「こうちゃん、こうちゃん」
無事に大学二年生に進級してオリエンテーションを終えると、一年生の頃と違ってすっかり学生生活に慣れたのか、教室内はガヤガヤと一気に賑やかになる。そそくさと退室する集団を横目にのんびりとカバンにペンケースをしまっていると、隣の席に座っていた成瀬が声をかけてきた。地元の知り合いもいない、一人ぼっちの入学式でたまたま隣に座ったのが、同じ学部・学科の成瀬だったのは僕の運がよかったのだろう。大学での友だち一号くんに視線を送ると、上目遣いで僕の反応を伺っている。いつもならズバッと言いたいことを言ってくるのに、何これ、嫌な予感がする。
「なに?」
「えーっと、直近の予定はどんなかんじ?」
「んー……」
そんな問いかけにスマホの予定表アプリを開く。アルバイト以外、ものの見事に真っ白。成瀬が何を気にしているのかは分かっていて、だからこそ空白の予定を伝えるのが恥ずかしくて口ごもってしまう。
「あのさ、今度演劇研究会で新歓公演やるんだけど、人手が足りてなくて……。こうちゃん、やらない?」
「新歓公演……」
黙り込んだ僕を見かねて、成瀬が口火を切る。うちの大学の演劇研究会は有名だ。毎年五月末に新歓公演を行っているというのは、去年観に行ったから僕でも知っている。結構な人数が参加しているため、舞台に立てるのは選ばれし者のみ。裏方だって、将来の夢に繋げるため、自分の仕事に誇りを持っている。そんな熱意が伝わってきて、学生だけで完成されたとは思えないほどのクオリティに圧倒されたのは記憶に新しい。成瀬はその新歓公演に魅了されて、全く芝居に興味を持っていなかったのに、今ではそんな演劇研究会のメンバーの一員だ。
もちろん、僕だって演劇研究会に入ろうと思わなかったというわけではない。人の心を動かす芝居ができるなんて羨ましくて、尊敬だってしている。
でも、それじゃ駄目なんだ。全然、足りないんだ。
あの日、決別した彼に『俳優になる』って啖呵をきったのは、紛れもない僕だから。
恋と夢を天秤にかけて、最終的に僕が選んだのは夢だった。彼女がいる人の恋人になろうなんて、考えたことすらない。だけど、叶いもしない恋を簡単に捨てきることもできなくて。惨めに傍で見ているなんて、無理だったから、自分から離れるという選択肢しか残っていなかった。
慣れない土地を奔走して、ようやく見つけた劇団。最初は門前払いされたけれど、どうしても入りたいのだと熱意を伝え続けて、入団できたのが半年前。だけど、オーディションには落ち続けてばかり。未だに舞台には立てていない。それが現実。熱意だけではどうにもならない。
『お前の演技には未練があるんだよ』
何度目かのオーディションの後、演出家に言われた言葉が胸に突き刺さったまま抜けないでいる。ああ、何もうまくいかない。夢を叶えると意気込んできたのに、人生、そううまくはいかないものだ。
不合格の知らせを受け取る度に「まただめだった」とどうしようもなく落ち込んで、情けない自分に嫌悪して、全てを投げ出してしまいたくなるほど心が折れそうになったとき、励ましてくれたのはいつだって成瀬だった。新しいオーディションの練習に付き合ってアドバイスをくれて、自信を失いかけた僕に寄り添ってくれた。だから、僕はまだ夢を捨てずに頑張れている。そんな成瀬からの頼みなら、力になりたいと思うけれど……。
「部外者の僕が参加して、なんやこいつって思われへんかな」
「もう、そんなことを言うのはどの口? 相変わらずネガティブになったら関西弁が出てくるんだから」
ぽつりと零した言葉を拾った成瀬が僕の口を摘んで、ぷりぷりと怒るふりをする。「んーっ」と抵抗すれば、あっさりと手が離された。
「だって、劇研の人手が足りないなんて聞いたことないから……。わざわざ僕に声をかける理由がないと思って……」
「案外、名前だけ入れてるって人も結構いるからね。それに、今まで主役張ってた人がちょうど同時期にやってる他の舞台とバッティングしちゃったらしくてさ、ポジションがひとつ空いてんだよね」
「事情は分かったけど、でもなぁ……」
「やりたいの? やりたくないの?」
「……僕でいいの?」
「しつこい。こうちゃんだから誘ってるんだよ。それに、いつか一緒に演技したいねって話したじゃん」
ハッキリとそう言う成瀬。嘘のつけない男だから、僕の気持ちも少しずつ前を向き始める。
「今年は外部の演出家も観に来るらしいから、もしかしたらスカウトされるかもしれないし! ね、やるでしょ?」
「うん、やりたい」
トドメの言葉は甘い誘惑。成瀬の言う通りなら、新しい道が拓けるかもしれない。転がってきたチャンスをそのまま見送るわけにはいかない。選択肢なんて、あればあるだけいいのだから。こくんと頷く僕を見て、成瀬は「やった」と嬉しそうに笑った。



