「なーんだ。一口ガレットを分けてただけなんだ」
「昨日からそう言ってるでしょ」
トゥーフェイスのお盆休みが明けて、私たちペンディングはまた、いつもの貸りている防音室に集まっていた。
スチールチェアの上で、口を尖らせてぶーぶーとつまらなそうにしている奏に、望はベースのセッティングをしながらそう答えた。
「じゃあじゃあ、バンドメンバー同士が仲良くなるのはいいんだけどさ、私には声かけてくんなかったのはなんで!」
奏が望に聞いた。
「奏がいたら落ち着いて話せないでしょう。主に足立さんが」
「そんなことないよねー? 幸ちゃーん?」
矛先が急に私に向いた。
とんでもない圧を感じたが、相手は奏だ。
「……話しづらいです」
「ゔえぇ!?」
心底、驚いたように大袈裟な反応をする奏。そういうところだと思う、という言葉は心の内に秘めておいた。
「そういうところでしょ。もっと足立さんに寄り添いなさい」
私が秘めたはずの言葉は望がぴしゃりと言い放って、ついでに奏の頭に望の手刀が入った。結構な音量の鈍い音が響いて、奏は頭を抱えて狭い防音室の床でのたうち回った。
ドラムの真白は今、トゥーフェイスの一階にある自動販売機へ麦茶を買いに行っているため、三人だけがこの防音室に残っている。真白の方は妙に時間がかかっているが、恐らく篠田との会話に花が咲いているのだろう。
「しかし、あんなところにカフェがあったとはね」
「なかなか美味しかったわよ。値段はちょっと張るけど」
「じゃあ望に奢ってもらうか」
「お断りよ」
「ケチ!」
「後先考えずに機材を買うからでしょ」
こうしているのを見ると、やはり望と奏は長い付き合いがあるのだろうということが見えてくる。
二人のコミュニケーションは見ていてヒヤヒヤするのも、多分長年の信頼関係あってこそだ。
「月2万もある、無駄に多いお小遣いの使い道に困ることはあるけど、少なくとも奏に献上する為にあるわけじゃないって分かる」
「2万円ですか!?」
話の腰を折って、つい聞いてしまった。
「一月あたりに!?」
「ええ。月に2万」
「言ってなかったっけ? 望のお家って結構なお金持ちなんだよ」
「へ、へぇ……」
なんてこった。私は何か、望に失礼な真似をしていないだろうか。
いや、している。めちゃめちゃにしている。縁を切られてもおかしくないくらいには失礼な言動を繰り返しているはずだ。
「……大変なご無礼を……どうか命だけは……」
「今更?」
深々と頭を下げた。
今すぐ切腹した方が良いだろうか。
「気にしなくていいわよ。足立さんが気にならないレベルで奏は無礼を働きまくってるから」
「私、これ呼ばわり!?」
望が奏を指差しながら言った。
思い返してみれば、私よりも望の方が遠慮も配慮もない言動を繰り返しているではないか。安心安心。
「……今、すごく幸ちゃんにバカにされた気がするんだけど」
「気のせいですよ」
じとっとした目を向けてくる奏から目を逸らした。
「まあ、ともかく」
気まずげな空気を、一つ叩いた拍手と共に望が一新してくれる。
「私に変に遠慮する必要はどこにもないわよ」
「……でも、昨日のカフェ代は奢ってもらった訳ですし……」
「それは、あなたが同じバンドの大事なメンバーで後輩だから。私の家柄とか、過去とか、そういうものが理由じゃない。だから、今までと変わりなくよろしく」
毅然と言い放つ望が、私にそう宣言した。
いつもの気丈な望の姿そのものであったが、私からすればその言葉にはいろんな意味がこもっているような気がして。
でも、それ以上は聞かないことにした。
「今度は私も呼んでよね!」
奏が言った。
「嫌よ」
「なんでぇ!」
さっきも見たやりとりを繰り返しそうな予感がした。
実際、した。
「えーっと、とりあえず今日の議題は文化祭ライブで何の曲やるかってことじゃなかったんすか」
買ったばかりのはずである麦茶のペットボトルの中身がもう半分になっている真白が言った。
「なんで、バンドのリーダーが何も決めてないんすか?」
こめかみに青筋を立てながら。
「……えっとぉ……」
奏が、真白の前で床に正座していた。
