているので、そちらに何かしら分かりやすい合図を──」
舞台袖。
明るいステージの真横、ほとんど真っ暗なその空間で、実行委員の生徒から望と真白が話を聞いている。この手の話は一番しっかりしている望と真白が適任だからだ。
「ねね、幸ちゃん」
そんな二人を眺めていた私に、隣にいた奏が小声で話しかけてくる。
「な、なんですか」
「あのね。幸ちゃんには話してなかったことがもう一つだけあってさ」
「は、はい」
奏の言葉に少し身構えた。
このタイミングで何かやらかしたのだろうか。
「私の夢、話したことなかったよね」
少し、拍子抜けしてしまった。
「な、なぜこのタイミングで?」
「まあまあ」
まあまあってなんだ。
「それでね、私の夢がさ。ロックスターになる事なんだよね」
「ロックスター?」
また、随分と古典的だなと思った。
ある意味、奏らしいとも思うけれど。
「そう。歴史に残るロックスターになりたいの」
「な、なんか理由とかはあるんですか」
「んー、ロックが好きだから、以上の理由はないかな」
なんと身も蓋もない。
「でもね、私、もう一個夢が出来たんだ」
「なんですか」
「それはね」
一呼吸、間があった。私の、少し落ちてしまった視線を拾い上げるように、奏は少し屈んで上目遣いで私の目を見る。
「このペンディングを、最高のロックバンドにすること!」
にっこりと、歯を見せて笑った。
暗闇のはずなのに、どこか眩しく見えて。
「……それって」
「ほら、もうすぐ終わるわよ。準備して」
望が私たちを呼んだ。
奏は、さっと私の前に踏み出して、私が言おうとしたことを遮ってしまう。
「ほら、円陣組も! 幸ちゃんも!」
さっと空中に右手を出した奏。
円形に並んだ私たちは、まず望が手を重ね、次いで真白が、最後に私が右手を重ねた。
「頑張るぞー! そして、楽しもう!」
「うん」
「おー!」
「お、おー……!」
それぞれが、それぞれの方法で気合を入れ直す。
どうなるかな。失敗しちゃうかな。分からないけど、やってみるしかないことは分かる。
「ペンディングさん、本番でーす!」
「やるぞー!」
そして、奏が真っ先にギターと共にステージへと躍り出た。
私も負けじと、舞台袖に持ってきていたギターとエフェクターボードの入ったケースを持ってステージ上へ。
定位置に着いたらケースを開いて、すごく小ぶりな金属製のボードに色とりどりのエフェクターが乗った、この日の為にセッティングしたものだ。歴の短さから来る下手さはこれでカバーする。アンプの電源がオフになってるのを確認してからギターにシールドを、ボードの裏面に貼り付けられたパワーサプライにACケーブルを、ギターやアンプから伸びるシールドをエフェクターボードの機材にそれぞれ挿して、アンプの電源をオンにした。
それから立ち上がって、ギターのストラップを調整してチューナーのペダルを踏んだ。弦を一つずつ鳴らしていって、チューニングがズレていないことを確認してからチューナーのペダルをもう一度踏んで音が出るようにする。
背後からスネアドラムの音がした。振り返ってみれば、真白が何やら小さな工具でスネアドラムの音を調整している。満足したらしい真白が椅子の位置をズラして、シンバルなんかの位置を好みに合わせた。それから、ドラムセットの隙間を縫うように伸びたマイクスタンドの位置を自分の口元に来るように調整する。コーラスは真白の仕事だ。
「あ、あー。んん。あー!」
ステージど真ん中に立った望は、ベースのチューニングが終わったのか、今度はマイクに乗せずに深呼吸をしてから声を出した。私はギターを鳴らすのに手いっぱいなのに、望はベースを鳴らしながら歌うのだから器用なものだ。足元にあるエフェクターは歪み一個だけ。
最後に、ステージの観客側から見て一番左にいる奏の方を見た。
既にセッティングを終えたらしい奏は、私のエフェクターボードよりも少し大きいボードを眺めて、次いでMC用のマイクを見て、それから私たちの方を一瞥する。
準備はいいかと、そう聞くようで。
望も真白も、そして私も、黙って頷いた。
「よし!」
笑顔で頷き返した奏。
そして、幕が上がる。
観客がたくさん。期待している目だ。現実味がない。足元が雲になったようだ。地面はどこだ。深呼吸しろ。よく見ろ。
今、私の左手は何を触ってる?
