シューゲイザーズ

 無限に思える夏休みというのは、実に儚いものである。
 高校生になって、夏休みの宿題というやつが劇的に少なくなるとその感覚はことさら強くなる。
「姉ちゃーん、祖母ちゃんがショッピングモール行くからついてくるか……って」
 私の自室のドアを開いた弟の一(はじめ)がギョッとする。
「なんでベッドから液体みたいに垂れてるの?」
「……夏休みが半分消えたから……」
 本日、8月16日。
 トゥーフェイスは三日前からお盆休みに入っており、私はギターと共に自堕落で孤独な72時間を過ごしていた。
 下半身がベッドに、上半身が床に落ちている私を冷えた目で眺めている一(はじめ)は、呆れたように言う。
「姉ちゃんってさ、ギター始めてからギターしかなくなってるよね」
「ギター始める前は何もなかったよ……」
「それはそうだけど」
「否定してよ……」
「面倒くさいなこの人」
 弟の言葉の切れ味が凄まじくなっている。成長を感じたらよいのか、悲しむべきなのか分からない。
 夏休みに入ってからの私と言えば、朝起きて、歯を磨いて、顔を洗って、朝ご飯を食べて、身支度をして、ギターを持ってトゥーフェイスまで行き、バンドのメンバーと練習をして、お昼を食べて、また練習して、篠田さんと世間話をして、家に帰って、夕飯を食べて、お風呂に入って、眠くなるまでギターを一(はじめ)に教えてもらって。
「あれ……私、結構頑張ってるよね……?」
 一日のルーティンだけで言えば、実に健康的だ。
 少なくとも、自室に引きこもって音楽ばかりを聴いてた時よりは随分とマシなはず。
「変化がないからでしょ。あと姉ちゃんのその生活は周りが音楽バカばっかりだから成立してるだけだよ」
「うぅ……ぐうの音もでない……」
 加入してから実に2ヶ月以上が経過したのだ。
 ほぼ毎日、メンバーと顔を合わせていれば分かる事がある。
 全員、音楽が好きすぎるのだ。
 バイトや家の予定で誰かが来れなくなることはあっても、トゥーフェイスのペンディング専用になっている防音室に誰もいない日は片手の指で数えられるほどしかない。
 篠田がお盆休みに入る前に『よく飽きないな』と言っていたが、私もそう思う。いや、私もその一人なのだろうが。
「その結果が、お盆休みに入った途端に半分くらい引きこもりなわけだから、姉ちゃんは何も変わってないでしょ」
「さっきから正論しか言わないじゃん……」
「バンドのメンバーと遊びに行こうとかにはならないわけ?」
「あ……うん……」
「……え? やっぱりサクラ?」
「違わい! ほら、カラオケの件の話したじゃん」
「ああ、あれね……」
 夏休み初日にカラオケに連れていかれた私であったが、真白と話した後は、ものの見事に他のメンバーが歌っているのを眺めているだけになってしまったのだ。きちんと、陽キャっぽいことが苦手だという話をしたので、ここまで遊びの誘いが無いということは、恐らく配慮してもらっているのだろう。
 ありがたい話だ。ありがたい話なのだが……。
「それはそれとして寂しいよぉ……」
「姉ちゃんのせいでしょ。それか今すぐ頭下げてくるかどっちかだよ」
「ひぃん……」
 泣き言を漏らす私に目もくれず、一(はじめ)は続ける。
「んで、ショッピングモールは行くの、行かないの」
「んぅ……いかない……行ったらより惨めだから……」
「なんだそれ」
 もしかすると、奏や真白からお誘いのメッセージが届くかもしれない。そうなった時に家族と出かけているからと断ってしまうのはあまり得策ではないだろうと思う。
 そこまで考えて、自分がこんなにも意思がない人間であることに絶望して頭を抱えてしまった。
「まあいいや。でも、とりあえず日光を浴びに外に出た方が良いとは思うよ」
 そんな私を捨ておいて、一(はじめ)はさっさと私の部屋の扉を閉めてどこかへと行ってしまった。
 孤独になってみると私の惨めさが際立つようで、異様にいたたまれなく感じる。だから、自分の姿形を取り戻してベッドの上に立って部屋の中を見回してみた。
 ピックやシールド、なぜかあるカセットテープなどの雑多な物置にされてしまった勉強机、ギターを弾くとき以外はリュック掛けや上着掛けと化しているデスクチェア、畳んだまま仕舞われることを諦めた洗濯物の山、作りかけのエフェクターボードにジャズマスターが入ったギターケース。
 うん。酷い状態だ。
 さっさと片付けないと、そろそろ寛大なお祖母ちゃんの堪忍袋も限界を迎えてしまうだろう。
 気合を入れて、部屋の片付けに着手した。

 お昼ご飯をどうしようかと、片付けをほっぽり出して小遣いで買ったギター初心者向けの教則本を読んでいた時であった。
 家のチャイムが鳴った。
 この家に今いるのは私しかいないわけだから、必然的に対応しなければならないのは私だ。
 一瞬だけためらってしまうが、宅配便やら郵便やらであった場合、ここで居留守を使えば再配達の小難しくて手間のかかる作業をせねばならない。
 そんなこんなを考えて、私はA4判の教則本を勉強机に置いて、椅子にかかったちょっとした上着を羽織ってから玄関扉を開けた。
「はーい」
「こんにちは、足立さん」
 びっくりしすぎてその場で後退り、挙句に躓いて尻餅をついた。
「も……望さん!?」