真白が戻って来て、ついに今日集まった本題に移れると思った矢先にこれである。スチールチェアに座った真白は、奏が持ってきた何も書かれていないルーズリーフ用紙を1枚、私や望に見せびらかすようにひらひらとしてみせた。
「言ったっすよね。どの曲を演奏するかは奏センパイがお盆明けまでに決めるって」
「……言いました」
「じゃあなんでこのルーズリーフは白紙なんすか」
「……やってきたけど家に忘れたっていうか」
「それやってない人の言い訳っすよね。っていうかどの曲にしたかくらいは覚えててくださいよ」
奏が目を逸らした。
反応を鑑みるに、マジで決めていないらしい。
「というか、じゃあお盆休みの4日間は何してたんすか」
「えと……、お散歩?」
「なんの為にこのクソ暑かった四日間の休みを散歩に費やしたんすか」
「何の曲やるかを決めるためです……」
「決まったんすか」
「決まってないです……」
これじゃあどっちがリーダーか分からない。というか、真白は私と同い年なのだから奏は年上のはずだ。どっちが年上なのか分からない。
「候補はあるんすか」
「今まで練習してた5曲の中からかな、と」
「じゃあなんも絞れてないじゃないですか」
「仰る通りで……」
正座からスムーズに土下座に移行した奏。
真白も望と同様に怒ると圧が凄いタイプだ。いや、もしかすると望よりも怒らない分、より圧は強いかもしれない。いつもはあんなに元気溌剌快活少女を体現した姿だというのに。奏に並ぶロック狂いであることを除けば、ではあるが。
「判断基準はどこにするの。そこ決めないと決まんないでしょ」
そんな奏と真白の様子を、私と共に防音室の端っこの方から眺めていた望が口を挟んだ。
「候補を出してからもそれなりに時間が経ったから、今の流行りに合わせようかなと」
顔を上げておずおずと、普段聞かない丁寧な口調で奏が話し始めた。
文化祭ライブに出演することを決めた時から思っていたことではあるが、この緑木奏というロック狂いは、その前評判からは考えられないが意外にも慎重に音楽について下調べをするタイプらしい。
「見当は付けられたの?」
「……文化祭の曲の候補を出してから一か月経つけど、その間に大きく動きのあったバンドがその中に無かったから、あんまり絞れてなくて……」
「なら、私たちが上手く演奏できるのを上から順番にピックアップしていけばいいでしょ」
「……ああ! その手があったか!」
奏が指をぱちんと鳴らした。この人の辞書に反省という言葉は存在していないのか?
「というわけで、今から決めるんでいいでしょうか!」
立ち上がって、スチールチェアに座った真白の方を振り向いて聞く奏。当の真白は、大きくため息を吐いてから口を開いた。
「いいっすけど、希望とかは聞かなくていいんすか」
「確かに! ある!?」
奏がノータイムで聞いてくる。
まず、奏の目の前であった真白は肩をすくめるだけ。次に、振り返った奏の視線の先にいた望は静かに首を横に振る。
最後に、奏は私の方を見た。
候補に挙がっていた曲。全部で5曲。
今年の冬に映画の主題歌を演奏したことで話題となったバンドのデビュー初期の曲、ガールズバンドものアニメの劇中歌でオリコンチャートの上位に食い込んだ曲、90年代から続く息の長いバンドのコマーシャルなどで使用されて知らない人はいない名曲のアレンジ、などなど。
どれを選んでも手堅い、としか言いようがないチョイスだ。流石の奏と言うべきか。
もちろん、疑問がないわけではない。少し、チョイスがモダンすぎるというか、言い方を考えなければ文化祭に来た人におもねり過ぎている。
ただ、文化祭ライブでの一番の目的は盛り上げることだ。そういう意味では他のバンドとも被りにくそうな選曲なので、かなりベストチョイスだ。MC込みで8分という短い持ち時間においては、まず間違いない。
「……特には無いです」
私がそう答えると、奏はぱっと笑顔になって頷いた。
奏が持ってきた選択肢には、なんら文句はない。難易度もちょうどいいし、何より盛り上がりそうなアップテンポな曲ばかりだったからだ。
だから、どこにも思うところはない。ないはずだ。
