「いいじゃん、セーハも様になってコードもかなり分かるようになってきたね。ちゃんと綺麗に音が鳴るようになった」
目の前の一が、私を褒めちぎってくれる。
「んじゃあ、次はミュートを理解すれば、色々弾けるようになるよ。カッティングとか、ブリッジミュートとかもモノにすれば、バッキングでも出来ることの幅は広がるし」
私の部屋、ベッドの上で私がジャズマスターを持ち、勉強机用の椅子の上で一がテレキャスを持って、部屋の中央には双方のギターに繋がったスイッチャーとミニアンプが置かれている。
「ブリッジミュート?」
「聴いた方が早いよ」
私が聞くと、一はスイッチャーを踏んで、弾いてみせてくれる。
弦を軽く押さえて、音程のある音は鳴らないが、金属らしい音がジャッジャとアンプから流れた。
「ああ。よく聞くやつ」
「でしょ? でもまずは余計な弦を鳴らさないミュートの練習からね」
「精進します……」
「あとは、TAB譜も読めるようにならなくちゃ」
「楽譜じゃなくて?」
「五線譜だと運指とかわかんないでしょ? ギター用に分かりやすくなってる楽譜がTAB譜」
「へえ」
pendingのライブから、早いもので、もう二週間が立とうとしていた。
土曜で学校が休み。しかし、奏はバイトのためスタジオでのギター練習を諦めた私は、同じく学校が休みの一にギターを教えてもらっている。
「しかし、マジでバンド組んだの? 姉ちゃんの妄想じゃなくて?」
「何回言えば良いのかな? そろそろ怒るよ?」
すでに両の指じゃ数えきれないくらい聞かれた質問だった。
この弟は私のことを舐めている。ふざけてくれるなよ小童め。
「信じられないんだもの」
「でも、この前ライブハウスから帰ってきたときは皆と一緒だったでしょ?」
あのライブの日、帰り道は夜21時を若干回っていたこともあって、篠田の車に同乗して、ペンディングのメンバーは全員が送ってもらっていた。その上、トゥーフェイスに戻しておきたい荷物は全て部屋に搬入しておいてくれるという至れり尽くせりっぷりだ。頭が上がらない。
そんなこんなで色んな人の好意に甘えに甘えたあの日、最初に家に送り届けてもらったのは私だったというわけだ。
「その辺で買収したサクラって可能性も……」
「んなわけないでしょ!」
一の中の私はどれだけ見栄っ張りなんだ。
姉としての威厳、というより人間性を疑われている気がしてならない。
「まあ良いよ。どちらにしろ、ギターが上手になってるのは事実だし」
「なんで私がサクラを雇った可能性を捨ててないのかな?」
「疑うのは自由だから」
「せめて本人には黙っておけよ」
「じゃあミュートのやり方ね」
「聞いて!?」
これが下剋上というやつか。くわばらくわばら。
「ほら。上達しないよ」
「……はい」
どちらが年上なのかわからなくなる。
一がスイッチャーを踏んで、今度は私のジャズマスターにアンプが繋がる。
「使わない弦を左手の親指で軽く触れるだけ。余計な力は入れない。やってみ。それから、ピックを持った右手は手首を使って、重力に逆らわずに弾く感じ」
「ん、わかった」
音が響いた。
時間というのは予定が詰まれば詰まるほど早く経つもので、奏に靴をぶつけられてから、実に5週間強が経っていた。長かった一学期は終わりに近づき、夏休みが目前に迫る。
ほぼ毎日、学校以外の時間の私の傍には、いつだってジャズマスターがいた。そういう人生になった。
「なかなか様になってきたじゃない」
この日の放課後スタジオ練習は、防音室に一番乗りしていたのは奏ではなく、ベースの望だった。
場川東高校という、私と奏の通う場川高校よりも一駅分この貸しスタジオに近い高校に通っている望と真白は、ときたま、私や奏よりも早くこのスタジオに着いて練習していることがある。今日は望だけだったが。
今日は奏が先日あった期末テストの補習で、私は一人で先にこのスタジオに来たものだから、なんとなく気まずくて、お互いに最低限の会話しかせずに日課のバッキング練習をしていたところ、ひと段落ついたところで望が話しかけてきた。
「そろそろ合わせの練習にも入れるかもね」
「えへへ……そうですかね……」
「喜び方がちょっとキモい」
「え、えぇ!?」
望の冷えた目が突き刺さる。辛い。
美人の冷えた目が一番怖いのだ。
「冗談よ」
嘘だ。目が笑っていない。
「こ、怖いこと言わないでください……」
この程度しか自分には言えなかった。
また、どことなく気まずさを感じる沈黙が落ちたので、私は足元のエフェクターペダルを見る。
その頃の私はというと、絶賛、エフェクターについて勉強している最中であった。歪みがどうの、空間系がどうの、ディレイがどうの。一や奏、果てには篠田など、もう使わないからと譲ってもらった数個のエフェクター類は、色だけ見れば鮮やかなものであるが、実際にどんな効果があるのかなどは、未だに完璧には分かっていない。
その中でも篠田は、使わなくなったシールドやコネクタだから好きなものを好きなだけ使ってくれ、と長いものから短いものまで両手から零れそうなほどのケーブルを私に与えてくれた。
……後から請求とかされないよな?
