シューゲイザーズ

 夏休みが終わる。
 終わると何が来る?
 答えは簡単、文化祭である。そう、あの(・・)文化祭である。
 ザ・陽キャイベントの一つである。自分のような陰気で内気な陰キャも多少の活躍の場を用意されているので、体育祭ほど迫害されるわけではない。幾分かは気が楽といえば楽である。が、コミュニケーション能力というのを持ち合わせていない私にとっては辛い時期であることは間違いない。
 夏休み明け最初の一週間は、文化祭の準備期間だ。
 特に、文化祭を明日と明後日に控えた今日のような日は、登校しても授業はなく、準備に一日の時間を費やすこととなる。
 正門の近くでは実行委員会と有志が集まってアーチ状の入場門を作っているし、受付用のテントを暇な先生たちが運んで設営しているし、クラスや部活の出し物の為に学年もクラスも関係なく入り混じり、様々な人が様々な役割を与えられて忙しなく働いている。
 そんな中、私といえば。
「ゆ、幸ちゃん? なんで、こんなところに?」
 旧校舎の一階、二つある階段のうち西側に当たる方の階段下にある用具入れと用具入れ、その隙間にうずくまって挟まっていた。
 明後日、つまり文化祭二日目にあるペンディングのステージに向けたリハーサルの時間まで、あと一時間もない。そう、私がこうしている理由は単純で、ただの現実逃避である。
 陽キャが多すぎて呼吸がし辛いのだ。もちろん、ただの比喩であるが、自分の居場所が無いのだなと再認識させられるので、こういう狭くて薄暗くて静かな場所に逃げ込みたくなる。
 ちなみに、この場所は最近のお気に入りの場所だ。薄暗くて狭いが、ジメっとしてないから長くいてもカビが生えなさそうだからだ。
 そんな私を、どこから現れたのか分からない奏が見つけ出してくれる。
「……壁の染みになれないかなと……」
「染み?」
 シンプルに首を傾げる姿が一番心に来るからやめてほしい。自分が変なことをしている自覚はあるのだ。
「ほら、もう真白ちゃんと望が来たからさ、早くお出迎えに行こ!」
 奏が右手を伸ばしてくれる。
 こんなナメクジ未満の私に手を差し伸べてくれるとか、どこまで心優しいのだろうか。
「なにあれ」
「しっ! ほら、あの先輩だよ」
「ああ、あのロック狂いとそれに巻き込まれたって噂の……」
 奏でなければ天使だと見間違えていただろう。
 通りすがりの陽キャ女子が、奏と私の姿を後ろの方から指差して、ひそひそ声で言った。
 その声が聞こえていないのか、はたまた気にしていないのか、奏は先ほどまでと変わらない様子で私の方を見つめ続けた。
「ほら!」
 差し出した右手を引っ込めるつもりはさらさら無いらしい。
 こういう胆力には憧れこそしないけれど、羨ましいなとは思ってしまう。
「別に迎えに来る必要はないわよ」
 私たちの頭上から声が降ってきた。
 奏と共に見上げてみれば、階段の上から望と真白が覗いているではないか。
「もう来ちゃったっす!」
「ちょっと早かったかしら」
 足早に階段を下った二人を見て、ようやく私は奏の手を借りて立ち上がった。
 階段下の空間に踏み入れた望と真白。望はギターケースを背負って片手に小さなバッグを、真白はスティックバックとスクールバックを背負って立っている。そんな二人に、奏は小走りで近寄った。
「むしろベストタイミング! リハーサル前に機材の移動を手伝う約束してたからさー」
「なんでナチュラルに手伝うことになってるんすか」
「勘弁して。ベースだけでも十分に重いのに」
 奏の言葉に真白と望が噛みついて行く。
 というか、そんな約束があったとは。ロック狂いとはいえコミュニケーション能力おばけの奏のことだから、色んな所で引っ張りだこなのだろう。
「ドラムセットとアンプを3階の軽音部の部室から持って来なきゃいけないからさ、手伝って!」
 両手を合わせて前に出し、奏が軽く頭を下げる。確かに、望はともかく真白はかなり鍛えているうえ、ドラムに対する知識もきちんとあるので、手伝ってもらえればこれ以上ないほど頼りになるだろうが。
 望が肩をすくめて、真白はため息を吐いた。
「しょうがないっすね」
「後でなんか奢ってもらうわよ」
「えー!」