「んじゃ、合わせ練やってみよっか。録音して、後から聞いてどれが一番いいか皆で決めよー!」
能天気に右のこぶしを天井に向けて伸ばした奏を見ながら、私の心の中にあった僅かな違和感を奥底の方へと押し込めた。
「んで、その話の流れでなんで私のところに来るんだよ」
「だってぇ」
トゥーフェイス一階の受付前にあるちょっとした待合スペース。
私たちはその中でもカウンターに一番近いテーブルを一つ占拠して、5曲ぶっ通しの合わせ練習による疲れを癒していた。望は涼しい顔をしているが何やらぶつぶつと呟きながら左手を曲の運指に合わせて動かしているし、真白は汗だくになった頭にタオルをかけてテーブルに突っ伏している。私は、といえば、先ほど自分のスマホに送って貰った録音音源を、片方だけ耳に突っ込んだイヤホンで聞いて、流れる音に合わせてコードを空中で掴む練習をしている。先の合わせ練習はついて行くので精いっぱいだった部分も多かったからだ。
どこにその元気があるのか、テーブルの近くにはいない奏は、カウンター向こうで山のようにある書類を漁る篠田に向かってスマホを突き出して聞いて聞いてと催促しているではないか。
「ぶっ通しで練習したらみんながへばっちゃったから」
「加減しろバカ」
篠田が呆れたように奏に言った。
奏の無尽蔵の体力には末恐ろしさを感じる。
「オーナーしか頼れないの! どの曲やったらいいか分かんないの!」
「適当に決めればいいだろ……というか、それをスパッと決めるためにリーダーって立場があるんだろ」
「……それはそれ!」
そんな訳ないだろう。
「そんな訳ないだろ。役割は全うしろ」
心の中のツッコミは篠田が拾ってくれた。ありがとうオーナーさん。
「まあまあ。聞いてよ」
「忙しいんだが」
「まあまあ」
まあまあだけで乗り切ろうとしていないか、あの人。
そして、なんでちょっと押し切られそうなんだオーナーさん。なんでスマホを受け取ってしまったんだオーナーさん。そのままイヤホンを挿さないでオーナーさん。
私の願い虚しく、篠田はペンディングの演奏を聞き始めてしまった。
しかしながら、真白も望も私もこの様子なのでしょうがないと言えばしょうがないのだが。
数分間は、誰も何も喋らなかった。奏は手持ち無沙汰だからとうろちょろして、イメージトレーニングに励む望の頬をつついたり、真白の頭にかかったタオルを捲ってみたり、終始、兎にも角にも落ち着かないといった様子だった。
「……聞いたぞ」
イヤホンを外した篠田が、自動販売機の前で理由もなく色んなボタンを押し続けていた奏に声をかける。
「まあ言いたいことは色々あるが、とりあえず何を基準に選べばいいんだ?」
「よく出来てるやつかなぁ、決めあぐねてるんだよね」
「なら、1曲目と4曲目だな。2曲目はもともとスリーピースのバンドだから若干編曲が荒いし、3曲目はギターソロが青天井に難しいし、5曲目は今の構成だとキーボードがいないんだから迫力に欠けるだろ」
「なるほどなるほど……」
有名曲とはいえ、オーナーもすごいものだ。さらりと聞いただけでここまで的確なアドバイスが出来るとは。
くるっと反転した奏が私たちの方を見た。
「だってさ!」
「わかったっす……」
「お手数おかけしました、オーナー」
「あ、ありがとうございます」
オーナーがそう言うなら、という雰囲気はペンディングの全体にある。全幅の信頼を置いていると言っても過言ではない。
真白は机に突っ伏したままで右手の親指を持ち上げ、私と望は軽く会釈をした。気にするな、と篠田は何も言わずに右手を少々振り上げただけであった。
「しかし、あれだな」
篠田は奏に向かってまた、話し出す。
奏は不思議そうな顔で篠田の方に向き直った。
「奏、楽しくやれてるか?」
篠田が、そう問う。
奏の表情はこちら側からは見えなかったが、ほんの少し首を傾げたようで、それから答えた。
「もっちろん!」
いつもと変わらない調子で。
「そうか。ならいい」
珍しく、篠田は少しばかり目を細めてから頷いた。
それからまた、篠田は書類に目を通し始める。それを確認した奏は私たちのところに戻って来て、やる曲は決まったからと私たちを急かして防音室へと戻ったのだった。
