シューゲイザーズ

 終業式の日。日はまだまだ高く、夏らしい猛暑を通り越した酷暑のその日。
 私の視線は足元にある。いつもと変わらないアスファルト。安心する。
 お昼前に学校を出た私は、イヤホンをつけて、いつもと同じくアーミー・レーションを聴きながら有象無象の同じ制服を着た生徒の隙間を縫うように駅へと向かっていた。
「幸ちゃん!」
 急坂を登り終えたあたりで、私は耳に覚えのある声で呼び止められたのだ。イヤホン越しでも聞こえるくらいのバカデカ声量で私のことを呼ぶ人物なんて、私は一人しか知らない。
「お疲れ様!」
 それ見たことか。
 イヤホンを外して、足元から視線を外して振り返ってみれば、そこに居たのは奏であった。
「あっ……先輩こそ……」
「先輩ってよそよそしいよぉ! 奏って呼んで!」
 時たまあることだ。
 正直、呼び止められて嬉しいよりも勘弁してくれが勝っている。ただでさえ根暗で地味な私がロック狂いと噂の先輩と繋がりがあるというだけで好奇の視線にさらされるのだから。
 そんな私のことを知ってか知らずか、いや知らないのだろう、奏は私の隣に並んで歩き始めた。
「っていうか、幸ちゃん。これまでに私の名前はおろか、私のことを呼んでくれたことないよね!?」
「基本的に先輩が突進してくるからじゃないですかね……?」
「あぁ……確かに?」
 なんで自覚がないんだ。まあ、いい迷惑だと思ったことはないから別に良いのだが。
 明日から夏休みが来る。
「それはそうと!」
 この切り替えの早さは見習いたいところである。
「幸ちゃんに謝らなきゃいけないことがあって」
「……靴をぶつけたことですか?」
「それはもう謝ったでしょ!」
 両手をぶんぶんして不満を露にする奏。ロックに狂っていなければ普通に顔はかわいい子だと思うのだが。あと黙っていれば。
「冗談ですよ。それで、なんですか?」
 これ以上、奏を揶揄っているのは私の方の自尊心が持たない。
 それ以上に、何の話なのかが気になってしようがなかったので、さっさと本題に入りたかった。
「えっとね、文化祭の件なんだけどさ」
「は、はい」
 まさかの話題だった。
 望や真白にならまだしも、私に対して謝ることなんて何かあるのだろうか。
「その、なんの相談もせずに申し込んじゃってごめんね。幸ちゃんの気持ちを何も聞かないままでさ」
「えっと……」
 何を謝られているのか、まったくもって心当たりがなかった。
「それ、は真白さんや望さんに謝った方が良いのでは……?」
 奏は静かに首を横に振った。
「あの二人にはそりゃ悪いことをしたよ、こっちの高校の文化祭にわざわざ来てもらってライブするんだから」
 平然とそう言った。
 この人の凄いところは、自分の非を当然に認められるところなのだろう。
「でも、幸ちゃんにはもっとちゃんと謝らないと。この高校は私だけが通う高校じゃないんだから」
 突飛なことを言い出すものだと思った。ただ、奏が言わんとするところは理解した。
「私にとって高校ってそんな大事なところじゃないので、あんまりに気にしなくていいですよ」
「……そう?」
 心底不思議そうに、奏は首を傾げた。
「はい」
 迷いなく頷いた。
 強がりとかではなく、実際そうであったからだ。
「……不思議だよね、幸ちゃんって」
「えぇ!?」
 不思議筆頭みたいな人に言われてしまった。
 なんだか癪に障る気もする。が、口には出さないことにした。
「一緒にスタジオ行こ。今日も来るでしょ?」
 私は黙って頷いた。
 すると、奏は私の右手を掴んで力強く言う。
「ほら、行くよ! 走って行けば11時半にはスタジオ着けるし、途中でお昼ご飯買って一緒にスタジオで食べよ!」
「え、ちょっ……」
 奏が私の腕を掴んだまま全力疾走を始める。
 足がもつれないように奏の速度に負けない速度で走ろうとするが、私の頭の中には一つ懸念があった。