「驚きすぎよ、あなた。急に押しかけてごめんなさいね」
 私のことを見下ろしながら、望は言った。
 なぜ、この人は当然のようにこの場所にいるのだろうか。
「な、なんで私の家を知って……!?」
 もしや、ストーカーというやつであろうか。
「あなた、今すごく失礼なこと考えてない?」
 バレた。
「違うわよ、前のライブの時にオーナーに家まで車で送ってもらったでしょう? その時に寄ったあなたの家を覚えていただけよ」
「だ、だけって……」
 確かに、あのライブの日は篠田に車で送ってもらっているし、その際には私が一番最初であったことも覚えている。そういう意味では確かに、篠田はもちろん、メンバー全員が私の家の詳細な場所を把握していてもおかしくはない。
 おかしくはないのだが、夜の暗闇に閉ざされていた上、あの日のペンディングのメンバーといえば、ライブの疲労で会話すらままならない状態だったはずだ。
 そんな中で私の家の場所を正確に覚えていたのか、この人は。
「……なによ、その怖がる様な目は」
「そりゃ怖いですよ!」
「私、昔から道とか覚えるの得意なのよね」
 限度というものがあるだろう。
 心の中でそう突っ込んでから、また冷静になった。
「……あの、なんの用で?」
 冷静になってみて気づいた。この人は何をもってしてノーアポで私の家を訪ねてきたのだ。
「用がなかったらあなたに会っちゃダメなの?」
「そっ……そうじゃないですけどぉ……」
 流石と言うべきか、望は強い。流石、奏と真白のロック狂いたちを御せる人だ。
「たまたま、この近くに来てたの。お昼だし、一緒にランチでもどうかなって」
「はわ……」
 思わず、望の顔を眺めてしまった。なんて、大人なことを言い出すのだ。先輩ってすごい。
「あ、でももう食べてたなら無理に付き合ってくれなくても……」
「い、行きます! まだ食べてないので!」
 望の言葉を切って答えた。
 やや面食らったような表情を浮かべた望であったが、すぐいつもの冷静な表情に戻って続ける。
「そ。なら、行きましょ。着替えてらっしゃい」
「え?」
「そのヨレヨレのカーディガンは下のパジャマを誤魔化すためでしょ?」
 望に言われて、自分の格好が人に会えるようなものではないことを思い出した。

「奢るって言ったんだから、遠慮せずに好きなもの頼みなさいよ」
 向かいの席に座った望が言った。
 私の家から歩いて10分ほどの場所にある個人経営のカフェレストラン。こんな場所があるなんて知らなかったが、望は難なくガレットを頼み、私は一番安かったBLTサンドを頼んだ。
「流石に気にしますよ……」
「そう?」
 ほとんど人のいない店内。
 窓際で、ガラス越しの陽光が望とテーブルを照らす。望は私が直接、日に当たらない位置を譲ってくれた。
「あなたは気にしすぎよ。前から思ってたけど」
「そうですかね。これでも人並みとは行かずとも一歩手前くらいに思ってたんですが」
 望がドン引きという言葉を顔に貼り付けて私を見つめた。なんなんだこの人。
「あなた、それ本気で言ってるの?」
「大マジですけど」
「……あなたは自認からどうにかした方が良さそうね」
 凄まじいディスられ方をしているのは分かる。そして、その原因がどうやら私にあるらしいことも分かる。
 困ったものである。
 だが、今回に関しては常識的であるのは私であると声高らかに宣言したい。そんな勇気ないけど。
「ところで、なんですけど」
 私は色んな言いたいことを飲み込んで、口を開いた。
「どうしてまた、今日は私を?」
「言ったでしょ? たまたま近くに来てたのよ」
「そりゃ聞きましたけど……そもそも、なんで今日はこの近くに」
 望を問い詰める。
 彼女が私の家の近くに来るというなら、用事というのはトゥーフェイスか近くとは言えないが、最寄り駅は一緒な奏のことだろう。
 しかし、そもそもトゥーフェイスはお盆休み中、かつ工事があると聞くし、篠田に関しては1人で都内の色々なところを休み中に回りつくすと語っていた。トゥーフェイスに用があったというのは考え辛いだろう。
 それに、奏に用があったとしても、だったら奏とお昼ご飯を食べに行けばいいだけであって、やはり私の家をわざわざ訪ねる理由はないだろう。
 いったい、私は何を要求されるのだ。しかも、見るからに高そうなカフェに入って、奢るとまで言われているのだ。どんな無理を押し付けられても断れないぞ。何を企んでいるんだ、望さん。
「……散歩?」
「なんで疑問形なんですか」
 望が慌てる様子は初めて見た。そうは言っても、僅かではあるが。
 私はその隙を無理やりこじ開けるように、目を細めてじっと望の整った顔を見つめた。
 数瞬の間だけそうしていると、気まずさの限界を迎えたように望がすっと顔を逸らす。
「あ、逃げた」
「……」
 とどめと言わんばかりに事実を指摘してやると、根負けしたと言わんばかりに望が一つため息を吐いて、私の顔を見て、それからまた大きくため息を吐いた。
「えぇ、なんで!?」
 びっくりして、次いで悲しくなってしまった。
「そんなに察しが良いとは思わなかったからよ。足立さんのくせに」
 なあなあにして隠し通せると思ったのに、とぼそっと呟いた望。
 なんか、私のコミュニケーション能力のことを必要以上に低く見積もっていませんか?