「昨日からそう言ってるでしょ」
トゥーフェイスのお盆休みが明けて、私たちペンディングはまた、いつもの貸りている防音室に集まっていた。
スチールチェアの上で、口を尖らせてぶーぶーとつまらなそうにしている奏に、望はベースのセッティングをしながらそう答えた。
「じゃあじゃあ、バンドメンバー同士が仲良くなるのはいいんだけどさ、私には声かけてくんなかったのはなんで!」
奏が望に聞いた。
「奏がいたら落ち着いて話せないでしょう。主に足立さんが」
「そんなことないよねー? 幸ちゃーん?」
矛先が急に私に向いた。
とんでもない圧を感じたが、相手は奏だ。
「……話しづらいです」
「ゔえぇ!?」
心底、驚いたように大袈裟な反応をする奏。そういうところだと思う、という言葉は心の内に秘めておいた。
「そういうところでしょ。もっと足立さんに寄り添いなさい」
私が秘めたはずの言葉は望がぴしゃりと言い放って、ついでに奏の頭に望の手刀が入った。結構な音量の鈍い音が響いて、奏は頭を抱えて狭い防音室の床でのたうち回った。
ドラムの真白は今、トゥーフェイスの一階にある自動販売機へ麦茶を買いに行っているため、三人だけがこの防音室に残っている。真白の方は妙に時間がかかっているが、恐らく篠田との会話に花が咲いているのだろう。
「しかし、あんなところにカフェがあったとはね」
「なかなか美味しかったわよ。値段はちょっと張るけど」
「じゃあ望に奢ってもらうか」
「お断りよ」
「ケチ!」
「後先考えずに機材を買うからでしょ」
こうしているのを見ると、やはり望と奏は長い付き合いがあるのだろうということが見えてくる。
二人のコミュニケーションは見ていてヒヤヒヤするのも、多分長年の信頼関係あってこそだ。
「月2万もある、無駄に多いお小遣いの使い道に困ることはあるけど、少なくとも奏に献上する為にあるわけじゃないって分かる」
「2万円ですか!?」
話の腰を折って、つい聞いてしまった。
「一月あたりに!?」
「ええ。月に2万」
「言ってなかったっけ? 望のお家って結構なお金持ちなんだよ」
「へ、へぇ……」
なんてこった。私は何か、望に失礼な真似をしていないだろうか。
いや、している。めちゃめちゃにしている。縁を切られてもおかしくないくらいには失礼な言動を繰り返しているはずだ。
「……大変なご無礼を……どうか命だけは……」
「今更?」
深々と頭を下げた。
今すぐ切腹した方が良いだろうか。
「気にしなくていいわよ。足立さんが気にならないレベルで奏は無礼を働きまくってるから」
「私、これ呼ばわり!?」
望が奏を指差しながら言った。
思い返してみれば、私よりも望の方が遠慮も配慮もない言動を繰り返しているではないか。安心安心。
「……今、すごく幸ちゃんにバカにされた気がするんだけど」
「気のせいですよ」
じとっとした目を向けてくる奏から目を逸らした。
「まあ、ともかく」
気まずげな空気を、一つ叩いた拍手と共に望が一新してくれる。
「私に変に遠慮する必要はどこにもないわよ」
「……でも、昨日のカフェ代は奢ってもらった訳ですし……」
「それは、あなたが同じバンドの大事なメンバーで後輩だから。私の家柄とか、過去とか、そういうものが理由じゃない。だから、今までと変わりなくよろしく」
毅然と言い放つ望が、私にそう宣言した。
いつもの気丈な望の姿そのものであったが、私からすればその言葉にはいろんな意味がこもっているような気がして。
でも、それ以上は聞かないことにした。
「今度は私も呼んでよね!」
奏が言った。
「嫌よ」
「なんでぇ!」
さっきも見たやりとりを繰り返しそうな予感がした。
実際、した。
「えーっと、とりあえず今日の議題は文化祭ライブで何の曲やるかってことじゃなかったんすか」
買ったばかりのはずである麦茶のペットボトルの中身がもう半分になっている真白が言った。
「なんで、バンドのリーダーが何も決めてないんすか?」
こめかみに青筋を立てながら。
「……えっとぉ……」
奏が、真白の前で床に正座していた。