「オーナーはそんな酷い人じゃないわよ」
しまった、口から漏れていた。
振り向いて望を見れば、少し片頬を膨らませている。不平や不満を漏らす時の彼女の癖だ。
「望さん、オーナーさんのこと大好きですよね」
「もちろん」
人のことを好きかどうか聞いて、当たり前であると涼しく言える望が、なんだか羨ましかった。
「オーナーは私が奏に無理やりベースを始めさせられた時も、すごくお節介を焼いてくれたの」
「お、お節介ですか……」
「ああ見えて、奏ってベースもちょっと弾けるのよ。でも奏って教えるのがバカみたいに下手でしょ?」
「あっ、はい。そう思います」
「それで困ってたら、オーナーが教えてくれたの。教則本も古いのだからあげるって言ってくれて」
なんだか覚えのある話だ。
というか、もらったギターの教則本の付箋にあった奏の教え方が下手という話は、恐らく望の話なのだろう。
どこまでいっても奏は奏だ。
「音楽は誰でも楽しむ権利があるんだよって、そう言ってくれたの。良い人よね」
「……そうですね」
慈しむようにベースを撫でた望に、どことなく親近感を覚えた。
私と同じように、当然だがこの人にも初心者の頃があったんだよな、と納得する。
「……一応言っておくけど、オーナーと同じくらい、奏のことも大切に思ってるのよ?」
「はい?」
あまりに唐突な会話の切り替え方にびっくりしてしまった。
奏のことを大切に思っている。いやまあ、それはそうだろう。同じバンドのリーダーなのだから。
「ペンディングのリーダーとして以上に、友達としてね」
「……それは、あの、前に言っていた、ヤンキー時代の話と関係が?」
望が目を見開いた。
ああ、まずい。踏み込み過ぎた。ペンディングに入ってもうひと月だというのに、未だに他人に対しての距離感が掴めない。
「よく覚えてるわね」
「気持ち悪くてごめんなさい……」
「なんの話?」
深々と頭を下げた。
私なんかが事細かに他人のこと覚えてるのはほとんどストーカーみたいなものではなかろうか。
「まあ、気が向いた時に話すわね。今日は練習しましょ」
望がベースを少し持ち上げてみせた。
ああ、本当にやらかした。私は今日付けでペンディングから除名されます。さようなら。ごめんなさい皆さん。
「うぅ……腹を切ります」
「だからなんの話よ。ほら、ギター持って?」
私の降ろしていたギターをスタンドから掴んで、望は無理やり抱えさせる。
いったい何の意図が。はっ、まさか荷物をまとめて帰れ的な……。
「合わせ、やってみましょ。そろそろやってもいい頃じゃない?」
「……はぇ?」
合わせ。
つまるところ、二人で演奏をするということ。
え?
