シュレディンガーの三重奏

冬華はクッキング部に入っている。月曜日と金曜日の週2回部活があるらしい。

晩ご飯を食べながら最初聞いた時は、わたしもママも驚いて箸を置いた。

だって冬華はずっと「入学したら男子バレー部のマネージャーしたい」って言っていたから。

それなのに涼しい顔で

「え? やっぱり疲れない部活にした」

と言っていた。

ママがトイレに行った時、冬華はテレビに視線を向けたまま「それにお金もかかんないみたいだし」と小さく呟いたような気がした。

カツンカツンと乾いた音を立てながら、古びた階段を上る。

ママは「築60年くらい経ってるかも」と言っていた。巨大地震でも来たら、一発で崩れてしまいそうだなと毎日考えている。

最初に引越してきた時、この建物を見て悲しくて泣きそうだったけど……

5年も経つと、正直愛着が少しだけ湧いている。

まあ、友達を呼ぶことは絶対にできないけど。

わたしとママと冬華の『秘密基地』。

(あ、金曜か)

制服のポケットからカギを取り出して家の中に入ると、ママの靴が無造作に置いてあった。

(……ん?)

「ママー? 帰ってるの?」

キッチンを除けば、6畳の部屋が3つあるだけ。

別にそんなに大きな声を出さなくても、家中に声は響く。

「ああ、帰ってきたんだ、お帰り」

開けっ放しになっていたママの部屋から、声が返ってきた。

「もう帰ってたんだ。今日、早いんだね」
「うん。元々シフト、今日はお昼までだったから」
「へえ。そうなんだ」

ママは家から歩いて10分ほどのスーパーでパートをしてる。それなりに地域では大きい方だと思う。

5年前にママが離婚した時、わたしと冬華とママの3人で、このオンボロアパートに引越してきた。

確かママは「しばらくここで生活することになるけど……ごめんね」と言っていた気がする。

どんな表情だったかは覚えていない。

わたしと冬華は、ママと一緒に暮らせることが凄く嬉しかったけど……「お金、大丈夫なのかな」って、よく2人で話をしていた。

3年前くらいに一度、「うち、お金あんまり無いでしょ」と、ママに空気を読まずに聞いたことがあった。

何の流れで聞いたのかは、忘れてしまったけど。

台所でご飯を作りながら、「心配しなくても大丈夫。ママこう見えて、前はバリバリに働いてたからね。2人がビックリするくらい貯金あるから」と笑いながら言っていた。

それ以来、わたしはママにお金のことを聞いていない。

……何となく怖くて、聞けないままになっている。

「ママ、最近疲れてない? 仕事忙しいんじゃない?」

自分の部屋のソファーに座ったままになっていたから、ちょっと心配になった。

「ん? そうね。確かに、お客さん多いから……忙しいわね」
「そっか。あんま無理しないでよね」

じっくりママの顔を見ることができなくて、わたしはそのまま自分の部屋へと入っていった。



「いただきます!」

わたしがバイトに行く日以外は、晩ご飯は3人で食べる。

「冬華、クッキング部って、何してんの?」
「え? 色々」
「分かんないってば。『色々』じゃ」

冬華が高校に入学して
わたしが高校2年生になって
そろそろ2ケ月が経つ。

晩ご飯の時くらいしか、話をしなくなっていたから……正直、昔みたいに冬華が何を考えているのかとか、どんな生活を送っているのかなんて、まったく分からなくなっていた。

「まあ……クッキー焼いたりとか? しゃべったりとか? 色々だね」
「……ふうん」

学校で美月ちゃんや瑠香ちゃんとしゃべったり、誠くんと休み時間に話をしてるような、何ていうんだろう……キャッチボールができなくなっている気がしていた。

「どう? 学校、楽しい?」
「まあ。楽しいね」
「へえ! 何が? 何が楽しい?」
「……良いじゃん、別に」
「何よお~、教えてよー」

ママはわたしと冬華の会話に入ってこない。

『会話』と言っても、わたしが一方的に冬華にインタビューしてるだけ。

「あぁ、もう! ウザいって!」

冬華の張り上げた声に、ビクッとしてしまい言葉が出なかった。

「うるさいって、お姉ちゃん。……ごちそうさま」

パンとテーブルの上に箸を置いて、静かに自分の部屋へと戻っていった。

「はあ」と大きくため息をつくわたし。ママはわたしの方を見ることなく、口元を何やら動かしていたような気がした。