真白が戻って来て、ついに今日集まった本題に移れると思った矢先にこれである。スチールチェアに座った真白は、奏が持ってきた何も書かれていないルーズリーフ用紙を1枚、私や望に見せびらかすようにひらひらとしてみせた。
「言ったっすよね。どの曲を演奏するかは奏センパイがお盆明けまでに決めるって」
「……言いました」
「じゃあなんでこのルーズリーフは白紙なんすか」
「……やってきたけど家に忘れたっていうか」
「それやってない人の言い訳っすよね。っていうかどの曲にしたかくらいは覚えててくださいよ」
奏が目を逸らした。
反応を鑑みるに、マジで決めていないらしい。
「というか、じゃあお盆休みの4日間は何してたんすか」
「えと……、お散歩?」
「なんの為にこのクソ暑かった四日間の休みを散歩に費やしたんすか」
「何の曲やるかを決めるためです……」
「決まったんすか」
「決まってないです……」
これじゃあどっちがリーダーか分からない。というか、真白は私と同い年なのだから奏は年上のはずだ。どっちが年上なのか分からない。
「候補はあるんすか」
「今まで練習してた5曲の中からかな、と」
「じゃあなんも絞れてないじゃないですか」
「仰る通りで……」
正座からスムーズに土下座に移行した奏。
真白も望と同様に怒ると圧が凄いタイプだ。いや、もしかすると望よりも怒らない分、より圧は強いかもしれない。いつもはあんなに元気溌剌快活少女を体現した姿だというのに。奏に並ぶロック狂いであることを除けば、ではあるが。
「判断基準はどこにするの。そこ決めないと決まんないでしょ」
そんな奏と真白の様子を、私と共に防音室の端っこの方から眺めていた望が口を挟んだ。
「候補を出してからもそれなりに時間が経ったから、今の流行りに合わせようかなと」
顔を上げておずおずと、普段聞かない丁寧な口調で奏が話し始めた。
文化祭ライブに出演することを決めた時から思っていたことではあるが、この緑木奏というロック狂いは、その前評判からは考えられないが意外にも慎重に音楽について下調べをするタイプらしい。
「見当は付けられたの?」
「……文化祭の曲の候補を出してから一か月経つけど、その間に大きく動きのあったバンドがその中に無かったから、あんまり絞れてなくて……」
「なら、私たちが上手く演奏できるのを上から順番にピックアップしていけばいいでしょ」
「……ああ! その手があったか!」
奏が指をぱちんと鳴らした。この人の辞書に反省という言葉は存在していないのか?
「というわけで、今から決めるんでいいでしょうか!」
立ち上がって、スチールチェアに座った真白の方を振り向いて聞く奏。当の真白は、大きくため息を吐いてから口を開いた。
「いいっすけど、希望とかは聞かなくていいんすか」
「確かに! ある!?」
奏がノータイムで聞いてくる。
まず、奏の目の前であった真白は肩をすくめるだけ。次に、振り返った奏の視線の先にいた望は静かに首を横に振る。
最後に、奏は私の方を見た。
候補に挙がっていた曲。全部で5曲。
今年の冬に映画の主題歌を演奏したことで話題となったバンドのデビュー初期の曲、ガールズバンドものアニメの劇中歌でオリコンチャートの上位に食い込んだ曲、90年代から続く息の長いバンドのコマーシャルなどで使用されて知らない人はいない名曲のアレンジ、などなど。
どれを選んでも手堅い、としか言いようがないチョイスだ。流石の奏と言うべきか。
もちろん、疑問がないわけではない。少し、チョイスがモダンすぎるというか、言い方を考えなければ文化祭に来た人におもねり過ぎている。
ただ、文化祭ライブでの一番の目的は盛り上げることだ。そういう意味では他のバンドとも被りにくそうな選曲なので、かなりベストチョイスだ。MC込みで8分という短い持ち時間においては、まず間違いない。
「……特には無いです」
私がそう答えると、奏はぱっと笑顔になって頷いた。
奏が持ってきた選択肢には、なんら文句はない。難易度もちょうどいいし、何より盛り上がりそうなアップテンポな曲ばかりだったからだ。
だから、どこにも思うところはない。ないはずだ。
「んじゃ、合わせ練やってみよっか。録音して、後から聞いてどれが一番いいか皆で決めよー!」