「じゃあ、何が目的なんですか……?」
 その先が問題だった。
 望というペンディングのメンバーの中でも、飛びぬけて頭の良いこの人が、私に何を要求してくるのか。メンバー内に軋轢を生むようなことを言うなら、メンバーから除籍するとか、友達料を払えとか、そういうことか。
 もっと、どうでもいいお願いであってくれ!
「……お友達を食事に誘うのに、目的はいるのかしら……?」
「……はいぃ?」
 頬を淡い朱に染めた望がそんなことを言うものだから、私はつい素っ頓狂な声を出してしまう。
 やや、もじもじとしながら望が続ける。
「その……夏休みの初めに陽キャっぽいことが苦手だって言ってたでしょう。だったら、一対一の食事の方が良いのかなって思って……」
 だんだんと小さくなっていく望の声。聴いてるこっちが恥ずかしくなってくる。なんなんだこの人。
「だったら、事前に連絡くれるとか色々……」
「……嫌だったかしら」
 言葉に詰まる。
 実際のところ、配慮は嬉しいが寂しいと弟に語った手前、別に嫌というわけではないからだ。妙に痛いところを突かれてしまった。
「……まあ、その、嫌ではないです……けど……」
「ならいいじゃない」
「でも、ほら! 望さんは高3ですし、受験勉強とか!」
「あなたに心配されるほど頭は悪くないわよ。そういう心配は奏にしてあげて」
 けろっと望は言い放った。なんなんだこの人。
「お待たせしました、そば粉のガレットとオリジナルブレンドのお客様は」
「はい、私です」
 望が手際よく、店員の持ってきたガレットやらコーヒーやらサンドイッチやらを所定の場所に収めていく。先ほどまでのしおらしさが嘘のようだ。
 難しい顔をして頭を抱える私のことをちらと見て、不思議そうに戻っていく店員の視線が刺さる。私をそんな風に見ないで欲しい。
「な、なんか手慣れてますね。初めて来たわけじゃないんですか?」
「いや、初めてよ」
「え……」
「……普通にこの程度の受け答えは出来ないとダメでしょ。人として」
 望の言葉がナイフもびっくりの切れ味で私の心臓に突き刺さった。
 すみません。人としてダメですみません。
「……私は今日から芋虫です……」
 私の方に置かれたテーブルの上のBLTサンドにそう宣言した。BLTサンドに自我があったらドン引きされているだろう。
「ギターを弾く芋虫なんているわけ?」
 望はガレットを一口分だけ切り分けながら言った。この人、さっきから正論しか言わない!
「ほら、ガレット分けてあげるから元気出しなさい」
 そう言って、望はまだ自分でも食べていないガレットを一切れ、フォークに刺して差し出してくれる。皿に置くとかではなかった。
 私がそれを眺めて、望の意図が理解できずにガレットと望の顔とを視線のシャトルランしていると、ふと望が顔をやや赤らめながら俯いて言った。
「……ほ、ほら。食べていいわよ」
 数秒経ってから、望の言わんとしていることがわかった。
 なるほど、これはあれだ。
 俗に言うあーん、というやつだ。
 うん。意図は分かった。意図は。
「あ、え、えと、い、いただきます……?」
 もう言いたいことは無限にあったし、思うところも数えきれないほどあったが、もう気にしないことにした。
 一口サイズになりながらも、そのガレットが口の中に入り込んで、挟んでくれたレタスと分離した生地が噛むたびに細かくなって混ざる。
 なんか、高級なしょっぱいタイプのクレープみたいな味がする。そんな高尚な食レポはできない。
「……えと、おいひいです」
「……そう」
 ひとまず何か言わなきゃと思って伝えた感想は、望の視線を持ち上げるには足らなかったらしい。
 なんかもう、誰か助けて。
 とりあえず、私のBLTサンドに付いてきたオニオンスープを一口、この気まずさと一緒に飲み込むことにした。
「あーーーーーーーー!!!」
 窓の外、ガラスにピッタリ貼り付くようにしてこちらを覗いていた奏が現れるまでは。