「あの、スタジオって飲食禁止じゃ……!」
 つくづく、私は奏に振り回されっぱなしだなと、そう思った。

「……あっづい……」
「業者呼んだけど、着くのは今日の夕方だってよ。クッソ、クーラーが壊れただけでこんなに致命的とは……」
 その日、貸しスタジオに着いた私たちを待っていたのは灼熱地獄だった。
 ただでさえ、防音の為に閉め切って換気などの条件が悪いのだ。クーラーが不調を起こしてしまえば、文字通り死ぬほど暑い部屋の出来上がりである。
「オーナー……でっかい氷を何個も置いて涼もうよ……」
「でっかい氷がどこにあるんだよ。機材を結露させろっていうのか」
「うぐぐ……」
 スタジオ『トゥーフェイス』の受付の前方にある、ちょっとした待合スペースの内の一つで、私と奏は丸テーブルに突っ伏していた。
 なんにしたって暑すぎる。溶けてしまいそうだ。ハンディファンをつけて風を浴びている隣の奏はともかく、冷感タオルで凌ごうとしている私の足先とかはもう溶けてる気がする。
「オーナーさん……どうにかならないんですか……」
 私は、受付テーブルの向こうで、暑いからか今までにないほど薄着で、珍しく髪を後ろで一つに纏めたポニーテール姿の篠田に投げかけた。
「業者が来るしかない。……今日はスタジオは貸せないな。熱中症で死人が出る」
 そう言って、片手をうちわにしながら篠田はデスクをごそごそとし始めた。
 いつも冷静な篠田も、流石にこの暑さでまともに頭が回っていないのか、ふらふらと手元がおぼついていなさそうだ。
「幸ちゃ……そこの自販機、いっつも嘘みたいに冷たい状態で出てくるゼリー飲料ってまだ残ってる……?」
 受付のすぐ横にある自動販売機を見た。 
 たまに、練習の合間に買って飲む水分は、今日に限って売り切ればかり。毎週金曜日に補充すると、前に篠田が言っていたので今日がピンポイントで在庫が少ない日だ。
 奏の言うゼリー飲料は、ヨーグルト味のジュースとゼリーが入った飲料で、奏は好きで買うが、私や他のメンバーには美味しくないと満場一致で不評の奴である。
「……えと、あ、残ってますよ」
 お茶やらコーヒーやらスポーツドリンクやらは全滅であったが、そのゼリー飲料だけは売れ残っている。どんだけ不評なんだこれ。
「マジ……?」
 ふらふらと立ち上がった奏が財布をもって自動販売機の前まで行く。
 がこんと音がして、奏が取り出し口から缶を一つ取って、それを頬にくっつけた。
「……いつもより冷たくない……」
 あの奏が、すごく残念そうに項垂れてしまった。
 確かに水色のその缶は、表面に結露が出来ているが、つい三日前に見た時よりもその量は少なくなっているように見える。こうも暑いのに結露が少ないということはぬるいということだ。
「こんにちはっす……ってあっっっつ!」
「……このスタジオは今日からサウナに業態を変えたんですか?」
 自動ドアが開いて、望と真白が入って来る。
 入る直前までは元気いっぱいだった真白も、澄まし顔な望も、灼熱のスタジオの受付に入ってきた途端に顔色が変わる。
「クーラーが壊れたんだ。マジで死人が出るから今日は臨時休業にする。お前らもどっか行きな」
「どっかってどこっすかオーナーさぁん」
 篠田の言葉に真白が嘆いた。
「お前ら、今日が夏休み初日だろ? せっかくだし今日くらい練習休んで遊べばいいじゃないか」
「この前スティック折っちゃったんでお金ないっす!」
「何を自慢げに……もっと肩の力抜いて叩けっていつも言ってるだろ」
 元気いっぱいに手を挙げながら答えた真白に、篠田は頭が痛そうに答えた。
 真白は本人の身体能力も、演奏の癖も、思考の方法も、どこをとってもパワー系である。
「私もお金ない!」
 真白に続いて、奏も手を挙げた。