「私はこのバンドから追い出されるのでは……?」
「別にそうしたいならそれでもいいけど」
「嘘ですごめんなさい」
ギターのストラップを背中に回して、ジャズマスターを構えた。
「練習してるのはあれよね、ドロップ・ヒーターの『ディス・イズ』よね?」
「は、はい」
真白の勧めで奏と共に練習していた、アメリカで90年代後期に流行ったスリーピースバンドの曲だ。
真白曰く、基本的な技術の全てが詰まっている曲、らしい。
「私も昔、弾いたことあるし大丈夫。やりましょ」
望が制服のポケットからスマホを取り出して、当時使っていたらしい楽譜を表示して、スチールチェアの上に置いた。
真白の言う通り、この曲は相応に難しい。トリッキーな演奏技術が必要かと言われれば、まったくそうではない。故に、上手に聴かせるには基礎、特に余計な弦を鳴らさないミュートが重要になる。
「いくわよ」
この曲は最初、ベースの単音から始まる。
望がボリュームノブを捻った。
存在感の大きい低音がノイズと共にアンプから鳴り響く。合わせて、ピックを振り下げた。
ドラムがないといまいち迫力に欠けるが、望のリズムキープ力はかなりのもので、私が弾くべきタイミングを指し示してくれるかのようにも思える。
呼吸を合わせる。急いではいけないし、遅れてもいけない。
左手の押さえるコード自体は簡単なものばかりだが、ミュートの為に要らない弦に触れていかなければならないし、何より右手が忙しい。力を込めて弾いてはいけない。手首のスナップを使って、重力に任せてピックを下ろす。返す手でもう一度。
間違えるな。二人でやるからこそ、ごまかしは効かないから。
望が歌い始めた。マイクがないから、ギターサウンドと比べればかなり小さい。
まずい。分からなくなる。私は今どこを弾いてるんだ?
「……!」
ギターに向いていた視線を、一瞬だけ上げてみると、望と目が合った。
笑顔だった。
何が言いたいのかなんて分からなかった。第一、望は望で歌詞をなぞるのでいっぱいいっぱいだと思う。
だが、笑顔だった。笑顔だったから、私も肩の力を抜いて笑ってみた。
最後の小節をなぞりきって、ようやく私は溜まっていた空気を吐き出した。
「結構良かったじゃない。上達したわね」
「でも、二番のBメロは飛びました……」
スチールチェアに腰掛けて、項垂れてしまう。
せっかく望が付き合ってくれた練習で、普段は出来ていた基本的なことが出来なくなるなんて。
望は自分の目の前のスチールチェアに置いていたスマホを持ち上げて、数度タップした後に私にそれを見せてくれる。
「録音、してみたから聴いてみて」
もともとスマホに入っているタイプのボイスメモアプリのデータが一つ、見せられた画面では開かれていた。
私はされるがままに望のスマホを受け取り、三角形の再生ボタンを押す。
先程まで弾いていた音がスピーカーから流れる。こうしてみると、ずいぶんと聴こえ方が違うものだなと思った。そして、結構下手だ。やはりミュートが甘い。余計な音が入っているし、何よりノイズが思っていたより多い。
「あれ、ここ間違えたと思ってました」
録音を一時停止した。一番のサビに入る直前にあるFコード。弾いているときはもたついてろくに音が出ていないものだと思っていたが、どうやらきちんと拾われていたらしい。
「……足立さんが頑張って私に合わせてようとしてくれたのは分かる」
私は少し、ドキッとした。バレている。
望はゆっくりと続ける。
「でも、バンドの音って、誰かに合わせればいいとか、自分にみんなが合わせてくれればいいわけじゃない」
そういうものだろうか。
私よりもバンド歴が長いわけだし、きっとそういうものなんだろうけど。
「難しいとは思うけど、メンバー間の信頼関係、って言うのかしら。それが大事なんだと思う」
「なるほど……」
分かるような、分からないような。
だが、分かる部分もある。つまり、一人で突っ走るのは良くないが、誰かに委ねれば良い、というわけでもないということ。
その塩梅は難しいが、確かに重要なのだろうと思った。
「まあ、やってればそのうち分かるわよ。分かんないと解散になるんでしょうけど」
「洒落にならないこと言わないでください……」
望がにこりと笑った。
真顔で冗談を言うのが望の悪いところだ。冗談なのか本気なのかが分からない。
「兎にも角にも、ギターは上手くなってるわよ。自信持ちなさい」
望が私の肩に触れた。優しい。
たまにこうやってデレを見せてくるから、この人はこのペンディングというバンドの中で精神的な支柱になれているのだろうと思った。
「さ、練習続けましょ。ギターの上手さに上限はないわよ」
「はい……」
かと思えば、すぐにいつもの調子に戻ってしまう。
悲しい、というか寂しいが、奏のように距離をはちゃめちゃに詰められても困ってしまうので、望の距離感は正直言って有難い。
真剣そのものといった顔でベースを睨んだ望を倣って、私はギターと向き合った。
目の前の一が、私を褒めちぎってくれる。
