シュレディンガーの三重奏

「別に、いつも通りやってくれば良いんじゃないの」

たった30分前に言われた言葉。
駅へと向かう、いつもの道。
激込の、毎日乗っているはずの満員電車。

すべて、いつもと同じ。

ただ、ちがっているのは、降りる駅がJR根岸駅じゃなくて、横浜駅だってことだけ。
電車に乗っている時間が、いつもよりたった15分長いってことだけ。
そして……今日が大学入試当日ってことだけ。

去年の冬。2年生の時に受験した模擬テスト。
採点前から涙が止まらなかったけれど……まさか本当に目標点をクリアできると思わなかった。

(別にいつもと一緒じゃん……! 頑張れ、わたし)

『伊勢山皇大神宮』と書かれた赤いお守りを、右手でぎゅうと握りしめる。
ママと冬華と一緒に、桜木町駅にある神社で買ったお守り。
歩いている人たちからは見えない。
だって制服のポッケの中で、静かに握りしめているから。

(絶対、大丈夫)
(あれだけやってきたじゃん。大丈夫。大丈夫)

わたしと同じように、制服で坂を上る人たちが、ちらほらと目に入るようになってくると、いよいよ心臓が口から出そうなって、息が苦しくなる。

(絶対、受験生だよね……あの人たち)

できるだけ表情を見ないように、わたしはうつむき加減で後ろを歩いた。

目を上げると、背筋を丸めながら歩く人や、スマホをじっと見ながら歩く人たち。
どこか自信なさげに見えて、わたしは改めて背筋を伸ばす。

「門をくぐる前から、始まっているから」と、昨日先生に言われたことを急に思い出したから。

1年間かけて英語と数学の勉強もずっと続けてきた。
面接の練習は学校の先生がずっと一緒にやってくれた。

愛梨や千景も。誠くんも。ずっと応援してきてくれた。

必ず合格して、みんなの気持ちに応えたい――。

(はあー……)

バスに乗り込むと、小さく息を吐き出した。周りに聞こえないように、音を殺しながら……細く、そして長く息を吐く。何度も。何度も。

(やっぱ緊張してんな、わたし)

バスを降りて、カバンから取り出したのは受験票。
……大切にしまっておいたはずなのに、いつの間にか四隅がヨレていた。

(9時40分だ……よし!)
(さ、いこう!)

パン、とおでこを軽く叩いて、わたしは正門をくぐった。
最後にもう一度、「はあ」と大きく息を吐き出してから。

(ママ、冬華。頑張るから)

みんなの想いが乗った受験票を、軽く握りしめながら――。