「お前はまた機材を増やしたからだろ。いい加減に自制を覚えろって言ってんだ」
「だってオートワウ欲しかったんだもん!」
「お前はオートワウを使いこなせるほど繊細に演奏できないだろ」
「これから上手くなるんだもーん」
「何年後の話だ」
 口を尖らせて言い訳をする奏を、篠田はぶった切った。
 ぶーぶー文句を言う奏を尻目に、篠田は何やらごそごそと受付の向こうで荷物を漁り始める。
「望、幸。ちょっとこっちおいで」
 しばらくそうしていたかと思えば、私と望の二人を手招きして篠田は呼び寄せた。取り残された真白と奏はぎゃあぎゃあ文句を言っている。
 なぜこのタイミングで私と望は呼ばれたのだろう。きちんとあの二人の手綱を握れということだろうか。無茶を言わないで欲しい。
 カウンターまで行くと、篠田は駅前のカラオケとゲームセンターのクーポンと2枚の千円札をテーブルに置いた。
「あの二人に持たせると何に使うかわかったもんじゃないからな。これを足しにして良いから皆で遊んでおいで」
「そんな……悪いですよ」
「そうですよ、お金が無いのはあの二人の自業自得なんですから、オーナーがそこまでしなくても」
 私が遠慮してみると、望はかなり容赦ない言葉で後ろの二人をこき下ろす。
 篠田はその言葉に苦笑いしつつも、望の頭を撫でた。私にそうしてくれた時には気づかなかったが、すごく優しい顔だ。私の時もそうだったのだろうか。
「いいんだよ。これは、今日クーラーが壊れて練習場所が無くなったお詫びだ。音楽に打ち込むのも大事だが、何より自分たちの青春を大事にな」
 空いているもう片方の手で私の頭も撫でてくれて、それから、私にお金を、少し顔の赤い望にクーポン券を渡す。
「ほれ、今日は閉店だ。行った行った」
 気づけばいつもの篠田の、少し不愛想な顔に戻っていて、私たちはサウナみたいなスタジオから追い出されてしまった。
 外は外で直射日光があるので暑いが、風があるので僅かに涼しさも感じる。
「じゃ、楽しんで来い」
「はーい!」
「いってきまーす!」
 さっきまで文句を言っていたとは思えない程、元気な返事を奏と真白は残していくのだから、私と望は顔を見合わせて苦笑いを漏らした。

 さて、困ったのはその後だった。
「幸ちゃーん。そろそろ歌う曲決まった?」
 真正面に座った奏が言った。
 カラオケ。
 陽キャのたむろする場所、という自覚できるレベルの偏見に塗れた私がこの場所に来て、いったい何を歌うというのか。
 私にとって音楽は、常に能動的な何かを伴うものではなく、受動的に聴き続けるものでしかなかったのだ。ギターが外れ値だっただけだ。そもそも人と話すことが苦手なのに、歌うなどという行為はもはや私とは対偶の位置関係にあると言っても過言ではない。
「対偶なら命題の真偽は同じじゃない。それを言うならねじれの関係でしょ」
 隣の望が耳ざとく私の独り言を聞き取ったらしかった。数学は苦手なんです助けてください。
 それは置いておいたとして、私がさっさと歌う曲を決めないといけないのは事実である。どうしよう、本当に歌える曲が一曲もない。
 どうしたら。両の瞼をぎゅうと強く瞑って、私は考える。
「幸ちゃん?」
 奏が俯いた私に心配そうに声をかけてくる
「何も……何も歌えないですぅ……」
 顔を上げてみると、隣にいた望がギョッとした反応をする。次いで、奏のいつもの笑顔が固まる。
「足立さん……そんな無理して曲を選ばなくても……」
 望が背中を撫でてくる。
 いったい何が起きているんだと思って、目を擦ってみれば、僅かに湿っている。
「……あれ?」
「幸さん、ちょっと」
 真白が私の手を掴んで、廊下へ出る。
 望と奏は、心配そうに私を見ていた。
「あの、別に何かが悲しくて泣いてるとかじゃなくて、埃とかが目に入っちゃっただけっていうか、欠伸を嚙み殺したらそうなっちゃっただけっていうか。あ、でも皆さんとの時間が退屈ってわけじゃなくて、というか普通にただの偶然で……」