ギターだ。
「こんにちは! ペンディングです!」
奏のバカでかい声が体育館中に満ちて響いた。
エフェクターボードの方を見る。体育館履きで、最初に演奏する曲で使うオーバードライブのペダルを踏んで、きちんと電源が入っているのを確認してからもう一度踏んだ。
「リーダーのロック狂いの緑木です!」
自分で言うのか。
体育館の色んな所で笑い声が起きる。少し肩の力が抜ける。
「今日は皆さんに、ロックの良さを知ってもらおうと思います!」
最初のフレーズを思い出せ。
やることはいつもの合わせ練習と一緒だ。
「そのために、皆さんも知ってるであろう曲、練習してきました! 早速、一曲目いっちゃいます!」
喉が渇いた。
緊張しすぎで呼吸が浅いのも分かる。視界がぐるぐる回る。
「四月に映画の主題歌で話題になった曲で。皆で盛り上がっていきましょー! ラッドチキンの『フォーエバー』!」
真白がスティック同士を叩き合わせて響く、聴き慣れた4カウントが私の緊張をほんの少し溶かした。
クリーントーンのギターソロで始まるこの曲。派手な始まりじゃない。ルーパーで短いフレーズをズラして重ねる奏法だ。そこにベースの低音が重なる。長く響いて消えかけたところにもう一度、低音が重なって、それから。
私の出番だ。
12フレットの4弦を鳴らす。一拍置いて、それからクリーントーンのままコードを重ねる。ミスは目立つから許されない。
そして、ブレイク。
コンマ数秒の静寂の中、望が息を吸い込む音だけが響いて。
ようやく、望のボーカルと真白のドラムが重なって、ようやく曲が走り出す。
──あの頃の僕らはいつだって。
望の甘くも芯のある歌声が、最初のワンフレーズだけ歌って。
それから、足元のエフェクターボード、その右下辺りに置かれた黄色のオーバードライブを踏み込んで、パワーコードをかき鳴らす。
重なる真白のドラムを道標に、記憶の中の音と左手の形を頼りに、あとはどうとでもなれって思って。
余計な弦を鳴らすな。リズムを乱すな。正しく楽譜をなぞれ。足手まといにだけは。
「姉ちゃん!」
声のした方向を見た。
わざわざスタンバっていたのか。ステージから一番近い、しかも私から一番近い場所でスマホのカメラを構えながら、一が私のことを見つめていた。
一は笑っていた。ちょっと心配そうに。
本番前にメンバーが言っていたことを思い出す。
音を楽しむ。
なるほど。なんだか、私に欠けていたものが分かったような、やっぱり分からないような。
でも、やるべきことは分かった。
「見てて」
小声で、私の弾いた音にかき消されてしまうくらいの声量だけど、きっと一には伝わったって信じてる。
それから、手元に向かっていた視線を上げた。
それで、とびっきりの笑顔で一に返事をしてやった。お返しは、私のギターの音だ。
一番の歌詞を望が歌い始める。
青春時代を回顧する歌詞。
永遠に続くと思ってたとか、失ってからその大切さに気付いたとか。手垢がついて擦り切れたような歌詞では、どうやら青春というやつの真っ只中にいるらしい私には響きやしないけど、聴き慣れた望の声が歌詞をなぞる度、不思議と説得力を感じてしまう。
観客席側は暗くて、ステージが明るすぎて、私の目にはほとんど、観客たちの反応は見えなかった。
サビ前のBメロ、ブリッジミュート。コーラスのペダルを踏んだ。分厚くて重い音がアンプを揺らす。
単純な、明るいメロディに仄暗い歌詞。面白みのないエモいコード進行。それをなぞるだけ。
私の思い描いた理想の形で、指板の上を滑るように踊る左手。安物のピックを握って、大味に振り上げては振り落とされる右手。なだらかに潰れた音の粒を、私が弾いた通りに吐き出すアンプ。
それだけでいい。