 望と真白が、奏の背後を覗き込むようにして、様子を窺っていた私を見た。
「ほら、足立さんも行きましょ」
「幸さんが手伝ってくれた方が早く済むっすよ!」
「さ、行こ! 幸ちゃん!」
 振り返った奏までもが、そう言った。
 三人とも、さも当然であるように笑っているものだから、私も少し笑顔で頷いて三人の横に並んだ。

「ラストぉ……」
「重すぎ……」
 奏と望が、体育館に運び込む最後の機材を下ろして膝に手を置いて項垂れた。
 私は比較的軽いものを運ばせてもらったので、二人ほど悲惨な状態ではなかったが、それでも6往復。単純に足腰にクるものがある。結構なフィジカルエリートの奏でさえこの様子なのだから、運動が苦手なうえに体力もない私にはそれだけでも重労働だった。
「ドラムの調整、やりますよ!」
「助かります~!」
 対して、いったいどこにその体力があるのか。真白は元気ピンピンで今さっき運んできたドラムセットの調整を、実行委員の子と交代している。
 背中に回していたスティックバックから工具を出して、ドラムセットの位置調整を始める真白。本当に、小柄なその身体のどこにその体力を隠しているんだ。
「リハーサルまであと30分かぁ」
「私たち、何番目だっけ?」
「4番目だよ。それまでにちゃんと体力回復させとかないと」
 望と奏の会話が私の耳を右から左に通り抜けていく。
 疲労もあったが、単に人が多い。大人数は苦手だ。端っこの方で丸くなっていたい。
「あれ、足立さん?」
「ぴぇっ!」
 背後から急に声をかけられるものだから、びっくりして素っ頓狂な声をあげてしまう。
 振り返ってみれば、クラスメイトであまり関わりの無い、いわゆる一軍女子と呼ばれるタイプの女子生徒だった。名前は確か、五十嵐さん。文化祭実行委員会だったか。
「あれ、もしかして体育館ステージの設営手伝ってくれてるの?」
「え、あ、はい……」
「そっか、クラスの方は確かに、あんまり準備とか要らないタイプの出し物だしね。手伝ってくれてありがと!」
 小顔で年相応に可愛らしい五十嵐の笑顔が眩しかった。
 陽(・)すぎて私が灼かれてしまいそうだ。こっち来ないで。
「ただのお手伝い? そしたら人手が必要だから、もし暇ならこっちで手伝ってほしいんだけど……」
「あ、えと、それが……あの……」
 体育館ステージにバンドで出演するから、実際のところ、まったくもって暇じゃない。
 リハーサルが始まるまでに、教室まで戻って自分の楽器やエフェクターボードを持ってきて、スムーズにリハーサルが出来るようにセッティングしなければならないからだ。
 だがしかし、大問題があるとすれば。
「えと……はい……」
 私のコミュニケーション能力はミジンコ未満なので、断るということが出来ないことだろう。
 私の不可抗力な返事にぱっと、五十嵐の顔は明るく晴れてしまうのだから、やっぱなしとも言い辛い。
 ペンディングの皆、ごめんなさい。私なしでリハーサルは頑張ってください。
「ちょいちょいちょい、幸ちゃん。なんで私たちそっちのけで設営準備を手伝おうとしてんの」
 背後から奏が現れた。この時ばかりは救世主そのものである。
 私の肩を掴んで、五十嵐と目を合わせたらしい奏。五十嵐がギョッとする。
「うわ、ロック狂い……じゃなかった、ええと」
「緑木奏でーす! 会場設営ありがとー!」
「あっす……緑木先輩。足立さんとは……?」
「同じバンドのメンバーだよ! 私、幸ちゃんと明後日の体育館ステージ出るからさ、ごめんね! 幸ちゃん貸し出せないや!」
 そう言って、奏は私をぐいと引っ張る。奏の力が強くて、ややバランスを崩しかけてしまったが、奏がきちんと受け止めてくれたのでどうにか倒れてしまうのは回避した。代わりに、奏に抱きかかえられるような形になってしまったが。
 五十嵐は信じられないといった顔で私の方を見るものだから、頷いて見せると、やはり信じられないといった顔で、それでも納得したように半歩後退った。
「そっか、じゃあ頑張って! 私、ステージの照明とか担当してるから、ステージから一番近いとこで応援してるよ!」
「あっ……ありがとうございます……」
 そう言って、五十嵐はどこかへ歩き去ってしまった。
