シュレディンガーの三重奏

誠くんは隠れ陽キャだと思う。

見た目は基本、大人しくて静か。机にむらがってゲラゲラと笑ってる男子とちがって、わたしに言わせれば『品が良い』。

一番後ろの席から、教室の中をいつも静かに観察してるように見える。

……そんな誠くんを、わたしはバレないように、横目でいつも観察している。

美月ちゃんたちは「それは夏穂ちゃんの勝手な想像だね」って言うけど……わたしは本当にそう思ってる。

窓ぎわの席で、左ひじを窓にかけてる仕草なんて、最高にカッコ良い。

うっとりしながら、わたしはその様子を横目で見る。

誠くんは、実はめっちゃ勉強ができるということを知った。

数学とか理科が特に好きらしい。

その代わり、実習みたいに手を動かす作業には、あまり興味がないと言っていた。

インテリア科なのに。

「遠藤さんてさ、シュレディンガーって知ってる?」

数学の授業が終わり、ようやくやってきた休み時間。

クラスのみんなから「はあ」と安堵のため息がもれてきたところだった。

「シュレディンガー? 何それ。名前?」
「そう。昔の物理学者だよ」
「物理……? ああ、理科ね」

わたしが所属するインテリア科は、理科の授業をそこまで深く勉強しない。

機械科とか、電子科とかの人は、かなり難しい計算までやるって聞いたことがあった。

きっと誠くん以外の人から言われても、軽く流していた言葉だったけど、もちろんわたしは喰いつくように聞いた。

何も分からないけど。

「なにか有名な人ってことだよね」
「まあ、たぶん」
「難しい公式とか? 発明した人?」
「『シュレディンガーの猫』っていう実験を提唱したらしい」
「……シュレディンガーの? ……猫? 可愛い名前じゃん」

思わずわたしは笑ってしまった。

「あー、面白ろ」と言いながら目を開けると、優しく見守ってくれているかのような誠くんの顔が、そこにはあった。



「いらっしゃいませー」

夕方5時すぎ。

週に2回のコンビニバイト。

火曜日と木曜日、夕方の5時から夜の10時まで。

自分のお小遣いは自分で何とかしようと半年前から始めた。

お客さんの多い時間帯はダルいなと思うけど、何やかんや楽しい。

「タバコ、121番」
「121番ですね。少々お待ちください」

121番はキャスターだ。タバコの番号と銘柄を覚えたこと。アルバイトを始めて身に付いたことの一つ。

……今のところ、他の場所であんまり役に立っていない。

「さあ、忙しくなるねえ。フランクフルト、あと5本追加で揚げようか」
「そうですね……もう6時になるんだ」

「うん。さあ、頑張ろうか」

店長の号令とともに、わたしは冷凍庫からフランクフルトを取り出して、網の中へと入れてスイッチを押す。

何ひとつ感情を込めずに。

ヴーンと鈍い音を立てて、油の中へとゆっくりと沈むフランクフルトたち。

たちまちパチパチパチと跳ねるような音を立てはじめた。


「毒ガスと猫を一緒に箱に入れておくんだ。猫が毒ガスのスイッチを押す確率は半分。まあ1/2っていうこと」

「しばらく経ったら、箱を開ける。もちろん1/2の確率で猫は生きているかも知れないし、毒ガスを吸って死んでしまったかも知れない」

ぽかんとするわたしにをよそに、誠くんは遠くを見るように話を続けた。

「当たり前だろって思うかもだけど……シュレディンガーはこう言ったんだ」

「箱を開けるまでは『猫がスイッチを押さない現実』と『猫がスイッチを押してしまう現実』両方が、存在しているって」

「人間が見る時、観測する時までは……両方の世界が同時に存在してるんだよ? ヤバいよなあ……」

何を言っているのか、正直分からなかった。

「誠くん、活き活きしてるなあ」と思いながら、「へえ」と相槌を打っただけだ。

(……でも)

でも、なんでだろう。

聞いても意味がまったく分からなかった。

でも、「楽しそうだな」って思った。

理科に興味があるからなのか、それは分からない。

誠くんと一緒に、知らないことを勉強するのって良いなあと思った。

シュレディンガーなんて、全く分からないけど……理科の勉強は、もしかしたら面白いのかも知れない。

「ちょっと! 遠藤さん! レジ手伝って」

(……はっ)

「あ、は……はい! すいません」

後ろから聞こえる、ちょっと甲高い声。

我に返ると、レジへと急いだ。

――トングを右手に、持ったまま。