能天気に右のこぶしを天井に向けて伸ばした奏を見ながら、私の心の中にあった僅かな違和感を奥底の方へと押し込めた。
「んで、その話の流れでなんで私のところに来るんだよ」
「だってぇ」
トゥーフェイス一階の受付前にあるちょっとした待合スペース。
私たちはその中でもカウンターに一番近いテーブルを一つ占拠して、5曲ぶっ通しの合わせ練習による疲れを癒していた。望は涼しい顔をしているが何やらぶつぶつと呟きながら左手を曲の運指に合わせて動かしているし、真白は汗だくになった頭にタオルをかけてテーブルに突っ伏している。私は、といえば、先ほど自分のスマホに送って貰った録音音源を、片方だけ耳に突っ込んだイヤホンで聞いて、流れる音に合わせてコードを空中で掴む練習をしている。先の合わせ練習はついて行くので精いっぱいだった部分も多かったからだ。
どこにその元気があるのか、テーブルの近くにはいない奏は、カウンター向こうで山のようにある書類を漁る篠田に向かってスマホを突き出して聞いて聞いてと催促しているではないか。
「ぶっ通しで練習したらみんながへばっちゃったから」
「加減しろバカ」
篠田が呆れたように奏に言った。
奏の無尽蔵の体力には末恐ろしさを感じる。
「オーナーしか頼れないの! どの曲やったらいいか分かんないの!」
「適当に決めればいいだろ……というか、それをスパッと決めるためにリーダーって立場があるんだろ」
「……それはそれ!」
そんな訳ないだろう。
「そんな訳ないだろ。役割は全うしろ」
心の中のツッコミは篠田が拾ってくれた。ありがとうオーナーさん。
「まあまあ。聞いてよ」
「忙しいんだが」
「まあまあ」
まあまあだけで乗り切ろうとしていないか、あの人。
そして、なんでちょっと押し切られそうなんだオーナーさん。なんでスマホを受け取ってしまったんだオーナーさん。そのままイヤホンを挿さないでオーナーさん。
私の願い虚しく、篠田はペンディングの演奏を聞き始めてしまった。
しかしながら、真白も望も私もこの様子なのでしょうがないと言えばしょうがないのだが。
数分間は、誰も何も喋らなかった。奏は手持ち無沙汰だからとうろちょろして、イメージトレーニングに励む望の頬をつついたり、真白の頭にかかったタオルを捲ってみたり、終始、兎にも角にも落ち着かないといった様子だった。
「……聞いたぞ」
イヤホンを外した篠田が、自動販売機の前で理由もなく色んなボタンを押し続けていた奏に声をかける。
「まあ言いたいことは色々あるが、とりあえず何を基準に選べばいいんだ?」
「よく出来てるやつかなぁ、決めあぐねてるんだよね」
「なら、1曲目と4曲目だな。2曲目はもともとスリーピースのバンドだから若干編曲が荒いし、3曲目はギターソロが青天井に難しいし、5曲目は今の構成だとキーボードがいないんだから迫力に欠けるだろ」
「なるほどなるほど……」
有名曲とはいえ、オーナーもすごいものだ。さらりと聞いただけでここまで的確なアドバイスが出来るとは。
くるっと反転した奏が私たちの方を見た。
「だってさ!」
「わかったっす……」
「お手数おかけしました、オーナー」
「あ、ありがとうございます」
オーナーがそう言うなら、という雰囲気はペンディングの全体にある。全幅の信頼を置いていると言っても過言ではない。
真白は机に突っ伏したままで右手の親指を持ち上げ、私と望は軽く会釈をした。気にするな、と篠田は何も言わずに右手を少々振り上げただけであった。
「しかし、あれだな」
篠田は奏に向かってまた、話し出す。
奏は不思議そうな顔で篠田の方に向き直った。
「奏、楽しくやれてるか?」
篠田が、そう問う。
奏の表情はこちら側からは見えなかったが、ほんの少し首を傾げたようで、それから答えた。
「もっちろん!」
いつもと変わらない調子で。
「そうか。ならいい」
珍しく、篠田は少しばかり目を細めてから頷いた。
それからまた、篠田は書類に目を通し始める。それを確認した奏は私たちのところに戻って来て、やる曲は決まったからと私たちを急かして防音室へと戻ったのだった。