「んじゃあ、次はミュートを理解すれば、色々弾けるようになるよ。カッティングとか、ブリッジミュートとかもモノにすれば、バッキングでも出来ることの幅は広がるし」
私の部屋、ベッドの上で私がジャズマスターを持ち、勉強机用の椅子の上で一がテレキャスを持って、部屋の中央には双方のギターに繋がったスイッチャーとミニアンプが置かれている。
「ブリッジミュート?」
「聴いた方が早いよ」
私が聞くと、一はスイッチャーを踏んで、弾いてみせてくれる。
弦を軽く押さえて、音程のある音は鳴らないが、金属らしい音がジャッジャとアンプから流れた。
「ああ。よく聞くやつ」
「でしょ? でもまずは余計な弦を鳴らさないミュートの練習からね」
「精進します……」
「あとは、TAB譜も読めるようにならなくちゃ」
「楽譜じゃなくて?」
「五線譜だと運指とかわかんないでしょ? ギター用に分かりやすくなってる楽譜がTAB譜」
「へえ」
pendingのライブから、早いもので、もう二週間が立とうとしていた。
土曜で学校が休み。しかし、奏はバイトのためスタジオでのギター練習を諦めた私は、同じく学校が休みの一にギターを教えてもらっている。
「しかし、マジでバンド組んだの? 姉ちゃんの妄想じゃなくて?」
「何回言えば良いのかな? そろそろ怒るよ?」
すでに両の指じゃ数えきれないくらい聞かれた質問だった。
この弟は私のことを舐めている。ふざけてくれるなよ小童め。
「信じられないんだもの」
「でも、この前ライブハウスから帰ってきたときは皆と一緒だったでしょ?」
あのライブの日、帰り道は夜21時を若干回っていたこともあって、篠田の車に同乗して、ペンディングのメンバーは全員が送ってもらっていた。その上、トゥーフェイスに戻しておきたい荷物は全て部屋に搬入しておいてくれるという至れり尽くせりっぷりだ。頭が上がらない。
そんなこんなで色んな人の好意に甘えに甘えたあの日、最初に家に送り届けてもらったのは私だったというわけだ。
「その辺で買収したサクラって可能性も……」
「んなわけないでしょ!」
一の中の私はどれだけ見栄っ張りなんだ。
姉としての威厳、というより人間性を疑われている気がしてならない。
「まあ良いよ。どちらにしろ、ギターが上手になってるのは事実だし」
「なんで私がサクラを雇った可能性を捨ててないのかな?」
「疑うのは自由だから」
「せめて本人には黙っておけよ」
「じゃあミュートのやり方ね」
「聞いて!?」
これが下剋上というやつか。くわばらくわばら。
「ほら。上達しないよ」
「……はい」
どちらが年上なのかわからなくなる。
一がスイッチャーを踏んで、今度は私のジャズマスターにアンプが繋がる。
「使わない弦を左手の親指で軽く触れるだけ。余計な力は入れない。やってみ。それから、ピックを持った右手は手首を使って、重力に逆らわずに弾く感じ」
「ん、わかった」
音が響いた。
時間というのは予定が詰まれば詰まるほど早く経つもので、奏に靴をぶつけられてから、実に5週間強が経っていた。長かった一学期は終わりに近づき、夏休みが目前に迫る。
ほぼ毎日、学校以外の時間の私の傍には、いつだってジャズマスターがいた。そういう人生になった。
「なかなか様になってきたじゃない」
この日の放課後スタジオ練習は、防音室に一番乗りしていたのは奏ではなく、ベースの望だった。
場川東高校という、私と奏の通う場川高校よりも一駅分この貸しスタジオに近い高校に通っている望と真白は、ときたま、私や奏よりも早くこのスタジオに着いて練習していることがある。今日は望だけだったが。
今日は奏が先日あった期末テストの補習で、私は一人で先にこのスタジオに来たものだから、なんとなく気まずくて、お互いに最低限の会話しかせずに日課のバッキング練習をしていたところ、ひと段落ついたところで望が話しかけてきた。
「そろそろ合わせの練習にも入れるかもね」
「えへへ……そうですかね……」
「喜び方がちょっとキモい」
「え、えぇ!?」
望の冷えた目が突き刺さる。辛い。
美人の冷えた目が一番怖いのだ。
「冗談よ」
嘘だ。目が笑っていない。
「こ、怖いこと言わないでください……」
この程度しか自分には言えなかった。
また、どことなく気まずさを感じる沈黙が落ちたので、私は足元のエフェクターペダルを見る。
その頃の私はというと、絶賛、エフェクターについて勉強している最中であった。歪みがどうの、空間系がどうの、ディレイがどうの。一や奏、果てには篠田など、もう使わないからと譲ってもらった数個のエフェクター類は、色だけ見れば鮮やかなものであるが、実際にどんな効果があるのかなどは、未だに完璧には分かっていない。
その中でも篠田は、使わなくなったシールドやコネクタだから好きなものを好きなだけ使ってくれ、と長いものから短いものまで両手から零れそうなほどのケーブルを私に与えてくれた。
……後から請求とかされないよな?
