神隠しの幼馴染が、夏を追いかけてくる。

 
 別れの予感を察知して、梛は反射的に彼の着物の襟を掴んで引き寄せた。いつの間にか、花火は終わっていた。しんと静まり返った月のない夜空に、梛の切実な声が響きわたる。
 
「やっと会えたのに。もっとお前と話したいことがたくさんある。謝りたいことも、ありがとうも、それから」
 そこで一旦言葉を止めて、まっすぐに柊の紅い目を見つめながら、本当に伝えたかったことを口にした。

「もうお前と離れたくない。ずっと一緒にいたい」
 
 柊の瞳が、一瞬大きく揺れた。人間らしからぬ縦長の瞳孔が、動揺するように震えている。
 
「お前は死んだの?」
「……まあ、そんな感じかな。楔としてあっち側に呑まれたとき、人間としての俺は一度消えたんだ。ずっとお前を見ていたのは、そうでもして記憶を繋ぎ止めないと、完全に『モノ』になってしまいそうだったから」
「それなら、俺も一緒に」
「馬鹿」
 言い終わる前に、きつく遮られた。

「大丈夫だって。現世に帰ったあとは、今度こそお前も俺のこと忘れてるから」
「嫌だ、絶対覚えてる。それでお前をまた探す。新月の夜にこの辺うろつけばいいんだろ?」
「脅しかよ。つか、マジで頑固だな。変わってねえし」
「お前にだけは言われたくない」
 昔からこうだ。梛が頑固に意見を曲げないと、最後は柊の方が折れるのだ。

「……わかった。わかったから」

 やっと折れたらしい柊は、小さくため息をついた。
 うつむいた顔を上げた時には、困ったような、それでいてひどく嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 柊は後ろ手に結っていた髪からするりと一本の水引を解いた。紫色の細い組紐。それを掴んだ彼は、梛の左手首を取って手首に巻き付ける。

「お前の記憶は消えるし、俺のことを忘れる。けど、これだけは消えないようにしといてやるから。お守りだ」
「いやだ、忘れたくない」
「泣くなよ」
 柊が梛の頭をくしゃりと撫でた。
「そう、決まってるんだ」

 彼の顔が近づいてきて、そっと額に唇が触れる。冷たい口づけだった。
 ぞわりと全身に鳥肌が立ち、同時に猛烈な眠気が襲ってくる。意識が急に重くなって瞼をあけていられなくなる。

「だいじょうぶ」
「……柊!」
「だから名前を呼ぶな。離れられなくなる」
 
 彼の声は泣いているように掠れていた。
 もっとちゃんと言いたいことがあったのに。もう一度名前を呼ぼうと口を開いたけれど、意識が闇に落ちていく。
 心の中で、何度も何度も、魂に刻み込むように柊の名前を必死に呼び続けた。

***

 気がつくと、梛は神社の境内で立ち尽くしていた。
 あれほど耳の奥で鳴り響いていた鈴の音は聞こえず、届くのは普通の夏祭りの喧騒だけ。スマホを見ると夜の九時過ぎ。いつの間にか花火は終わっていて、人々が帰り始めている。
 何をしていたのか、うまく思い出せない。
 大事なことを忘れている気がするのに、それが何なのか、どうしても掴めなかった。
 もやもやしながら歩き出そうとして、ふと左手首に巻かれた紫色の水引が目に入った。
 知らない紐。なんでこんなものがついているんだろう。
 理由はまったくわからないのに、それを見た瞬間、胸がぎゅうっと締め付けられた。涙が一筋、勝手にこぼれ落ちる。
 それが悲しみなのか、嬉しさなのか、それすらも自分でよくわからないまま、梛はただ左手首の水引を握りしめて、とぼとぼと泣きながら家に帰った。

***