3月28日。
ようやく心地良くなってきた春の風が、髪の中を泳ぐように吹き抜けた。
「ちょっと! あんた、ちゃんとやってるの?」
「今、やってるじゃん。ねえねえ、これ見てよ」
6畳の部屋が3つしかない、狭いアパ―ト。
隣の部屋で、お母さんとあいつの話し声がここまで届く。
(……何やってんだか)
春休み。まだ入学していないから、毎日ヒマ。
せっかくの穏やかで優しい雰囲気も、あいつの声で台無しになるような気がした。
「どうせヒマでしょ」とお母さんに言われて、しぶしぶ部屋の片づけをすることになったけれど、恐らくあいつは油を売っていたらしい。
お母さんの声色でだいたい分かる。
中学校で買わされた分厚い問題集。ビニールの紐でくくっていくと、思ったよりも長さが足りない。仕方ないので、ちょっとだけ問題集を抜き取った。
(これでよく受かったな)
台所に追加の紐を取りにいくと、隣の部屋にはまだお母さんがいる。
「これ! 見てよ~、懐かしいの出てきた」
あいつの手元に目線を落とすと、ヨレヨレになっている黄色い紙をお母さんに見せようとしているらしかった。
(偏差値表。……塾のやつ?)
私は塾には行かなかった。
2年前にあいつがお母さんに「塾に行かせてよ」って、私のいない時に何度もせがんでいたのを知っているから。
……お母さんが自分の部屋でしばらく考え込んでいたのを、見てしまったから。
愛梨にも千景にも、中2の時は何度も塾に誘われた。「面倒くさい」とずっとはぐらかしているうちに、いつの間にか誘われなくなった。
中3の夏休み。栄ケ丘高校を目指しているクラスメイトたちは、ほとんど塾に行っているらしかったけれど、午後の暑い時間から、家で孤独に頑張り続けた。
8月の後半にもなると、しゃべる人もいない私は「羨ましいな」と、あいつのことを考えることもあった。
もし落ちたら……私は今頃、何を考えていたんだろう。
行きたくもない私立高校の制服を見て、私はどう思っていたんだろう。
(あ、あった)
シンクの下の引き出しの中に、紐を見つけた私は、2人に気付かれないように部屋へと戻っていく。
(さて、と……)
塾に行く代わりに、お母さんに買ってもらった問題集が本棚に並ぶ。「次はこっちだな」と、一冊一冊を手に取った。
(……あ)
ガサリと束になって落ちてきたのは、看護専門学校のパンフレット。本屋さんに行った時に『ご自由にどうぞ』と書かれていたから、確かもらってきたやつ。
(専門学校か。……もう、いらないな)
「看護師になりたい!」と思っていた私は、意味も分からずパンフレットを手に取っていた。
家に帰ってからお母さんに見せると「それ専門学校のパンフだよ」と教えてもらった記憶がある。
その時はじめて、看護師になるには専門学校からでもなれるし、大学に行ってもなれるということを知った。
そして、一番安いのは国立大学に入ること、ということも知った。
(……はあ。頑張らないとなあ)
問題集の中に、横からむりやりパンフレット類をねじこんだ。
(あー……行けんのかな~……頑張らないとなあ)
あいつの声がまた聞こえる。なぜだか分からないけれど、かあっと胸の奥が熱くなるような感じになった――。
ようやく心地良くなってきた春の風が、髪の中を泳ぐように吹き抜けた。
「ちょっと! あんた、ちゃんとやってるの?」
「今、やってるじゃん。ねえねえ、これ見てよ」
6畳の部屋が3つしかない、狭いアパ―ト。
隣の部屋で、お母さんとあいつの話し声がここまで届く。
(……何やってんだか)
春休み。まだ入学していないから、毎日ヒマ。
せっかくの穏やかで優しい雰囲気も、あいつの声で台無しになるような気がした。
「どうせヒマでしょ」とお母さんに言われて、しぶしぶ部屋の片づけをすることになったけれど、恐らくあいつは油を売っていたらしい。
お母さんの声色でだいたい分かる。
中学校で買わされた分厚い問題集。ビニールの紐でくくっていくと、思ったよりも長さが足りない。仕方ないので、ちょっとだけ問題集を抜き取った。
(これでよく受かったな)
台所に追加の紐を取りにいくと、隣の部屋にはまだお母さんがいる。
「これ! 見てよ~、懐かしいの出てきた」
あいつの手元に目線を落とすと、ヨレヨレになっている黄色い紙をお母さんに見せようとしているらしかった。
(偏差値表。……塾のやつ?)
私は塾には行かなかった。
2年前にあいつがお母さんに「塾に行かせてよ」って、私のいない時に何度もせがんでいたのを知っているから。
……お母さんが自分の部屋でしばらく考え込んでいたのを、見てしまったから。
愛梨にも千景にも、中2の時は何度も塾に誘われた。「面倒くさい」とずっとはぐらかしているうちに、いつの間にか誘われなくなった。
中3の夏休み。栄ケ丘高校を目指しているクラスメイトたちは、ほとんど塾に行っているらしかったけれど、午後の暑い時間から、家で孤独に頑張り続けた。
8月の後半にもなると、しゃべる人もいない私は「羨ましいな」と、あいつのことを考えることもあった。
もし落ちたら……私は今頃、何を考えていたんだろう。
行きたくもない私立高校の制服を見て、私はどう思っていたんだろう。
(あ、あった)
シンクの下の引き出しの中に、紐を見つけた私は、2人に気付かれないように部屋へと戻っていく。
(さて、と……)
塾に行く代わりに、お母さんに買ってもらった問題集が本棚に並ぶ。「次はこっちだな」と、一冊一冊を手に取った。
(……あ)
ガサリと束になって落ちてきたのは、看護専門学校のパンフレット。本屋さんに行った時に『ご自由にどうぞ』と書かれていたから、確かもらってきたやつ。
(専門学校か。……もう、いらないな)
「看護師になりたい!」と思っていた私は、意味も分からずパンフレットを手に取っていた。
家に帰ってからお母さんに見せると「それ専門学校のパンフだよ」と教えてもらった記憶がある。
その時はじめて、看護師になるには専門学校からでもなれるし、大学に行ってもなれるということを知った。
そして、一番安いのは国立大学に入ること、ということも知った。
(……はあ。頑張らないとなあ)
問題集の中に、横からむりやりパンフレット類をねじこんだ。
(あー……行けんのかな~……頑張らないとなあ)
あいつの声がまた聞こえる。なぜだか分からないけれど、かあっと胸の奥が熱くなるような感じになった――。