「オーナーはそんな酷い人じゃないわよ」
しまった、口から漏れていた。
振り向いて望を見れば、少し片頬を膨らませている。不平や不満を漏らす時の彼女の癖だ。
「望さん、オーナーさんのこと大好きですよね」
「もちろん」
人のことを好きかどうか聞いて、当たり前であると涼しく言える望が、なんだか羨ましかった。
「オーナーは私が奏に無理やりベースを始めさせられた時も、すごくお節介を焼いてくれたの」
「お、お節介ですか……」
「ああ見えて、奏ってベースもちょっと弾けるのよ。でも奏って教えるのがバカみたいに下手でしょ?」
「あっ、はい。そう思います」
「それで困ってたら、オーナーが教えてくれたの。教則本も古いのだからあげるって言ってくれて」
なんだか覚えのある話だ。
というか、もらったギターの教則本の付箋にあった奏の教え方が下手という話は、恐らく望の話なのだろう。
どこまでいっても奏は奏だ。
「音楽は誰でも楽しむ権利があるんだよって、そう言ってくれたの。良い人よね」
「……そうですね」
慈しむようにベースを撫でた望に、どことなく親近感を覚えた。
私と同じように、当然だがこの人にも初心者の頃があったんだよな、と納得する。
「……一応言っておくけど、オーナーと同じくらい、奏のことも大切に思ってるのよ?」
「はい?」
あまりに唐突な会話の切り替え方にびっくりしてしまった。
奏のことを大切に思っている。いやまあ、それはそうだろう。同じバンドのリーダーなのだから。
「ペンディングのリーダーとして以上に、友達としてね」
「……それは、あの、前に言っていた、ヤンキー時代の話と関係が?」
望が目を見開いた。
ああ、まずい。踏み込み過ぎた。ペンディングに入ってもうひと月だというのに、未だに他人に対しての距離感が掴めない。
「よく覚えてるわね」
「気持ち悪くてごめんなさい……」
「なんの話?」
深々と頭を下げた。
私なんかが事細かに他人のこと覚えてるのはほとんどストーカーみたいなものではなかろうか。
「まあ、気が向いた時に話すわね。今日は練習しましょ」
望がベースを少し持ち上げてみせた。
ああ、本当にやらかした。私は今日付けでペンディングから除名されます。さようなら。ごめんなさい皆さん。
「うぅ……腹を切ります」
「だからなんの話よ。ほら、ギター持って?」
私の降ろしていたギターをスタンドから掴んで、望は無理やり抱えさせる。
いったい何の意図が。はっ、まさか荷物をまとめて帰れ的な……。
「合わせ、やってみましょ。そろそろやってもいい頃じゃない?」
「……はぇ?」
合わせ。
つまるところ、二人で演奏をするということ。
え?