 明らかに、ロック狂いに巻き込まれてしまって可哀想に、とでも言いたげな眼差しだったことは気になったが。
「奏センパイ、まさかここまでロック狂いとして有名だとは思わなかったっすよ」
 ドラムのセッティングを終えたらしい真白が私たちの横に立っていた。
 表情は、まあ見るまでもなく心底呆れているのだろう。
「ふふん。私ほどのロック好きとなれば、周囲にその熱狂の度合いは察されてしまうのだよ……!」
「何を自慢げに……」
 奏の腕の中で、どうにか抗議してみる。
「褒められてないでしょ。それ」
 いつの間にか奏の背後に立っていた望が、私の言いたいことを拾ってくれる。ありがたい話だ。
「いーや、絶対褒められてる! 少なくとも私はロック狂いであることを誇りに思ってる!」
「もっとマシな誇りを持って欲しいわ」
 奏と望の応酬に真白が笑って、釣られて私も笑う。
 期待したようなキラキラ青春の形ではなかったが、多分、これが青春ってやつなのかもしれないと思った。

「姉ちゃんが出るのは二日目の午後のステージだっけ?」
 体育館ステージのリハーサルを終え、他のクラスよりも準備が早く終わり、いつもより早い時間に学校を出た私は、トゥーフェイスでの練習前に一度、家に帰っていた。
 時間はまだ、午後3時半。
 短縮授業で早めに家に帰っていた一(はじめ)が、私の部屋の扉をノックしたかと思えば、無遠慮に開けてそう問い質してくる。
「そう。何、一(はじめ)が来るの?」
 一(はじめ)は不思議そうな顔で頷いた。
「え、言ってなかったっけ? 場川(じょうせん)高校が第一志望だよ、俺」
「あーっと……」
 記憶のプールの底の方にある、数か月前の一(はじめ)との会話を思い出す。確かに、そんなことを言っていたような気がしなくもない。
「だから文化祭行くの。姉ちゃんのクラスは何やってるの?」
「フォトスポットだって。受付とか要らないから楽だからって理由らしいよ」
 私のクラスの、声ばかり大きいSNSのいいね数に命を賭けているタイプの一軍女子の仕業だ。出し物決めが多数決であるのを良いことに、徒党を組んで集団投票したのだ。人と極力話したくない私からすれば、ほとんど放置で良い出し物はありがたいが。
「へえ。じゃあ行かなくていっか」
 こうなるのは必至であろう。出し物が決まった時、担任の先生が呆れた顔をしていたのを思い出す。
 まあ良いのだ。そこは重要じゃない。
「ところで、なんで私の出演タイミングを……?」
「そりゃ行くからでしょ。姉ちゃんって凄く察しの悪いタイミングあるよね」
 相変わらず、一(はじめ)の言葉の切れ味が凄まじい。
 というか。
「え、なんで!?」
「なんでってなんだよ。姉ちゃんの晴れ舞台でしょ?」
「晴れ舞台って……」
 そんな大袈裟な。
「父さんと母さんにも動画撮って送ってって言われてるし」
「ええ!?」
「母さん曰く、『引っ込み思案でコミュニケーション下手な幸にお友達が出来て、しかもバンドを組んだなんて!』だそうです」
 母の声真似をしながら一(はじめ)が言った。
 勘弁してほしい。
「うぅ……慣れないことするんじゃなかった……」
「いいじゃん。祖母ちゃんも来るってさ、祖父ちゃんは忙しそうだったけど」
「そっかぁ……」
 もはやどうにでもなれの精神である。
「期待してるよ」
「勘弁してね」
 一(はじめ)が悪戯っぽく笑うものだから、私は苦笑してしまう。
 弟でもあるし、何より、奏や篠田に次ぐギターを教えてくれる先生としても。一(はじめ)の存在が無ければ私は、多分ここまで来れなかった。そんな気がするから。
 だから、恥ずかしいって気持ちもあるし、失敗できないなって気持ちもある。
 姉としての威厳なんてどこへやら。まあ、それでもいいかと思う自分もどこかにあって。
「でもまあ、カッコいいとこ見せてあげる。ギター、教えてくれたしね」
「……どうだか」
 鼻で笑う一(はじめ)。可愛げのない弟だ。
「ま、楽しみにはしとく」
 それだけ言って、一(はじめ)は私の部屋を出て行った。
 相変わらず、図体もでかくて態度もでかいが、器量も大きい。誰の影響だろうか。
「やべ」
 時計を見てみれば、もうすぐ午後4時だ。
 奏たちがもうすぐスタジオに着いてしまう。急いで荷物をまとめて、家を出た。