私にとってはそれで十分に思えて、それだけで満たされる。
体育館の窓から、雲間から覗いた陽光が差し込む。観客の顔が見えて、体育館の入口辺りに立って鑑賞している篠田の姿が見えた。
来てくれてたんだ。
ラスサビ。真白のコーラスが望のボーカルに重なる。私はリバーブのペダルを踏む。
奏のアルペジオを支えるように、私の16分音符で繰り返されるパワーコードを重ねる。
ベースが、ボーカルが、ドラムが、コーラスが、リードギターが、私のギターが、全部重なって、全部一つの塊みたいに思えて、大きな何かの一つになったみたいで、それだけでいいのだ。
私はこれでいいのだ。
ギターに出会うまでの私と、ギターに出会った後の私。
多分、私は変わっていない。
ギターを弾くようになっても、未だに足元ばかり見てしまうし、自己否定的な被害妄想に耽ってしまうし。
でも、今の私にはペンディングがあって、トゥーフェイスがあって、家族があって、奏がいて、望がいて、真白がいて、篠田がいて、一がいて、何よりギターがある。
アウトロ。エフェクターボードの方を見て、コーラスのペダルをもう一度踏んだ。
だから、今の私にはこれで充分だ。
忙しなく別々に動く右手と左手で、音楽を奏でられるなら。
奏も望も私も振り返って、真白の方を見た。目が合って、アイコンタクトもそこそこに、分かりやすいように一際大きく振り上げられたドラムスティックがシンバルを叩くと同時に、最後のコードを鳴らす。
奏が、指板を下から上に撫でるように、グリスダウンと共に曲を締めくくった。
数瞬の沈黙。
私たちがまた、観客の方を向き直ったと同時に、歓声と拍手が沸き起こった。
「……すごい」
思わず、喉の奥から言葉が零れた。想定を超える盛り上がり具合だ。
すぐ近くにいる一を見てみると、ほんの少し首を傾けながら笑っていた。
多分、上手く出来ていたんだろうと思う。
「ありがとーございます! じゃあ、次の曲に行く前に!」
奏がMCとしてまた喋り出す。
「我がペンディングのメンバーを紹介します!」
なんの話だ。
曲の合間に水を飲んでいた望が心なしか、少し動揺したように見えた。
「まずは私、リードギターでロック狂い! 緑木奏でーす!」
二度目の自己紹介と共に、ピックスクラッチを披露する奏。観客が沸き立つ。
え、これ何かやらなきゃいけないやつですか?
「次は、場川東から来てくれたベース&ボーカル、石上望!」
望は流れをぶった切るように右の手の平を見せて、ひらひらと手を振ってみせた。
歓声の最中、望が私をちらと見て、これでいいんだ、とでも言いたげにまた前へ向き直る。
「同じく、場川東から来たロックオタクのドラムス、会藍真白!」
「いえーい! 皆、盛り上がってますかー!」
短いフレーズを叩きながら、コーラス用に与えられたマイクで観客を煽る真白。
器用すぎる。半分くらい分けてほしい。
「最後に、ちょっと前にペンディングに加入してくれたギター、足立幸!」
ついに来てしまった。
諦めて、ギターから離した右手で小さく手を振る。視線は上げられず、あらぬ方向を向いていた。
これでは陰キャ丸出しだ。恥ずかしい。穴があるなら埋まりたい。
だが、自己評価とは裏腹に観客からはまた歓声が上がる。
「私たちは学外で活動してるので、あんま出会うことは無いかもしれないですけど! 今日の演奏を気に入ってくれたら、ぜひライブに来てください!」
奏が自然とつなげたMCに救われる。
息を吐いて、次の曲の序盤を思い出す。
「じゃあ、次の曲に行きます! 短い時間でしたけど、皆が盛り上がってくれたら嬉しいです!」
奏が深呼吸した。
それから。
「2曲目、ケーブル・タイで『光』!」
奏がミュートした状態で弦を鳴らす。ブラッシングと呼ばれる技法で、3拍。