「私はこのバンドから追い出されるのでは……?」
「別にそうしたいならそれでもいいけど」
「嘘ですごめんなさい」
ギターのストラップを背中に回して、ジャズマスターを構えた。
「練習してるのはあれよね、ドロップ・ヒーターの『ディス・イズ』よね?」
「は、はい」
真白の勧めで奏と共に練習していた、アメリカで90年代後期に流行ったスリーピースバンドの曲だ。
真白曰く、基本的な技術の全てが詰まっている曲、らしい。
「私も昔、弾いたことあるし大丈夫。やりましょ」
望が制服のポケットからスマホを取り出して、当時使っていたらしい楽譜を表示して、スチールチェアの上に置いた。
真白の言う通り、この曲は相応に難しい。トリッキーな演奏技術が必要かと言われれば、まったくそうではない。故に、上手に聴かせるには基礎、特に余計な弦を鳴らさないミュートが重要になる。
「いくわよ」
この曲は最初、ベースの単音から始まる。
望がボリュームノブを捻った。
存在感の大きい低音がノイズと共にアンプから鳴り響く。合わせて、ピックを振り下げた。
ドラムがないといまいち迫力に欠けるが、望のリズムキープ力はかなりのもので、私が弾くべきタイミングを指し示してくれるかのようにも思える。
呼吸を合わせる。急いではいけないし、遅れてもいけない。
左手の押さえるコード自体は簡単なものばかりだが、ミュートの為に要らない弦に触れていかなければならないし、何より右手が忙しい。力を込めて弾いてはいけない。手首のスナップを使って、重力に任せてピックを下ろす。返す手でもう一度。
間違えるな。二人でやるからこそ、ごまかしは効かないから。
望が歌い始めた。マイクがないから、ギターサウンドと比べればかなり小さい。
まずい。分からなくなる。私は今どこを弾いてるんだ?
「……!」
ギターに向いていた視線を、一瞬だけ上げてみると、望と目が合った。
笑顔だった。
何が言いたいのかなんて分からなかった。第一、望は望で歌詞をなぞるのでいっぱいいっぱいだと思う。
だが、笑顔だった。笑顔だったから、私も肩の力を抜いて笑ってみた。
最後の小節をなぞりきって、ようやく私は溜まっていた空気を吐き出した。
「結構良かったじゃない。上達したわね」
「でも、二番のBメロは飛びました……」
スチールチェアに腰掛けて、項垂れてしまう。
せっかく望が付き合ってくれた練習で、普段は出来ていた基本的なことが出来なくなるなんて。
望は自分の目の前のスチールチェアに置いていたスマホを持ち上げて、数度タップした後に私にそれを見せてくれる。
「録音、してみたから聴いてみて」
もともとスマホに入っているタイプのボイスメモアプリのデータが一つ、見せられた画面では開かれていた。
私はされるがままに望のスマホを受け取り、三角形の再生ボタンを押す。
先程まで弾いていた音がスピーカーから流れる。こうしてみると、ずいぶんと聴こえ方が違うものだなと思った。そして、結構下手だ。やはりミュートが甘い。余計な音が入っているし、何よりノイズが思っていたより多い。
「あれ、ここ間違えたと思ってました」
録音を一時停止した。一番のサビに入る直前にあるFコード。弾いているときはもたついてろくに音が出ていないものだと思っていたが、どうやらきちんと拾われていたらしい。
「……足立さんが頑張って私に合わせてようとしてくれたのは分かる」
私は少し、ドキッとした。バレている。
望はゆっくりと続ける。
「でも、バンドの音って、誰かに合わせればいいとか、自分にみんなが合わせてくれればいいわけじゃない」
そういうものだろうか。
私よりもバンド歴が長いわけだし、きっとそういうものなんだろうけど。
「難しいとは思うけど、メンバー間の信頼関係、って言うのかしら。それが大事なんだと思う」
「なるほど……」
分かるような、分からないような。
だが、分かる部分もある。つまり、一人で突っ走るのは良くないが、誰かに委ねれば良い、というわけでもないということ。
その塩梅は難しいが、確かに重要なのだろうと思った。
「まあ、やってればそのうち分かるわよ。分かんないと解散になるんでしょうけど」
「洒落にならないこと言わないでください……」
望がにこりと笑った。
真顔で冗談を言うのが望の悪いところだ。冗談なのか本気なのかが分からない。
「兎にも角にも、ギターは上手くなってるわよ。自信持ちなさい」
望が私の肩に触れた。優しい。
たまにこうやってデレを見せてくるから、この人はこのペンディングというバンドの中で精神的な支柱になれているのだろうと思った。
「さ、練習続けましょ。ギターの上手さに上限はないわよ」
「はい……」
かと思えば、すぐにいつもの調子に戻ってしまう。
悲しい、というか寂しいが、奏のように距離をはちゃめちゃに詰められても困ってしまうので、望の距離感は正直言って有難い。
真剣そのものといった顔でベースを睨んだ望を倣って、私はギターと向き合った。