「あの、幸さん」
 どこの部屋から聞こえるかもわからないくぐもった歌声が何重にも聞こえる廊下で、真白が私を壁に寄りかからせて、ごちゃごちゃと弁明を並べた私と向き合った。
「無茶、してますよね。全体的に」
「え……そんなつもりは」
 深刻そうな顔をした真白に、上手く笑えているかは分からないがにへらと答えた。
 実際、私の涙はすでに止まっていたし、何かを悲しいと思ったわけでもない。きっと、埃が入ったり、強く目を瞑りすぎて涙目になってしまっただけだ。
「……言っちゃ悪いですけど、幸さんって」
 少し身構えた。
「めっちゃコミュ障じゃないですか」
「あ……はい……そうですね」
 唐突に事実を陳列された。
 事実ではあるのだが、他人に言われると心に来るのはまた別の話であろう。
「奏センパイとか、結構めちゃくちゃやってますし、望センパイもああ見えて距離感が変だったりしますし、私も……結構、ロックのことになると猪突猛進になっちゃうというか」
 ああ、自覚はあるらしい。
「でも、幸さんが色んなことを飲み込んで無理に合わせる必要なんてないっす」
「え……」
 まあ、確かに癖の強いメンバーではある。
 リーダーの奏は言わずもがなであるし、望は優秀で寡黙だが、奏に毒されているのか時折、妙に距離を縮めようとしてくるし、目の前の真白に関しては奏に負けず劣らずのロック狂いである。
 だが、皆のために皆の足を引っ張らないように出来ているつもりだ。
「バンドの音は、メンバーの誰かが作るもんじゃないっす。全員が、全員で作るものなんすよ」
 真白の言葉に、引力のような何かを感じた。
 気のせいかな。
「私は、幸さんにロックを好きになって欲しいんすよ。だから、ペンディングのせいでロックを嫌いにならないで欲しいっす」
 真白が真剣に言った。
 少し気まずくて、視線が自分の足元に落ちていく。
「変人揃いのバンドっすけど、幸さんもこのバンドの一員っすから、変に我慢しなくていいんすよ。自分も昔はヤンキーの望センパイのこと怖がってましたけど、関わったらすごく良い人でしたし」
 自分の好きに真っ直ぐなのだな、と思った。
 そして、真白は誰かにも好きになって欲しいと純粋に思っているのだろう。
 なんだか眩しかった。
「だから、思ったこととか、遠慮せずに言っていいんすよ。センパイたちに言い辛いなら、同い年なんですから私に話してください。幸さんが無理やり、自分のやりたいこととか思ったことを呑み込んでおく必要はどこにもないっす」
「……じゃあ」
 私は、真白の小さくて可愛らしい、僅かに赤みがかった瞳を見つめた。
 心配している、わけではなさそうだった。どちらかというと、もっと切実な色を帯びていて。
「バンドで……あんまり陽キャっぽいことをしてくれない方が嬉しい……です……」
 あまりにもふわっとした物言いであることは自覚していた。
 思い返してみれば、自分は周りに振り回されるばかりで呑み込んだ言葉の数はもはや数えきれない。
 正直、それでいいと思っているし、その方が良いとも思っている。
 誰かに合わせればいいとか、自分にみんなが合わせてくれればいいわけじゃない。
 先日の、望との合わせの練習で言われたことを思い出す。
「……ふふっ」
「今笑うとこありましたぁ!?」
 真白が堪え切れないと言った様子で笑うものだから、私は流石に文句を言った。
 こっちは真面目に言っているのだ。
 そんな文句も届いていないのか、真白はにこりと笑って、私をもう一度見た。
「じゃあ、カラオケは幸さんが陽キャになれるまで我慢ですね」
「うぅ……一生、無理な気がします……」
「その時はその時ですよ」
 そう言う真白は、数週前に見たライブの時と同じように笑っていた。