4拍目の裏で、私と奏が同時にギターを鳴らす。
前の曲から入れたままだったリバーブとオーバードライブで、私の弾くコードはほんの少し音の輪郭が潰れて引き延ばされ、その上にディストーションで強く歪んだ奏のギターの音が乗る。
4小節、次いで重なるのは望のベースと真白のドラム。オーバードライブを踏んだベースの音は荒々しく強く歪んで、バスドラムを強く踏んだこの曲特有のリズムの刻みの隙間を埋めるようで。
そして、奏のギター以外の音が止む。
静寂を切り裂く、僅か2小節のギターソロ。ワウと共に歪んでミニマルなフレーズが体育館に響く。
ソロパートの最後に被さるように、私たちのバンドサウンドが乗っかる。
──私は虎にはなれないから。
間髪入れずに、そんな歌詞で始まる望の歌声が重なる。
大丈夫、ミスはない。一番の難所は通り過ぎた。
一小節先を見ろ。一拍先を読め。一呼吸先の予測をしろ。ネックを掴む左手を、ピックを握った右手を、常に一歩先の記憶に合わせて。
余計な思考を挟むな。周りの音を聴いて。
いつもの練習を、飽くほど重ねた呼吸を、記憶のままになぞる。
手元に移った視線は外さなくていい。今はただ、皆との演奏に集中したい。
頭の奥の方が痺れる。視界の端で、白い光が弾けて、白いジャズマスターの輪郭を曖昧にしていく。
指板の上、手は力を抜いて、指先に集中して。
余計な音は鳴らさないように、コードを押さえる指じゃない他の指は軽く弦に触れて。
右手の力は抜いて、重力に任せて手首を使ってピックを振り下ろす。弦の全体を撫でるように。
音を聴いて。
皆を信頼して。
誰かに合わせるのではなく、誰かに委ねるのではなく、私の音楽ではなく、私たちの音楽を。
何より。
ふと持ち上げた視線は、観客の方ではなく、メンバーたちの方に向かった。
マイクと真剣に向き合った望を飛び越えて、向こうの奏を見た。私の視線に気づいたらしい奏が、目を合わせて、汗を煌めかせながら笑う。
何より、楽しい。
何よりも、楽しい。
こんなにも楽しいだなんて。
音楽が、こんなにも楽しいものだったなんて、知らなかった。
私は、音楽を楽しんでいる。
身長161cmの私の身体には収まりきらないほどの衝動が、私を衝き動かす。その衝動がジャズマスターの6弦を震わせている。その衝動が音を歪ませて、アンプを鳴らしている。
気づけばラスサビだ。
青春時代に残した後悔と、誰とも交われない寂しさと、音楽に救われた自分を歌った詞に、叫ぶようなバンドサウンド。なんて独善的で、傲慢で、強欲で贅沢な曲だろうか。
端から青春を諦めた私からすれば、そうとしか思えない曲だけど。
サビが終わると同時にベースとドラムの音は消え、アウトロはたったの4小節。短すぎる。もっと、この瞬間が続いて欲しくてたまらないのに。
イントロで奏が弾いたソロパートのフレーズと同じ旋律、その最後の音が、私の弾くAsus2のコードと共に名残惜しそうに響いた。
奏と合わせたままの視線。彼女が頷くと同時に、私はジャズマスターの弦に軽く触れて余韻を消す。
音が消えて、興奮と緊張で荒くなった私の呼吸の音が、あまりに早く脈打つ心臓の鼓動が、このまま死んでしまうのではないかと不安にさせてくる。もしかすると、それは不幸ではなく、幸福かもしれないけど。
大歓声が、バスケコート二面分の体育館いっぱいに満ちた。
びっくりして、観客の方を見た。拍手が、歓声が、激励が、色んな音が、一挙に私たちに降り注いだ。
表情こそ見えないけれど、体育館の入口の方にいる篠田が納得したように数度頷いている。ステージのすぐ近くにいる一が、満足そうな笑顔で拍手を送ってくれる。
どうやら、私たちはこのライブをやり切ったらしかった。
