「何やってんだよ、沢田! お前」
シャッ。
恐ろしい顔と声にびびった空は、カーテンを閉じてしまった。
「クッソー! 開けろコラァ!」
窓の外からは悔しそうな声がする。
「どうしたの? 今の、誰の声?」
「分かんない。怖い」
そう言った後で、もしかしたらさっきの人はあの怖い人かも、と小野田のことに思い至った空だったが、やっぱり怖いから見なかったことにしようと無視を決める。
その時、二種類の着信音がリビングの中に響いた。
「あっ、お父さんだわ! はい、もしもし♪」
一本目は沢田母のスマホだ。相手は父だろう。
もう一本は空のスマホだった。今日は七夕だからと無理やり着せられた浴衣の袖の中で鳴っている。誰にも番号を教えていないのに、着信音が出たことにびびってしまう。相手の番号ももちろん知らない数字の羅列だった。
「……もしもし」
おそるおそる出てみると、相手は言った。
「沢田⁉︎ 俺、森島! 緊急だって言って先生からこの番号教えてもらったんだ」
電話の向こうから切羽詰まった森島の声がした。相手が分かって空は少しだけホッとする。
「そんなことより大変だぞ、沢田! さっき、駅で景子ちゃん見かけたんだけど、なんか危なそうな変質者っぽい奴に話しかけられてて、そのまま二人でどっか行っちゃったんだよ!」
「えっ……⁉︎」
空はスマホを落としそうになった。
「さ、さ、佐藤さんが⁉︎ それで……⁉︎」
「あっ、悪い! 今逆ナン受けてて忙しいんだ。じゃあまたな!」
森島は用件だけ言ってあっさりと電話を切ってしまった。
「森島くん!」
空の耳に通話切れの音が虚しく響く。
佐藤さんが変質者にさらわれた。
わかったのはそれだけだ。空は居ても立っても居られなくなり、スマホと財布を掴んで廊下に飛び出した。
「ちょっと、空! どこに行くのっ? お父さん、駅で迷子になっちゃったんだけど、もうすぐ家に帰るって! 空の友達と偶然会って、家まで案内してもらってるそうよ。って、聞いてないやないかーい!」
母を無視して玄関で靴をはく空の頭に、スパーン! とハリセンが飛んだ。
「行かなくちゃ」
振り向いた空はシリアスな顔をしていた。
「ごめん、母ちゃん。父ちゃんにもごめんって言っておいて。俺には、どうしても行かなくちゃいけないところがあるんだ」
急にスラスラと長文をしゃべりだした息子を見て、母は呆気に取られた。
「佐藤さんがピンチなんだ! だから……ごめん!!」
空がいきなり玄関から飛び出すと、庭の方から「あっ!」と声がした。
それはさっきのフランケンシュタイン──小野田だった。
浴衣が邪魔でちょっと走りにくいが構わず駅へと走り出した空を、小野田が追いかける。
「ちょっと待てよ沢田! どうしたんだよ、急に!」
追走する小野田を、空はうるさそうに睨み返した。
「……佐藤さんが、大変なんだ」
「何?」
「なんか……怪しい人にさらわれたって聞いたんだ……!」
すると小野田はさっと顔色を変えた。
「怪しい奴ってまさか──前工の奴らか⁉︎ あいつら、俺に飽き足らず佐藤さんまで……⁉︎」
「何か知ってるの⁉︎」
空は走りながら小野田を問いつめる。
「ああ……実は、昨日の夕方、俺と佐藤さんが一緒にいるところを前工のヤバい奴らに見つかっちまってな……。あの子は逃したんだが、俺は朝まで捕まって大変な目に遭ったんだ。今でもあちこち体がズキズキしやがる」
体が痛むのだろうか、小野田は顔を歪めた。その額には玉の汗が浮かんでいる。
「そんなにヤバい人たちが佐藤さんを……⁉︎」
「ああ、あいつらはマジでやべえ。特にボスの小林って野郎がイカれててな。執念深くて、絶対に自分が勝つまで勝負を挑んで来るんだ。俺の要求には一切応えず、テメエの主義主張を押し付けてくる……どこまでも頑固でワガママな暴君って感じのサイコ野郎だよ」
俺はコーラが飲みたかったのに、果汁100%のジュースの方が体にいいから飲めって押し付けてきやがって、てめーは俺のおかんか! などとブツブツ呟く小野田の声は空にはもう届いていなかった。
「俺のせいだ……! 俺が佐藤さんとの待ち合わせ場所に迷わず行っていたら、佐藤さんはそんな人に連れて行かれずに済んだのに……!」
悔しがる空の瞳に涙が浮かぶ。
「その人の家はどこ⁉︎」
「あ、あっちだ!」
小野田の誘導に従い、空は全力で道を曲がった。
***
……なんてことがあったとは、つゆ知らず。
私は沢田くんが全速力で右折していった道を、丸サングラスにマスクをかけた怪しい見た目のおじさんと一緒に駅から直進してきていた。
「へえ〜。それじゃ、日本へ帰って来るのは四年ぶりなんですね」
「え、え、え、まあ、はい。す、すっかり駅も見違えちゃって。空も大きくなったかなあ」
「えっ……沢田くんはそんなに変わらないと思いますよ?」
小さい子供じゃあるまいし、と私はクスクス笑った。
「それに、見違えるも何も、あの駅は隣の市の枇杷島っていう駅ですからね」
「そ、そ、そうですか。どうりで見覚えがないと思いました……」
おじさんは照れくさそうに頭をかいた。
それにしても、驚いた。
枇杷島駅で迷子になっていたこの変質者のような見た目のおじさんが、まさか沢田くんのお父さんだったとは。
世の中、広いようで狭いよね。

